インフォームド・コンセント

 ヒマワリが消えた。アネモネ図書館から姿を消した。

 前兆が無かったというわけではない。ヒマワリが消える前、彼女は自室に引きこもるようになっていたのだ。その経緯は、彼女の弟であるスミレしか知らない。スミレですらも、どうしてアネモネ図書館を去ったかまでは知らない。

 館長代理であるシオンは、司書たちを集めて緊急会議を行った。サザンカ、カトレアにアザレアなど、司書としては認められていないメンバーも集まったのだった。

 参加したメンバーに対し、カトレアが紅茶を振る舞う。全員に紅茶を注いだカトレアがシオンの隣に座ると、シオンは小さく息を吐き、まぶたを持ち上げるようにして彼のアリスたちを見回した。

「今回の議題は、ヒマワリがこの図書館から消失した件だ。では、ハルジオン、詳細を説明してくれたまえ」

「はい。ヒマワリ、つまり観月玲奈の存在がアネモネ図書館から消失しました。行き先は掴めていません。しかし、消失の仕方は自殺志願者たちがこの図書館から消えたときと類似しています」

 ハルジオンの淡々とした説明を受け、シオンは、ありがとう、と言って目を閉じた。

 各々表情は違うが、司書たちの注目を受けたのはやはりスミレであった。スミレは絶望に顔を青く染めていた。自分の姉が突然消えたのだから、当然動揺するであろう。

 シオンが次に視線をやったのは、目の前に座った二人の姉妹だった。黒髪を弄りながら口を尖らせるアザミと、膝に手を乗せて浮かない顔をしているミカンだ。かたや彼岸の魔女、かたやアネモネ図書館の館長。この状況に最も詳しいのは、この二人に決まっている。

 姉妹は何も言わないで黙りこくっている。シオンは目を細くすると、ミカン、と片割れに声をかけたのだった。

「黙ってないで何か言ってくれないかな、館長」

「……ごめんなさい。でも、アンタらに説明して良いことか分からないの」

「僕たちは聞きたいと思っている。そうだろう、アリスたち」

 頷いたわけではないが、互いを見る皆の目には肯定の色が浮かんでいた。おそらく司書たちは、ハルジオンが消えた事件を思い出したのだろう。

 元々クロッカスを名乗っていたハルジオンが、一ヶ月ほどアネモネ図書館を空けたという事件だ。そのときは、何があったのかを知っていたのはシオンとツバキ、そしてアヤメとアザミだけだった。ヒナゲシも後で知ることにはなったが、当時何が起きているかを知っていたのはその四名くらいだろう。

 ミカンは行き場を無くした黒い目をアザミに向けた。アザミは白い手を広げて赤い爪の先を眺めているだけだ。ミカンがアザミの名を呼べば、アザミはじろりと横を見た。その先にいたのはアザレアだった。

「アザレア、アンタが一番知ってんだろ」

「俺? 何のことやら?」

「ボクたちが説明しても良い。だが、今回の事件を引き起こしたのはアザレアなんだよ。だから、アンタにも説明してもらう」

「おやおや、困ったなァ。俺はほんのちょっとヒマワリさんの相談に付き合っただけなのに」

「姉さんが何を考えていたのか、知ってるのか?」

 アザレアの言葉に食いついたのはスミレだった。別に責めようとしているわけではない。単純に驚愕しているだけだ。目を見開くスミレに、アザレアは肩を竦め、まぁな、と言った。

「だが、その説明をするより先に、『ここが何なのか』説明したほうが良いんじゃねぇのォ?」

「……アタシとツバキと、アジサイとアザミしか知らないはずなのに。なんでアンタが知ってるの?」

「さぁなァ?」

「え、えっと……なんでその四人なんですか?」

 アヤメが小さく手を挙げて問う。視線が集まると、ひっ、と声を上げて手を引っ込めた。ミカンはしばしぼーっとした目でそっちを見ていたが、ほんの少しだけ口角を上げると、そうだね、と優しい声で言った。

「それも、話して良いか迷ってるとこ」

「アジサイまで隠し事してたんですかァ? アレですかァ、館長の秘書だからですかァ?」

「……せやで。館長と、館長の秘書、そして魔女と監視役……それがこの四人。いわば、運営役」

「もー、難しい話やだー! 早く話してよ!」

 リンドウの言葉に、コスモスが冷ややかな声で、黙りなさい、と一喝した。ぷくっと頬を膨らませるリンドウの肩にぽんぽんと手を当てたのはアヤメだった。

 腕に包帯をまきつけたダリアを心配するようにしてアジサイが隣に控えている。ダリアは確かに元気そうだが、その目に光は無い。

 シオンの座るソファに手を掛け、ヒナゲシが一歩前に出る。彼は亜麻色の長い髪を揺らし、憂いげにハニーイエローの目をミカンに向けた。

「話してください。もう、隠したって無駄ですよ」

「司書長と館長代理がこう言ってんだ、話せよミカン。いつまで尺取るつもりだ」

「……分かった。少し、話が長くなるけれど。アザミは補足して、アンタがこの図書館の本当の館長なんだから」

 アザミが本当の館長、と聞くだけで、司書たちは驚きに言葉を失う。アザミはちらりと司書たちを見回してから、顎を上げてミカンに合図を送った。

 ミカンは膝の上に置いていた手をぎゅっと握り、おもむろに口を開けた。

「この図書館は、元々自殺志願者のために作られたものじゃないの。司書としてやってくるアンタたちのために、アザミが作った場所なんだ」

「じゃあ、自殺志願者を現世に返す仕事って何だったんだ?」

「キキョウ、アンタのほうがこれには詳しいかもしれない。

……社会復帰のためのリハビリ、って言ったら分かる?」

 キキョウが息を呑む。それから少し突っかかって、それじゃあ、と言葉を返す。

「リハビリテーションってことは、ここはそういう施設か何かなのか?」

「そう。ここは、アザミが建てた精神病棟なの。死を選ぶような過去を経た司書たちに捧げた、精神病院。自殺志願者の救済を通して、自分についての理解を深めたり、人との関わり方を学び直す場所なんだ。

アタシとツバキ、アザミとアジサイは、この図書館が立ち上がる前から、アンタたちのことを知っていた。そして、それぞれ違う形で支援してきたの。

アザミはこの図書館に人を集める仕事を。アジサイとツバキは司書たちを監視する仕事を。そしてアタシは──ううん、こればっかりは話せない。とにかく、アタシは図書館の運営に関わってたの」

 キキョウが口を閉じ、目を逸らす。彼が真っ先に気がついたのは、彼が元々カウンセラーだったからだ。今度は自分がカウンセリングをされる対象だった、ということになる。

 次に言葉を発するのはスミレだ。ぱちぱちと何度か瞬くと、それなら、と言って話に割って入る。

「姉さんは、精神病院を出たってことになる。ここを出たら、どうなるんだ? 現世に帰るのか?」

「元の世界に帰るのはさすがに無理、体が死んじゃってるから。だから、別の世界に行くようにしてある」

「あぁ、たとえばだが、アザレアとシオンやヒナゲシとダリアは別の世界線から来ただろ? そんなふうに、このアネモネ図書館は様々な世界線と繋がっている。だから、元いた世界線以外に返してやってんだよ。その代わり、アネモネ図書館での記憶は受け継がれない」

「じゃあ、姉さんは……違う世界で、ここの記憶も無く生きている、ってことか? 消えたわけじゃないんだな?」

 アザミはスミレの言葉に頷いた。スミレの顔色が少し良くなる。どこか別の場所で生きているというだけで、スミレにとっては安心できることだった。

 そこで、ずっと沈黙を守ってきたツバキが口を開く。視線はアザレアに向けられていた。アザレアはにこりと人の良さそうな笑みを浮かべる。

「それで、どういう場所かの説明は申し上げました。なぜあなたがこのことを知っていたんですか?」

「知らねぇのか? シオンもだいぶ前から気がついてるぜ」

「僕は、アザレアから聞いたんだ。彼がこの図書館にやってきた後、聞いた。君は、どうして知っていたんだ?」

「んー、ここの本を読み漁ってたからかな。司書たち全員の本を読んだ。そしたら、いろいろ書いてあったんだよ」

 アザレアは頭の後ろに手を当て、斜め上を見上げる。ツバキが若干顔を顰め、アザレアを見つめる。

「それであなたは、ヒマワリに何をしたんですか?」

「何をって……過去の開示だよ。それだけさ。再び現世に戻っていたのは彼女の意思さ。

過去をもう一度知った彼女は、再び新たな世界で生きていく決意をした。俺は、この現象が他の司書にも広まってほしいと思っている」

 にやり、とアザレアが端正に微笑む。瞳のブラッディレッドが奥でぎらりと光った。

「そろそろ司書たちも人間社会で生きていけるほどのリハビリをこなしたと思ってるんだ。あとは過去と向き合い、生き方を考えるだけ。

過去の開示なら、俺がしよう。今、自分の過去と向き合い、この図書館から巣立つんだ!」

 大仰に語るアザレアに、司書たちは言葉を奪われた──何も返すことができなくなっていたのだ。まるで演説を聞いているかのような状態だった。

 アザレアは口を開くと、アジサイの方を見て三日月形に口を歪めた。目は笑っていない。アジサイは眉を寄せ、少し顔を引いた。

「アジサイ。もうお前は過去とも決別できて、この精神病院を抜け出すことだってできるはずだ。それなのにまだここにいるんだ?」

「……ハッ、何のことやら。俺は監視役やって言うたやんか。せやからここにおるだけやで?」

「じゃあ、あとはアヤメさんとハルジオンさんだな」

「えっ、わ、私ですか!?」

 アヤメが自分を指差す。アザレアは胸に手を当て、きゅっと目を細めた。

「過去と向き合い、自分の生き方を定めたアヤメさんは、新しい生を得るのに充分だ。もちろん、ハルジオンさんも──」

「無理矢理やり直しを求めるのはお止めください、アザレア。私もアヤメも、自分の意思で決めます」

 さきほどまでシオンの端末で話していたハルジオンがアヤメのスマートフォンに戻ってきていた。ハルジオンにきっぱりと言われ、アザレアが引き下がる。

 次に声を上げたのはリンドウだった。長い袖を揺らし、たいそう不機嫌そうな顔でアザレアに食ってかかる。

「あたしも嫌だし! ここがあたしの居場所だよ? あんなクソ女と一緒になるなんて嫌だ!」

「いい加減にしなさい、口が悪い。

……ですが、私も反対です。道を定められるのは、ちょっと」

「あぁ、良いんだ、こればっかりは自由意志だからな。それに、サザンカさんだって図書館が畳まれたら寂しくなるだろう?」

「え、あ、俺? うん、まぁ寂しくなるけど……それを言ったら、カトレアさんもだし……」

「私はシオン君に任せるし、司書の皆に任せるよ。なにせ私もサザンカさんも、死んでないんだし」

 リンドウとコスモスは納得行かなそうな顔をして下がった。サザンカとカトレアは互いを見て、こくんと頷く。

 すると、ずっと黙っていたアネモネが口を開いた。赤い目を薄らと開いて大きく欠伸をすると、低い声で尋ねた。

「前進するかは僕たち次第、ということだろう?」

「……あぁ、お前か。そうだな? お前たち次第だよ」

「なら解散だ。僕は帰る」

「あ、あたしも戻る! 仕事するもん!」

「私も失礼致します」

 アネモネの後ろについていき、リンドウとコスモスがその場を去る。それに続きアヤメも、ハルジオンを連れて離れていった。カトレアとサザンカはシオンとアザレアに目配せをしてから、二人でアネモネ図書館を出ていった。

 スミレはアザレアのほうを見ると、申し訳無さそうに眉を下げる。

「ちょっと考えさせてほしい。もし良ければ、姉さんが何を話してたか教えてほしいんだけど」

「ゆっくり話そうじゃないか。いつでも待ってるよ」

 それじゃ、と言ってスミレが戻っていく。残されたのは管理者たちとシオン・アザレアの双子、その妻、そしてヒナゲシとキキョウとダリアになっていた。

 アジサイはほんの少しだけ微笑むと、ダリアに優しく声をかけた。

「戻ってえぇよ、ダリア。こっからは幹部の会議やから」

「……独りで戻るんですか?」

「あぁ、お前さんを独りにはしておけへんな……ヒナゲシ、ダリアについていてやってくれや。俺もアザミもまだ話すことがあんねん」

「僕たちには教えてくれないんですね?」

「……アンタが隠し事が嫌いなのは知ってるよ。だが、これからするのはアンタらの話じゃない。アザレアとかいう不届き者の話だ。

いずれ話すときが来るかもしれない。それまで待っていてくれねぇか?」

 ヒナゲシの表情が曇る。アザミは念を押すように、頼む、と苦しげな顔で言った。それでも何も言わないヒナゲシの背中を押したのは、キキョウだった。

「……先輩。心底ムカつくけれど、ダリアを独りにしとかないほうが大事だと、俺は思うぜ」

「知ってます……アザミ、今回だけだぞ」

「あぁ、分かってる。行ってくれ」

 ケラケラと笑っているダリアの手を引き、ヒナゲシが去っていく。キキョウはその後ろについていき、足を止め、こちらを見ると──とても綺麗な笑みを浮かべ、こう言った。

「先輩に隠し事をした罪、いずれ償ってもらうからな」

 冷たく低い声に、残された管理者たちは揃って震え上がることになるのだった。



 声を出せなかった幹部の中で真っ先に話し始めたのは、ずっと静かに話を聞いていたミカンだった。

「それで……アザレアが過去の開示をした問題だけど」

「そうですね、つい口を挟みそうになりましたが……普通、司書たちは自分の過去を読むことができませんよね?」

「そりゃ、俺もシオンもお前らが管理者だって分かってるからだよ。つまり、俺たちの正体も『キャラクター』ってこと」

「……と言うと、私やアジサイ、アザミと同じ存在ということですよね」

 アザレアはカトレアがいなくなったシオンの隣に座ると、手を組んで微笑みをたたえた。

 アザミは片目を細めると、小さく舌打ちをする。アジサイはツバキの隣に歩いていき、腕を組んで溜め息を吐いた。

「せやから、そんな魔法じみた行為までできるってことやねんな」

「アジサイに関しては、ダリアの前で一度権限を使ってるな。瞬間移動か? アザミに関しては権限を濫用してるしな。ツバキくらいだろ、真面目にやってんの」

「確認したいんですけど、その『権限』っていうのがアネモネ図書館を運営する上で使える魔法みたいなものってことで良いんですよね?」

 ミカンはこくんと頷き、シオンに目を向けた。シオンは頭を押さえ、困ったような顔をしていた。紅茶を飲もうとして、冷めていることに気がついて肩を落とす。

「……そうだな。僕は過去を奪う権限を持っていて、アザレアは過去を与える権限を持っている、みたいな感じで良いと思う。この物語を──『The Library of Anemone』を都合良く動かすのための」

「アタシがこの物語を書く上で必要とした能力、みたいなものだよ、ツバキ」

「分かりました。分かったんですけど……アザレアは何を思ってこんな事件を犯したんですか?」

 アザレアは紅茶を飲み干すと、クスッと愉快そうに嗤った。ツバキはモノクルを掛け直し、不愉快そうに茶色い目を細くする。

「そんなの、物語を終わらせるためだろ?」

「……僕が物語を始めるために存在するなら、アザミが展開させるために存在するのなら、アジサイとツバキが監視するために存在するのなら、アザレアは終わらせるために存在するんだ。

精神病院の院長はアザミ。先生が僕とアザレア。看護師がアジサイとツバキ。そういうことだよ」

「理解しました。では、私たちは司書たちが巣立つまで待つんですね」

「ううん。この物語は、職員も含めて療養する物語なんだから。アタシ以外は皆離れてもらうよ」

 ミカンの言葉に、幹部たちは再び黙り込む。それから、アジサイが、アザレアが、アザミが冷めた紅茶を飲み干す。確認事項は終わったな、と三人が去っていく。

 ツバキがシオンに眉を下げて話しかける。

「……シオンは私のこと、ずっと前から知ってたんですね」

「知っていたよ。それでも助かっている。今まで監視を続けてくれてありがとう。

君にも新たな門出があらんことを」

「……えぇ、そうですね」

 ツバキとシオンが本棚へと戻っていくのを眺めてから、ミカンはアネモネ図書館の外へと出ていった。

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