【不適切な発言】

「センパイってホントお人好しですよねェ」

「もう何百回も聞いた気がするんですけど」

「あはっ、もう何百回も話してるってことですかァ? センパイも物好きですよねェ」

「あんたの方こそ物好きですね、こんな老人に凝り性も無く話しかけるなんて」

「老人って。十五歳しか変わりませんよ、僕ら」

 ダリアとヒナゲシの二人は庭園の花を見ながら、煙草を口に咥えて、ほとんど同時に煙を吐き出す。笑い声に混じり、ニコチンの香りがする。ダリアが重たい葉巻を吸っているのに対し、ヒナゲシは軽めのシガレットを吸っている。

 ヒナゲシは煙草を一本で終いにすると、幸せそうに煙を吸っているダリアを横目に、溜め息を吐いて頬杖をつく。

「物好きなのはそっちですよ。もうここに来て一年は経ったでしょうに。毎日毎日話すネタが尽きなくて結構ですね」

「まぁ、面白いコンテンツも日々やってきますからねェ。飽きませんよ、この仕事」

「自殺志願者をコンテンツだなんて呼ぶんじゃありません」

「あはは」

 ダリアは目を細め、快活に笑う。言葉以外は可愛らしい後輩面。ヒナゲシはいつもの困り眉で、鼻を鳴らす。これが普段どおりの二人の会話だった。皮肉と諧謔、叱責と子どもじみた戯言。警察に所属していた頃から変わらぬ、仲の良い先輩後輩らしい会話。

 ヒナゲシは遠い目で花を見やっていたが、ふと、ダリアの方に視線を向ける。三十路には見えないほど若々しく、トレンドに乗ったパーカーの袖からは、長々と巻かれた包帯が見える。

 ダリアは、ヒナゲシと話すときのみ、この腕を気にしない。普段はいつでも長袖を着込んでひた隠しにするのだが、彼だけはダリアの自傷癖を知っている。死ぬ前も、ここに来てからも、彼のその悪癖は止まることを知らない。細い腕が肘まで切り傷だらけで、いつも赤黒い。

「あんた、いつになったら自傷癖やめるんですか」

「え? センパイが言えた口じゃないでしょう?」

「僕はやめましたよ」

「嘘だァ」

「ほら」

 ヒナゲシはニットの袖をまくり、ダリアに白い肌を見せつける。ここに来たときは死人のように、否、死人らしく細かった腕には、少しずつ筋肉が戻り始めている。そして、切り傷の白い名残が残るのみだ。ダリアは目を丸くして、偉いですねェ、とけろっとして答えるのだった。

「気がつけば、また細マッチョになってますね、センパイ」

「まぁ、そりゃあ日々鍛錬してますから。頭は悪いけど、腕っ節がいいのが僕の取り柄だったので」

「本当にィ? その力、なーんにも役に立たなかったのに」

「忘れた過去を掘り返すのはやめていただけますか?」

「……傷つきました?」

「へ?」

 ダリアは女狐のような笑顔を浮かべながら、背の低いヒナゲシを見下ろした。ヒナゲシは袖に手をかけたまま静止する。暫し沈黙があって、いえ、とヒナゲシは答えた。

「……何を考えてるんですか」

「僕は何も考えませんよ、ご存知でしょう? 何か考えて話すのは仕事だけ」

「嘘仰い。あんたは常に理知的に動いている、違う?」

「打算的、の方が正しいかと」

「で、何を考えてるんですか?」

「知らなくていいんじゃないですかァ?」

 ヒナゲシはすっ、と目を細めた。不機嫌そうなヒナゲシに、ダリアは揶揄うようにケラケラと笑う。

「っていうか、アンタは慧眼を自慢にしてたのに、ホント何も見えてな、」

「さっきから。わざとやってんだろ、お前」

 ヒナゲシの低い声がダリアの言葉を鋭く突き刺す。彼は口を閉ざした。ヒナゲシは手の甲に顎を乗せ、暗澹たる目を向ける。

 ひひ、と、ダリアの唇から、音が漏れる。クレシェンド、次第に大きくなって、あはははははは! 彼は愉快そうに嗤う。ヒナゲシの目は変わらない。一頻り嗤うと、ダリアは両手に顎を乗せ、にこり、と笑い、楽しそうに答えた。

「正解!」

「……不自然なんですよ、あんた。僕は『何を考えているか』理解するのは得意ではないけれど、『何か考えているか』知るのは得意なんです、えぇ、あんただってご存知でしょう?」

「それじゃァ誰も救えませんよォ? だって模範解答が分かってないんですからァ?」

「……チッ、調子狂うな。一切合切吐け」

「脅しですかァ? ほんっと、アンタって単純、」

「話せ」

「そうやって脅してるから誰もアンタの話を聞いてくれないんだァ、慈善活動のつもりで不器用に求めるもんですからァ?」

「話せよ」

「誰もッ! 誰もアンタの善意なんて理解できないッ! あっははははは! だってアンタが誰も信用してないから! クソダサいですね、ねぇ、センパイ!」

「……おい」

 ヒナゲシはダリアの襟に手を掛けた。ダリアは笑顔のまま、ヒナゲシは混沌渦巻く目で見上げる。ダリアは頬を赤くして、楽しそうに、愉しそうに、コンコンと鳴く狐のように、尻尾を優雅に揺らす女狐のように、ヒナゲシを軽蔑し踏みにじって嗤うのだ。

「なァんにも分からねェくせに、聖母ぶっちゃって」

「……いい加減にしろよ」

「あら? 怒っちゃいましたか? あはっ、正論には敵わない?」

「昴ッ!」

「そうですよねェ、アンタずっと気にしてますもんねェ、『何にも見えてない』なんて突き放されたこと。見捨てられたこと。ぜーんぶぜんぶ、想像どおり。アンタが怒るのだって全部全部想像どおり。人間なんて分かりやすいんですよ、ねぇ⁉︎」

「お前、何にも分かってないんだな……ッ!」

 ダリアの笑みが引く──ヒナゲシが眉間に皺を寄せ、泣きそうな顔で言うもんだから。何度か瞬くと、ダリアはきょとんとした顔で、分かんないや、と低い声で言った。

「……センパイが何考えてるか分かんない。何で泣きそうな顔してるわけ? そこ泣くところ? そんなに僕の罵詈雑言が辛かった?」

「違う、全然違う、何も分かってない、何も……! さっき『正論』って言ったくせに! あんたは今、『罵詈雑言』って言っただろ⁉︎ 分かってんじゃねぇか⁉︎ なぁ⁉︎」

「……何怒ってるんですか、ダサいですよ」

「僕は! 僕は少しも怒ってなんかないッ! 悲しいんだよ、どうして分かんないんだよ、あんた賢いんだろ⁉︎」

 ヒナゲシの声が震える。ますますダリアの声がトーンダウンしていく。無関心、無表情、何も、何も無い。ヒナゲシが今にも溢れんばかりに涙を溜めているのに、ダリアはただ呆れたようにヒナゲシを見下ろすだけだ。

「わかりません」

 壊れたロボットのように、無機質に、ダリアはそう言った。

「人間が何考えてるかなんて知りません。何でも分かるわけ無いじゃないですか。当ててほしいみたいなクソゲーやってられません。人間に何期待してるんですか。人間は馬鹿なんですよ。何も分からない。アンタは菩薩気取ってるかもしれませんけど、僕が何考えてるかちっとも分かってないじゃないですか」

 淡々とそう答えるダリアは、光の無い黒い目をしている。全ての光を飲み込む、漆黒。鍵の掛けられた決して開けられることの無い四畳半に閉じ込められた子供のように。

 ヒナゲシは手を離すと、強くダリアを抱きしめた。ダリアは力無く、ぬいぐるみのように抱きしめられている。ヒナゲシが背中をさすっても、定まらない目で遠くを眺めている。二次元の絵を見るように。奥行きは無い。

「……気持ち悪いんですけど」

「シオンが教えてくれたんです。言葉なんて要らないって。こっちの方が早い」

「うわー、僕シオン嫌いなんですよね」

「僕はあんたを心配してるんです」

 包帯の巻かれた手に、ヒナゲシの指が伝う。傷口に触れても、ダリアは表情を変えない。ただ虚空を眺めているだけだ。

 ヒナゲシははらはらと涙をこぼして、温かい、と小さく呟いた。

「昴」

「……何ですか」

「何があったんですか」

「何も無いですよ」

「ねぇ、昴、僕はあんたが手首を切って、今も必死に自分を『矯正』しようとしているのが悲しくて仕方ないんです。あんたは何も……何も悪いことなんてしてないのに」

「……ッ、気味悪い、やめろ、気色悪いんですよ、ホント。綺麗事を言う人間は大嫌いだ。これだからいつも、アンタの生首を思い出すんだ」

「ねぇ、昴……僕はあんたの期待を裏切るかもしれないけれど、できる限りの努力をして、あんたを理解します。しきれなかったらごめんなさい。

でも、僕の理解が正しければね、あんたは僕を試してるんです。僕には何をどこまで言っていいのか。僕はどこまであんたを受け入れられるか」

「そういうふうに! 僕がアンタに好意的みたいな捉え方をされるのがクソムカつくんですよ……ッ! いい加減にしてくださいッ!」

 ダリアは腹の底を震わせてヒナゲシを黙らせた。ダリアの硬い表情が砕け、顰め面になる。眉を寄せ、心底不快そうな顔をしながら、ふざけんな、と低く震えた声を発する。

「ふざけんな、誰がアンタのことなんか。クッソくだらない。くだらない、くだらない、くだらないッ! 綺麗事ばかりほざきやがって! 善人面すんなッ! その偽善を僕に押し付けんな!」

「いいんです、ねぇ、僕は嫌われるのは慣れていますから」

「何開き直ってんだよ、お前が悪いっつってんだろォ⁉︎」

「えぇ、僕が悪いんです」

「ッ、ざけんな、ペラペラと御託を、」

「僕は、あんたを受け入れます。僕と一緒に、相手との距離の取り方を勉強しましょう。僕だって分からないんです、ねぇ、だってこんなに悪いことをしてるんですもの。僕、生きていた頃はね、ずっとこうして、誰かを抱きしめて、離したくなくて……」

「僕を、僕を、人形扱いするな……!」

 二人の声が、声が震える、震える、揺れる、揺れる、掠れる。ダリアは憎悪に顔を歪ませて、苦しそうに、辛そうに、肩で息をする。ヒナゲシは泣きながらも、愛おしそうに眉を寄せて、微笑む。

 ふわり、とそよ風が吹いて、二人の髪を揺らした。

「昴……僕を、信じてくれませんか……?」

「……嫌だ、人間なんか信じられるか。特にお前みたいなクソ偽善者なんか信用できない。お前だってあのお前をこっ酷くヤり捨てたクソ野郎みたいに上っ面だけ良い人面して中身が腐ってグロい気持ち悪い人間なんだろ、」

「お願いです、昴、信じて。僕はできる限りであんたを受け入れます。あんたは独りじゃないんです」

「僕は信じない。お前は絶対に僕を裏切る。人間はみんなそうだ。お前だって分かってんだろ、なァ、都合の良い尻軽男」

「裏切られたからこそ、裏切りたくないんです」

 ダリアの動きがぴたりと止まった。ヒナゲシの声は弱く、デクレシェンド、ディミニッシュ、芯を失っていく。

「悲しかったんです。受け入れてくれるって信じてたのに、叶わなくって。何もかもを捨て去って懇願したのに、裏切られて……だから、その気持ちが分かるんです。

他人を信じるのが怖くなった。誰も信じないと決めて、死んだ。誰も信用できないのは、怖い。誰にも受け入れられないのは、怖い」

「それはお前がそうだっただけで、」

「じゃあ、どうして僕を試すような真似をしたんですか。予想どおり裏切られたかったからですか。それとも、僕だけは裏切らないって、確かめたかったからですか」

「……ッ、センパイ」

 ヒナゲシが目を見開く。ダリアがヒナゲシの肩に顔を伏せたからだ。ヒナゲシは泣くのをやめて、困った顔でダリアの頭を撫でる。ダリアはただ憎々しく爪を立てて抵抗するだけで、顔を上げようとはしない。

「センパイ、嫌なんです、それを認めたら、僕は……だから……」

「嗚呼……そういうことだったんですね、そう、僕の役目は……仮面を守ること、でしたっけ」

「……何それ」

「いいですよ。聞かなかったことにして差し上げます。僕だってこうやって他人を愛でるの、知られたくないですし。ね、だから、思う存分吐き出して」

 より一層風が吹いて、ダリアの声は風に消えていく。ヒナゲシはたいそう嬉しそうに、ダリアを愛おしんで、撫でて、抱きしめて。ダリアはただ、ぽつりぽつりと言葉を落とした。

 さとしせんぱい、ぼくを、うけいれて。

 そんな言葉など存在しない、誰も聞かなかったのだから。それはもう、誰にも見えない、鍵の無い迷宮なのだから。

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