四歩離れた隣人

 私の友達は確かに皆 少し変わっていたし、私自身も非常に変わっていた。それは付き合うにつれて分かることで、分かる過程で友達を好きになれるのだ。

 それが、例えば──元から不思議な人だったら? 私には理解できない人だったら? そして、その人をどうしても選ばなければならないとしたら?

最善策は、当然その人を理解することだ。それでも、私は一生理解できないに違いない。



 始業式を迎え、生徒達は早速生存戦略を実行し始めた。クラスの約半分を占める女子生徒達は、皆が皆と一緒になるよう、全く同じ笑顔、声、ファッションで集まるので、私の目から見れば皆 にこりと笑った仮面を付けたようにも見える。当然の如く、私もその仮面を付けることになるのだが。

 異端者は真っ先にカースト制度の真下に落ちていく。否、落とされていく。そんな異端者を見下す私は、いつもいつも一番上でない上層部に立って、足を滑らさないように話を合わせては下品に笑う。今回はどう踏ん張ろうかと思っていた時、その生徒は私の目の前に現れた。


「ナツキちゃんは、とっても可愛いんだね。それに、頭も良いしさ」


 この女は私を口説く気か? 初対面で賢さを褒めるなんて余程の馬鹿かナンパしているかの二択であろう。女生徒は罪の無い笑みを浮かべるばかりで、自分の言ったことの異端さに気が付いていない。


「そういうの、才色兼備って言うんだよね」


 才色兼備──褒められたには違い無いが、普通に女子高生に成りたての女生徒がそんなことを言うだろうか? その言葉を選ぼうという意思が在るだろうか?

 何て答えていいかも分からず、曖昧に微笑んで感謝を告げると、女生徒はまだニコニコと笑って此方を見ている。話そうと思えど言葉が見つからない。他の生徒ならば、中身も意味も無い他愛な話をして適当にあしらえるのだが、この生徒に果たしてそれが通用するだろうか。

 この会話の例では──才色兼備なんて言葉は普通の人でも知っている。ただ普通の人ならそのセレクトはしないだろう──分かりにくいけれど、異端者であり他より少し賢い女生徒・ミホはどう考えても年相応でない。性格や姿でなく、知識が非常に異質なのだ。それも学校の勉強の範囲だけでない。

 きっとこの女に、この花の花言葉って何だっけ、などと聞いたとしたら間違い無くこう返ってくるだろう──先ずこの花の名前を教えて、それからだよと。そしてその後、この花の花言葉は優しさ、とか、日光、とか、親しみやすい、とかそういうのじゃなかったっけ、と言うのだ。

 知識が有り触れたものなら構わないのだが、例えば流行については非常に疎い。普段なら、寧ろ友達より私の方が世間知らずなので、ナツキはそんなことも知らないのー、とからかわれてお終いだが、ミホなら、私もよく分からないよ、知らなかったよ、と言われるオチである。


「ミホちゃんって世間知らずだね」

「よく言われるよ。だって今 人気のドラマなんて見てないし、そこに出てくるイケメン俳優の名は? なんて言われたら非常に困るよね。いちいち俳優なんて気にして見てないし」


 そう言って涼しげに笑うのだ。

 俳優は気にしなくても物語の中に出てきた花言葉は気にするのだ。ドラマの名前は知らなくても、宝石の種類には煩かったり、流行りのスイーツは食べたことが無くて、その代わりに特定の食べ物に詳しい。後程書くが、先ず平凡な女子高生と圧倒的に価値観が違う。

 そんなミホがカースト制度の真下に落ちるのはそう遅くなかった。最下位で見下されてるとは言わずとも、皆 ミホを避けるようになっていく。最初は興味本位に近付いた生徒達は、ミホの第一印象──即ち、謎の賢さを持っているということ──に怖気付いたのだ。


「逆に、ナツキちゃんは分かるの?」

「いや、あんまり分からないけど」


 さて、ならば授業中はどうなのかというと、典型的な理系である私と、典型的な文系であるミホはそれぞれの得意分野で直ぐに問題を解き、クラスメイトを驚かせるのが日常茶飯事となっていた。

 まるでワーカーホリックのように、勉強に取り憑かれたミホは発言することで賢さをアピールし──本人にはその気は無い──私は無意識に結果で賢さをアピールしているようだ。勉強の出来といえば私が上なのだが、ミホは「知は力なり」というベーコンの言葉をモットーとするかのように他の出来事に羽を伸ばしている。


「いい点取ったんだよ、今回こそはね」

「平均越えたの?」

「越えたに決まってるでしょう。ナツキちゃんは?」

「九十三点。でも流石に一位にはなれないからね」

「一位じゃなきゃ意味が無い、ってこと?」


 ミホの知識への貪欲さは異常である。そう言うよりは、プライドへの貪欲さと言うべきか。手に高得点のプリントを握っては悔しがるように「一位じゃなきゃ」と呟くのである。その真面目さと頑固さに敬礼をしたいくらいには、特に拘りの無い私とは正反対であった。

 そんな真反対のミホと付き合う羽目になった理由は、纏めれば単純且つさっぱりとした答えである。

 要は、自分の見栄の為だ。例えつられて私も見下す相手を失ったとしても、それ以上に下に行くのは私にとっても耐え難いことだった。当然、ミホにとってもそれは同じことが言えるだろう。

 私達は相互依存の関係になるかもしれない。まだ互いを知って間も無い春は、そう思っていた。



 生存戦略に打ち勝った者はそろそろ本性を出し、夏に向けて更なる人脈の拡大に努める。

 私自身、早速入部したバスケットボール部にて人脈を伸ばし始めた。ミホから離れるチャンスであったというのにそれが掴めなかったのは、多くの先客の所為であろう。

 前述した通り、生存戦略に打ち勝った者も居る。大抵そういう人は、誰か一人友達をキープしているのだ。故に、「友達以上親友未満」の人々に囲まれるようになって、仮面を付けたままハイテンションな声で媚び諂うしか選択肢は残されていなかった。

 一方ミホの方はというと、吹奏楽部に入部して其方も人脈を伸ばしているらしい。ミホは絵を描く才能が備わっていて、美術の時間には注目を集めていたが、本人は「所詮この程度の才能だよ」と自虐している。私は美術部に入るのではと勝手に思っていたが、それはミホの性格から起こった妄想かもしれない。吹奏楽部と聞いた時は思わず耳を疑った。

 さて、価値観についてだが、先ずは友達についてから触れたい。ミホと私の関係は足二つ分の距離と言えば早い。

 ミホは私に甘えてくる割には、たとえ私が勝手に別の子と一緒に居ても怒りはしない。怒るとしたら、置いて行くと私もどっか行っちゃいますよ、と彼女特有の敬語と溜め息交じりの口調で言われるだけである。

 普通の女子といえば、いつも隣に誰かが居ないと不安で、見栄を気にする──まるで私みたいな人ばかりだという偏見が在る。

 それに比べてミホは、割と一人でも涼しい顔をしていて、私の嫌いな拘束や束縛が無い。


「そうそう、この子は同じ中学だった、サクラちゃんっていうんだよ。今は演劇部に入ってるんだ。あまり関わった覚えは無いけどね」

「ミホさんと一度も同じクラスになったことが無いもので……」

「へー、そうするとリンと部活が一緒じゃん」

「リンさんはとっても活躍してるから印象に残ってます。後、ハルカさんも、かな」


 そういえば、一度だけ友達を紹介されたことが在った。その友達は隣のクラスで、ミホに雰囲気が似ていたが、類は友を呼ぶとは間違いだったのか、ミホ程に友情関係に無頓着でなく、話し方も賢さも人並みである。しかも、ミホも知り合い程度にしか思っていないと言うから驚きだ。

 私なら、そうでなくとも見栄優先で友達だったとか適当なことを言ってしまうだろうに。サクラについては後でもう一度触れることになる。

 そんな束縛の無いドライな関係が、面倒臭がりな私にぴったりだった。必要な時だけ居てくれれば良い。果たしてこれを友達と、または親友と呼べるかは分からないが、きっとこれも一つの形なのだろう。言うなれば、よく顔を合わせる隣人というものだ。



 残りの価値観は類似しているので一つに纏めると、物事の見方についての違和感になる。一言で表すなら、ミホは底無しのロマンチストである。

 筋金入りのリアリストな私から言わせてもらえば、先ず「知は力なり」という言葉に適おうとする姿が可笑しい。勉強を多少して、必要な分だけ身に着けて安定した将来を作る──それで良いだろうに、ミホはこう言うのだ。


「だって、知識はその人の力になるし、世界をより良く見せてくれるでしょう?」


 何故普通の女子高生の口からこのような発想が出るのか。答えとしては、そもそも普通という定義から間違っているということだ。余程エリートなら別だが──学力や成績でいったら、私まで賢いエリートになる──極普通、平凡な一般人からロマンチックな言葉が出るものだろうか。きっとクラスメイト全員に聞いたら九割方はドン引きでお終いだ。

 他にも、音には色や味が在るんだよ、神様は人間の範疇を超えてるから神頼みなんて聞いてくれそうに無いよ、等々、頭の痛くなりそうな独特の世界観を放り込んでくる。

 私の夢の無さも尋常でないが、哲学の授業を受けては真理について一人で考えこむこの女は果たしてどうしたものか。

 真面目に勉強をしてはそれに憑依されたようにペンを進めて、着地点は私より後方なのに、終われば、勉強は癖になるよね、と平気な顔をして、一番を求め続ける。その理由はロマンチックを超えて狂想的で論理的さをちっとも持ち合わせていない。

 今までミホは何を見てきたのだろうか。常識を無視した非常識ばかりでいつもこんな会話ばかりだ。


「え、それって映画の名前じゃないの」

「主題歌の名前だし。何でそんなに知らないの」

「あまり興味が無かったから」


 そう言ってきょとんと笑う。嗚呼、もう此方も笑うしか無いじゃないか。



「好き嫌いの多いナツキちゃんに、チョコの差し入れだよ」

「ほんと? ありがとー」


 お菓子の匂いを嗅ぎつけたのか、数人の男女がミホの机に群がった。

 春の頃は、ミホも完全に引いていて、私も何もフォローできなくなっていたが、最近のミホは少し柔らかくなった気がする。


「一人一つだからね? 私も食べたいから」


そう言ってお菓子を差し出す姿は、まるで魔女のようだ。

 ミホは周りの女子生徒と変わらない笑みで、チークを塗った頬を少し赤らめていた。下がった眉にもメイクが施されていて、唇にも淡い赤が塗ってある。そうやって話すミホは、もう少し外見が良ければ普通の女子高生に馴染んで見えるだろう。

最初の頃より大分短くなった制服のスカートも、少し長めのカーディガンも、ミホを良くも悪くも普通に見せてくれている。強いて言うなら、さらりとした髪が常に下ろされていることが暗さをイメージさせるだろう。

 いつからか、ミホは周りに順応し始めていた。我を通すタイプだったと思っていたのだが、難しい言葉遣いも、知的な立ち居振る舞いも、偏った知識も、少しずつ馴らされている。私がゆっくりとだがミホのことを受け入れるようになったのと同じように、微かな変化が訪れ始めていた。

 最初は少し根暗な妄想少女、サクラの方がまだマシだと思われたが、多少捻くれてはいるものの、ミホに親しみ易さ──というよりは、同じ人種なんだなぁと思い易さ──を抱くようになってからは、完全にそうだとは言えなくなってきた。


「ナツキちゃん、今度お菓子持ってきてよ。チョコレートがいいな」

「今度ね。コンビニ寄るのめんどいんだもん」

「えー、酷い。私はわざわざ毎日寄ってナツキちゃんの好みを考えて……」

「はいはい、ありがとうございます」

「貴女なら言うと思いましたよ」


 ミホは相変わらず文句が痛くもなさそうに笑う。そうして黙って昼食を食べることにも慣れてきた。沈黙した昼休みも、私とミホが面子を守るには必要な時間である。

 お喋りに夢中で弁当に手を付けない女生徒達を尻目に、ミホが持ってきたチョコレートを口に入れた。



 酷く浮世離れしたミホが地位のピラミッドのド底辺で何を思うかは知ったことではないが、巻き込まれた私は今までの倍くらいに肩身の狭い思いをすることとなる。

確かに私自身も元から自分を、正常で平凡だ、と言える人間ではないが、こんなにも周りとかけ離れていると見なされてしまうとは思いもしていなかった。怪物を連れた人間を果たして正常と思えるか否か。

 そんな異常なミホは、内弁慶ではなかった。反対に言えば、身内には非常に弱かった。

 最近は話題にクラス外の生徒の話が出てきて、まるで私と話すより楽しいかのように、幸せそうに話すのだ。しかも、時には部活さえ違う生徒も居る。その代わりに、クラスの人とは打ち解けようとはしない。完全に私とは反対である。

 バスケ部のチームメイトと打ち解け、その評判が──情報というべきか、現代の女子高校生の人脈の広がり方は半端ではない──広がり、クラスメイトも私を受け入れようとする人が増えてきている。私にとってチームメイトは身内であって、外の人間ではない。

 何故そのような生徒、ミホが人脈を伸ばすことができたのか。最初は偶然と思われたそれにも、凡人とはまた違った理由が在った。



 美術の教師であるアイハラナギ先生と並んで話している姿を見たのが、その日初めてミホを見た時だった。ミホとナギ先生は仲が良く、話が合うようである。背丈の高い、眠そうなナギ先生は整った顔で欠伸をしながら、ミホの話を聞いている。

 また、芸術とは何なのか、みたいな変わった話をしているのだろうと隣を通り過ぎようとした時、ミホの口にマスクが付いていたことに気が付いた。

 普段から身体が貧弱なミホだから充分に有り得るだろう、と思っていたが、その後で違和感を覚えることになる。


「おはよう」


 朝に弱い者同士、朝の挨拶は非常に素っ気無い。スマートフォンを弄りながらそんなミホの声を聞いた時、私には疑問が一つ在った。

 ミホの声も表情も様子も、風邪をひいているようには一切見えなかった。身内が風邪をひいたなどの話も、その後ミホから明かされない。


「風邪でもひいたの? それとも予防?」

「この時期に風邪はひかないでしょう。夏風邪をひいている人も見かけないし」


 けろっとしているミホの様子を見て、心配していたのに、正直どうでも良くなっていた。ミホは茶化すように私に笑い掛けるだけで、言葉を濁す──此方の心配も気にかけずに! 私の努力に、ミホの自由奔放さは時に釣り合わない。その度に、自分の面子を守る為だと言い聞かせ続ける。

 後ろから来たバスケ部の知り合いであるハヤテに声を掛けられ、いつもならミホと共に向かうも、少し腹を立てていたのでミホを置き去りに其方に向かった。

 ミホは一度振り向くも、いつもの素っ気無いヘラヘラとした笑みで、ゆっくり前に向き直って階段を軽快に降りて行った。



 二時間目。再び移動教室の時、私は教科書を持ってミホの席に向かった。ミホは目元の表情を全く変えずにチョコレートを此方に渡してくる。


「買ってきたからあげるよ。また後で別のお菓子も渡すね」

「……あぁ、そう。ありがとう」


 そのまま無言で二人で階段を下りて行く。私とミホの間にはいつも四歩分空いていた。それ以上近づくと少し離れ、遠くなると少し寄る。携帯を弄りながら歩く女生徒達のように身体がくっつく程に近寄ったりはしない。それくらいの方が楽だし、心地良かった。

 別に他の人ともそうという訳ではない。バスケ部の友達と話す時は少し寄るとぶつかりそうな幅で明るく話すし、二人の会話は弾む。相手もそれに迷惑そうな素振りは見せない。気が付くとそうなっているのだ。

 けれども、ミホとはそれ程近寄らない上に、自然とそうなり、受動的では会話は生まれない。ミホの方はというと、それで不満そうな顔をするでもなく、何処か遠くに意識が在るような涼しい顔をするか、階段の上り下りに疲労の色を見せるだけである。

 適当に相槌を打ってミホの話を聞くか、楽しそうなミホの相槌を聞き続けるか、いつも通りの沈黙を聞き続けるかしていると移動が終わる。わざわざ互いを待ち一緒に歩くが、それに深い意味は無い。気まぐれですっぽかすことは無いが、二人で歩くことに執着している訳ではない。

 当然のことを毎日繰り返して独りにならないようにする。意味が在るならその程度だ。



 三、四時間目は移動教室が無いため、休み時間に入れば直ぐに勉強を始めるミホにイヤホン越しに話しかけることといったら、次の時間割くらいだ。

 そもそも、ミホがイヤホンをして外界とのリンクを切ってしまうから、社会的な生存を懸けて懸命に友達と在り来たりな言葉のキャッチボールをする生徒達の眼中にミホの姿は無い。

 気が向けば近くの女子に話しかけているうちに一時間過ぎ、集中して先生の話だけを聞いているミホもノートを仕舞い、私の席に昼食を持ってやってきた。


「食べる?」

「そうだね」


 それだけ話して、後はミホの話に相槌を打つ作業に入る。此方も話しかけるのは昼食を終えたその後だ。喋りかけてくるハヤテに笑いかけつつ、席に着いて昼食に手を付け始めた。

 ミホは少し躊躇ったように自分の弁当箱を見つめた後、ゆるゆるとマスクを外す。私も思わず其方に目を向けていた。

 ミホのマスクの下の唇は少し腫れていて、頬は荒れていた。私が見ているのに気が付くと、困ったように眉を下げ、どうしたの、と尋ねる。何故肌が荒れてしまっているかは、普段一緒に居るが故に直ぐに理解できた。

 唇に塗られた赤のリップグロス。頬に付いた薄い桃色のチーク。ミホが周りに馴染む為にし始めたメイクの所為だ。今日は眉だけが茶で書き足されている。最初の頃はしていなかった理由を理解することができた。

 ミホは肌が弱いのに、皆に合わせて無理にメイクをし始めたのだろう。女子高生という、お洒落で厳しい人々の中に溶け込む為に。独り浮かないようにする為に。

 ぼんやりご飯を食べ終えると、ミホも既に食べ終えていて、マスクは元に戻されていた。何事も無いように弁当箱を片付けて、しょっぱいお菓子を出している。しかし、一向にミホが食べる様子は無い。


「食べないの? ポテトチップス好きなんじゃないの?」

「今日は遠慮しておくよ。皆にも配ってくるね」


 またいつものように群がる乞食のような生徒達にポテトチップスを配り、余った僅かな分を私に渡して、ミホは手を洗う為に退席した。口元は見えないが、また愛想無い顔をしているのだろう。残された一人の席で、ミホの座席をぼんやりと見つめる。

 ミホ自身も他の生徒と変わらず、順応する為に、生存する為に、たとえそれが報われなかったとしても、心身共に削り続けるのだ。



「ナツキちゃんってさ、ハヤテのこと好きでしょう」

「はぁ!? いきなり何さ!?」


 ミホは小さな声でぼそっと呟く。近くをきょろきょろと見回して、ハヤテが居ないことを確認してミホを軽く睨んで見せる。ミホは滑稽そうに笑って、次の言葉を続ける。


「なーんだ、当たっちゃったよ」

「当たったじゃないでしょ、当てないでよっ」

「私、他人の恋愛事情に疎いんだよね。少し教えてくれる?」


 サクラの場合、少し現実離れしたことになる。サクラが好いているのは、学校の教師だからだ。

 国語を担当する、ヤマモトユウタ先生は言う程顔が良い訳ではないが、少し残念な性格がハマってしまったらしい。夢の欠片も無い発言でさえ、サクラは、なんてロマンティックなの、と聞こえてしまうらしい。サクラはだらしなくニコニコ笑って、頬を赤らめてユウタ先生との会話を回想するのだ。


「あの先生は凄いリアリストだと思うけどなぁ」

「でも、金の話とか、どうせどうだとか諦めたこと言わないでしょう? そこが素晴らしいのです……」


 そんなユウタ先生には彼女が居ると言われている。どうやら英語の先生らしく、ユウタ先生とは反対にロマンチストらしい。元カノと紹介されている金時計の渡し主も、その先生だというのだ。


「へぇ。ヤマモト先生にも好きな人がいるんだね」

「まぁ、サクラはそう言っても恋が冷めることは無いだろうね」

「サクラちゃんは誰よりも情熱的でロマンチストだからね」


 ラブレターにも似た小説を綴って、日々積み重なる恋文はいつ公開されるのだろうか。サクラの場合を話すと、ミホは納得したように好奇心に目を輝かせる。


「じゃあ、ナツキちゃんは?」

「言うもんかっ」


 ハヤテ、とミホが呼んだ男子生徒は、男子バスケットボール部所属であり、同級生だ。確かに密かな恋心を抱いてはいたが、まさか当てられるなんて。

 最初はハヤテが真面目に練習する姿を、どこか格好悪いと非難していた私が、何故好くようになったのか。その最大の理由は、私が格好悪いと非難した一生懸命さに有る。


「その人はさ、なかなか真面目で頭の回転が速い人だよね。私も何だかんだ負けてるし」

「ミホの生真面目さには負けるんじゃないの」

「よく言われるし、言われると思ってましたよ」


ミホは飲んでいた烏龍茶を弁当箱の横に置いて、一つ溜め息を吐いてから時計に目をやった。


「大分時間が余ってるけど、ずっとこの人の話してる?」

「なんか嫌だ」


 真面目な人に憧れるかと聞かれれば、イエスとは答えられないが、格好良いと思うかと聞かれれば話は別である。やはり、懸命に何かに取り組む人は誰であっても格好良く見えるものだ。それに、ハヤテの顔はそんなに悪い訳でないし、少し地味なだけで性格が悪い訳でもない。

 私にとっては有り得ない人──ミホに比べれば存外平凡だ──だけれど、時に笑いながら私をからかうハヤテの姿と、それに意地悪く返す私の言葉は、不思議な関係と呼べていいものなのかもしれない。

 ミホは話さない私に興味無さそうに、持ってきた蜜柑を矢継ぎ早に頬張って、その後は幸せそうに口元を緩ませる。鋭く物事を見る割には爪が甘いのがミホの欠点だろう。

 すっかり気が抜けた私に、そんなミホは涼しげな顔で次の質問を投げ掛ける。


「じゃあ、アイハラ先生には何か恋の噂が立ってるの?」


 ミホは此方を見ようとしない。涼しげな顔は崩さないが、その頑なさがかえって感情の動きを示すのだ。複雑そうで案外単純──面倒な人種である。

 ナギ先生といえば、オーウェン先生というワードで説明できる。中学校のALTであるエリアス・オーウェン先生によく似た肖像画が美術室から見つかったらしい。ナギ先生はいつもの如くぼんやりと、オーウェン先生を描いたのだと認めていた。そして、久しぶりに会いに行った時の絵だから参考にならない、と続けたようだ。

 一般的に考えて、会いに行く程、そして肖像画を描く程だから、恋情を抱いているに違いない。

 ナギ先生は顔は悪くないが性格に難有りである。何かと残念なのだ。残念仲間のユウタ先生は、前はもう少ししっかりしてたんだけどね、と苦笑している。その婉曲がミホにマッチしてしまったらしい。


「居るらしいよ、好きな人」


 チャイムが鳴った。スマートフォンを弄りながら何も考えずに答えた私は、一、二、三秒後に気が付く。先程まで素っ気無い顔をしていたミホは目を丸くして驚いていたのだ。自分の失言に気が付くまで、残り五秒。

 ナギ先生に好意を抱いている人を邪魔するようなことは言うべきでなかった。ミホは暫く黙ると、クスリと嫌味に笑って、親しく憎たらしくこう言った。


「そういうこと、言っちゃ駄目でしょ」



 以上が私の友達紹介である。

 私の友達は確かに皆 少し変わっていたし、私自身も非常に変わっていた。それは付き合うにつれて分かることで、分かる過程で友達を好きになれるのだ。

 それが、例えば……元から不思議な人だったら? 私には理解できない人だったら? そして、その人をどうしても選ばなければならないとしたら?

 最善策は、当然その人を理解することだ。それでも、私は一生理解できないに違いない。

 けれども、そんな人を受け入れることはできる。友達の考えなんて分からなくても、それを許容することが大事なのだ。理解できない人間は、理解できない方法で誰かの為に努力しているものである。

 だから、そんなアンドウミホを受け入れていこうと思う今日この頃だ。

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