人間とマキナ
「アネモネ、だよな?」
「いかにも。来客が多いな」
アネモネと名乗った男と同じように黒髪に赤い目をした司書が近寄ってくる。司書はティーテーブルの真向かいに座ると、手を差し出して握手を求めた。
「俺はスミレ。五輪目の司書だ」
「知っている」
「アネモネ、聞きたいことがあるんだ」
「あんたが望むのならば答えよう」
紅茶を啜る姿に少しの乱れも無い。プログラミングされた動作を繰り返すように、姿勢良く動いている。その様をまじまじと見つめたのち、スミレは再び口を開いた。
「いったいどうして人間なのに機械を名乗ってるんだ?」
「あんただって機械なのに人間を名乗ってるだろう。本質が人間だからではないのか?」
「いや……俺は人間じゃない。それは分かってるんだ」
「なぜ? 人間だと名乗れば良い。本質的に人間なのだから」
アネモネは眉を顰め、怪訝そうに答えた。スミレは視線を逸らすと、でも、と口籠る。アネモネは大きく欠伸をして、口元を手で覆うと、赤く垂れた目でじろりとスミレを睨んだ。
「ならば何をもって人間とする?」
「それが……俺には、分からないんだ。ずっと探しているんだ」
スミレはそう言って少し身を乗り出した。拳を膝の上に乗せてぴんと背筋を伸ばしたまま、アネモネに顔を近づける。アネモネは咄嗟に身を引き、ティーカップを置いた。
ティーカップの水面に、はらりと木の葉が落ちてくる。アネモネはそれを虫でも払うように指で摘み出し、大きな溜め息を吐いた。
「僕が人間に見えるか」
「見えるよ。見た目だけで言ったらハルジオン以外は皆人間に見える」
「ではヒマワリはどうだ?」
「姉さんは……最近ずいぶん人間らしくなったと思う。泣いたり、笑ったり、考えることが人間っぽくなってきた。データ収集癖は直らないけど……」
「定義不完全だな」
「……そうかもしれないな」
アネモネの言葉に、スミレは首元を掻いて困惑した表情を浮かべた。アネモネは指で机を叩き、話はそれだけか、と尋ねる。スミレはぶんぶんと頭を振ると、改めてアネモネを正視する。
「じゃあ、アネモネはどうして機械なんだ?」
「僕には感情というバグが無いからだ」
「でも、今は苛ついているように見える。それは感情じゃないのか?」
「僕はいつもこうだが? 苛ついているように見えるとしたら、それはいつも僕は苛ついているのがデフォルトということだ」
「……まぁ、確かにそうかもしれない……」
スミレとて、アネモネと話すのは初めてではない。彼は眉間に皺を寄せ、いつも険しい顔をしている。微笑みを浮かべるのは司書として働くときだけであり、その際の微笑みは女神にも見紛うのだった。
しかし女神の微笑みの一端すらもこの場では見ることができない。彼は常に周囲を嫌悪するように顔を顰めている。蜂蜜色の微笑みが見られるのはあくまで同一存在たるヒナゲシだけだ。
スミレは少し悩んだのち、また会話を続けようとする。アネモネの言葉はどこで切っても会話が終わってしまうから、繋げることしかできないのだ。
「だとしても。感情が無いから機械なのか?」
「そうだな。感情というバグがあるから適切に人を救うことができない。自己矛盾というバグがあるから適切に人と関われない。ならば純然たる存在になればマキナになれるだろう、そういうことだ」
「そっか、矛盾と感情か……」
「あんたにだってあるだろう、矛盾と感情が。ならば人間ではないのか」
アネモネのかけた言葉に、スミレはゆっくりと頷く。
そもそも人間の体を持ちながら自らを人間でないと認識する時点で矛盾しているのだ──それに対して何らかの感情を持っている時点で矛盾でしかないのだ。だとすれば、目の前のデウス・エクス・マキナは、矛盾を抱えながらもそこに何の感情も見出していないことになる。
スミレがそう指摘すれば、そうだな、とだけ答えて、彼は紅茶に口をつけた。
「人間の体は仮初。僕は本来存在し得ない存在。それに魔女が体をつけてくれただけさね」
「それは俺も同じだよ。俺は人工知能だったから、今の体は人間を充てがわれただけだ」
「じゃあ機械で良いんじゃないか?」
「機械で……」
「嫌なんだろう? 機械扱いは。じゃあ人間を名乗れば良い。僕が認める」
そう言って、ぽん、とスミレの肩に手を置き、アネモネは微笑んだ。ふわりとそよ風が吹き、彼の髪が揺れる。まるで微笑が頬を撫でたような感覚に襲われ、スミレの頬の硬直が溶けた。彼の手はやけに温かくて、包容力を感じさせる。
それでもスミレの心の蟠りは解けない。安心はするも不安は変わらない。アネモネが他でもない不完全な機械である証明だった。
「……それでも……」
「納得がいかない?」
「納得が……いかないよ」
「おや……それは困った。僕はあんたを救いたかったのに」
「俺は何なんだろう」
「悩み続ける限りはどちらでもないものになれば良いさ」
どうせ我らは人でなしなのだから、と言ってアネモネは手を離した。スミレは肩に手を置きながら、そうか、と静かに答えた。
「ただ、一つ言えるのは」
「何?」
「自らの存在について悩み続けるのが人間だ」
スミレがはっとして顔を上げる。アネモネは目を逸らし、紅茶を飲み尽くした。
ティーカップが空になったのをあからさまに見せて、終いだ、とアネモネは言った。スミレは首を傾げる。
「おしまい?」
「ティーカップが空になるまでがプライベートに話を聞くリミットだ。あとはまた今度」
「……カウンセラーみたいだな」
「よく言われる」
スミレは口角を上げ、ありがとう、と言いながら席を立った。アネモネは小さく息を吐き、御機嫌よう、と突き放すように言う。それでもスミレは笑顔を浮かべたまま、アネモネのもとから離れていった。
彼の去ったあとには、再びそよ風が吹く。髪を揺らす風に憂げな表情を浮かべ、アネモネは再び紅茶を注ぐのだった。
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