背信と高慢の交差点

 現世のゲーセン行かへん、とアジサイが言った時は、ダリアも流石に大笑いしてしまった。ダジャレのつもりなん、それ。アジサイは目をぱちくりさせて、ダジャレやった、とまた尋ねたので、ダリアはよりいっそう愉快そうに笑った。

 ゲームが好きな二人にとって、ゲームセンターは天国そのものだった。アネモネ図書館を煉獄と称するなら、現世は地獄であり、ゲームセンターは天国だ。

 ウェルギリウスの案内は無い。二人は罪を洗い流し切ったような顔をして、不敬にもそんな天国に赴く。

「っはー! これだよこれ、この匂いがいいんですよ!」

「日本のゲームセンターはほんまカラフルやんなァ。特にパチンコとかメダルゲームんとこ」

「電気の無駄遣いですよねェ。でもこれで面白いんだから罪ですよ」

 ダリアは頬を赤らめ、伽藍堂で密閉された箱に響き渡るゲーム音に興奮する。ソレが現世を訪れるのは、死んで以来初めてだった。肉を見せられた狐と同じ様で、素早く筐体に近づいていく。アジサイもそれについていけば、一つのゲームに辿り着いた。

 音楽ゲームの一つ、ダリアが生前最も愛していたゲームだ。ソレはパーカーのポケットから財布を出すと、あったかなァ、と言ってカードを探り出し、それをかざす。その様を、アジサイはぽかんと口を開けて眺めていた。

「ゲームするん?」

「アジサイもやる? 身体動かす系ゲームだから、得意そうだし」

「……ま、ダリアと一緒やし、恥ずかしくないやろ。チュートリアル挟んでな?」

 誰も来ない深夜のゲーセンにて、クレジットを重ねていくうちに、アジサイはみるみるうちにゲームに慣れていった。音感に自信のあるダリアと、体力に自信のあるアジサイ。煽るようにダリアが踊れば、喰らい付くようにアジサイが踊る。

「センスいいねェ! さっすがスペイン人!」

「それは関係無いねんけどな!? これ、めちゃめちゃ楽しいわ!」

「そっかそっか! じゃ、もう一クレ!」

 二人は次第に高難易度曲をやるようになって、フルコンボを達成すれば二人でハイタッチをしていた。

 さて、一時間ほどセッションを重ねると、いよいよダリアも息が上がった。簡単な曲から始めたとはいえ、三十路の身体には応えるものがあったのだろう。とはいえ、アジサイもアラサーなのだが。

 二人はゲームセンターを出ると、深夜で静かになったレストランに向かった。随分と遅い夜食だ。ダリアは差し出されたお冷を飲み干すと、椅子に深く腰掛けて大きく息を吐いた。

「っはぁ……最ッ高でしたねェ。たまには現世に来るのもいいもんですね」

「俺はいっつも現世におるからなァ。でも、ゲーセンに一人で行ったことは無いねんな、恥ずかしゅうて」

「気にしない気にしない、あーゆーのはそのうち慣れるもんですよ」

「そ? 俺なんか後ろに人おったら恥ずかしゅうて踊れへんわァ」

 ケラケラと笑うダリアに、口元を隠して微笑むアジサイ。酔いどれの大学生、社会人の隅、二人は隔離された場所で楽しんでいた。

 頼んだのは、フライドポテトとビール。アジサイはダリアの酒への弱さを──否、酔い潰れるタイプなだけだ──知っている上で、その注文を良しとしたのだった。

「ひひっ、酔い潰れないようにしますから、大丈夫大丈夫」

「まぁまぁ、俺が見とうから安心しぃや。それに、酔い潰れさしたらシオンに何言われるか分からんからな……」

「皆シオンのこと怖がるけど、そんなにあの人って怖い? 言うほど怖くないですよ?」

「それはお前さんが耐性持ちだからに決まっとうやんか。あのキキョウだってシオンに怒られたら泣くやろな」

「あはは、言いすぎ言いすぎ」

 二人の談笑を挟むように、女性店員が二人の間にビールとフライドポテトを置く。アジサイはポテトを摘むと、ケチャップをたっぷり乗せて一口で食べる。うまいなァ、日本のフライドポテトは、などと言うアジサイに、ダリアは上機嫌そうに笑った。

 ビールに手をつければ、ダリアの顔がまた赤くなり始める。えへへ、と笑っているダリア、ビールはそんなに飲まずにフライドポテトを食べているアジサイ。しばらくの間、二人に会話は無かった。

 アジサイはふと、手を止めると、へらへらと笑っているダリアを、鋭いペリドットの目で見つめた。

「……まさかあんたが俺との誘いに乗ってくれるなんて、思ってなかったわァ……」

「えぇー? なんでぇ?」

「ほら、その……この間、酷いこと言うたやんか、俺」

「えぇー? なんだったっけぇー?」

 にぇへへ、と愛くるしく笑うダリアとは反対に、アジサイの顔は酔いの欠片も見せない。フライドポテトの皿を見ながら、真剣な顔をして静止しているのだった。

 ダリアは頬杖をつくと、目を弓形にして、そんな俯くアジサイを眺めていた。そこに他意は無いように見える──流石に目は据わっているが。

「なぁに、あらたまってー」

「……ほんまに気にしてへんの? 俺にはそうは思えへんのやけど……」

「おもえないだけじゃないかなー?」

「……気にしすぎ?」

「きにしすぎー」

 ブイサインを作ってみせるダリアは完全に酔いが回ったらしく、二杯目のジョッキを追加していた。ろくに飲みもしないまま溶けていく氷を眺めているアジサイは、藍紫色の溜め息を吐いた。

「そ、ならえぇねんけど」

「しんきくさいなー」

「でも、一応謝っておくわ。あんときは、ごめん」

 アジサイの眼差しが、しっかりとダリアを捉えた。ダリアは沈黙したまま、それを緩い烏色で見つめ返す。そこに光は無い。

 返事が無いと、アジサイは困ったように目を逸らし、先程までの罪悪感をすっかり潜めた。冷めた目で横を見遣り、ジョッキの口を掴む。

「あー、もしかしてあんた、自分に都合の良い話しか覚えてないパターン?」

「うふふ、そうかもねぇ」

「……怒るとか、泣くとか、そう思っとったから」

「そうしてほしかったァ?」

「分からへんわ。でも、覚えてないってのが一番タチ悪い」

「あのさァ、僕は謝んないんだよね」

 は、と訊き返せば、ダリアは手にナイフを握って、フライドポテトに真っ直ぐに突き刺した。カツン、という大きな音がして、アジサイは思わず手を引く。

 アジサイがダリアの顔を伺う。ソレはにこりと笑っていた。

「だって、僕が悪かったことって無いし。悪くなかったら謝る必要って無いよね」

「……自分に非があったとか、考えへんの?」

「考えるわけ無いじゃん。だっておとーさんが言ってくれたし」

 突き刺したナイフで、ダリアは口にフライドポテトを運んだ。味薄っ、と言って、口を尖らせて塩を振りかける。あ、と声をかけたアジサイの抵抗も虚しく、粉がポテトの表面で煌めいている。

 ダリアはポテトを飲み込むと、ビールに口をつけ、ジョッキの半分を飲み干す。

「僕がしていることは悪いことじゃない。僕は悪いことをしないように育てられたから」

「……そ、じゃあ逆は?」

「ぼくはあやまんなくていいとおもってるよー? だってあじさいはなにもわるくないじゃーん。なんでわるいことしてないのにあやまんなきゃなんないわけ? いみわかんない」

「ダリア。俺は、お前の人格を悪く言った。せやから、謝るに値するんよ」

 アジサイが手を膝の上に置き、哀れむような目で見下ろせば、ダリアは得意げに鼻を鳴らし、手を開いた。

「アジサイは律儀だなァ」

「……あのな、ダリア。普通は他人に人格を否定されたら、怒ってえぇねんで」

「えぇ? なんでぇ? たにんのことばなんてかんけーなくない?」

「あんた、ほんまに他人に興味無いねんな」

「無いよー。僕には関係無いしー?」

「俺はそこが異常や、理解できひん、って言ったつもりやねん」

 ダリアの目がじろりとアジサイを見る。アジサイも冷めた目をしていた。熱っぽいダリアとは逆に、ビールの氷が溶け切るまで彼は冷たかった。

「自分を悪く言われんのは嫌なんとちゃうか……? いや、それも気にならへんのか?」

「あじさいくんがなにもとめてるかしらないけどー、僕は他人が思うよりまともだよ?」

「……あー、あかんわ、考えただけ無駄やったわ」

「あはっ……なんか、ごめんねぇ?」

 アジサイが顔を上げる。ダリアは穏やかに微笑んでいた。夜空のオリオンのような、冷たくも常に微笑むそれのような──彼は息を呑んだ。

「あんまし僕、面白くないかも」

 疲れたような笑顔。あどけなく掴めない笑顔。いたいけで、憂げで、殊勝な笑顔。

 アジサイは再び目を逸らした。彼は識別できない灰色に似た、鬱々しい顔をしていた。

 ダリアはもう、二杯目のジョッキを飲み終えて疲れ果てていた。うつらうつらと首を動かし、壊れた喋る人形のような様でアジサイを見つめている。彼は意を決したように立ち上がり、一口も飲んでいないジョッキを置いて、ダリアを立ち上がらせた。伝票を握る手に、微かに力が入る。

 そんなダリアを肩に担ぎ、アジサイが会計を済ませると、二人は夜風に晒される。冷えた風が吹けば、ダリアは身体の大きなアジサイに寄りかかりながら、うへへへ、と楽しそうに笑った。

 アジサイは、ソレの顔を見ないまま、静かに語りかける。

「ゲーセン、楽しかったで。また来ような」

「うひ……いいよぉ」

「俺さ。お前のこと、化け物だと思っとうよ」

「いいよいいよぉ、きにしないきにしなーい」

「でも、お前のこと、嫌いやないで」

 ダリアはぽつり、と笑うと、そのまま眠り込んでしまった。がくん、と崩れるバランスに舌打ちをすると、苦笑を浮かべながら、されど嬉しそうに、アジサイはダリアの身体を背負って歩き始めた。

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