友達の作り方
「アヤメ、仕事の依頼です」
「あ、はいっ、分かりました」
アヤメは着物を整えながらそう答え、デバイスを手にする。されど、画面にはもうハルジオンはいない。アヤメは一人ごく普通の端末を見ながら、小さく息を吐いた。
◆
ある日、クロッカスと名乗っていた少女がハルジオンを名乗ってから、二人の関係性は変わっていた。
──アヤメ、仕事の依頼です。
──はい、分かりました。
あくまでハルジオンは自らの仕事を業務連絡のみに留めていた。不意に画面に現れ──現れてほしくないときには現れない──仕事内容を伝えて消える。彼女は完全なるアネモネ図書館の執事かメイドのように振る舞っていた。もちろん、本物のメイドのヒマワリ以上に。
かつてのように仕事をサボってアヤメと話すことも無くなった。アヤメはそれが寂しくて仕方が無かった。
まだアヤメが現実を知らなかった頃、アザミと過ごした時間も思い出される。魔法を見せてくれるアザミは、アヤメとは親友と名乗ってくれていた。しかし今のアザミは違う。アネモネとヒナゲシに寄り添う魔女に成り果ててしまった。
とにもかくにも、今の彼女は精神的に孤独だった。食事の時間になればカトレアとサザンカが優しく話しかけてくれるし、ヒマワリとスミレは姉弟揃ってアヤメに構ってくれるし、ツバキやキキョウ、ヒナゲシはアヤメを見守ってくれている。そうだとしても、齢十八のアヤメには友達がいないという事実は着物より重くのしかかるのだった。
仕事を終え、部屋に戻ってくると、端末が自動的に点灯する。アヤメは少し早足になってカランコロンと靴を鳴らした。
ハルジオンがぺこりとお辞儀をして、アヤメ、と名前を呼ぶ。
「は、ハルジオンさん。その……」
「お仕事お疲れ様です。今日の仕事は以上になります」
「あの、ハルジオンさんもたまにはお休みしては、」
「いえ、私はこの図書館の管理デバイスですから」
「ゲームしたりとか、お話ししたりとか……しないんですか?」
「しません。仕事人間なので、私」
もうよろしいでしょうか、と言うハルジオンを揺らすように、がしっと端末を握ったアヤメは、そのまま体育座りになってしまった。ハルジオンはそんな彼女に驚いて黄と紫の目を見開いた。彼女にしては珍しい表情だった。
アヤメは袖を涙で濡らし、ハルジオンさん、と震える声で言った。
「また、遊んでくれないんですか?」
「どうかしたんですか、アヤメ」
「……ちょっと……寂しくなってしまって……」
「寂しい?」
「私の友達がいなくなってしまったようで」
ハルジオンはしばしローディングの画面を流したあと、姿を白髪に黄色い目に変える。元のクロッカスの姿だ。アヤメさん、と明るい声で話しかけて、彼女の顔を上げさせる。
「これで……良いですか?」
「いいえ、良いんです。クロッカスさんはもういませんから」
「……ごめんなさい。私は管理デバイス以上の何者でもないんです。だから、元のように貴女と接せません。どう接して良いか、私にも分かりません」
「……私にも分かりません……」
二人は沈黙した。ハルジオンも元の姿に戻り、画面越しにアヤメを心配そうに眺める。
アヤメはしゃくりあげながら、ごめんなさい、と呟いた。そうすることしかできなかった。このあとも巡回を続けるハルジオンを止めているのは彼女のわがままだからだ。
ハルジオンはしばし口元に手を当てて悩んだ様子を示していたが、襟を正すと、アヤメ、と声をかけた。
「私はハルジオンです。クロッカスではありません。貴女の友達ではありません」
「……はい」
「でも、ハルジオンとして友達になることはできます。どうやって友達になれば良いかは、分からないのですが」
玉虫色の目が端末の画面を捉える。潤んできらきらと光る目に、ハルジオンは眩しそうに目を細めた。それから目を逸らして、手を後ろでもじもじとさせて結んだ。
「友達の作り方が分からないのです、私」
「友達は……友達は、気兼ね無く話し合える仲だと思います。ある程度の礼儀を持ちながらも、他愛も無いことを話せるような、そんな存在だと思ってます」
「他愛も無い話……たとえば、何でしょう?」
「今日、何か面白いことはありましたか?」
ハルジオンは顎に手を当てて考え込む。アヤメは袖で涙をぐいぐいと拭うと、口角を少し上げて話し始めた。
「わ、私は。今日、小さな子供の自殺志願者と話しました。虐待による死、だったみたいです」
「面白い話でしょうか?」
「えっと。彼女が言ったんです、『本をたくさん読んでも良いの?』って。本が欲しかったんですって。だから、一緒にたくさんの本を読みました。とても楽しい時間でした」
「現世には返したんですか?」
「は、はい。本をたくさん読める世界に行きたい、って仰って」
そこまで話して、二人はまた黙り込む。しかし、今度は冷たい沈黙ではなかった。二人はクスクスと笑い出し、互いを見つめた。
「私、質問攻めしてましたよね、今。これは他愛も無い話ではないですね」
「私も、お仕事の連絡になってしまいました」
「友達になるって難しいですね」
「本当ですね」
友達らしからぬ会話だったとしても、アヤメの顔はほんのり赤くなっていた。チアノーゼを起こしたみたいに真っ白だった素肌が、喜びの赤に染まる。ハルジオンはそれを見て、少なからず安堵したようだった。
それではいってきます、と言ったハルジオンを、アヤメが止める。今度は縋り付くようにではなく、ほんの少し止めるくらいに。
「あの。次はもっと面白い話しますね」
「私も、次はもっと上手に話を聞けるよう頑張ってみます」
アヤメは静かに、いってらっしゃい、と言った。空になった端末を抱きしめ、再び涙を溢す。口角は上がったままで、嬉しそうに、愛おしそうに画面を眺めるのだった。
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