真実じゃ誰も救えない
「大丈夫か? 無理していないか?」
シオンから声をかけられることはそう少なくない。どうやら僕は彼のお気に入りらしく、司書長にまで抜擢されてしまった。
──君ならできると信じているからだよ。
何を根拠にそう述べるのかは知らない。だが、彼の言う「アリス」、つまり司書の中では、僕が一番リーダーに相応しいと判断したようだ。
「無理、ですか? していませんよ」
「少々不自然なんだ、君の立ち居振る舞いは」
「はぁ」
彼には、観察眼がある。妻を持っていて、愛着関係が形成されているがゆえの余裕から生まれる審美眼だ。人間、精神的に安定しているときが一番人をニュートラルに見抜けるものだ。不安定であればこそ、他者の醜い点ばかりが見える。
とはいえ、僕は本当に無理をしているつもりは無い。強いて言えば、このように心配されるのが一番居心地が悪い。
キキョウもシオンも心配性で、僕が居心地良くいられているかどうかばかり気にしている。当人たちがもう十二分に幸せだからだろう。
「君は……むしろ、乱雑に扱われた方が気が楽だ、と思うタイプだろう」
「そうですけど。その、気を使われる方が苦手なんです」
「しかし、君だって『親しき仲にも礼儀あり』を信じるタイプだろう。であれば、君とて、僕が君に気を使う理由だって分かるだろう?」
「あんまり自分の話をしたくないんです」
確かにクロッカスやスミレのような、人間を知らぬ電脳体と話せば喜ばれるし、ヒマワリやツバキのような、人間に寄り添ってきたドールや物語に人間の話をすれば傾聴してもらえる。キキョウもダリアも、僕が話すのが好きだ。
だからといって、僕が自己開示を好いているわけではない。むしろ、今だって常に「相手にどのような顔が求められているか」を考えて行動している。自分がどう振る舞いたいかではなく、他人からどう思われてるかが一番大切だ。
自分の話をするのは、そのために仮面を被らなくてはならないようで、酷く居心地が悪い。
「僕も聞き手に回る方が好きなんだがな。なぜ自己開示を恐れる?」
「恐れているかは分かりませんけど……話して喜ばれるのは嬉しいんですけど、喜ばれるほど複雑な気持ちになってしまいます」
「ほう。それはなぜ?」
なぜか、まともに考えたことは無い。ここで考え始めてしまうところが、シオンに好かれてしまっているのかもしれない。
だが、僕はしばしばこう思う──自分の言葉には常に価値が伴い、人々は僕が何を言うか期待しているのように思える。僕の口から何が出てくるのか、何かが出てきたら、非難したり、賞賛したり、騒ぎ立てる。
自意識過剰の虎だと、自分を責めたくなる。しかし、自分がいつでも演劇をしている感覚は真実だ。
「話すことを、期待されているような気がして。僕は大して面白いことを言わないのに、人々は僕に面白い僕であるよう期待しているような……」
「事実、君は面白い人ではないか」
「そういうのが辛いんです。確かに人々は僕を面白いだとか、興味深いだとか言いますけど。言われれば言われるほど、実感すればするほど、僕は『そう』でなくてはならないと思うんです」
ティーカップを手で包む。憂鬱が溜め息となって、緩い紅茶に溶けていく。
シオンは僕を品定めするような赤い目で見つめる。そんなとき、僕は彼を蛇のように思う。ちろりと舌を覗かせ、僕に喰らい付こうとするその目は酷く野生的だ。小動物にたとえられるほど臆病な僕には、時に怖くもある。
だから、彼と話すときは、常に隙を作ってはいけないと思う。嘘を吐けば、たちまち彼が僕に喰らいつくようだ。それが非常に緊張して不快なのだ。
「僕は今、あんたを満足させるような言葉を捻り出そうと必死です。あんたが不快にならないように、嘘を最大限排して話そうと努力しています。酷く媚びているんだと思います、僕は」
「これは失敬。僕は君から何が出てきても不快にはならないさ」
「……嗚呼、信用ならない」
自分でも驚くほど、低い声が出た。シオンの片眉が上がる。
一度溢れた言葉は、止めどなく溢れ始める。どうしよう、止めないと、そう言って堰き止めようとして、決壊した場所が直らない。被った仮面にヒビが広がっていく。体の芯が冷たくなっていく。
甘い言葉を聞けばこそ。媚びる言葉を聞けばこそ。僕は、胸の中で湧き上がった蛆虫が這うような感覚に襲われる。
「信用ならないんだよ。お前を受け止めてやるとか、お前を信じているだとか、そういう言葉が信用ならないんだよ。飽きたら捨てるくせに。僕が何も面白いことを言わないコンテンツになったら捨てるくせに。お前の全てを理解できるだとか、さぞご立派な証明でそれを語るのだろうが、僕には全く信用できない。僕がお前の望むとおりの僕でなくなったとき、僕を捨てるくせに。それを僕のせいにするなど言語道断、」
「ストップ、ヒナゲシ?」
シオンの甘い声で我に返る。仮面を慌てて被り直す。求められてもいない言葉がぼろぼろ出てきて、僕は無意識的に額に手を当てた。
嗚呼、ヤバいな──それが率直な感想だった。僕は何も変わっていない。変わろうと思ったのに、辛かった記憶を忘却しようとしたのに、僕は一歩たりとも前に進んでいなかった。事実、何かを忘れたとはいえ、僕自身が大きく変わった実感は無い。
僕はシオンに言われたとおり、クールダウンした頭でそんなことを考えていた。言われたとおり黙っていた。というか、もうこれ以上何も話したくなかった。もうこれ以上、何かを引きずり出されるのは御免だ。
「良い言葉だ……くく、本当、良い言葉だ……」
はっ、と顔を上げる。シオンが口元に手を当て、恍惚とした顔で笑いを堪えている。
はぁ、と裏返った声が上がってしまう。何で此奴は興奮しているんだ?
シオンは一頻り笑うと、小さく息を吐き、赤い顔のまま僕を舐めるように見つめた。
「君の中身が見られて心底興奮した」
「……意味分かんないんですけど」
「昔の君なら分かったんじゃないかな。他人が自分に本音を話してくれると嬉しい感覚が」
「分かったかもしれません。でも、今はそれがいかに愚かしいことか分かっています」
なぜだかははっきり思い出せないが、本当の顔を見るのが必ずしも最善策でないことは知っている。本音を聞けたことで好感度が上がるわけでもなく、時には仲が離れてしまう可能性もある。関係を続けるときは、多少の嘘が必要なのだと今では思う。
されど、ここまで本音を聞いても、拒絶するどころか喜んでいるというのもかえって不気味である。昔の僕はこれほどまでに不気味だったのかと、第三者的目線から俯瞰している気分だ。
「僕は君のファンなんだ」
「はぁ」
「案ずることなかれ、君が僕を信用していないことも知っている。知っていてこのような態度をとっている」
「本当に昔の僕そっくりですね。誰からも信用されませんよ、そんなんじゃ」
「僕は信用されなくても良いからな」
「強がらないでくださいよ」
語気が強くなってしまう。自己嫌悪だ、同族嫌悪だ、自己投影だ──怒りを示すほど、自分がいかに愚かしいかを露呈していくようだ。
強がっていた。僕は、強がっていたのだ。信用されていなくても、自分の言葉で他人を救えれば、などと驕り高ぶっていた。ゆえにこそ自滅したのではないか。
「驕り高ぶるのはいい加減にしろ、シオン」
傲慢なその様を見ていると、居心地が悪くて仕方無いんだ。
シオンは目を細め、エナジースティックを咥えた。息を大きく吐き出し、暗い目で僕を見つめ返す。相変わらず僕は蛇に睨まれたように動けない。
「……自己嫌悪も大概にな、ヒナゲシ」
「言われなくとも……」
「見透かされている、と感じるのは、酷く不快感を与えるものだ。まるで自分が最初からその行動に誘導されていたかのようで、吐き出された結果に満足がいかなければ、吐き出させた主を憎むものだよ」
「余裕ありげに言われると腹立たしい」
「君に人々が感じていた感覚と同じさ」
「嫌になるな」
クスクスと笑いながらエナジースティックを蒸すシオンを見ていると、妙に口が寂しくなってきて、煙草が恋しくなった。ヒナゲシの名を頂いてから、益々ヘビースモーカーになったような気がする。煙草の頭を殴るような感覚が堪らないのだ。
吸うかい、と言ってシオンがエナジースティックを差し出してきた。仕方無く水蒸気が上がるのを眺めつつ、口寂しさを黙らせる。
「だが、君の意見は実に正当だ。もしも僕が君の今の回答に興奮したとして、君は以降も同じように君の本音を吐いた。君は相手の反応を伺い、鏡のように迎合したのさ」
「……だから、人と話すのって疲れるんですよ。優れたことを言おうとするのも、本音を言おうとするのも疲れる。多少の嘘を交えた、当たり障りの無い会話が一番良い。見下されるのも尊敬されるのも、どちらも辛い」
「そうだな。君がどう見られているか、気にならないときが一番肩の力が抜けるのだろう。だとすれば、君にとってはキキョウやダリアですらも疲れる相手だ、違うか?」
痛くも無い腹を探られていれば一番良かったのだが、事実一番痛いところを突かれているのが虚しい。
「……だって、僕は彼らの望む『先輩』でなければならないから」
僕は、二人の全てを受け入れ、いつでも飄々としている先輩でいなければならない、という思いが、生前よりも益々強くなった。二人の狂犬を飼うブリーダーのような、そんな面をしなければならないとさえ思う。
なぜなのか。そうすれば、全てが上手くいくからだ。僕はじゃじゃ馬にはなれぬ。ゆえにこそ、飼い慣らす人間側を演じなければならない。
胸が塞がるようで、上手く息ができない。腹に重石が乗せられたようで、体全体が重くなる。兎にも角にも、魂のあるこの体は酷く重たい。だが、先程吸ったカフェインで眠ることすらできない。
「君は、僕にとって良い話し手であり、クロッカスたちにとって良い人間であり、キキョウたちにとって良い先輩であり、現世に残してきた同僚に対して良い『神崎慧』でなければならぬ。そして何より、自分を生き返らせた存在に対し、変化した『ヒナゲシ』を見せねばならぬ。違うか?」
「違わない」
「では、どれが君の本当なのだ?」
「知らない、知らない、知るか、そんなもの。知ったことじゃねぇよ、知らない、知らない──」
知らない。知らない。そんなこと知らない。知ったところで何になる。僕を知って何になる。僕を知って何がしたい? 何がしたいんだ?
膨れ上がった不信感が、喉を押し潰していく。息ができない。上手く息すらできない。苦しい。そのまま身を縮こめれば、机がガタンと揺れる音の後、背中が温かくなった。どうやらシオンが僕の背を撫でているようだった。
彼の撫でるリズムに合わせて、ゆっくりと息を整える。舌先が痺れ、世界が白くなる。シオンの背を掴む指先に力が入る。心臓は止まってくれない。心臓に止まってほしい。どうして煩く鳴り止まないんだ。
「カフェインが効き過ぎたかな。失礼した」
「……関係無い」
「関係無いか、そうか」
シオンは、僕を強く強く抱きしめた。逃れられないほど、締め付けるように。やはり彼は蛇だ。だが、密着した肌から伝わってくるヒトを模した体温は、鼓動を穏やかにするのに充分だった。
温かい。何も言わないで抱きしめられている感覚が、一番安心する。言葉など欲しくもない。ただこうして黙って撫でられているときが、一番何も考えないでいられる。
僕が抱きしめ返せば、彼は何も言わずに少しだけ手を緩めた。代わりに頭を撫でた。
「……よしよし」
いつもキキョウに愛玩されるときに言われる台詞とは、同じ言葉でありながら、響きが全く違った。キキョウに愛玩されるときは、自分が愛玩されるべき動物であるか、または愛玩されることを困惑しつつも受け入れる先輩という顔でなくてはならなかった。
だが、今の響きは、疲れ切った僕を慰め、仮面の全てを剥ぎ取る、冷たくも優しいものだった。
悔しいが、シオンにはこうやって抱きしめてくれる存在がいるのだろう。だから、自分も同じことを他人にしてあげられるのだ。彼には、僕よりも余裕があるのだ。
「……生きるのに、疲れた」
「そうか。君の記憶を取り上げることもできるが、どうする?」
「必要無い……」
「随分と頑張り屋さんだな。無理しなくていいのに」
「……煩い、黙ってろ。黙ってりゃいいんだ」
口から飛び出た言葉は酷く乱暴だったが、彼は僕の意図を熟知しているらしい、素直に口を閉じて僕の背を優しく撫でた。
言葉が無くなって、抱きしめられているから表情も無くなって、僕に残ったのは思考だけだった。今まで器用に操っていた三つのうち、二つを切ったことで、僕を覆う仮面は全て無くなった。
彼の腕に収まった僕は、誰も期待しない、何者でもない、「ヒナゲシ」だった。
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