ダリアは絶望を希望する

「あーあ、クソつまんねぇな」

 屋上の柵を乗り越え、男が一人呟く。夜景を眺め、大きく息を吐く。短い茶の髪と、モノクルのチェーンが風で揺れる。

 黒スーツ姿の男は、柵に背中を預けて腰掛けると、懐から煙草を取り出す。火を付けて口に咥えれば、煙が彼の顔の前で揺れた。

「……はー、本当、絶望したわ」

 彼の黒い目は、深淵の如く濁っていた。

 煙草が消えると、男は指から煙草を落とした。吸い殻が落ちていく。赤い光が消えていく。

 都会の夜景と同じくらい、夜空は虚しく煌めいていた。欠けた十六夜月を見上げると、男は喉を鳴らして嗤う。

 男の名は、神崎昴。「美しすぎる殺人」や「完璧な殺人」と呼ばれる、幾つかの未解決事件の犯人であり、警察官である。

「やっぱり、あの人じゃねぇとつまんねぇんだよなァ」

 昴は立ち上がると、足元を見下ろした。行き交う人の波が、徐々に少なくなり、足元に群がり始めている。向けられたフラッシュが、ぴかぴかと煌めいている。

「嗚呼、生きるのにも飽きた」

 足を一歩前に出して、すとん、と落ちていく。逆さまになった昴は、心底つまらなそうな顔で十六夜を見上げた。

 刹那、彼の姿が静止する。ぐるりと世界が逆さまになり、昴は空中に足をついた。無限の夜空を地面とし、空中から吊りさがった観衆を見上げ、彼は何度も瞬きをした。

「……は?」

 ヒールを鳴らし、歩み寄ってくる影と目が合うと、昴はぽかんと口を開けた。

 ゴシックロリィタに身を包み、在り来たりな魔女帽子を被った少女が、昴を見てにやりと笑った。

「御機嫌よう、神崎昴」

 昴は少女を睨み付けると、何のつもりだ、と返した。懐からカランビットナイフを取り出して構えるも、少女はクスクスと嗤うと、そのカランビットナイフを彼岸花へと変えて見せた。

「……は、魔法……?」

「我が名はアザミ、魔女だ。神崎昴、アンタは随分と派手に暴れて生きたもんだね。どうして?」

 アザミへの抵抗を諦めると、逆さまになったまま、昴は溜め息を吐いた。

「何でも何も無い。アンタが閻魔様か基督様か知らないけど、僕はただ欲望に従って生きていただけ」

「なぜ殺人を、この歳になって始めたの?」

「……あー、そこ?」

 頭を掻くと、星空に椅子を置いて座ったアザミを見やり、昴は胡座をかいて座った。

「僕は昔から人を殺したかったし、昔殺したこともある。あの感じがたまんなかった。でも、なかなか行動に移せなかった。なんていうか、完璧主義者なんだよ、僕」

「嗚呼、気持ちは分かるさ」

「でも、出会っちゃったんだよね。最高に唆る顔した奴」

 昴の口角が上がる。渦を巻いた目が逸らされる。

「あの人、凄い死にたそうな顔をしてて。絶望に満ちた顔をしてて。あの人、僕の道化を見破ってさ。僕が殺人狂だって、気がついちゃったわけ」

「神崎慧、かい」

「……知ってんのか」

「アンタが初めに殺した男だろう」

「そうそう。あの人に、殺してくれ、って頼まれた」

 アザミは足を組み、興奮に頬を染める昴を冷笑する。

「あの人に、美しく殺してくれ、って頼まれたから、美しく殺した。完璧だった。同僚を失った周りの反応ったら、もう、今思っても絶頂感を覚える」

「それで、次に殺した男は神城誠だった」

「嗚呼……彼奴もなかなかに良かった。警察よりも早く、僕が犯人だって気がついてね。僕を殺しに来たから、美しく返り討ちにしてやった。ゆっくりゆっくり解体して、逃げ場を失わせて……」

 そう言って昴は二本指を立てた。そのあと、三、四、と指を立てては、一つ一つの犯行を語っていく。されど、後になればなるほど、彼は沈着とした口調に変わっていった。

 アザミは昴が語り終えると、それで、と冷ややかに返した。

「なぜ死を選んだの?」

「話してるの聞いたら分かると思うんだけどさ、飽きちゃったんだよね。やっぱり、昔殺したクラスメイトと、センパイが一番気持ち良くて、だんだんつまらなくなってきて。僕の作った計画もあまりに完璧すぎて、警察も暴けなくってさ。嗚呼、センパイの死体を犯してたときが一番気持ち良かったよなァ、って思って」

「死姦まで。相当なネクロフィリアだね」

「まぁね。で、世界に絶望した。飽きたし、遺書を残して死のうと思って。同僚たちが絶望し、世間が警察に絶望し、恐怖に呑まれる。それで、僕の連続殺人はお終い、ってわけ」

 ケラケラと嗤い、だからさァ、と続ける。

「僕を大人しく死なせてくんない?」

 アザミは赤い目を細めると、嫌だね、と言って片手に黒いカランビットナイフを持った。先程昴が持っていたものだ。

「ねぇ、最期にイリュージョンをするってのはどう?」

「最期に?」

「そう。下に待ち構えてる観衆たちに、イリュージョンを喰らわせてやるのさ。これでアンタは伝説になる」

「で、代償は?」

「もう少し生きてもらうのさ」

 そう言うと、アザミは彼岸花を手に取った。昴は頬杖をつき、満足げに微笑む。

「ボクは彼岸の魔女。死に行く人にもう一度チャンスをあげる。別の世界で希望を見つけるチャンスを、ね」

「異世界転生モノみたいな? 僕にぴったりだな」

「そう。神崎昴、アンタは抑圧と絶望に生きてきた」

 昴の口角が下がる。アザミは彼岸花で昴を指し、真顔で続けた。

「神崎慧を失ったアンタは、世界に絶望した。人間に絶望した。アンタは、神崎慧を失って落胆した」

「……僕がァ? ハッ、笑わせる」

「アンタはずっと正義感を持てと抑圧されて生きてきた。仮面をつけて生きてきた。ねぇ、人間なんて辞めて、もう一度生きてみない?」

「何度生きたって、僕は変わらない。僕は同じことを繰り返すぞ」

「アンタは神崎慧と出会って変わった」

 アザミの言葉に、昴は黙り込む。畳み掛けるように、アザミは赤い目をぎらぎらと輝かせた。

「神崎慧と出会い、仮面を外し、殺害衝動を受け入れてもらった。そんな出会い、初めてだった。だから、次第に殺人は楽しくなくなっていったんだよ」

「……僕が、センパイに? そんな都合の良い話あるかよ、なァ?」

「アンタはずっと、その非人間性から人々に忌み嫌われてきた! アンタには生きる場所なんて無かった!

アンタが人でなしでも、生きていける場所があるとボクが証明する。だから、ボクのイリュージョンに付き合ってくれたまえ!」

「……生きる場所、ねェ」

 昴は目を伏せる。観衆を見上げると、俯き、大きく息を吐いた。

「人間なんて、何奴も此奴も信じられねェよ。みんな自分のことしか考えてねェ。綺麗事をほざけと命じ、自己保身に走るクズばっかりだ。僕が信じられたのは、センパイだけだった」

「……神崎、昴」

「クソつまんねぇ生き物が作る世の中はクソつまんなかったよ。クソつまんねぇ生き物同士が群がって僕を馬鹿にした。だからこんな世界ぶち壊してやったんだ」

「アンタには、神崎慧が必要だったんだよ」

「嗚呼、そうだな。あの人がいねぇから、この世界は無味乾燥になっちまった」

 アザミは口角を緩ませ、手を伸ばした。昴の手に触れると、女神の如く優しい笑みを浮かべた。

「まだ、終わらないよ」

 昴が目を見開き、アザミの笑顔を捉えた瞬間、二人の姿は夜景から消え去った。時間は動き出す。雲は流れ出す。観衆がどよめく。

 落ちてきたのは、人ほどの大きさのバッグだった。

「こんな夜更けに、どうかしたのかい、自殺志願者」

 本に囲まれた場所で、一人の男性が座っている。その向かい側、アネモネ図書館の館長代理・シオンは、品定めするように男性を見つめていた。

「僕に居場所をくれませんか」

 男性は整った笑顔で答える。シオンは赤い三白眼でぎろりと男性を睨むと、小さく息を吐いた。

「君からは狂言回しの匂いがする。本当の目的を教えたまえ、厄介払いはしない」

「あれあれ、分かっちゃうもんですか。困ったなァ」

 男はモノクルに指をかけ、にやりと嗤った。

「僕がここに来たのは、神崎慧を殺すためです。雇ってくれません?」

「……これは驚いた。僕が僕のアリスを殺させるとでも?」

「あは、そう簡単に行かないことくらい分かってますよ。でも、元の世界に戻ったところで行き場も無いんです。僕の世界じゃ、神崎慧は死んじゃいましたから」

「君が記憶を対価にして僕の友人になるなら、喜んで承認しよう。だが、そう簡単にアリスを殺せると驕るのはやめた方が良い」

 喉を鳴らし、男は手持ちのカランビットナイフを指でなぞった。赤い筋がつき、指から血が滴り落ちる。その血を舐めると、再び愉悦に浸った嗤い声を上げた。

「僕が忘れたいのは、僕が犯した殺人全てです」

「どうしてまたそんな記憶を。君にとっては大切な記憶だろうに」

「だァって、処女を犯すのと、非処女を犯すんじゃァ、全然違いますよ?」

「君の論理は納得できるよ。では、君の記憶を頂戴しよう」

 男が目を閉じれば、シオンは新しい本を片手に息を吐く。目を開けてよろしい、と言い、シオンは男に一輪の花を託した。

「君は九輪目だ。神崎昴、君の名は『ダリア』」

「花言葉は、『華麗』と『背信』ってね」

 ダリアはそう言うと、足を組み直し、端正に笑った。

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