心の整理整頓

 シオンの部屋に来客が訪れる。大きな欠伸をしたあと、シオンは半ばうつらうつらしながら扉を開けた。しかし、来客を見てその眠気も覚めたようにびくりと体を震わす。

 来客は顔を真っ赤にすると、口元を手で押さえて目を逸らし、御機嫌よう、と呟いた。

「御機嫌よう、ヒナゲシ」

「……シオン」

「どうかしたのかい。まずは座って」

 シオンはそう言って元々自分が座っていた席に案内した。自分はベッドに座り、足を組む。ヒナゲシが座ったのを見届けてから、どうだい、と話を促した。

「あの。笑わないでほしいんだけど」

「笑わないさ」

「今も僕はシオンのことが好きだ」

 そうかい、とこぼして、シオンは指先と指先を合わせた。ヒナゲシは甘い蜂蜜色の目をとろんとさせてシオンのことを見つめていた。

「好き、なんだけど……それだけに、アネモネが現れた理由が分からなくて」

「アネモネ? ……そうかい、ようやく気がついたのか」

「実感は無い。でも、そうだという事実は理解した」

 ヒナゲシが少し前のめりになって言う。シオンは真面目な顔になって、それなら話は早い、と独り言を言った。

「ヒナゲシ。君の中には、救われたくない君が存在する」

「救われたくない……か?」

「そうだ。ここまで僕と一緒に前に進んできたが、君の中にはそれを良しとしない人格……否、側面が確かに存在していた。停滞を良しとして、変われないままの自分がいるんだ」

 シオンは思う──我ながら良くない言い方だ、と。まるで停滞を悪とでも呼ぶようだと。しかし、彼の目的はあくまで司書の前進だ、停滞ではない。

 ヒナゲシは自分の胸に手を当て、側面、と繰り返した。

「そんな側面があったのか」

「分離されている今では分からないだろうが」

「僕は……そんな一面は唾棄すべきだ。過去に拘泥するのは良くないことだから」

「そうとも言い切れないんだ。いつもだったら僕もそう言っていたかもしれないが」

 そうとも言い切れなくなったのが、他ならぬアネモネの誕生によるものだった。いわばヒナゲシが放置した側面がああして人格を持ち動くようになったのだから。

 シオンは言葉に詰まり、代わりにヒナゲシを見つめる。彼は目が合ってすぐに目を逸らした。その様子がおかしくて、シオンはクスクスと笑い声を上げる。

「なんで笑うんだよ」

「いや? 少し面白くてね。揶揄い甲斐があるよ」

「やめてくれよ、もう……」

「……まぁ、そんな君を抑えるために、もう一つの側面があったのかもしれないね」

 ヒナゲシが俯く。シオンは大きく息を吐くと、それで、と続けた。

「君はどうしたい?」

「……彼ともう一度一つになりたい。今のままでは、ダリアが苦しんでしまう」

「ダリアのために統合しようと言うなら、きっとできないさ」

「なぜ?」

「君が心から望んでいるわけでも、受け入れようとしているわけでもないからね」

 シオンは首を振った。ヒナゲシは机に頬杖をつくと、そうか、と低い声で応じた。

「受け入れたいと願えば、受け入れられるものか?」

「そうとも限らない。受け入れられる余裕があるときに受け入れられるものだ、ヒナゲシ」

「余裕ならあるつもりだ。ただ、心の準備が出来ていないのだと思う」

「まだまだたくさん悩む余地はあるさ、アリス。それまではしばらく、こうして恋を続けていようじゃないか」

 時間がかかるんだな、と肩を落として言葉を落とすヒナゲシに、そうだな、と静かに返すシオン。彼は立ち上がり、ヒナゲシのほうへと歩み寄っていった。それから頭を撫でて、頬に手を当てる。ヒナゲシは真っ赤になってシオンのことを見つめ返した。

「ずっと隠し持っていた君らしい一面だ。唾棄すべきものなんかじゃない。歓迎されて然るべきものだ。僕は君もアネモネも好きだよ」

「浮気者」

「今の君にはそう映るだろうね」

「でも、僕は統合をやり遂げなければならない。時間がかかっても、絶対に」

「その意思があればきっとできるさ。気づいただけで満点だ」

 シオンはそう言ってもう一度頭を撫でた。ヒナゲシはいよいよ恥ずかしくなったのか、手をゆるりと退ける。シオンはまたクスクスと笑って、揶揄い甲斐があるな、と呟いた。

「揶揄わないでくれよ」

「失礼、あまりにも可愛らしくて」

「僕がどんな気持ちでいるか分かっててやってるのか?」

「好きな人は揶揄いたくなるんだ」

「カトレアのことは揶揄わないくせに」

「彼女のことは愛しているからね」

 ヒナゲシが口を尖らせる。シオンは元いた場所に座り直すと、再び足を組み、ヒナゲシへと視線をやった。

「僕から言える助言はこんなものだ。まだ他の人の元も回るんだろう?」

「そのつもり」

「キキョウとは話したかい」

「いや、まだ」

「彼がアネモネの世話役をしているから、彼に話を聞くと良い。君を愛する彼だからこそ分かることがたくさんあると思うんだ」

「そうだな」

 ありがとう、と残して立ち上がったヒナゲシに、シオンは緩く手を振る。ヒナゲシは立ち去る寸前、振り返ってこう言った。

「シオン。今日も綺麗だな」

 扉がバタンと閉まってから、シオンは両頬に手を当てた。耳まで赤くなって、そのまま布団に突っ伏す。

「君って人は……」

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