二十七日目

 電話越しに聞こえてくる、カシュッ、という音。ちょろちょろ、しゅわしゅわ。それから、声が揃って、乾杯!

 オンライン呑み会はまず、ここから始まる。互いの姿が見えないから、音だけで互いの姿を想像するのだが、特に互いの行動が分かりやすいのがこの瞬間だ。自分がそうしているように、相手も自分のお気に入りの酒を注いでいるのだ。音だけで、まるで隣に座って酒を呑み交わしているような感覚になれる。

 そんな呑み会を楽しんだのは、蜜柑と牡丹、そして僕だった。それぞれ友人と夜遅くまで電話を繋いで馬鹿騒ぎした経験がある。自分が騒いでいるときは分からないが、他の人が騒いでいるときは、その夜通し元気にはしゃぐ様子に呆然とする。朝の四時まで笑い声が聞こえてくるのは──それは、僕が眠れないからなのだけれど──楽しそうだと思いつつ、自分だったらこうはなれないや、と思うのだ──実際のところ、僕も酔って同じことをしているのだけど。

 偶然一部屋に集った僕らは、オンライン呑み会について話すことにした。というのも、蜜柑は昨日、夜遅くまで晩酌を交わしていたからだ。牡丹は昨日飲んでいた缶を洗いながら、そういえばさ、と話し始めた。

「センパイもミカンも、オン呑みって何やってるの?」

「何、って……なんだろう、くだらない動画の共有とか……」

「それって呑み会でやることですか?」

 動画の共有といえば、最近著名なSNSにて、皆で動画を見ながら話せるようになったらしい、おそらくはそれを使ったのだろう。にしても、皆で呑みに集まって携帯の画面を睨んでいる様はなかなかシュールである。時代の流れと技術の進化を感じる呑み会だこと。

 蜜柑はソファに寄りかかって、大きく伸びをする。じゃあ、アンタは何したんだよ、と言いながら、再びノートパソコンの前で猫のように背を丸めた。

「僕ですか? ゲームです。あ、近いうちに一日中ゲーム機ジャックするので、よろしくお願いしまーす」

「それって呑み会でやることですか?」

 天丼ネタだ。呑み会という名のゲーム会か。離れていても心は一つ、互いの様子を確認するための呑み会かと思いきや、この有様である。つまりは、たとえ外でウイルスが暴れまわってもやることは変わらないということだ。

 僕と誠が電話するのも、互いの無事を確かめ合ったら、互いの仕事の話をして、互いの生活の話をして──いつもと何も変わらない。誠はあいも変わらず僕に会いたがっていて、寂しがっていて、そんな彼を慰めたっけか。でも、それは感染症が流行っているからではなく、仕事に追われて会えないときも同じことを言っている。先輩に会いたい、先輩と話したい。先輩のことが心配だ、ちゃんとご飯食べてるか、ちゃんと寝てるか。確かに、長い間会っていないのは感染症のせいだけれど、彼がこう騒ぐのはいつものことだ。

「呑み会って、何か、どん、とテーマを決めて話そうにも、なんだか結局何の秩序も無く話してしまうんだよね。夜であること、酔っていることもあって、素が出てきてしまう」

「そうですねー、酒は人を変えますが、結局のところは素が出てしまうわけですから。別人にはなれないというか」

「二人は人格が変わったみたいになるけど、話すことは変わらないし。ダリアに至っては、ゲームやってるときの方がヤバいし」

「当人が本当に話したいことしか喋れなくなるだけですよね、まったく」

 だから、昨日の蜜柑はずっと人間関係の過ちの話ばかりをしていたし、牡丹はずっとゲームの話をしている。彼らはどれだけ酔っていても、彼らが本当に話したいことを話しているに違いない。そうそう、案外他人の話は聞いているものだ。

 誠が話すのも、結局は仕事と僕の話。数ヶ月会わなかっただけで、そう変わったことは無い。

「頭が疲れ切って、しょうも無いことばっかり話してしまう。そういうときに、面白い話ができなくなって、本当の自分が出てくる。そんな自分をぶつけられる相手って、本当に少なくって。飲み仲間って少ないな、とアタシは思ったよ」

「それなー。僕もさとりんかセンパイとしか呑まないし。あ、いや、ミカンとかアザミとかコスモスとかと呑んでも良いんだけどね」

「僕も、ダリアや誠とか、あとはアザミとかくらいですか? だらしない、どうしようもない話ができるのは、極僅かな人です。まだまともなミカンでさえそう言うんですから、僕らだって当然ですよ」

 どうしようもない話や、答えの無い話に、くだらない話。いったいいつまで続くんだろう、その愚痴は──人なら誰しも、そう思ったことがあるはずだ。校長先生の話を黙って聞いていることに価値を見出だせないのと同じだ。

 呑んだくれの非論理的な話は、とてもじゃないが、人様に見せられるものではない。その非論理的な話が面白い、と言われればおしまいなのだが。取り留めの無いことを話し合うことに面白みを感じる人間は、きっと酒で脳を馬鹿にして話した方が楽しいのだ。僕もそうだけれど。

 蜜柑は大きな溜め息を吐くと、肘付きに肘を置いた。それから、足を組んでふてぶてしい顔で何も点いていないテレビを見つめる。

「あんまり他の人と呑むの、好きじゃないな」

「他人のくだらない話に付き合うのが面倒だから?」

「いや、逆。他人にみっともない姿見せたくない」

 牡丹と僕が同時に笑い出す。そうだ、この人はそういう人だった。牡丹みたいに長時間ゲームをやって駄弁っていられる人ではない。僕と誠の仲のように、くだらない話まで話せる恋人同士でもない。薊にも言えることだが、彼女らにとっての友達とは、僕らにとっての友達と違う。

 人は二種類に別れると思う。親友の前でこそ自分を偽りたい人、親友の前だから自分を晒け出したい人。これが合わない二人が合うだけで、いかに噛み合わないか。呑み会の席で一人だけ正気でいたい人、他人に介抱されても楽しみたい人、酔った人を介抱したい人、さっさと呑んで帰りたい人。動機は何にせよ、蜜柑は一人だけ正気でいたいタイプなのだろう。

 蜜柑は細くか弱そうに見えるが、こう見えても普通に酒は呑める方だ。このメンバーの中では一番酔っても人柄が変わらない。彼女が呑むのを楽しめるのは、彼女が浮かれて楽しく話せるからではなく、お酒を呑むという行為そのものが好きだからだ。

「アンタら見てると、羨ましいな、って思う。アタシは酔って人に迷惑かけたくないから、絶対楽しめない。もしくは、呑み会終わってから後悔する」

「案外、アンタが思うほど迷惑かかってないかもしれませんよ? ほら、アンタの知り合いにも、べろんべろんに酔ってるのに酔ってないとかほざいて迷惑かける奴がいるじゃない。彼奴にとっては、アンタの面倒臭さなんて気にもならないはずです」

「アタシはああなりたくないんだよ。アタシは常に正気でいたい」

「難儀だなァ。僕は、中身の無い話して、適度に正気なまま帰ってきて……っていうのが好きなんですけどねェ。センパイは?」

 僕に話を振られても困る。僕はときどき呑んでいるときの記憶が消えるもんで、蜜柑が一番嫌うタイプの酒呑みだからだ。

 どうして酒を呑むのだろう、と考えてみても、答えは一つだった──何もかもを忘れられるから。そんな理由だからこそ、他人の有無を気にしない。

「僕は記憶を飛ばすために呑んでるので、他人への配慮とかはありませんね」

「うわ……」

 想像どおりの顰めっ面が返ってきた。まぁ、正直申し訳ないとは思っている。蜜柑は黒い目を細めると、むすっとした顔で続けた。

「介抱されることはどう思ってんの?」

「あー、それなんですけど。僕は介抱されて良い人としか呑まないです」

「あー……そういう……なるほどね」

 今言ったとおり、僕は介抱されて良い人をあえて選んでいる。誠に牡丹、シェアハウスをしているメンバー。皆になら貸しを作っても良いかな、と思っているのだ。それは信頼と言えるだろうか。呑み会とは信頼できる人としか開けない、という点では蜜柑と同じかもしれない。

 たとえそれが画面越しの会話であっても変わらない。距離が近いほど気になるが、遠くても遠いで、相手にだらだらと話をさせてしまっているのではないかと気にしてしまう。まったく、オンライン呑み会はそれなりに疲れるものだ。

 でも、と牡丹が呟いて、コーラの蓋を開けた。そういえば、牡丹はこの間、友達と呑み会をすると言って、コーラで乾杯をしていた。彼にとっては、呑む物なんて何でも良いのかもしれない。

「友達とのんびり頭を働かせないで話すの、ストレス発散になって楽しいですよ。お酒呑んでなくても。っていうか、だから呑み会なんてやるわけで」

「頭を働かせないで……ねぇ。アタシには向いてないな。好きだからこそ、頭を働かせて話したいよ」

「あはは、真面目だなァ。そんなんじゃ、無礼講は楽しめませんよ」

 楽しめなくて良いやい、と言って蜜柑は顔を背けた。そんな彼女をフォローしようと、僕は彼女の名を呼んだ。

「せっかく遠隔で話してるんですから、内緒で、自分はお酒を呑まないで参戦する、というのも手ですよ」

「まぁ……そうね。呑むのを強要されない分、オンライン呑み会って良いかもね」

 蜜柑がようやく腑に落ちたようで、緊張した顔を緩めた。それから立ち上がって、時計を一目見ると、お酒買ってこようか、と言った。まだ昼間である。真っ昼間に酒を買いに行く女性とは、なかなか酒好きに見えなくはないのだが。牡丹は止めもせず、アルコール度数の高い酒を頼む。すると、蜜柑はこちらに目を向けて、雛芥子は、と尋ねてきた。

 ちなみに、今日は平日である。それだけで、僕が何を言いたいかは察せるだろう。

「……マジで今日呑むんですか?」

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