アジサイの花言葉は、

 一番先に起きたキキョウが、ダリアとヒナゲシを起こして回る。二人は低血圧ゆえに朝に弱いのだ。そしてキキョウがアヤメの部屋の扉をノックしようとすると、同時に扉が開く。キキョウとアヤメは同じくらいの身長なので、ずいと少女の顔が寄った。

 おはようございます、と声を上げたのはアヤメではなく、クロッカスだった。齢十八のアヤメには、近い年の友人がいない──キキョウの知らぬところでアザミに接触しているため、友達はいるのだが──となると、話し相手は専らクロッカスだ。

「おはようございます、キキョウさん!」

「あぁ、クロッカスが起こしたのか。助かるよ」

「おはようございます、キキョウさん。起こしに来てくださったんですね」

 キキョウはへらへらと笑いながらも目を逸らす──彼は大の女性恐怖症だった。遡れば、それは彼の生前に始まったことだった。

 彼は幼くして最愛の妹を失った──無理心中だった。彼一人が生き残ってしまった。彼はそのショックから暴力に暮れ、その先で欲望を受け入れる大きな穴となっていたヒナゲシに出会ってしまった。もう性別をも語らなくなったソレを彼は、ファム・ファタールと呼んでいる。

 閑話休題、キキョウはそんなわけでアヤメと会話するのが苦手だった。アヤメの方もアヤメの方で、同じ女性たるカトレアやヒマワリならまだしも、三十も年上の男性と話すのは気が引けてしまうのだ。

 二人は言葉少なに図書館の中央へと向かう。その真ん中で、クロッカスが必死に二人の会話を繋いだ──クロッカスにとっても、アヤメは初めて出来た同い年の友達だからだ。

 紅茶の香りが漂ってくる。朝からアールグレイを淹れたらしい、ヒナゲシは人数分のティーソーサーを並べて待っている。こちら側のソファに四人、向こう側のソファは三人座っている。こちら側のソファで、上を仰ぎ見ると、あ、キキョウセンパイとアヤメさん、とダリアが笑った。

「テメェ、昨日はあんだけ早く起きろっつったのに……」

「アラームはかけてたんすよ。ってか、ヒナゲシセンパイにはお咎め無し?」

「先輩を起こすのは俺の仕事だが、あんたを起こすのは俺の仕事じゃねぇからな」

「朝からお騒がしいこと。来客はもう来ていますよ」

 左から、ダリア、ヒナゲシ、キキョウ、アヤメと座る。向かい側に座っているのは、右から、肘掛に肘を置いてかくんと首を下ろして眠っているシオンと、黒い着物を着た女性、そして体格の良い白人だった。

 ヒナゲシとアヤメは思わず硬直する──外国人だ。ダリアとキキョウはもとより勉学に長けていたので、ペラペラと英語を話せるのだが、二人は勉学が苦手な方の部類だ。クロッカスも、クロッカス自身が英語を話せるわけではなく、自動通訳アプリを立ち上げてくれるだけである。

 女性の隣で足を組み、にこにことはにかむ男性。女性の隣で眠りこくるシオン。そして真ん中に座り、真っ黒な目でこちらを見つめる貫禄のある女性。この状況で口を開ける者はいなかった。

 しばらく黙り込んでいると、シオンがふと目を覚ました。目を擦りながら、すまない、とぼやけた声色で言う。

「眠くて眠くて……ふわあぁ……何をしようとしたんだっけ」

「あんたが呼んだんでしょう、何をするんですか?」

「あぁ、うん、そうだな……紹介しよう、諸君、この隣に座る女性が館長だ」

 四人は数秒固まる。寝起きで聞いていい台詞ではない。四人は声を上げて驚くのだった。

 黒い着物の女性は膝に手を当てると、頭を下げる。それに合わせて、隣の男性も頭を下げた。

「はぁ⁉︎」

「初めまして、諸君。アタシはミカン、このアネモネ図書館の館長だ。こちらはアジサイ、アタシの秘書だ」

「はじめましてー、パンドラ=クルス、まぁ『アジサイ』って名乗ってますー。宜しゅうなァ、司書諸君」 

「しゃ、喋ったぁ⁉︎」

 二言目はアヤメだった。ダリアがツボに入って腹を抱えて笑い出す。外国人のような見た目をした男性・アジサイは、あまりにも、四人の期待を裏切るにはあまりにも、流暢に日本語を話すのだった。

「喋るに決まっとうやん、人間やし、俺。まぁ、日本人じゃないさかい、あんまし日本語得意やないねんけどなぁ」

「彼はアタシの秘書でね。アタシがスペイン語を喋る代わりに、こっちはエセ関西弁を話すんだ」

「エセとは何やエセとは、威厳が廃れる! 頑張って日本語を模倣してんねんでこっちは。お前、ほんまアザミに──」

「ヒナゲシ、ダリア、そしてアヤメ。アタシは、アザミの姉。アザミがお世話になったね」

 声をかけられて、四人はハッとしてミカンを見やる。アジサイと言葉を交わす様は極普通の友人同士のようにさえ見えたが、アザミの姉というワードが波紋を残す。

 キキョウのみが遭遇したことが無い、アザミという少女。彼女は魔女なのだと、司書は口を揃えてそう言う──新入りのアヤメですら、だ。妹のアザミすらかつ魔女たり、いわんや姉のミカンをや。

 隣のアジサイは、黙り込んでしまった四人を見やると、吹き出し、ビビっとるやんか、と呟く。

「残念ながら、アタシには魔女のような力は無い。この図書館ですら、アタシが他者から譲り受けたものだ。普段は現世で行動している。そこに連れていたのが、アジサイ、彼なんだ。知っているかは分からないが、シオンはアザミの従兄弟……つまり、アタシもシオンの従兄弟にあたる」

「ふわぁ……そういうわけなんだ。以後よろしく」

「ま、待てよ、で、このアジサイって人は司書なんだよな? この人も人間?」

「んー? まぁ、そう思ってくれてえぇんとちゃう?」

 目をぐるぐるさせながら問うキキョウ、楽しそうにへらへらと笑っているダリア。ヒナゲシとアヤメはキャパオーバー中だ。

 ミカンはちらりとシオンを見やった後、ぺこりとお辞儀をし、アネモネ図書館を頼む、と静かに言った。すると、アヤメはおずおずと手を上げ、あのぉ、と小さな声で言う。

「あの……不躾な質問だとは存じ上げているんですけど、その……アザミさんって、私と同じ歳なんですよね。ミカンさんはその、」

「いや、シオンと同い年だ」

「えっ⁉︎」

「えぇっ⁉︎」

 スマートフォンの中から声が出てきて、アヤメの声と重なるりクロッカスが顔を寄せてきていた。

 ヒナゲシが、マジかよ、と小さく呟く──反応が完全に素だ。ミカンはこくりと頷き、続ける。

「アジサイの方がアタシたちより年下にあたる。多分、スミレより年上か? シオンとアタシは同い年だ」

「え、えっ、お嬢さん、三十路なのかよ⁉︎」

「え、えぇ、まぁ……そうだけど。そんなこと、どうでも良くない……?」

 続いて驚くのはキキョウだった。ミカンは背の低さと顔の幼さが相まって、十個は下に見える。しかも、隣にシオンとアジサイを携えているから、もっと「お嬢さん」らしく見えるのだった。

 ダリアを除く四人の頭から湯気が出るような感覚がした。ダリアはきょとんとした四人組を見ると、大笑いした後、まぁまぁ、といつもの甘い声をかける。

「今後ともよろしくお願いします、ミカンさんと、えーっと、アジサイさん」

「宜しゅうなァ。なんや面白そうな人が集まっとうみたいやし、俺も時々遊びに来るわァ」

「よろしく。それと、もしもアザミに会ったら教えてほしい。アタシがアザミを探していたと伝えておいて」

「はいはーい。さて、僕らは仕事に戻りましょっか、センパイたち?」

 再起不能になった三人組、気がつくと眠っているシオン、一人困惑するミカン。アジサイは口に手を当てると、緑の目を細め、口角を上げた。



「……やっぱり、この『物語』のほうが面白そうやな」

 アジサイは一冊の本を破り捨て、燃やし尽くした。

 そこに書かれていたのは、「パンドラ=クルス」の文字だった。

 アジサイが大きく伸びをして欠伸をすると、下駄の音が近寄ってくる。

「本を勝手に燃やしてはいけませんよ」

 振り向いた先に立っていたのは、ツバキだった。ツバキは口元を着物の袖で隠すと、優雅に肩を揺らして笑う。

 アジサイはにこっと笑うと、ツバキやないかァ、と楽しそうに答えた。

「面白いとは言うたけど、腐っとると思うで、俺は。お前さん、こんなとこの司書やっとるのか」

「……そうですね。あなたにとっては、腐って見えるのかもしれませんが……ここは大切な居場所です」

「まぁ、アレやな。他の『物語』よりはえぇんちゃう?」

 そう言うと、アジサイは本の燃えかすを蹴っ飛ばした。黒い燃えかすが、黒い花吹雪のように、「高慢」に巻き上がる。

「楽しみにしとるわァ、司書どもがどう成長していくか」

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