絶対王政宣言

「生き返りたくなんてありませんッ!」

 ダリアとヒナゲシは、頽れる少女の前でぽかんと口を開けた。

 シャンデリアが照らす下、赤いベルベッドのソファが二つ、片方には麗人が二人、片方には腕からだらだらと血を流した少女が一人。沈黙する本に囲まれて、三人は向かい合っていた。

「まぁまぁ、落ち着いて。さっきも言ったとおり、記憶は消せますから」

「記憶を消したって、あの家に戻るだけ……! 学校だって変わらない! あんなところ、地獄なのッ! あんなところに行きたくない!」

「そんなに嫌な場所だったんですか?」

 ダリアは微笑をたたえ、涙を流す少女を、光の無い黒目で見つめた。不変で安定した笑顔。少女はそんなダリアの顔を見ることもなく、ワイシャツの袖口で強く涙を拭う。血で汚れて茶色くなったワイシャツは、もうびしょびしょになっていた。

 少女は黒髪を震わせ、こくこくと強く肯く。唇から小さく息を漏らし、か細い声で答えた。

「何をしても、悪い子だ、って言われて、殴られて、テストでいい点取らないとご飯食べさせてもらえなくて、お母さんを怒らせたら家に入れてもらえなくて、お父さんを怒らせたら蹴られて、」

「……なるほど? アンタを都合の良い人間に仕立てようとしてたわけですね?」

「そう、そうなの、あたしのことなんてどうでもいいの、あのクソ親はあたしを都合の良いお人形にしたいだけなの! だから死んだ! 彼奴らの顔に泥を塗ってやりたかったから! 子供が自殺した親なんて聞いたらきっとみんなから嫌がられる! だから生き返ったら意味無いのッ!」

 少女は揺るがぬ目でダリアを睨みつける。眉間にシワを寄せ、若々しい顔を悪鬼の如く歪める。彼女の瞳に憎しみの炎が燃えているのを、ダリアもヒナゲシも理解していた。

 されど、ヒナゲシは口を出さない。彼はあくまで司書長であり、今回の業務を担当する司書ではないからだ。彼がダリアの隣に座っているのは、ひとえに彼の老婆心ゆえである。

 言葉を促すようにヒナゲシが甘い目をダリアに向ければ、ダリアは小さく笑い声を上げ、赤い頬で少女に優しく話しかける。ヒナゲシはその様に、思わず呆れて溜め息を吐いた──彼は目の前の少女の「憎悪」に、心底興奮していた。

「それで……何でアンタが死ななきゃ復讐できなかったんですか? 自殺未遂ってだけでも充分だと思いますよ?」

「それじゃあ意味無い……! 生きてたらまた彼奴らに『良い子』にされる! どうせあたしが死のうとしたことも隠される……ッ、それじゃあ意味無いの!」

「良い子、ねぇ……アンタは『悪い子』なんですか?」

「……ッ、そう……あたしは『悪い子』だから躾するんだって、クソ親は言う……学校でも苛められるのは、あたしが『悪い子』だからって……」

 少女の顔から、ふっ、と憎悪が消える。一瞬でその顔は曇り、俯き、不安に染まった。黒い髪の隙間から、ゾッとするほど青ざめた肌が覗いていた。

 ダリアはふと、自分の腕に目を向ける。白い包帯が強く巻かれている。それは決して厨二病などではなく、彼自身の傷を隠すためだった。

「……あたしは……あたしが苛められるのは、あたしが『悪い子』だから……馴染めないのはあたしが『悪い子』だからって彼奴らは言うの……だから、クソ親から逃げたところで、あたしの居場所なんて無い……」

「本当に? 友達とかはいないんですか?」

「……いない……友達の作り方も分かんないし……他の子が話してること、ドラマとか、アニメとか、よく分かんないんだもん……親が、テレビ見せてくれないし、スマホ買ってくれないから」

「……そう、ですか。本当に居場所が無いんですね」

 少女が押し黙る。ダリアも微笑みを浮かべてはいるが、言葉を失っていた。

 そのまま沈黙が続き、ヒナゲシが心配そうにダリアの名を呼んだ。返事は無い。彼はずっと自分の自傷した腕を、「矯正」してきた腕を眺めていた。

 沈黙に耐えかね、ヒナゲシが少女の名を呼ぶ。少女は窶れた顔で、その淡麗な青年を見つめた。その瞳に希望も期待も無い。あるのは滞りだけだ。

「あんたから記憶を貰うとしたら、いっそ全ての記憶の方が良いかもしれません。発話能力や教養はそのままに、人間関係全てを忘れる、とか……」

「……そんなの、認知症の人と同じじゃん。彼奴らに馬鹿にされて、殴られて……しかも、あたしはあたし自身のことを忘れて……もっと惨めなことになる……」

「……そうかもしれませんが、生きていれば、きっと……」

「そんなわけ無いじゃん……! あたし、聞いたよ……ここの人、みんな自殺したんでしょ⁉︎」

 ヒナゲシが少女の言葉に押し黙る。みんなとは言わないが、ヒナゲシとキキョウ、そしてダリアは確かに自殺している。また、ヒナゲシしか知り得ぬことだが、この図書館を見守るアザミもまた、何千回と自殺してきた人物だ。少女は黒真珠の目で、絶望を突き刺すようにして吠えた。

 ダリアは俯いたまま、黙り込んでいる。その顔に僅かな落胆が見えたような気がして、ヒナゲシはダリアと代わる気でいた。

 伸ばした手は払い退けられる。ふははは、と低い声が聞こえてきた。ヒナゲシが一瞬固まる。ダリアは口を開き、黒々とした深淵の如き笑い声を上げる。彼は顔に手を当て、大きくのけ反る。

 その様に憤慨した少女が、何よ、と唸れば、ダリアはがくん、と顔を下ろし、手を離した。目を見開き、大きな瞳孔で少女を見据える。ピエロの笑顔。少女が微かに首を引いた。

「馬ッ鹿じゃねぇのォ……?」

「ば、バカ、って……ッ!」

「あっははははははァ! それでェ? アンタ、親にヘコヘコ頭下げる良い子ちゃんなわけ? マジでウケる。それだけ?」

「違う! あたしは復讐を、」

「アンタ、死ぬだけでなーんの利益も無くなァい? 親がどうなるかも見られないんですよォ? バーカ、馬鹿だよアンタ、傑作だッ!」

「ふ、ふざけないで……!」

「そんなクソ親がアンタの死くらいでどうにかなると思ってんのォ? 学校の人が、近所の人が、アンタの自殺に心を痛めると思ってんのォ⁉︎ 超ウケる!」

 ダリアは腹を抱え、キイキイと喉を鳴らして笑い転げる。ヒナゲシは視線をダリアに向けた後、ぎゅっと自分の手を握ると、何事も無いように前だけを見据えて座り直した。

 少女がわなわなと唇を震わせ、何かを言いたげに動かすのだが、ダリアはそれを遮るようにして、狐のような三白眼で見上げるのだった。

「あのさァ。そんなクソ親共が生きてて良い世界じゃ、なくない?」

「……えっ」

「彼奴らがさァ、自分に泣きながら許しを乞うてくる様、見たくない? 『わたくしが間違っておりましたわ! どうかお許しくださいませ!』って!」

「そ、それは……」

「いいの? 笑われっぱなしだよ? 怒られっぱなし。クソつまんなくない?

彼奴らのこと、搾取してやろうよ。搾りカスになるまで利用してやろうぜ。あんな有象無象共に頭下げて、恥ずかしくないの? アンタ、豚に頭下げて泥に顔突っ込んでるみたいなもんだよ? 『雌豚様の仰るとおりですわ、わたくしは愚民でございます』ってさァ?」

 人差し指が少女に向けられる。口元を隠し、ダリアは肩を竦めて笑いを堪えるのだった。

 そして、目を細め、一笑。

「……そんなん、クッソダサいよ、アンタ!」

 少女の目に、ぎらりと燃えるような炎が宿った。漆黒の炎。バチバチと音を立て、高く上がる。その炎は、家を燃やし尽くす。黒く煤になって、灰になるまで、喉が煙で焼かれるまで、ずっとずっと燃え続けて──全てを飲み込む炎が、彼女に宿った。

 ダリアは脱力し、俯いたまま、壊れた人形のようにぷつりぷつりと嗤う。彼は包帯を巻いた自分の腕をなぞり、肩を揺らした。

「ダッセェ。豚の子は豚かよォ。そりゃさっさと死んだ方が良いよなァ。時間の無駄だよ、ブーブー鳴くクソ豚に時間を取られるなんて、」

「あたし、生きるよ」

 ヒナゲシが厳しい顔つきのまま、少女を見張る。俯いてクククと嗤っているダリアをよそに、ぎらつく炎を抱いた黒真珠にちゃんと映るように、記憶を刻み込む本を見せた。

 記憶を刻み込み、保管する。その代わりに、もう一度生きるチャンスを与える。それが、アネモネ図書館の決まりだ。

「では、ここに刻む記憶を」

「……あたしは……あたしは、ここでのことを忘れたくない。そのおじさんの話はムカつくけど。だから、代わりに彼奴らがあたしにした所業を忘れる」

「良いのですか」

「復讐心だけは、絶対忘れない」

 少女は自分の服の袖を握り、眉を吊り上げて、ヒナゲシを射抜くように見つめた。

「彼奴らを、絶対跪かせてやる」

 ヒナゲシは鼻を鳴らし、小さく息を吐くと、宜しい、と答え、少女の小さな手を本の上に乗せた。次第に少女の姿は光の泡になって、ふわふわと浮かんでいく。白く、黄色く発光する彼女の残滓は、やがて黒く黒く染まり、それはまるで灰のように降り注いで消えていく。ヒナゲシはその様を、胸に手を当てて見送った。

 記述が終わると、ヒナゲシは隣で震えるダリアの肩に手を回し、昴、と穏やかなマフィンの声をかけた。顔を上げたダリアは、無表情をしている。

「……もう、可愛い後輩なんだから!」

 ヒナゲシは破顔し、ダリアを強く抱きしめた。そしてその頭を撫で、よしよし、とシュガーキャンディの甘い言葉をかける。ダリアは眉を潜め、その甘ったるさに胃もたれした患者のような顔をした。

「気色悪いんですけど」

「よく耐えましたね、ダリア。辛かったでしょう、苦しかったでしょう」

「別に。他人事なんで」

「でも、酷い親を持っているのは一緒だったでしょう? そんな彼女に火を付けられたのは、あんたのその傲慢さゆえです。あんたはよくやりました、本当に偉いね……」

「気持ち悪い! あーもう、離してくださいマジで」

 大人しく手をはすと、ダリアは肩を払ってぶすっとした顔でヒナゲシを見つめ返す。ジト目に結んだ口、その様により一層ヒナゲシの笑顔は増すのだった。

「被害者になってるくらいなら、復讐すれば良い……そんなのは、僕じゃ思いつきませんから」

「やられたらやり返すだけでしょう、何か変なことでも?」

「だって、それじゃああまりにも可哀想じゃないですか」

「うわー、マジ無理そういうの。僕を苛めた奴は不幸になってトーゼンだと思ってるんで、僕」

「ふふ。そんなあんただからこそ、救える命もあるってことです」

 ダリアは横髪に指を絡め、大きな溜め息を吐きながら、そんなもんですかねェ、と小さな声で呟く。

「僕はただ、自分の仮面を守っただけです」

 冷たく、静謐な、湖に一雫溢れたような、そんな声色だった。ヒナゲシは、その言葉の波紋に酔う。もう一度抱きしめようとしてダリアに拒まれた。

「えぇ、存じておりますって。だから、僕も守る方向にシフトしましたから」

「……言い方がムカつく」

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