You are an idiot!
「おい、アザミ」
声をかけられ、アザミは黒髪をゆらりと揺らして顔を起こした。
彼女の手は、一本の羽ペンを握りしめていた。手を置いたノートは未だ白紙だ。ペンをノートの横に置いて、体を起こし、アザミが回転椅子を回して声のする方へと向いた。
声の主人はノックもせずに扉から部屋へと入っていた。軽薄そうな笑みを浮かべ、座っているアザミを冷たい目で見下ろす。アザミは舌打ちをすると、なんだよ、と小さく呟いた。
「お前さんに聞きたいことがあってな」
「アザレア。今更アンタがボクに何の用? 少なくとも、シオン同様無干渉を続けてくれると思ってたんだが?」
「何を今更? 自ら作った図書館を危機に瀕した犯罪者が?」
アザレアはそう言い放つと、扉を閉め、唇に人差し指を当てた。これはオフレコだ、と言い足して。
アザミは眉をひそめ、目を細めた。足を組み直すと、黙れ、と黒々とした声で喉を震わせる。アザレアはカラカラと乾いた笑い声を上げると、壁に寄りかかって挑発を続けた。
「だいたい、若作りなんて見ててイタいぜ? 魔女のキャラ作りかァ?」
「……そういう意味じゃない。ボクは確かに『魔女』だった、あのときまでは。今のボクは、『人間』、ないしは『人でなし』だ。魔女でいることをやめただけだ」
「そんなんだからヒナゲシに本当の姿を暴かれちまうんだよなァ。お前は一生魔女として人間に関わらない方が良かったみたいだな」
「……何が言いたい?」
アザミは目つきをキツくして、アザレアを睨みつけた。視線で握り潰すような圧力も、アザレアには意味が無い。ひらりと交わして、にやりと笑っている。
「お前さァ。シオンのために死んでくれないか?」
アザレアは冗談でも言うかのような軽い口調でそう言った。アザミが赤い目を大きく見開く。
驚愕して固まるアザミに、アザレアは手を開き、眉を下げて苦笑する。
「お前がアネモネ図書館に悪影響を与えているのは知ってるんだ。まるでヒナゲシと正反対だな。
このままじゃ、クロッカスが離反しちまう。クロッカスはアネモネ図書館において最重要人材だ。
だが、お前が死ねば、きっと彼女の心も安らぐだろう。それがシオンのためになるんだ」
「アンタは……シオンのため、って言うけれど。アンタは拓馬とはろくに関わったことが無いはずだ。どうしてそこまで言う?」
「俺は一度彼を失っているんだぜ? 誰よりも本当の俺を理解してくれた、大切な片割れを。そんな片割れに再会したら、彼もまた俺を必要としていた。
何年会っていなくても、違う世界線だとしても、関係無い。俺にとっての彼の喪失と、彼にとっての俺の喪失は、お前を死に至らしめるほどの愛になり得るってことだよ。まぁ、彼奴みたいに崇拝はしてないけどな」
肩を竦めて戯けるアザレアに、アザミは茫然とした。返す言葉を失い、目を伏せて黙り込む。
彼女に追い討ちをかけるようにして、暗い部屋の中、アザレアはその双眼を血の色に染め光らせた。彼の笑みは変わらない。もはやその笑顔は、石膏で作った仮面のようだった。
「俺はお前を殺さねぇよ? お前が自分で死ぬんだ。そうすりゃ、クロッカスも、アヤメも、何よりヒナゲシも、お前から解放される」
「……っ、ヒナゲシがそんなことを思ってるわけが──」
「彼奴にだって愛する人がいるのに、どうしてお前なんかに構わなきゃならないんだろうなァ? 人殺しの犯罪者だぜ?」
「ボクは! ボクは、ただ救おうとしただけで──」
アザレアの笑みがゆっくりと消えていく。人形のような無表情で、はぁ、と力無く尋ねた。
アザミは行き場を無くした手を握りしめ、眉間にシワを寄せて声を絞り出す。彼女の怒りが声を震え轟かせていた。
「救おうとしたんだ。鏡香を作ったクソ親を殺して助けてやろうと思ったんだ! 菖蒲を引き取って助けてやろうと思ったんだよッ!」
「へぇ、それでその話をしてないのか」
「そんなこと話したって信じてもらえるわけ無いだろ……!」
「じゃあ伝わらないな。死んだら?」
力のこもった反論を容赦無く弾き飛ばして、アザレアは再び微笑む、殊更爽やかに。アザミはそんな彼の前に頽れて、再び閉口した。
訪れた沈黙に、アザレアの嘲笑が暗色をつける。アザミは顔を逸らし、歯を噛み締めることしかできなかった。
「どう足掻いてもお前が生きる価値は無いってことだよ、美香」
「……ボクは、美香じゃない……あんな出来損ないの混ぜ物なんかじゃない」
「ヒナゲシの睡眠薬や抗うつ剤を奪い、クロッカスを自我崩壊まで追い詰め、アネモネ図書館の機能を一時ダウンさせた。そんなお前が、出来損ないの混ぜ物じゃないなんてどうやって証明するんだ?」
「アンタは……アンタはどうして、そんなにボクに消えてほしいんだよ……」
アザミの声が震える。緊張して張り詰めた声に、彼女の絶望が滲む。滲んだ絶望は彼女の目に涙を溜める。そんな彼女にアザレアは、一言、気持ち悪い、と言って言の刃を突き刺した。
アザレアは目を丸くして、不思議そうな顔でアザミを見下した。
「面倒臭ェから、だけど。それ以上に何かある?」
「……アンタにボクの気持ちなんて分かるはずが無い……ッ、ボクは、神崎美香は、ただ人々を愛していただけなんだ──」
「さぁ? 俺は、愛ゆえに狂う人間の気持ちは理解できないからな。まったく非効率的で愚かしいよ。愛ゆえに他者を傷つけるようなバグった存在は早々に死ぬに限るぜ?」
アザミは最後の力を振り絞り、立ち上がると、アザレアに大股で近づいていって、その襟を掴んだ。不意打ちに、アザレアはしばし固まるが、すぐさま勢いよく拳を叩きつけて彼女の頬を殴った。アザミの体が宙に投げ出される。
握り締めた拳を解くと、汚らわしい、とアザレアは低い声で呟いた。アザミは殴られた頬に手を当て、片手で身を起こそうとしたが、その背中をアザレアに踏みつけられた。アザミのえずく声が、しんと静まり返った部屋の隅に転がる。
「汚い手で触るな、アバズレ」
「……ッ、瑠衣……! その台詞、は、拓馬のことなんざ、一つも考えてない……ッ!」
「『愛ゆえに他者を傷つけるようなバグった存在』か? あぁ、お前、彼奴のために怒ったりするのか。仲は良くないはずなのにな」
「愛してんなら、ッ、彼奴のことを馬鹿にしたり──」
「お前は拓馬が『愛ゆえに他者を傷つけたバグった存在』だと思ってんのか。最低だな」
アザレアは、すり潰すように強くアザミの背中を踏みつける。アザミは声にならない呻きを溢した。足を離すと、アザレアは心底不愉快そうな顔で、アザミに睨みをきかせた。
「彼奴を馬鹿にしてんのはお前の方だよ。俺がいつ彼奴の非を責めた? だから許せねぇんだよ──さっさと死ね、彼岸の魔女」
そう吐き捨て、倒れたアザミを足蹴りにすると、再び愛想の良い笑顔に戻る。アザレアは愛想の良い笑顔を浮かべて、扉の向こうへ去っていった。
アザミは独り、暗い部屋の中で蹲っている。背中の痛みで起き上がることもできず、ただカーペットを握りしめ、涙で濡らしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます