A bit of interval
阿鼻叫喚。諸君、この言葉は無論、艱難辛苦に悶え苦しみ泣き叫ぶ人々の様を意味する。しかしながらボクに言わせれば、その日のアネモネ図書館はプラスの意味で阿鼻叫喚であった。
シオンとカトレアが泣き喚き、ヒナゲシが泣き崩れ、ツバキもが目に涙を浮かべる。キキョウは男泣きをしながらシオンの肩を持ち、クロッカスとアヤメも鼻を啜る。さて、このような状況に、読み手の諸君は何を想像するだろうか。
泣きながら抱き合うカトレアと来訪者。そしてたった一人ぽつんと真ん中に取り残されたもう一人の来訪者は、唖然としてその様を眺めるのであった。
「何だよ、これ……」
◆
来訪者の名前は、十二輪目の司書・アザレアと、十三輪目の司書・サザンカであった。前者を、榊原瑠衣、後者をその妻、榊原由紀という。
ここに榊原家が四人揃った。一輪目の司書・シオンは──本名を榊原拓馬という──アザレアの姿を一目見ただけで震え泣き頽れた。四輪目の司書たる、シオンの妻・榊原奏もその様を見て号泣するのであった。
当然、シオンのそばに寄り添ってきた二人の司書・ツバキとヒナゲシが泣き出すことは容易に想像できるだろう。キキョウといえば、彼は妹を失った記憶があるため、兄弟の再会には弱い。泣いてしまって話も聞けないシオンの代わりに、ツバキがシオンの話をした。
シオンは、アザレアを殺した世界からやってきたのだと。アザレアは物語の都合上敵に回されてしまったので、止むなく殺害した。その後シオンが精神を病んでしまった。
それを聞いて、アザレアもそろそろ複雑そうな顔をし始めた。自分の隣で年甲斐もなく声を上げて泣いて縋るシオンの頭を撫でながら、そうかい、と静かに呟いた。
「俺も、お前を失った世界から来たんだよ、シオン」
「瑠衣、ごめんね、瑠衣……」
「瑠衣って呼ぶな、馬鹿。ここじゃ俺は『アザレア』なんだから。お前のために考えたんだぞ、この花の名前」
「愛してるよ、瑠衣……」
「こう言うとすぐこれだよ。本当、うちの馬鹿犬がすみません」
馬鹿犬、と呼ぶアザレアもまた、かつて失った片割れを手にして、幸せそうに微笑むのだった。
さて、慟哭もピークが過ぎてくると、めそめそと泣いているシオンを隣に据え、アザレアが座り、その隣にサザンカが座る。泣いて甘えているシオンの隣には、カトレアが座る。
今まで図書館長代理として常に賢明な顔を守ってきた彼が決壊してしまうのは、ヒナゲシを除けば初めての経験だった。それゆえに、スミレやヒマワリ、アヤメやキキョウなどは息を呑む。シオンを越えるカリスマたる、ハルジオン。そしてその元の人たるアザレア。彼は一声でそんな状況を纏めてみせた。
「いろいろ積もる話もあるが、まずは諸君、初めまして。シオンの兄、アザレアと申します。この方は俺の妻、サザンカといいます」
「あ、はいっ、サザンカです! えっと、司書って何するんだっけ?」
「それをシオンに聞きに来たんだが、シオンがこの様子じゃァなァ……ってことで、司書長さん、教えていただいても」
「あ、はい、僕ですね、はい」
ヒナゲシが涙を拭い、我に返る。切り替えの速さはアネモネ図書館一であった。向かいに立っていたヒナゲシは、小さく咳払いをすると、和かなアザレアに向かい合った。
「ようこそ、アネモネ図書館へ。僕らは此岸と彼岸とを分かつ境界線に存在します。ここでは永遠の時が流れますから、ここでは老いることはありません。ここから現世にアクセスする際も、異界間の時空的距離感も気にすることはありません」
「へぇ、そうかい。様々な並行世界の停留所、みたいだな」
「あ、アザレア君、もっと分かりやすく説明してほしいかな……」
「そうですねぇ……俺たちがここにいる間は、現世、つまり俺たちの世界の時は進みません。ですから、どれだけいても大丈夫なんです。玉手箱の無い竜宮城、って言うと分かりやすいですか?」
「あ、分かる。ありがとう」
ヒナゲシもアザレアも──つまるところ、元ハルジオン──詩的な表現を好んで使う。残念ながらそれが一番アネモネ図書館の説明として正しいのだ。
「ではなぜここが存在するのか。何のために存在するのか。
ここは、自殺志願者たちの集う場所です。勿論範囲はごく僅かで、日本人の自殺志願者のごく僅かしか出会うことはできません。そんな彼らから、何かしらの記憶を頂き、貯蔵する代わりに、彼らにもう一度新たな人生を歩むチャンスを与えよう、というのが、我々司書の仕事です」
「えっ……と、なんか、アザミちゃんって人から聞いたんだけど、ここにいる人はみんな死んだ人なの……?」
サザンカが少し押し殺したような声で聞く。ヒナゲシはクスクスと笑うと──そう、まさしく死んだ人である──いえいえ、と愉快そうに答えた。サザンカは水色の目を丸くする。
「人、だけではないですよ。僕もそう、みんなもそう……この中で人だと言えるのは、カトレアさんくらいですね?」
「サザンカさん、俺だって『人』ではありませんよね?」
「あ、そっか……」
「死人が集まる場所と聞いていたから、もう身体的には死んだ人間もいたのかと俺は思っていたがな」
「それだけではありません。電脳体に元AI、元人形まで揃っています。僕はちなみに、人間としての生を終え、人でなしとして生きていますよ」
にこり、と甘く笑むと、サザンカはじーっとヒナゲシを見つめ返した。そして、隣で薄笑いを浮かべているアザレアと見比べると、一人満足げに肯く。
アザレアは、そうかい、とだけまた答えると、ふと思いついたようにスマートフォンを取り出す。画面の表示には、時間こそ書かれているが、日にちが存在しない。ヒナゲシは、おっと、そうでした、と前置きしてから続ける。
「この空間には二十四時間こそありますが、日にちが存在しません。勿論、現世とは多少の誤差はありますが、現世とこの図書館で連絡を取っても、そちらの時間に合うようにクロッカスが操作してくれます」
「あっ、そうでした! 私、クロッカスです、図書館のデバイス担当やってまーす!」
アヤメが持っていたデバイスの画面に、クロッカスがひょいと顔を出す。驚くサザンカと、口元に手を当て、興味深そうに眺めるアザレア。これが「人でなし」の一人である。
クロッカスは照れ臭そうにお辞儀をすると、よろしくお願いしますね、と挨拶をした。
「あと、ここは図書館ですので、本はむやみに燃やしたり持ち出したりしないように。そこの辺りはツバキさんが目を光らせていますから」
「ツバキと申します。正体は明かさないでおきますが、私も『人でなし』の一人です。シオンさんと共に、文字通りの『司書』をしております」
「よろしくな、ツバキ。シオンがお世話になってます」
「ふふ、お会いできて光栄です。普段から、シオンさんがあなたを如何に偉大な人かお話ししてくださっていたので……」
「……僕はそう簡単に彼のことは話さなかったはずだが……」
シオンがふてくされたようにそう呟く。その様はもはや威厳のある図書館長からは程遠く、純粋に兄に甘える弟に見えてしまうのだった。
以上ですね、と言ったあと、ヒナゲシはぼーっとしてアザレアとシオンの二人組を眺めていたメンバーに振り返り、蜂蜜を垂らすように微笑みかける。
「では、我々も自己紹介しましょうか。では、五輪目」
「えっ、俺? はい、俺はスミレっていいます。元々AIでした。こちらは俺の姉さんのヒマワリ、元々人形でした」
「ヒマワリと申します。シオン様からかねがねお話は伺っておりました。アザレア様、そしてサザンカ様。私には何なりとご命令くだいませ」
「あ、やっぱりそのメイド服伊達じゃないんだ……お、俺たちの方が新入りだし、その、頭下げなくていいんだよ?」
戸惑いながらもスミレはいつもどおり快活に話すのに対し、ヒマワリはやや緊張しているようで表情が硬い。ヒマワリはハルジオン並びにシオンを尊敬しているから、彼が尊敬するアザレアは即ち尊敬の対象に値するのだ。
次に自己紹介をすべきはヒナゲシだ。ぺこりとお辞儀をすると、遠巻きにいたキキョウとダリアを引き摺り込んで、隣に並べる。三人の目鼻立ちの良い男性に見下ろされ、サザンカは困惑して照れ出すのだが、背の高い二人に挟まれ、ヒナゲシの小ささが目立ってしまうのが玉に瑕。
「僕は司書長を務めます、七輪目のヒナゲシと申します。シオンからはいろいろ聞いております」
「……ヒナゲシ、余計なことは言わないように……」
「力無い悲鳴だこと。こちらは八輪目のキキョウ、こちらは九輪目のダリア。どちらも僕の生前の後輩です」
「あー、なんか畏ると照れちまうな。俺はキキョウという。元々はカウンセラーだったから、司書の中でも、子どもを担当にしている」
「僕はダリアといいます、センパイ方にはいつもお世話になってます。勿論、シオンにもね?」
ヒナゲシに先手を掛けられたシオンはじと目でヒナゲシを見つめ返すのだが、ダリアにも釘を刺されてすっかり萎んでしまっている。そんな様を見ながら、ダリアは女狐のようににやにやと笑う。
さて、一番遠巻きにいたアヤメが、クロッカスに諭されて前に出てくる。彼女はアザレアやサザンカよりも背が高い。サザンカがびっくりしたのを見て、すみません、とすぐに謝ってしまっていた。
「え、えぇっと、私は十輪目のアヤメと申します、以後よろしくお願いしますっ。私、新入りですし、その、年下なので、むしろお二人にいろいろご迷惑をかけてしまうっていうか……」
「アヤメさんは新入りじゃないですよー! だって後ろにあともう一人新人がいますし!
そうそう、ここにはいないんですけど、アジサイさんって司書がもう一人います! とっても陽気に関西弁を話す外国の方ですね!」
クロッカスの説明に、にんまりするダリア、すっと目を細めるヒナゲシとシオン、そしてツバキ。まだ彼の本性は知れ渡っていないがゆえの認識の差異である。
一同自己紹介を終えると、そういえば、と言ってアザレアが隣に座るシオンに声をかけた。眠たげにしていたシオンがはっと顔を起こす。
「なに、アザレア」
「美香は?」
「みか……あぁ、美香ね……美香じゃなくて『アザミ』。彼奴は司書ではないし、僕らの預かり知るところでもない。彼奴は自分の力を好き勝手奮ってるだけだから」
「はは、彼奴らしいな」
「後は、僕は館長代理だから、本当の館長がいる。名前は『ミカン』」
「あーはいはい、彼奴ね、分かった分かった」
二人の会話のスムーズさには、司書たちも首を傾げざるを得ない。何にせよ、二人にしか分からない情報網だと諦めてしまうのだが。
それだけ話し終えると、ようやくぐすぐすと泣いていたシオンが正気に戻り、眼鏡を掛け直す。そしていつもの威厳を取り戻したようで、諸君、とヒナゲシのような口上で話し始める。
「僕の『本当の』兄だ。よろしく頼む」
「あー、つっても、俺とサザンカさんには現実の生活があるので、あんまり司書の仕事には参加しないつもりだ。その分金は入れるさ。いくら現実逃避しても仕事はしなきゃだしな」
「えー、俺はもうここに住みたい……仕事しなくていいし……」
「そ、それはー……はは、サザンカさん次第かなァ……」
サザンカに頭が上がらないアザレア、カトレアに頭が上がらないシオン。双子らしい類似性に、思わずヒナゲシは小さく笑ってしまうのだった。
シオンはカトレアの手を握ったまま、では、と静かに言う。今度はアザレアの方に寄りかからず──まるでハルジオンが乗り移ったかのように──隣にいるアザレア同様、肝の座った姿に戻るのだった。
「諸君、我々は仕事に移るとしよう。案内はクロッカスとアヤメに任せよう」
「え、えっ、私でいいんですか……?」
「大丈夫ですよー! このクロッカスさんがいれば万事解決! ですっ!」
「だそうだ。アヤメ、頼んだよ。
僕は溜まっていた仕事をこなしに部屋に戻る、酷く溜めてしまっていたよ。用があったらノックして入室するように。
……カトレア、行こうか」
シオンはアザレアに一瞥したあと、ほんの少しだけ頬を緩ませ、ようこそ、と言って背を向けた。
ここでは、シオンは館長代理だ。彼にもまた仕事がある。アザレアは新人で、シオンは管理者。この関係に相違は無い。そこは理解しているのか、アザレアも、さて、と言ってサザンカの手を握って立ち上がり、アヤメに向かって王子様のような笑みを向けるのだった。
「アヤメさん、案内していただいても?」
「えっ、そんな、敬語なんて……」
「俺は新入りなんです、アヤメさん。それに、俺は女性に親しくするタイプじゃないんだ」
「そうだよっ、アヤメちゃん、心配しなくていいよ! 瑠衣く……アザレア君はいっつもこんな感じだから! カッコいいよねぇ……!」
「あ、あはは、そうですね……」
アヤメがすっかり二人のペースに乗せられ、クロッカスは陽気に案内を始めるものだから、司書たちも暗黙のうちに解散し、各々の仕事に戻っていくのであった。
司書長のヒナゲシだけは、とある本棚の前に立ち、背中を預ける。その隣にツバキが寄り添い、如何なさいましたか、と穏やかに問うた。
「シオンが乗り越えてくれて良かったなぁと思うのと、これもきっとアザミの悪戯なのだろうなぁと思うのと。また一歩、僕らは前に進めましたね」
「そうですね……あの人、データを改竄して送りつけてきましたから。それほどまでに、アザミもまた、シオンさんの幸せを願っていたのでしょう」
「僕らもみんな、願っていましたから……僕らを救ってくれたあの人が救われることを」
ヒナゲシはそう言って嘆息を吐く。
図書館長代理が引きこもるようになって、図書館内にも迷走の波が押し寄せた。だが、各々が各々なりにそれと向き合っていた、そんな期間であった、とヒナゲシは回想する。無論、その先端にはいつも自分がいて、自分が彼らを照らしてきたのだという、まさしく傲慢にも満ちた自信と責任感があるのだが。
ツバキも、袖で口元を隠し、ふわりと笑って見せる。
「私も、ずっと前からあの人を見ていましたから」
二輪目の司書・ツバキ、三輪目の司書・クロッカス。二人はアネモネ図書館創立当時からシオンと共に寄り添い、ハルジオンと共に寄り添ってきた。そこに新たな風が吹き、ヒナゲシという動力を糧にして、アネモネ図書館は発展してきたのだ。
二人はそんな様を思い浮かべながらも、長くはその余韻に浸っておらず、仕事しましょうか、というヒナゲシの言葉を境に、本を運び始めたのであった。
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