二十六日目

「ということでね、ダリアのメイク講座やっていこうと思います」

「何様?」

 ボクがツッコミを入れるまで、コンマ数秒。ダリアはにこっと愛想良く笑い、メイクポーチに手を伸ばした。

 散弾を並べるようにして、メイク道具を並べていく。彼にとっての武器とはすなわち、メイク。美を追い求める我々の中でも、最も自らの美しさを「作る」のは牡丹だ。ちなみに、最も自らの美しさを「持っている」のは雛芥子である。

 さて、彼が最初に手にしたのは、化粧下地である。彼の肌に合う、ピンクベージュの液体を手に出している。

「まずは下地ー。下地がちゃんと塗れてないと、何もかもお終いだからねー。簡単に言うと、レースゲーでアイテムが無いと勝てない的な? レート上がんないよー」

「アンタにしか分かんねぇよ」

 まぁ、暇なので、ボクも付き合うことにする。イエローベースの彼と、ブルーベースのボクでは、使う物は結構違ってくるのだけど、とりあえず下地は同じものを使っている。悠長に下地を塗る牡丹からボトルをひったくって、自分も肌に塗りこんだ。

 次に牡丹が手に取ったのは、ファンデーションだ。化粧下地含む他のコスメはプチプラでも良いけれど、我々が絶対にお金をかけるところはまさにここ。

「はい、次はファンデーションでーす。あ、コンシーラー忘れてた」

「順序くらい守れや、講師だろ」

「はいはーい。ニキビが出来てる人は、まず薄緑のコンシーラーを使いましょうねー。その上から肌色の丁度良いコンシーラーを塗りましょー。目の下に隈がある人は肌色で塗っておきましょうねー」

 牡丹は二本のコンシーラーを右手の指で挟んで、投げナイフを構えるようなポーズをする。

 こうは言うけれど、彼の横顔にはニキビ一つ無い。誰よりも肌に気を使っているだけあって、三十を回っても彼の肌は大学生並みである。

 ボクも牡丹からコンシーラーを貰って、しっかりと塗りこむ。肌荒れもニキビも押し殺すくらいに多く塗らないと、出来上がったときに気になってしまう。ファンデーションもそのつもりで、殺意を込めて塗りたくる。牡丹が塗るのはリキッドファンデーションだが、ボクはパウダーファンデーションだ。こればっかりは何を選ぶかは人によって違うだろう。

 閑話休題、ここからは自由に進められる。眉毛を描くも良し、アイメイクをするも良し、口紅を塗るも良し。机に並べられた、ジュエリーみたいなメイク道具を眺めると、牡丹はその中からアイブロウを手に取った。

「気分的に次は眉毛ね。男性でも女性でも、眉毛で人間の印象は決まるから、おざなりにしちゃいけないよー。まずは理想の眉毛の形をチェックしようね」

「眉毛がしっかりある人が羨ましいよ」

「まぁねー。無い人は無い人で化けるから、そこは良い点ですよね」

 ペンシルで描いていく様に迷いもブレも無い。牡丹はいつも 曲線的で水平な眉を描く。それが中性的で穏やかな雰囲気を──つまるところは、彼の代名詞たる「甘いマスク」を作り上げているのだ。

 一方のボクは、あくまで直線的な眉毛を描くことにしている。かつては柔らかい印象を目指したこともあるが、なんだ、ボクにはそういうのは似合わない。

  ぱっちりお目々に、下げた眉。きらきら笑顔は、女子高生の武器。そういうのを目指していた時期が、ボクにもあったものだ。

 次にするのは眉マスカラ。牡丹曰く、これをしないのとするのじゃ全然違うらしい。

「髪の毛に合った色の眉マスカラを使いましょうねー。髪の毛が明るい色なのに眉毛だけ浮いてるようじゃ、微妙だからねー」

「はいよ。次貸してよ」

「そしたら次はアイメイクいってみましょう。今日の僕はアイラインから先にやりたい気分ですねー」

 牡丹がアイラインに移ったのを眺めつつ、ボクは眉マスカラを塗って、眉毛を整えて。いよいよ外出もしないくせに準備ばかり大げさになってきた。

 アイラインの引き方も千差万別だと思う。牡丹はもちろん、跳ね上げたり垂れさせたりもしない。切れ長な目を生かすように、愛らしい狐のように、一筆で出来上がり。端を上げないのが、メンズメイクの基本だ。ペンを立てて両手で引く様には感心する。ボクは寝かせて、少し太めに。端を上げて、猫目に。大胆不敵な目元の出来上がり。タレ目で可愛らしいのは、昔のボクだ。

 牡丹を見上げる。ナチュラルメイクなのに、目が大きく見えて、格好良い。本当に美形だな、と思う。白い壁がレフ板の役目を果たしていて、彼の傷一つ無い肌をいっそう綺麗に見せてくれている。彼は鏡を見ながら、最後に唇、と言って、ダスティーな色を薄くつけてから、ティッシュを唇で挟む。血色を良くする色だ。それから、もう一枚の紙を手にとって、顔にふわりと乗せた。

 ボクはその隣で涙袋の影を描く。チークをつけないのは牡丹と同じだ。最後にバーガンディを唇に乗せて、完成。牡丹と同じ、メイクで作られた顔。人形を模した、他人を寄せ付けない顔。ボクがそうするのは、他人にナメられないくらいの美しさと強さを求めるからだ。では、彼がそんな顔を作るのは? 牡丹は他人からの評価なんて気にしないはずなのに。

 はい、完成です、皆も頑張ってみてねー、と配信者みたいなことを言って、牡丹は鏡を閉じる。ソファに座り直して、スマートフォンを触り始めた。ボクはその隣に座って、牡丹に質問を投げかけた。

「ダリアはさ。どうしてメイク好きなの?」

「ん? なに、男のくせにー、とかそういうこと?」

「何言ってんだか。ボクだって女じゃねぇんだぞ」

「そうでしたね。メイクって、要は人を騙す力があるんですよ」

 ダリアはそう言って、片方の口角をきゅっと上げる。三白眼を細めて嗤う様は、まさに女狐。薄付きのリップが妖しく潤んでいる。

「美しいほど、人を誑かす。美しいほど、人を退ける。僕という人間がリンゴ一つ潰せない弱い人間だとしても、人は貫禄を感じてくれる。事実を度外視して、そう信じる。

他人も自分も、そう信じ込む。偽りを信じる」

「へぇ。ダリアも自分を偽りたいと感じるのか」

「当然! 違う自分になりたい、自分が好きな自分でいたい。偽ることで、自分も、他人も自分を愛してくれる。だとしたら、メイクをしないわけが無いんですよ」

 あはは、と軽快に笑い、泣きぼくろのある方の目を細める。三十歳とは思えない、可愛らしくあどけない笑顔だ。きっと彼を見た人々は、どきっとときめくものを感じるのだろう。ボクもそうだ。

 美しくなりたい、その欲望は、たとえ他人が見ていなくても同じ。自分を偽ることで、愛せるようになるのだから、そこに他人が絶対に必要というわけではない。今、メイクをしているとき、自分が自分を美しいと信じているなら、それで良い。そこに真実は関係無い、ということだろう。

 だとしたら、牡丹は誰よりも美しい。たとえ世の中に何万人と彼より美しい顔立ちの人がいたとしても、ボクがそう思う限り、彼がそう思う限り、彼がそう作る限り、それは真実であり続ける。なら、どうして家にいるからといってメイクをやめたりするだろう? 外に出て人に会わないからといって、どうして自らを偽らないでいられるだろう?

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