美女と野獣は踊る

 春、桜が舞い散る中学校を見つめ、化け物は深呼吸した。他の生徒らが化け物の方を見て硬直する。一歩一歩、新たなる環境に向けて突き進む赤い目は、確かに輝いていた。



 身長は約四メートル、醜く歪んだ顔を隠すために被ったバケツと、隠しきれなかった大きな角。化け物は制服こそ着ていたが、まるで昔話に出てくるようなミノタウロスの様だった。

 特別に配慮され天井を高く作り直された教室で自己紹介をすれば、皆が震え上がる。大きく息を吸い込み、発せられる地響きすら伴うであろう声に、皆は耳を塞いだ。

 しかし、化け物はどもりながら、自分の名を言った。

 その瞬間巻き起こる、大きな笑いの波。化け物の気弱さを見て、生徒らは自分達が優越したと錯誤し、一斉に異端審問にかけようと矢継ぎ早に質問をぶつけた。

 何でそんな見た目なの? 

 何で喋るのが下手なの? 

 お母さんとお父さんは人間なの?

 何で学校に来たの?

 人を殺したことがあるの?

 おろおろとバケツの穴の空いたところから覗く赤い目は泳ぎ、担任の方に向けられたが、担任はすかさず目を逸らし、異端審問の無垢な傍観者であろうとした。

 大きな身体に醜い姿、それを見ただけで生徒らは化け物を人喰いモンスターと呼んで高笑いをきめた。化け物はただただ何も言えず俯いて、角を手で押さえて着席するに至る。

 化け物はあまり勉強も運動も得意でなく、他にも変わりがいるだろうに、化け物はいつも引き合いに出され、教師にとっても生徒らにとっても注目の的となっていく。桜が散るスピードが早いように、化け物が完全なる異端者のレッテルを貼られるのにはそう長くかからなかった。


──化け物には人間の言ってることが分からないんだね!


 えっと、と言葉を繋ぐ間投詞を続けて、化け物はそれらの意地悪な問に答えられず、その様を見てまた生徒らは楽しそうに歓声を上げた。

 不思議と学校内で生徒間でも教師間でも虐めは起きない。その理由を化け物は知っている。人間は共通の敵、必要悪がいれば、仲良くやっていけるのだ。

 化け物は自分を酷く惨めに思うた。然しながら、人間の形をした両親を責めるには至らなかった。所詮、自分は突然変異の産物であり、自ら変異したのだと知っていたからだ。



 梅雨時、誰もが化け物を日々拷問にかけて素晴らしい娯楽を手に入れている中、大きく岩のようにゴツゴツした手を取り、化け物に歩み寄った先生が現れた。

 よく化け物は通学路で先生を見かける。雲の上を歩いているかのようで歩く姿に、風に靡く黒い長髪。浮世離れした美しさは顔の端正さというよりは、歩く姿から感じ取れるものであった。


──まぁ、貴方はまるで物語の人物みたいじゃない!


 好奇心に目を輝かせる女性教師は、赤い目を細めてバケツの下から威嚇した化け物をも恐れず、結果が上々である国語のテストを返して喜ぶ。


──貴方はとても物語が好きなのね、同じ人に会えて良かった!


 髪を喜びに靡かせ、薄い唇を弓の形にした先生は、化け物を一生徒と認めていた。

 確かに本の世界が好きだった化け物は、徐々に先生と話すことを拒まなくなった。薄桃色のワンピースでふわふわと歩き、化け物の角を楽しそうに眺める先生は、まさに遅れて現れた春の妖精の様だった。

 先生は物語の世界を愛していた。故に化け物を見つけて、ミノタウロスだ、フランケンシュタインだ、と悪役の名で呼べど、彼らを悪者呼ばわりするのではなく、彼らのしたことを偉業として語り、夢見心地の煌めく目で化け物に嬉しそうに話しかける。


──私もよく、本が好き過ぎて化け物って言われてしまうの。だから、お揃いね!


 化け物と呼ばれる程には、先生は醜くはなかった。ただ、先生は傍から見れば異端者の一人であった。化け物に歩み寄る姫であれど、妖精であれど、民衆からすれば好奇の視線に晒される対象に違いは無い。

 人々の言う化け物とは、結局は異端者の言い換えであった。異端者同士、先生が歩み寄ったように、化け物の心も徐々に先生へと近づいて行った。



 とある夏の日、化け物は近所の川の近くを歩いていた。憂鬱な夜、綺麗に澄んだ川を眺め、ふと自らの不幸を呪った。

 騒ぎ立てる生徒らを殴ったり蹴ったりすることは簡単であるが、その瞬間に自らの精神も含めて完全に化け物へと変貌してしまう。この狭間に生きる自分は、たった一度の行動で本当に人間ではなくなってしまう。然れど、別の必要悪を立てれば、人間に成り下がってしまう。

 揺らぐ水面に、僅かに光が灯った。


──蛍だ、とっても綺麗ね。


 隣に小さな人間の姿が映る。見慣れた先生の姿に、化け物は胸を撫で下ろした。自分の三分の一程度の背の高さがさらに座れば、化け物の隣に並んだ豆粒程度にも見えた。

 ふと、化け物は自らの境遇を話し出した。先生はそれに黙って耳を傾けていた。


──せ、先生、ぼく、く、クラスで、虐められてて。

──話は本当だったのね、先生達はそういう話を隠してしまうから。やっぱり、悲しいかな、姿だけで人を判断するような人が多いのね。


 目を伏せ、先生は薄く笑った。微風が吹いて水面が揺れるのを見て、化け物は春の妖精というイメージを改め、風の妖精とした。


──貴方はとても素敵な人よ?


 揺れる水面に向かって笑いかける先生に、化け物は好意を抱いていた。それを「恋」と呼ぶことは、猜疑心に取り憑かれた化け物は気付かない。

 静まり返った川を踊るように飛ぶ蛍を眺めて、心が温かくなるのを感じていた。先生もそれをうっとりと眺め、言葉無き空間を楽しんでいるようであった。

 立ち上がり、夢からの目醒めを選んだ先生は桃色のワンピースを風に靡かせて、夏の夜空の星々の代わりとなって舞う蛍を幸せそうに眺めた後、回れ右をしようとした。

 然し、その足は数歩歩いたところで滑り、芦に掴まれる。

 そのまま水に落ちてしまいそうになったところを、動かすのさえ億劫に思えた身体を動かし、傍から見れば暴力的に、先生を捕らえ、抱き上げた。

 先生は醜いバケツをまじまじと見つめ、捻り潰す程の力も無い抱擁に目を丸くした。そして、数秒後、開花するかのように桃色の笑みを咲かせて、化け物に笑いかけた。


──貴方が化け物で良かった。そうじゃないと私は溺れ死んでたね。


 先生の頬に一匹の蛍が止まった。そして、僅かに光って、離れていく。まるで暗い夜で、化け物の前途多難な環境の中で、先生自身が優しく輝いたかのようだった。


──せ、先生、ぼく、ぼくは、先生を変だと、お、思わないよ。


 どもりながらの拙い言葉でも、先生の笑顔をさらに美しくするのに充分だった。



  秋、椛が振り落ちる中学校を見つめ、化け物は深呼吸した。他の生徒らが化け物の方を見て指を指して笑う。一歩一歩、もう一人の美しい化け物がいる世界に向けて突き進む赤い目は、確かに輝いていた。

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