Please be aware of myself!

「昴……!」

「……あはっ」

 ヒナゲシが駆け寄れば、ひくっとダリアの体が痙攣した。上機嫌そうな声とは裏腹に彼の目は死んでいる。ヒナゲシは哀れむような顔でダリアの腕に手を這わせた。

 アザレアは近くで紅茶を嗜んで足を組んでいる。ダリアが堰を切ったように笑い出すのにも構わず、ヒナゲシ、と静かに声をかけた。

「あはははっ、あははははははは!」

「昴、昴……」

「ヒナゲシ。これが今のダリアの有様だ」

「何があったんですか、こんなにボロボロになって……!」

 はー、はー、と荒く息をしながら、横になったダリアはもう片方の手で自分の顔を押さえた。

 ヒナゲシは顔を起こし、アザレアに縋り付くような視線を送る。アザレアは小さく息を吐くと、そうだな、と一人呟いてから話し始めた。

「ストレスからの多幸症、ってところかな。笑ってるけど心の底から不安らしいから、少しついていてやってほしい」

「そんなの見なくたって分かります! 誰がこんなことを、」

「さぁな。俺にはダリアが原因のように見えるが」

 あはは、と代わりに応答するダリアだったが、途端に顔色を悪くし、気持ち悪い、と口にする。あわあわしながらヒナゲシが手を包み込むと、う、とえずく声が聞こえてきた。

 アザレアは紅茶のティーカップを置くと、どうだい、と声をかけた。

「少しは楽になったか?」

「はー、はー……おかげさま、で」

「喋れるか?」

「……う」

「難しそうだな。無理する必要は無い」

「そうですよ、無理なんてしないで。お願いです、抱きしめさせてください」

 ヒナゲシが今にも泣き出しそうな声で言えば、ダリアは体を起こしてぐったりとヒナゲシに寄りかかった。それから震え出し、うう、と声を漏らして泣き始めた。

 ヒナゲシはそんなダリアの後頭部を撫でながら、アザレアのほうへと視線を戻す。アザレアは鼻から息を吐き出して座り直すと、ヒナゲシのことを冷ややかな目で見下ろした。

「だが、お前のせいでもあるんだ、ヒナゲシ」

「僕のせい……ですか……?」

「お前は自覚していないようだがな。アネモネがダリアを不安にしていたらしい」

「アネモネと僕に、何の関係が……?」

「そろそろ気がついてほしいな。アレはお前自身だって」

「僕自身……?」

 ヒナゲシはおぼつかない返答をした。蜂蜜色の目を逸らし、口を閉ざし、分かったような分かってないような顔をする。アザレアは満足げに頷くと、そうだ、と自分の言葉を後押しした。

「お前には認識できないようだが、アレはお前の心の中から生まれた存在だ。アザミは嘘をついている」

「そうだとしたら、なぜ彼を生み出したのですか?」

「なに言ってんだ、お前が望んだんだろう、それを」

「僕が、ですか……?」

 残念なことに、ヒナゲシにその自覚は無かった。思い出そうとしても記憶が曖昧なのだ。ただ一つ思い浮かぶのは、ある日を境に思考がはっきりし始めたこと。それからは迷いも無く穏やかな気持ちでいられた。

 アザレアは肩をすくめ、戯けるようにして口を開いた。

「お前が分からないならまだ分からないんだろうな。だが覚えておけ、ヒナゲシ。アネモネは他ならぬお前自身だ。停滞を望んだ、冷たき人格」

「そう、ですか……」

「そして、目の前のダリアを壊していった人格でもある。ダリアがどうして壊れたか分かるか?」

「分かりません」

「救われたくない彼奴の性質だよ」

 ダリアがぼそぼそと何かを囁く。ヒナゲシはアザレアとの会話を打ち切ってまで、そちらに耳を傾けた。

「さとし……センパイ。俺のこと……受け入れて……」

 ヒナゲシは背中を摩りながら、当然です、と答える。するとダリアは少し落ち着いたようで、しゃくり上げながらヒナゲシに寄りかかった。

 アザレアは鼻で笑うと、立ち上がってヒナゲシのほうへと歩み寄った。ヒナゲシは彼を見上げ、少し警戒したような顔つきになる。

「ヒナゲシ。お前はお前自身の中にあった、他人を拒絶する心と戦わねばならない。それを統合するか否定するかはお前に任せる」

「……ダリアがこんなことになるなんて……僕の責任だと言うのですか」

「そうだな、よく分かってるじゃねぇか。お前が何とかしなければならない話だ」

 包帯まみれになった手がぎゅっと強くヒナゲシを握りしめる。ヒナゲシはしばらく黙り込んでいたが、顔を上げると、そうですね、と独り言を言った。

「どうにかしないといけませんね」

「そうだ。俺じゃ力になれねぇだろうけど、その『救われたくない自分』探しにはきっとシオンも役に立つ。キキョウは今お世話役になっているし、何より全ての元凶たるアザミがいる。アジサイもきっと役に立つはずだ。

まずは自覚しろ。アネモネという存在がお前自身であると」

「……分かりました、やってみます」

 ヒナゲシの目に決意の光が灯るのを見ると、アザレアは満足したように離れ、また席に着いた。それと、と付け足して。

「ダリアの面倒は俺が見ておくし、アジサイが帰ってき次第アジサイに渡すよ。それで良いか?」

「……せめて一緒にいられませんか」

「お前には仕事があるだろう」

「……そうですよね。分かりました、お願いします」

 ヒナゲシはぽんぽん、と背中を二度叩くと、顔を離し、虚ろな目をしたダリアをじっと見つめた。それからもう一度抱きしめて、大丈夫です、と囁きかけた。

「僕はあんたのこと、見捨てませんから」

 ダリアは弱々しくこくんと頷いた。

 ヒナゲシは立ち上がると、アザレアに一瞥してから部屋を出る。仕事をしながら、アネモネの動向を探る──それが彼の新しい目的となっていた。

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