嫌い嫌いも快楽のうち

「それにしても、アンタが口を利かないなんて、よほど姉妹仲が悪いんだね」

 アザミはスコーンにジャムを塗りながら、コスモスにそう話しかけた。

 テーブルに並ぶは、絢爛豪華なティーセット。ケーキスタンドにはミルフィーユ。蜂蜜色の瞳と、苺ジャム色の瞳が、コスモスを品定めするように見つめている。辺りにはローズマリーの甘い香りが立ちこめていた。

 さて、金の懐中時計に目を落とすと、ヒナゲシは薔薇色の微笑みを浮かべて、コスモスに発言を促した。

「コスモスさんは、どんな司書とも上手くやっているイメージがありますけど……?」

「……口を利くのも嫌なんです。本当の私は、とてもお喋りで、ムカつく人なのですが……彼女とは一言でも口を利いてしまうとお終いなのです。あたしは悪くない、あたしは悪くないと、口癖のように言っては、不機嫌になってしまうあの様に耐え難さを感じるのです」

 コスモスはハーブティーを一口飲んで、苦そうに顔を歪めた。舌を出した彼女のティーカップに、アザミは白い角砂糖を一つ放る。砂糖は溶けて、甘い甘い茶色に消えていく。

 銀のスプーンと、同じ色の灰皿。ヒナゲシはシガレットを灰皿に押しつけて、スプーンでコスモスを指す。

「しかし、リンドウさんが悪いというわけでもない、とは思いますよ」

「えぇ、苛立ってしまう私が悪いのです。あんな低脳にいちいちささくれ立って、不機嫌になってしまう私が悪いのだと思います。そんな自分にも嫌気が差してしまいます。嗚呼、私の方が間違っているのではないか、と日々考えております。

されど、どれほど考えましても、口を利きたくないほど嫌われていると自覚していない、謝る気も無いリンドウに吐き気がする感覚を覚えます」

「本当にお喋りだよなァ、アンタ。普段は『私が悪いのです』って言ったっきりなのに」

「あら、そうかしら……? 普段から私は、自意識過剰で、自分のことを語りすぎているような気がしているのですが?」

 アザミがにやにやと嗤って、スコーンを頬張る。さくさく、しっとり、舌触りはもっさり。粉っぽいのは紅茶で流しこんで、甘くとろけて。コスモスは二人に挟まれて一人、決まりが悪そうにティーカップを両手で包んでいた。

 コスモスは眉を寄せて、目線を落とす。バーガンディのリップをした唇は横に引かれている。

「私は何度も何度も、私が悪いのだ、もしくは、彼女が悪いのだ、と折り合いをつけようとしました。それでも、嫌悪感はトラウマとなって胸に貼りついて離れません。彼女を言いくるめる自分を想像しては、逆に言いくるめられる自分を想像して、延々と喧嘩を続けます」

「救いになるかは、分かりませんけどね。僕にもそういう相手がいました。僕は『互いの悪かった点』をリストアップすることにしたんです」

 煙を吐いて、口角を上げて。ヒナゲシは遠いカモミールの園を眺めて、薄らと笑う。前髪が垂れて、彼の片目を隠す。

「そうしたら、相手と自分が、同じくらい出てきました。つまり、どちらも悪かった。『僕が悪い』と言えば、きっと許してくれるとあの頃は思っていた。

同じだけ罪を重ねているのに、どうして自分も相手も責められましょう?

あんたがたとえ自分の非を認めたとしても、リンドウさんを言い負かしたとしても、その嫌悪感は剥がれませんよ。六対四を求める限りは、自己正当化を図る限りは、あんたは必ず正しくなくてはならないのですから」

「そうだなァ……相手に期待してんだな、アンタはよォ。『嫌われてると自覚して、謝ってくれる』って。謝られて、アンタが正義に立ったとき、アンタは幸せになんのかよォ?」

「……考えたこともありませんでした。リンドウが私と同じくらい悪い、とか、期待してる、とか……」

「ふふ、言い方を変えれば、『クズ同士許し合いましょうや』ですかね?」

 アザミとヒナゲシの穏やかな口調に、コスモスの口角が緩む。

 ぽかぽかと暖かい陽気は、気怠げに、三人を包んでいる。甘ったるい香りに包まれた三人は、まるでぬるま湯に浸かっているよう。コスモスは二人に挟まれて、ゆるりゆるりと揺りかごの中。

「……それでも、口を利きたいとは、とても思いません。彼女が調子に乗って、あのどぎつい口調で話して悦に入るのを見ていると、気持ち悪いのです。得意げに話す様は醜悪極まりありません」

「はは、ホントアンタ口悪いよなァ」

「そう、でしょうか……しかし、このような意見は控えないと、責められてしまいます……」

「ヒナゲシも言ってんだろ、『同じだけ罪を重ねてる』って。『話したくない』ってのも一つの意思表示だろォ? 特に、アンタみたいに思ってることをはっきり言えないタイプの奴は」

 アザミが犬歯を見せて悪魔のような面で破顔する。圧されたように答えて、コスモスはぬるくなった紅茶に口をつけた。

「視界に映さず、存在を存在として受け入れないこと──それが一番の『嫌い』ってシグナルなんだが、なーんか馬鹿ばっかで気がつかねェんだよなァ。そこまでされて、自分が悪いかも、なんて考えねェ、無視するなんて酷いっ、みたいな奴らばっかりだぜェ?

逆に、仲良くなりたいくせにそういうことをする馬鹿もいる。意地張ってる奴は救えねェよなァ?」

「それは……困りましたね……」

「アンタはどうしたいんだよ。リンドウと仲直りしたいのか? それとも、期待しないほどに嫌いたいのか?」

「……そう、ですね、私には……分かりません。この状況は、非常にストレスが嵩みます。

私は彼女を嫌いで、苦しんでいるのに、向こうはまるで何も悪くなくて、何も変える必要なんて無くて……視界に入る度に嫌悪しますので、死んでくれると、一番折り合いをつけやすいです」

 コスモスの言葉に、アザミとヒナゲシは凍りつく。暖かいそよ風は、北風となって二人に吹きつける。動きを止めた二人と、紅茶を一口飲んで、満足げに微笑むコスモス。ミルフィーユに手を伸ばして、いただきますね、と口にする。

 アザミとヒナゲシは目を合わせると、大きく息を吐いた。ぼんやりと遠くを見つめるコスモスに、返す言葉を失った。

「しいて言えば、リンドウは、歩くウイルスの塊……でしょうか。どれだけ安静にしていましても、どれだけ体を鍛えていましても、やってきては私の体を侵していくような、そういう人間です」

「──やっぱりアンタ、どこかで『自分は悪くない』って思ってんだな」

「こら、アザミ、」

「こうなったのは自分のせいじゃない。悪いのはリンドウだ。私は悪くない。私が正しい。正しいのだから、相手を死に追いやっても構わない。それって、とても恐ろしいことじゃねぇか?」

 コスモスはぴたりと手を止めた。アザミは顎に手を当て、訝るような視線を向ける。

「『口を利かないでいれば良い』だけで終わらないぜ、そんなの。さっき、『延々と喧嘩を続けてる』って言ってただろォ? 延々と言い負かしてんだろ、それでもリンドウは懲りずにアンタを責めてくる。

アンタはただ、ストレス発散に『架空のリンドウ』を利用してるにすぎない。自己正当化のために、現実からリソースを引っ張ってきて、サンドバッグにしてんだよ。いくら仇とはいえ、それはやりすぎなんじゃねぇのか?」

 ヒナゲシはアザミを肘で小突き、言いすぎです、とムッとした顔で言う。コスモスは、何も言わないまま、底に茶葉の残ったティーカップを、ソーサーに乗せる。

 アザミは足を組み、ハイヒールの爪先を少し上げた。頬杖をついて、手を開いて、真剣な表情になる。

「嫌いだから話さないんじゃねェ。『大して仲が良くない』から話さないんだ。大して仲が良くない人間は、視界に入ってもイラつかねぇよなァ? そういう奴をサンドバッグにするか? しねぇよなァ? 違うか?」

「……違いません」

「その『嫌う』ってのは、虫を嫌うとか、肉を嫌うとかじゃなくて、アンタのストレス発散に繋がってんじゃねぇのォ? リンドウが死んでも、また違う誰かに憎悪が向けられる。

宗教を成り立たせるために、異教徒は常に存在する、違うか?」

「違いません……」

「宜しい。分かったら、自分の行いがいかに悍しいか内省するんだな。アンタが一番嫌いなやつだろ、『私は間違ってない』って」

 コスモスは俯き、はい、と力無く答えた。取り残されたいくつものケーキを見て、ヒナゲシは長い溜め息を吐く。アザミにそれらを押しつけると、口元を拭きながら、コスモスさん、と優しく声をかけた。

「アザミのは言いすぎです。僕らはあんたを責めてしまった、それは謝ります……ほら、アザミも謝れよ」

「……悪かった」

「でも、もう少し穏やかに生きても良いんですよ。仮想の敵なら、何も言わずに刺し殺せば良い。そんなに怖くないんですよ、その敵は。耳を傾けるほど苦しくなりますから。其奴を刺し殺したからって、自分を正当化したことにはなりません」

「……けれど、彼女を拒絶したことには変わりありません」

「いや、あんたが拒絶するのは、架空のリンドウさんです。本物のリンドウさんとどう付き合うかは、別です。

仲良くないんですから、特に多くを話す必要もありません。一緒にいる必要もありません。解決すべき問題でもありません。話しかけてきたら、鬱陶しいな、と思って、一言二言話して離れても良いんです。

友達百人作る必要なんてありません、ね?」

 甘い甘い蜂蜜の味がする声で、ヒナゲシは念を押した。コスモスはこくんと頷くと、再びティーカップに手をつけ、残りを飲みこんだ。ヒナゲシに勧められたショートケーキを受けとって、再び手をつけ始める。

 にんまりと笑うと、ヒナゲシは自らのカップに二杯目の紅茶を注いだ。シュークリームを手にとって、アザミが苦笑する。

「……ったく、彼氏が嫉妬深い奴が言うと、なかなか真に迫ってるよなァ。あと、さっきからボクらにケーキ押しつけんじゃねェ」

「僕、甘いもの苦手なんだよ……それはさておき。

憎しみは、怒りは、人を動かす大きなエネルギーです。上手く扱わねば、自らを呑みこみます。人々の課題ですね」

「はい、そうですね」

「ストレス発散に使えてるならまだ良いんですよ。それで苦しみ悩むのが一番苦しいんですよ」

 コスモスはこくこくと頷き、ショートケーキを頬張った──彼女にしては、多く食べている方だった。

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