フタリゴト

「御機嫌よう、アヤメ」

 黒髪が大きく広がり、黒いハイヒールがカツンと音を立てる。暗闇から形も無く現れたソレは、黒い魔女帽を少し傾け、白い肌に埋め込まれた二つのルビーの目を光らせた。

 アヤメは小刻みに肩を揺らすと、口元に手を当て、唇を震わせた。腰を抜かしてかくかくと振動するアヤメを見下ろすと、アザミは喉を鳴らし、赤い口紅を月の形にして見せた。

「あ、あわわわ、びっくりしましたよ、アザミさん⁉︎」

「あははは、えぇ、まったく、元気そうで何より」

「出てくるなら普通に出てきてくださいよぉ!」

「あはははは……はぁ、立ちなよ、いつまで尻餅ついてンだよォ」

「脅かしておいてそれは無いと思います……!」



「紅茶、出しておきましたよ。シュガースティックは何本にします?」

「三本」

「アザミさん、糖尿病になっちゃいますよ……」

「バカ、魔女に健康なんて関係あるかよォ。砂糖無しでこれを飲めるとか、茶葉まんま舐めてろって感じ」

「緑茶も駄目ですもんね、アザミさんは」

「クソ苦い。あんなもん飲みもんじゃァねぇよ」

 アヤメは袖先を少し捲り、シュガースティックの封を開ける。白い粉がさらさらと落ちていくのを、アザミが期待を込めたキャンディの目で眺めている。口を尖らせて大人しく座って待っている魔女に、アヤメは眉をハの字にしてティーカップを差し出した。

 細い針金に布を巻きつけたような白い指でカップに指を掛け、口を付ける。あちぃ、と呟いて片目を細めるアザミの対面で、アヤメはクスクスと笑った。

「笑ってんじゃねェ」

「かき混ぜないと冷めませんよ」

「ティースプーンが欲しい」

「はい、どうぞ」

「有難う」

 アヤメの差し出した銀のスプーンを丁寧に入れると、くるくると回しながら、アザミは長く息を吐いた。

 椅子に足を揃えて座るアヤメと、緑色のソファでアルパカのぬいぐるみを抱きながら足を組むアザミ。アザミが仰いで見上げるほどの身長差であれど、二人は同い年だった。

「どうしたんですか、アザミさん」

「んー、なんか行き詰まっちまってさァ……まァ、他人を救うのに行き詰まった、って言うべきか」

「いつも思いますが……本当に優しいんですね、アザミさんって」

「優しいんじゃァねェよ。ただ他人を救う自分に酔ってるだけ。だから、ボクがこうして行き詰まってんのは……はぁ……」

「話してみてくださいよ、アザミさん」

 嫋やかで淑やかな笑顔をたたえ、アヤメは自分の膝の上に手を合わせた。紅の着物に、白い手先。微笑むは玉虫色の宝玉の虹彩。彼女の微笑には、お香の香りが孕まれていた。

 アザミは鋭かった目つきを緩め、もう一度長く長く息を吐く。幸せの逃げていく憂いげな溜め息だった。

「自傷に酔ってる変態野郎がいてさァ……」

「はしたないですよ」

「知るかよォ。其奴はまァ、他人に頼られることでしか生き甲斐を感じねぇんだとさァ。だから、他人にも自分にも、多少の無理は『仕方無い』で押し通す人間の屑だよ」

「なんだか、アザミさんみたいですね」

「アンタ馬鹿にしてんのかァ?」

 片眉を上げ、アザミは皮肉を込めて口角を上げる。その声色は決して威嚇し吠える狼ではなく、日向で伸びをする猫のような甘さを帯びている。

 されど、アヤメの顔つきは変わらない。きりっと眉を上げ、アザミをじっと見つめ、背筋を張っている。

「アザミさんは、他の人を助けたいからってこうして悩んでます。それって自傷行為に近いと思います」

「……ハッ! ホントアンタ、良い目してるよなァ」

「そ、そうでしょうか……?」

「まァいい。ってわけでさ、其奴は都合の良さを売りにして生きてるわけ。『自分は役に立ってます!』ってアピールばっかりでクソ鬱雑いわけ。

『あなた方はこんなに身を削れないと思いますけど、わたくしはこの共同体のためならこれだけ身を削れますわ! 評価されて然るべきですの!』」

「その声どこから出てるんですか……」

 アザミは喉に手を当て、ワントーン高い声でそう言う。鼻を高くして、顎を上げて。アヤメは苦々しく笑いながら、緑茶を入れたコップに手を置いた。

 また長い溜め息だ。アザミはへにゃりと曲がった魔女帽の先を指先で弄りながら、息と共に肩を落とす。

「くっだらねェ……」

「アザミさんは、そうやって他の人の努力を馬鹿にしない人だと思ってました」

「馬鹿にしたかァねぇよォ。だってその先が何にせよ『死』にせよ、それなりに頑張ってんだぜェ? 他人の努力は馬鹿にされて良いわけが無い。だがなァ、頑張って自殺する輩を見てると、なんだ、嗚呼、嫌になんだよ。

頭では分かってんだよ、それでもああいう輩がボクに救いを求めてくるのを見ると、なんつーか、虫唾が走る」

「アザミさん。アザミさんは、一人の人間なんですから。好き嫌いがあったっておかしくないですよ」

 アザミは目蓋を持ち上げ、座高の高いアヤメを見上げる。アルパカのぬいぐるみに頬を埋め、気難しそうな顔をしたアザミに対し、アヤメは春風のような微笑みを返す。

 桜のようにはらはらと、ひらひらとした緩やかな声で、アヤメは続けた。

「それに、きっとアザミさんに似てるから、どうしたらいいか、分かっちゃうんだと思うんです。それでも向こうは分からないから、あなたに自分の切り傷を自慢してきます。だから、苛々してしまう。

そんな切り傷に何の価値も無いと、アザミさんは思うんですよね」

「よく分かってんなァ……ボクが好む切り傷は、自らを光らせるためにのみある。自分を可哀想で健気に見せるためじゃねェ。ボクが好きなのは、そういう奴らだ」

「アザミさん、人に頼るのが下手ですから。嫉妬してるのかもしれません」

「チッ……あーあ、嫉妬かよ。くだらない……」

 アヤメは垂れ目を細め、アザミににこりと微笑みかける。

 アザミはアルパカのぬいぐるみの頭に顔を伏せ、低い声で小さく呟いた。くだらない、くだらない、と繰り返し、綿の頭に刻み込むように、殺意の刃を──怒りでもなく、哀しみでもない、虚しさで出来た刃を突き刺した。

 アヤメがアザミの友達であるのは、このとおり、彼女が類稀なる慧眼を持っているからだ。アザミも、ヒナゲシもそうだ。盲目に闇の中を彷徨い歩くことなど、彼女にはあり得ない。彼女はただ、二つのエメラルドの目を煌めかせて、迷宮の中を灯火と共に歩く──そんな人間だと、アザミが考えているからだ。

 ときに、アザミはアルパカの顔から少し顔を見せ、捻くれた細い目つきで遠くを見やる。魔女の目はアヤメを通り越して、その人物の姿に向けられていた。

「──『わたくし、頑張ってますわ』なんて言って認めて、褒めてもらえる人間が、妬ましいのかなァ……」

「アザミさんは、本当に可愛らしくて、優しくて、素敵な人です。あなたに助けを求める人を、そうやって見捨てないでなんとか折り合いを付けようとしているのは、褒められていいんじゃないかなって思うんです」

「『可愛らしい』、かよォ……魔女の威厳が廃れるんだけどォ。魔女サマは気紛れで人間を救っているのであって、別に慈悲深くも優しくもないんだがなァ。褒めてもらいたいわけでもねぇし」

「『気紛れ』って言えてしまうところが、アザミさんの凄いところで、強がりなところだと思うんです。普通の人間なら、全部自分のおかげにして、相手に恩を売り付けてもおかしくないのに……自分の傷口は隠しちゃうんですから」

「……魔女サマ、だから……ボク」

 ぽたり、と、言葉が落ちた。酷くか弱い、女子高生の声だった。

「……うまくやっていかないと、なァ。ああいう奴らは、称賛と評価と、後はちょっとの心配をぶち込まれるのが一番気持ちイイんだよ。『本当に頑張り屋さんだよね』『みんなあなたのこと信頼してるよ』『でも、無理しないでね、ボクはちゃんと見ているから』……そんな言葉をかけてやりゃァ、すぐ落ちる」

「……アザミさん」

「分かってんだよ……分かってんだよなァ。クソッ、唖々、面倒臭ェ。人間なんて大嫌いだ」

「でも、アザミさんは私と仲良くしてくれてます」

 溢れた言葉を、アヤメの大きくしなやかな手で受け止める。彼女は手を伸ばし、アザミの小さくて華奢な手に重ねた。アザミの大きな目が、その手をただ、見つめていた。

「私、クロッカスさんとは仲良くできてますけど、でも、仲良く話せる友達っていなくて。時々寂しくなっちゃったりもするんです。でもこうやって、アザミさんと話していると、とても楽しいです」

「……ハッ、ボクは人間でも少女でもないのに。口を開きゃ、暴言ばかりなのに」

「でも、アザミさんは私の言うこと、ちゃんと聞いてくれますから。聞いていてくれるだけで、本当に嬉しいんですよ」

 ゆらり、と、アザミの赤目が揺れた。アヤメの体温が、人工で出来た冷たい手に染み渡っていく。アヤメはアヤメで、頬に赤を差していた。幼い、純真な笑みで、アザミを捕らえて、捉える。

「アザミさん。たとえそれが美徳なんだとしても、あまり無理しすぎないでください。アザミさんが哀しいと、私も哀しいです」

「……はああぁ……善人もここまで来ると馬鹿だよ」

「善人じゃないです。私、アザミさんと同じ状況になったら、『ぐだぐだ言ってんじゃねぇ、気持ち悪りィんだよ、死に急ぎ野郎』って言っちゃいますもん」

「あっはははは……そうかい、イイなァ、それ」

「言っちゃいましょうよ」

「っは、言わねぇよ、馬ァ鹿」

 甘い砂糖菓子で出来た罵倒が、アヤメの胸を小突いた。アザミの顔が砕けて、破顔して。アザミは口を大きく開けて、あははは、と揺れる声で笑う。

 二つの笑い声が、紅茶と緑茶が、赤と緑を成す。小さな部屋にこだまする。その声は、防音壁で遮られ、外には聞こえない。誰も二人の会談を知らない。二人の声を聞くアルパカのぬいぐるみの目が、爛々と輝いていた。

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