第6話

トントン。夜更け、寝室のドアにノックの音が突如響く


俺は読んでいた本を閉じた。

「何だ」とドアの向こうに立つ者に声をかけると、すぐに返事が返ってくる。


「アリエノール様、お伝えしたい事が」


声の主を悟った俺は部屋に入るよう促し、部屋の灯りをつけた。

おずおずと部屋に入ってきたのは予想通り俺の身辺の警護を務める兵の一人で、その表情には何処か誇らしげな色が見えた。今にも爆発して、私に飛ばしてきそうな程だ。


「何のようだ」


「アリエノール様、奴を。賊を捕らえました」


ほう!と、思わず俺は声を上げて椅子から立ってしまった。

それほど驚いたのだ。何せ今日トライズから悪名高い賊が我が花嫁を狙っていると報告してきたばかりなのに、もう捕まえたというのか


「それは、本当なのだろうな。ニセモノを掴まされただとかでは、ないのだろうな?」


「はい、間違いありません。何せトライズ様が直々に潜伏先を調べなさったので」


なるほど、トライズが。それならば心配する必要もないだろう。


「じきに賊を連れて隊が帰還しますが、如何なさいましょう」


「悪名とはいえ世界に名高い怪盗……折角だ。トライズを呼べ、大階段で出迎えてやろう」


はっ。

兵が駆け足で部屋から出ていくのを見届け、俺は明日の朝着る予定だった衣服を掴み取る


城の門が開かれたのは、それから数十分後だった。


▶▶▶


「あら、ごきげんよう!」


「あっ……フ、フロイスさん。どうも」


「何よもう、そんな緊張しちゃって!

ほら、笑顔が硬いわよ。そんなんじゃ折角の給仕服が泣いてるわ!」


そう言ってフロイスは私の背中をバンバン叩いてくる。私よりずっと歳がいってるはずなのにやけにガッシリとした手で、それも結構な勢いで叩いてくるので背中がヒリヒリする。

で、笑みが引き攣るのはそのせいだけじゃない。このフロイスにはつい先日私の目的を知られてしまった。


つまり、何時でも私の身柄を捕えられるという事だ。しかし、フロイスがアリエノール伯爵にこの事を報告したのにも関わらず、伯爵はおろかフロイスさえ私に指一本触れてこようとしない。


取るに足らないと思われているのか、はたまた何か理由があるのか。


幸いここはメサイアの部屋へと続く長廊下、人通りはとても少なく、現時点周りにそれらしい気配も感じない。

一度問い詰めてみるべきか


「あぁ、そうそう。貴女に伝えておかなきゃいけない事があるの」


やっと背中を叩くのを止めたかと思えば、彼女は満面の笑みでもって私の顔を凝視してきた。目だけ笑ってないが


「怪盗が捕らえられたわ」


「…………………へ?」


「それだけよ。あ! これお嬢様に渡しといて、前にお願いされてた絵本と画材。よろしくお願いね!」


フロイスは去っていった。

けど、今の私には彼女を追いかける事も、呼び止める事も出来なかった。


「アイツが、捕まった……?」


アイツに、ライデンに拾われ十数年。一度だって見た事も、聞いた事もない。考えた事なんか一度だって無い。


……私は大きく息を吸い、吐いた。


そしてくるりと体の向きを変えて真っ直ぐメサイアの部屋へと向かった。


おせぇよ、という呟きは口端の歪みに変換し、足取り早く。

気付けば日も顔を覗かせつつある、勝負の朝が始まるのだ。


▶▶▶


「ご苦労」


「あぁ……ソイツが件の賊か?随分とひょろっちいんだな」


「扱いやすくて結構なこったろ?」


担当の兵士が牢の門を開けて男を無理やり中に放り込む。男はぎゃっ、と潰れたカエルのような声を上げて床に倒れ込み、そのまま起き上がることなく横向きに兵士二人を睨んだ。

何やら獣のような唸り声まで上げていて、賊は賊でも田舎の山賊のような印象を兵士たちは覚えた。


「伯爵様とトライズ様がわざわざ出迎えたんだろう?こんな男一人の為に」


「そりゃまぁ、こんなんでも世紀の大怪盗だしな」


「にしても扱いが丁重過ぎんだろ。その寛大さは俺らの給料面に向けてほしいぜ」


賊を引っ張って来た方の兵士は小さく笑った。閉ざされた地下ではそんな声ももれなく反響し、どこからか垂れる水音と共に部屋に響いた。

ここは地下牢、それも湿気と一切換気が出来ない空気の悪さで担当の兵が翌日体調不良で倒れるとのいわく付き。


「ふくく……っと、なぁ。にしてもよアイツはなんでココに居るんだ?」


そう言って一頻り笑った兵士が指差した先には何やら見慣れぬ服装を着込んで椅子に持たれる一人の男が居た。


「あぁ……何だったかな。確か、この賊を長年追いかけてた他国の警察らしいぜ。名前は、えーっと……」


「ベルベットだ」


「あぁそうだった、ベルベットな。ってかアンタ起きてたのか。ピクリともしねぇから寝てるのかと思ったぜ」


ベルベットと名乗った男はそれ以上喋らず、また黙りこくってしまった。

兵士らはそんな彼を見て、互いに肩を竦めあった。


「ま、奴が何処の国の警察にしてもうちほど優秀じゃないようだ」


「うちにはトライズ様が居るからな。それも伯爵と大の仲良しときたもんだ」


わざとベルベットに聞こえるよう大きな声で自国の自慢を始めた二人だったが、ちっとも反応しないベルベットに冷め、すぐにやめてしまった。


「じゃ、俺戻るわ。あんま長居してたら上に何言われるかわかんねぇ。じゃあな」


「おう、また非番重なったら飲みに行こうぜ」


そう言って一方の兵士が地上へと続く階段を登っていくのを見届け、担当の兵士はベルベットの向かいにある椅子にどっかと座り込んだ。


「くわぁ……さて、暇だねぇ」


「あぁ、そうだな。ライデン」


はて、と兵士は首を傾げた。


「ライデン?そりゃ、あっこで寝転んでる怪盗様のお名前だろ」


何言ってんだ、と大きな欠伸をかましつつ、男は眠気覚ましのコーヒーに手をつけ……ようとして動きを止めた。


いつの間にか伸ばした自身の手に銀に輝く手錠が掛けられているのに気付いた。もう片っぽはベルベットの手に掛けられてる。


「なんの冗談だ」


「ふんっ、白々しい演技は止めろ。今更もう見飽きたわい」


「………………はぁぁぁ」


兵士は大きな溜め息をついた。


「はい負け負け、俺の負けだぜおっさん。だからコレ外してくれ」


そして、空いてる手で顔をなぞったかと思うと、思い切り自身の皮膚を引っ張って「めくった」


すると、スルスルと皮膚はめくれていき、一枚の皮となって綺麗に顔から剥がれた。

中から出てきたのは、見まごう事なき怪盗ジャック・ライデン、その人。


「なぁ、コーヒーは飲ませてくれ。疲れてるんだ」


俺は剥がした「皮」を向こうに放り投げ、空いた手でコーヒーを取り、一息に飲み干す。乾いていた喉が乾いていくのと同時に、若干襲ってきつつあった眠気を覚ます事が出来た。


「お前がそこらの兵隊にやられる訳が無いだろう。トライズに報告を受けた時点で、どうせこんな事だろうと思ったさ」


「はっはっ、随分と俺は信頼されてるんだな。けどおっさん、一つ違うぜ」


手で頬の傷跡をなぞって見せた。まだ乾き切ってない血の跡が薄らと指につく。


「アイツらただの兵隊じゃない。動きが人殺す用のソレだ……いやぁ手こずったね」


「そうか、そりゃご苦労な事だ。さて給水は済んだな?では大人しくついてこい」


ベルベットが立ち上がると手錠で繋がった手が無理やり引っ張られ、俺も立ち上がらざるを得なくなる。

大人しく後を着いていくが、足はすぐに止まった。牢の前だ


「開けてやれ」


「はいよー。あ、君さっきはごめんな」


盗んだ鍵の束を取り出して牢を開ける


ベルベットは俺の顔をした男を牢の外に放り、自分の手にかかった手錠を外した。晴れてコレで俺も自由な訳だが、何をする前に何処から出したのか分からない縄で手と足をガチガチに縛られてしまった。

そして、牢の鍵を閉めてしまえばチェックメイト、俺の作戦負けという事だ


「そこで大人しくしてる事だな!ハッハッハ!」


柵越しに俺を見るのがそんなに嬉しいのか、いっぺんに上機嫌になったベルベットが高笑いすると、先程とは比べ物にならないくらい部屋中に響きまわる。


そんな大声に釣られてか、地下牢唯一の出入口であるドアが外からノックされた。続いて、「僕です。トライズです」という声も聞こえた。


「開いているぞ!」


ベルベットが言うと、ドアは静かに開けられ警官然としたえらく若い男が入ってきた。


「おうトライズ、コレを見ろ!」


「と、言いますと……こ、これは、ライデンが二人!?ベルベットさん、これは一体!」


「化けてたんだよ!お前らまんまと騙されたな。ハッハッハ!」


「なるほど……流石はベルベットさんだ。ではこの床に転がっているのが偽物、という事で宜しいですね?」


あぁ、とベルベットは頷いた。

そしてそのまま俺の居る牢の前に座り込んでしまった。そんなに信用がないのだろうか


無いか。


「では、申し訳ありませんが少し上へ来てもらえないでしょうか。改めて伯爵に報告したいですし」


「いや、それは出来ない。目を離すとコイツは何をするか分からんからな。すまないが報告は一人で行ってきてくれ」


「……分かりました、無理を言ってすみません。では」


そう言ってトライズは深々とお辞儀をしてから踵を返し、足早に部屋を後にした。


「……ふーん、アイツがトライズ、ね」


「あぁ、どうだ。中々の男だろう、腑抜けたこの国の警察にしては随分と頭のキレる若者だ。顔は俺の方が良いがな」


何せアイツは笑い方がよろしくない、とベルベットはご機嫌そのままにベラベラと喋り出した。このオッサンの悪い所だ


このオッサン……ベルベットととは随分と長い付き合いになる。

この仕事を始めたばかりの最初の頃は色んな国の、色んな組織に目をつけられ追いかけ回されたが一向に俺が捕まらないのに嫌気がさし、一人、また一人と脱落していく中で最後まで残ったのがこのベルベットなのだ。


立場は追うものと追われるものだが…………いや、まぁ良いか。野郎どうしの関係なんて所詮男と男、それ以上でもそれ以下でも無いのだから……そんな事よりも、だ。


「なぁ、おっさん」


「―――え、あ?なんだ?」


「アイツ、本当に警察か?」


ベルベットは何を言ってるんだ、と首を傾げた。そりゃまぁそういう反応をするだろう、予想通りだ。

けど、俺は確かに見た。夜の闇の中で、それも嵐のような弾丸の中で不敵に笑う奴の顔を。


「ありゃ、狼だ。それも、血の味を知ってる類のな」


その時の事を思い出し、思わず身震いをしてしまった俺の背後で小さな音がした。何かが落ちた音だ。


「うん?今お前なんか落としたか?」


「んや、水溜まりを踏んじまっただけだ。というか地下牢って水溜まり出来るんだな。始めて知ったよ」


「そうか、ならここは囚人に水を出してやらなくて済むんだな」


そう言って笑う自身のすぐ脇を通り抜けていく小さな影に、ベルベットは全く気付かなかった。


「そりゃ楽で良いや、外国の水は怖いからな」


後の事はなるようになる、俺は冷たい床に座り込んで、目を瞑るのであったとさ。

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