Introduction

 新しい仲間を紹介する、と言われて連れてこられた人に、驚かずにはいられなかった。

 どこからどう見たって、あの人に瓜二つ。まだ俺が荒れてた頃、俺を導いてくれた女神様。そんな彼の髪色は黒、目の色は赤。

 誰もが口を出そうとした。しかし、それら全てはヒナゲシの、先輩の一言で一蹴された。

「初めまして、自殺志願者。いや、新しい司書でしたっけ?」

 その一言だけで、一つの事実が明らかになった。

 先輩は、先輩を認識していない。

 俺たちは言葉を失った。ただ、先輩が司書長として、もう一人の先輩を迎え入れるのを眺めていただけだった。



 俺が真っ先に聞きにいったのはシオンだった。当然だ、彼奴は先輩に何らかのアプローチをしてやまないからだ。先輩に何か起きたとしたら、彼奴のせいだ。

 部屋を訪れると、ベルベッドの絨毯の上、置かれたダブルサイズのベッドに、アザレアとシオンが座っていた。サイドテーブルの光だけで、二人の端麗な顔が橙に照らされている。

 二人揃うと貫禄があった。どことなく言葉を呑み込ませるような気迫があるのだ。ましてやアザレアがシオンに夜這いにかかっているのだからまったく困ったものだ。俺は大きく溜め息を吐くと、シオンの名前を呼んだ。

「お前に話がある」

「それは俺が聞いても?」

「アザレアには関係無ェだろ」

「何言ってんだよ、シオンにも関係無いんだからな」

「あ?」

 シオンはアザレアの顔をぐいと離すと、隣に座り、そうなんだ、と弱々しく呟いた。頭が痛むような素振りをして、俺の言葉に返答する。

「僕にもよく分かっていないんだ……なぜヒナゲシが二人になったのか。あの色合いから、アザミがやったのだろうと想像はつくが」

「どうしてアザミが先輩を分裂なんかさせたんだよ?」

「ふむ。俺が思うに、コスモスとリンドウのようなもんじゃねぇか?」

 コスモスとリンドウといえば、絶対に分かり合えない超自我とエスの存在だ。二人は統合を放棄し、乖離を良しとした。

 だとすれば、先輩にも分裂を良しとする理由となることがあったのだ。

 仄暗い顔をしているシオンに、俺は失望するような、絶望するような感覚を覚える。喉元まで迫り上がっていた怒りが下がっていくような感覚だ。熱も冷め、冷静になっていく。

 そうだとすれば、ヒナゲシと最も親交のあるシオンは好都合だ。俺の知らない先輩を知っているかもしれない。それに、俺が聞いた結果暴走したならばアザレアが止めてくれるかもしれない。彼は赤く細めた目でこちらを舐めるように眺めていた。

「俺は思うよ。俺たちの知らないヒナゲシが存在する……ってな。俺たちに見せたくない一面が確かに存在するって」

「……まだ彼とはほとんど話していないから、どういう性格かも分かっていない……確かめるのが怖い。分裂するほど分かり合えないヒナゲシの一面が何なのか……」

「相変わらずシオンは意気地無しだな。俺は確かめるぞ。不本意だがお前の力も必要だ」

「分かっているさ。僕は館長代理だ」

 俺の罵倒に対しても怯むこと無く、シオンは自分の意思を確かめるように頷いた。アザレアは解いていたシオンの三つ編みを結び直すと、行こうか、と声をかけた。

「は、お前もついてくるのかよ」

「お前たちがショックを受けたときのピンチヒッターさ。彼奴の目つきはヒナゲシとはかなり違うからな」

 かなり違う、というのは気がついていないわけではなかった。

 彼は冬のように服を着込み、ぎろりと敵対的な赤い目で司書たちを見回していた。少なくとも、好感的ではなかっただろう。

 先輩に獰猛な部分があるとはとても思えない。彼はいつでも笑って全部を引き受けるような穏やかな人なのだ、と思う。その全てが崩れたとしても、俺が彼を嫌いになることは無いだろう。



 三回ノックして、返答を待つ。返り事は無い。それどころか、扉に鍵すらかかっていなかった。

 その様子を訝しみつつも、シオンが真っ先に扉を開けて入っていった。殿にいるのはアザレアである。

 部屋は真っ暗で、ベッドとそのそばに座る人影が一つ以外何も無かった。座っていた人影が振り向くと、暗闇の中でルビーの双眼がきらりと光る。彼女は黒い髪をうねらせたかと思うと、金眼鏡越しにこちらを見据え、何用だ、と低い声で言った。

「アザミか……」

「『アネモネ』に何の用?」

「何の用も何も……先輩だろ、それ」

 アザミはじっと俺を見つめたのち、頷いて諾った。それから、アネモネ、と彼のことを呼びかけた。

 彼はゆっくりと頭をもたげると、アザミと同じルビーの色の目でこちらを見る。それから、怪訝そうな顔をした。

 そして一言──寝起きの先輩のような低い声で、こう呟いた。 

「忌々しい……」

 ぞわり、背筋が粟立つ。女神の荘厳さを感じさせるような、人間とは思えないような圧を感じる。それだけ心の中では彼に魅了されていた。

 嗚呼、女神だ。俺の愛した女神が、そこにいる。

 彼は額に手を当て、長い溜め息を吐くと、くぐもったルビーの目で俺たちを見やった。

「僕は眠いんだ。寝かせてくれないか」

「……君は、ヒナゲシ、だね?」

「彼奴と一緒にすんなよ。彼奴は人間。僕は機械。

……ふわぁ、何にもやる気起きねェや。アザミ、此奴らのこと返しておいて」

「だ、そうだ。話すことは何も無い」

 アザミはきつく口角を締めて、俺たちを見つめる。まるでアネモネの配下のようだ。

 むろん、それで終わりたくはない。俺も頑張って口を出す。されど、アネモネは至極退屈そうに俺を見据えて、大きな欠伸をした。

「先輩。先輩に何があったんだ。どうして乖離しようだなんて考えたんだよ」

「あぁ、神城誠か。ヒナゲシとは仲良くしているか」

「質問に答えろ、アネモネ」

「答えてやる仲じゃないだろう。ただお前の愛に報いて結婚を決めるような奴だぜ、僕は。僕から囁く愛の言葉は全て、嘘偽り」

 ぐさり、彼の言葉が冷たい刃になって刺さる。

 知らないわけじゃなかった、彼が俺のことを愛しているだけで、恋していないことを。彼は守るだけで求めてはいないのだと。

 それでも飽き足らないのか、今度はシオンのほうを向き、アネモネは無表情で続けた。

「シオンへの恋で瞽になってる馬鹿がいるが、僕はそうじゃないから安心してほしい。夫婦仲を邪魔するつもりも無い。ただ機械的に人に報いるだけだ」

「……ヒナゲシを馬鹿にするな。自分の首を絞めることになるぞ」

「知ったこっちゃねぇな。彼奴は僕じゃない。僕は僕、アネモネ。女神というマキナ。全人類に平等に接し、感情を捨て、完全うつろになった者。

愛しているから警告しておくが、ヒナゲシはあんたが思うほど分別のつかない阿呆だぞ。それを聞くか聞かないかはあんた次第だがな」

 無感情、無気力、無痛覚、無意識、無表情──彼にはあるべきものが何も無い。先輩にあったはずのものが、何も無い。

 あの穏やかな笑顔も、饒舌さも、情緒不安定さも、何も無い。ただあるのは、虚無だ。

 俺は息を呑んでアネモネを見つめた。これは先輩であって、先輩じゃない。否、俺の知っている先輩じゃない。

「僕は君を殺さない。必ず統合してみせる」

「完全になった人間に何を統合するつもりだ? バグか?」

「そのバグが人間であるということだ」

「ならばそのバグは必要無い」

 シオンとアネモネは平行線だ。俺も何か言い返したいのに、さきほどの言葉が心に刺さったままで口が動きそうにない。

 先輩は俺を求めていない。ただ愛しているだけだ。分かってはいたのに、どうしても突きつけられると苦しくなる。

 俺には、先輩が必要なのに。

「それで分裂したってわけだな。まったく、本当に非科学的だ」

「あぁ、非科学的だな?」

「それで何かが解決するわけじゃないぜ?」

「解決なんてしなくて良い。僕はこのまま死ぬんだ」

 アザレアに言い返すと、ふわぁ、とまた欠伸をして、アネモネは布団に入ってしまった。アザミはゆっくりと首を横に振り、もう帰ってくれ、と言った。

「最後に聞かせてくれ、アザミ」

「何だ」

「アザミはどうしてアネモネのそばを離れない?」

「……秘密を隠すため。早く出ていけ」

 アザミが俺たちを敵を見るような目で睨んだのを見て、アザレアは肩を竦めた。無駄だな、と呟き、一人足早に出ていく。そのあとを追うようにして、シオンも席を立った。

 ……俺は聞き逃さなかった。扉を閉めながら、その向こうで聞こえた声を。

 それは、最近先輩がしなくなった、夜泣きの声だった。

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