euphoria

「……っひ、あはっ、あははははは!」

 笑いが止まらない。舌が痺れている。震えが収まらない。頭は踊っている。腹は狂っている。視界がちかちかする。

 体中に過呼吸と多幸感が広がって爆発しそうになる。その感覚が心地よい。体の芯に絶頂感が走って気持ち良い。

 別に何をしたわけでもない。急に体を襲った感覚に身を捩っているだけだ。笑いすぎて涙が出てくる。ずきずきと切った腕が痛む。

 蹲った僕に、手を差し伸べた人がいた──アザレアだ。光の無い真紅の目に、自分の目が映っている。ぐるぐると渦を巻き、揺れる自分の目が。

「大丈夫か、ダリア」

「邪魔すんなよ……今最ッ高に気持ち良いんだから……! ……けほっ、う……」

「ゆっくり息をして。吸って、吐いて」

「……っはぁ、はぁ、……っ、」

 アザレアの細い手が背中を撫でる。背骨ごと触られているみたいでゾクゾクする。がくがくと震えたまま、しゃがんだ彼に身を預ければ、アザレアは地べたに座ったまま僕の頭に手を当てた。

 ヒュウヒュウと肺が鳴る。息をするたび快感が体を駆け巡る。快楽に呑まれて死んじゃうんじゃないだろうか、それがたまんなくそそる。腕をなぞられれば、神経ごとさすられている気になって舌がびりびりと震えた。

「……はーっ、はーっ……」

「何があった?」

「……分かんねェ……」

「……何も食ってないし寝てないな? 目の下に隈がある。顔も青いし……」

「どーでもいい……」

「どうでも良くない」

 そのままぐいっと視界が揺れて、気がつけば自分がお姫様抱っこされていた。そのままひょいと持ち上げて運び出されて、足先をびくびくと震わせる僕はソファへと放り込まれる。

 笑いが止まらない。舌が痺れている。震えが止まらない。

 アザレアは懐から何かを取り出すと、そこにあった紅茶の中に入れた。そして飲むように指示する。僕は震える手でティーカップを掴み、赤い水面に浮く白い錠剤を飲み干した。

 アザレアは肘掛けに座り、笑い続ける僕の手を取った。

「パニック発作だろう。そりゃァ気持ち良いのかもしれないが、顔面は真っ青だぞ」

「……いひ、あはははっ、」

「最近は包帯も増えた。何があったんだ、ダリア」

「はー、はーっ、お前の心配することじゃねぇだろッ」

 心配される筋合いなんて無い。食事が喉を通らないのも、しっかり寝付けないのも。アザレアがまるでアジサイみたいだ。

 駆け巡る絶頂感が落ち着いてきて、また退屈な感性に戻っていく。すると残ったのはくらくらする視界と覆い潰すような不安だけで、無意識にアザレアの手を握ってしまう。狂いそうな感覚に声も出ない。がくがくと体を震わせて捩らせるだけだ。

 アザレアは指と指とを絡めて手を繋ぐと、顔を近づけてきた。ぎょっとして顔を押さえつければ、彼はにやりと得意げに笑ったのだった。

 無意識のうちに、狂っていた呼吸が落ち着いていたからだ。

「元気そうで何よりだ」

「……っ、はぁ……」

「息は整ったか?」

「……はぁ、はぁ……おかげさまで!」

「何があった?」

 何があった、と言われても、よく思い出せない。視界が白で影が黒だったこと以外、全部があの絶頂感に塗り潰されてしまったからだ。

 何かを不安に感じていた気がする、それが分からない。押し潰されそうになって上げた悲鳴が笑い声に変わった気がする、気がするだけで。

 そう思うと急に怖くなって、アザレアにしがみつく。嗚呼、どうして僕がこんな目に。

「……少しで良いから話してみろ?」

「……怖い……」

「怖いか、そうか」

「でももう、大丈夫だから」

「大丈夫じゃないよなァ?」

 再び顔を近づけてくるものだから、ぐいと押し返す。気味が悪い。僕は逃げようとするのに、包帯まみれの手をがっちり握って離さない。彼はしたり顔で微笑んだまま、僕の手を自分の頬に寄せた。

「この手、見てて痛々しいんだ。切ったんだろう?」

「……ッ、どうでもいいだろ」

「どうでも良くはないよ。俺の愛しいアリスに傷をつけるなんて見上げた精神だな」

「お前は何なんだよ」

「心配してるんだぜ? いつもの調子が出ないみたいだからな」

 頭がぼーっとして動かなくなる。アザレアの顔を見ていると、鎮静剤が効いたのか心のざわめきが遠のいていく気がする。左右対称に整った顔に、浮かべた笑顔──それと同時に腹が立ってくる。

 嗚呼、気に食わない。

 アザレアは甘い蜜を垂らすような声で話しかけてきた。

「いつもみたいに俺を殺そうとしてくれよ、ダーリン?」

「気持ち悪りィ……」

「ここのところ、アネモネと同室することが多くなってるみたいだな。彼奴のこと気に入ったのか?」

「真逆だよ。気に食わねェ」

「それでこんな羽目に。はぁ、アネモネも容赦無ェな?」

 頷くことはしたくないが首を振ることもできない。彼の言葉が僕を追い詰めているのは確かだからだ。

──ダリア、僕は救われたくないんだ。

 救われない人間は好きだが嫌いだ。今すぐにでも殺してやりたくなる。しかし彼は殺されることすら望んでいないのだ。センパイとはそこが違う。

 だから頭がぐちゃぐちゃになる。分かってくれないし不幸なままだ。自分の手からすり抜けていくのが不安で仕方無いのだ。

 ……僕はどうやら、センパイが好きらしい。

 また笑い声が込み上げてくる。今度は首に手を当て、締め付けるようにする。笑い声を噛み殺す。アザレアは目を細めて俺を見下ろすと、耳元にふっと息を吹きかけた。思わず手が解けてしまう。

「だーめ」

「チッ……」

「お前は今日から俺の監視下に置く。アジサイは出かけてるからな。良いな?」

「……やめろ」

「やめない。救われない人間は嫌いなんだ」

 ぞくり、背筋が震える。救われない人間? 僕が? その答えを聞くより先に、また抱きかかえられていた。暴れてもがっしりと抑え込まれてしまう。

 ……この怪力が。

 そのまま自室に連行される。そんな自分のことを、どこか安心しているような気がしたのは、此奴には内緒だ。

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