八日目

「へぇ! そんなもんまであるんだ⁉」

 牡丹は薊が触るパソコンを覗きこみ、黒水晶の瞳を煌めかせた。

 白い枠に囲まれた黒い液晶に映るのは、ナチュラルメイクの少女。彼女の背後に映るのは、白い質素なリビングなどではなく、一面のネモフィラ畑だった。

「まぁ、これくらい余裕だよね」

「アザミは相変わらずパソコン触るの得意だよね。いつも助かってるよ」

 アタシたちの機械担当といえば薊だ。雛芥子と牡丹はよく、若者には敵わないな、と口にしている。アタシたちの中でも世間の見解が当てはまっていて、たぶん一番機械に強いのは薊や竜胆だ。

 薊は大きく欠伸をすると、頬杖をつき、目を細めて紅茶を一口飲んだ。アールグレイの香りがこちらにもやってくる。

 雛芥子は、紅茶は要りますか、とアタシたちにも尋ねてくる。午前九時、アタシたちにはまだ辛い時間だ。全員揃って夜行性未満人間未満、それがアタシたちである。紅茶をキメて目を冴えさせるのは日課になっている。

 牡丹が液晶画面に向かって手を振る。すると、架空世界の牡丹はネモフィラ畑の中で微笑んで手を振っている。ケラケラと笑い袋のように声を上げる牡丹に薊は耳を塞いだ。

「あー、煩ェ煩ェ! 朝っぱらからゲラゲラ笑ってんじゃねェ!」

「アザミはどうしてこれやってるんですっけ?」

「あ? アレだ、オンライン授業。今期は全部オンラインになったでしょう?」

 国公立大学は国の意向をちゃんと取り入れる、というのはアタシの偏見なのだけど、早いうちにオンライン授業を決定したのは名案だと思う。あれだけ学生がいたら、一人くらいクラスターが紛れていてもおかしくない。

 広い大学構内を、感染者が徘徊する。散りはじめた桜を見上げ、あぁ、映えるな、とか言いながらスマートフォンを掲げている。最後の大会のために練習を、と言って感染者たちが惰性で練習を続ける。そんな様はまさしく地獄絵図だ。

 学校周辺の絶景を拝めなくなったのは悲しいことではあるが、学校が東京にあるのがいけない。アタシたちには花見のチャンスがあと二回チャンスが残されているのだから、おとなしく家から授業を受けよう。

 今は薊のぶすっとした顔が液晶画面に映っている。これから彼女はオンライン講義のテストに参加するのだ。画面は可愛いキャラクターの画像に変わり、音声はミュートされた。

 牡丹とアタシ、そして雛芥子はソファに座って、目覚ましの紅茶を飲みながら、点いていないテレビを眺める。周囲はある程度片づいているが、あいも変わらずテレビボードの上にはソフトが散乱していた。

「まったく、良い時代になりましたね。ビデオ通話が進化するとこうなるんですね」

「そうね。一昔前は、『直接対面しないで面接するなんて! って騒がられていた時代なのに。やはり、人類にとっての危機は技術を進化させるものだね」

「あはっ、やはり人間には試練が必要なんですねェ! 戦争を経てコンピューターが誕生したように、疫病が流行って衛生への理解が高まったり……」

「そんなことばかり言ってるとバチが当たりますよ。不謹慎にも程があります」

 雛芥子の指摘ももっともだが、否めないところもある。目の前で物言わぬ金属の塊となっているテレビジョンも、広まりはじめたのは戦後になってから。

 スマートフォンが流行りだしたのは、コンピューターの発展あってのことで、コンピューターが生まれたのは弾道計算のためだ。

 テレワークや在宅勤務なんて言葉が肯定的に受け入れられはじめたのは、きっとこの感染症騒ぎのおかげだ。そのうち判子も要らなくなると良いんだけど。

 雛芥子はリモコンに手をかけ、テレビを点けた。スーツを着込んだニュースキャスターとコメンテーターが、大きな身振りで何かを喧伝している。ピエロが玉乗りしているようなグランギニョルだ。

 牡丹はスマートフォンを持って、ニュースを見はじめた。掲示板で繰り広げられる言い争いは、短調、端的、短絡的。顔が見えないからって好き勝手言っているのはまるで、放送されないからってふざけたおす政治家のよう。

 何のメディアが発達しても、結局使う人間がどうしようもなく愚かなら、人間は何世紀も前から変わっていない。会議は踊る、されど進まず。

「ホント、馬鹿ばかりね」

「あ、今の発言中二病臭いですね、さすがミカン」

「そうかもね。他人を弄しているアタシが一番愚かしいのかも」

「今のもなかなか中二病ですね」

「何言っても中二病臭くなっちゃうの、本当困るんだけど」

 仕方無い、中身が永遠の中学二年生なんだから。

 そんな会話を続けていると、雛芥子が声を上げた。スマートフォンから通知音が鳴ったのだ。通知の内容をまじまじと見つめた雛芥子は、一呼吸置いてクスクスと笑いだした。

「一人で笑ってんの、怖いですよ」

「いやいや、誠からオンライン飲み会のお誘いがありましてね」

「出たよ『オン呑み』! センパイたちもなかなかイマドキですね」

「誠も在宅勤務中ですから、夜に開催ですね。お酒買ってこないと……」

 オンライン飲み会とは、まったく珍妙な文化だ。略してオン呑み──ならばオフライン飲み会はオフ呑みか?

 夜間の飲食店への外出が制限されている今、成人は飲み会の機会を奪われている。桜を眺めながら晩酌を楽しみたかった人々は、こうして酒を楽しむのだとか。

 賢いな、とも、愚かだな、とも思う。

 今流行っている病気は基礎疾患や喫煙歴があるほど致死率が高いと聞いて、喫煙を避けたがった人々が向かったのは、アルコール。呑めば消毒になるだとかなんだとか、ジョークも出回っている。

 結局自己加害に酔う面では愚かだけれど、最も避けるべき「人が密集していて」「密閉空間で」「密接して話す」そんな飲み会を、そのどれも満たさないオンラインに頼る面では賢い。

 賢いとか愚かとかその前に、ホモ・ルーデンスたるアタシたちらしい発達であることは確かだ。

 冷蔵庫の中は今日も空っぽ、顔に冷気がたんまりと吹きつければ、チルド室の鼻にくる臭いがする。もちろん、酒なんて取り揃えてない。物資調達のために外出しないといけないようだ。

「酒なんて高いんだから、買ってほしくないんだけど……」

「僕もできれば買いたくないんですけどねぇ。誠にも最近会えてないし、要求を呑もうかと……」

 神城誠は雛芥子の彼氏だ。とにかく束縛・依存・嫉妬の激しい男だった。それほどに雛芥子を愛しているのだから、ここ一ヶ月ほど会えないのは彼にとっては地獄のような日々だったよう。少し可哀想にもなる。

 大きく息を吐いて、冷蔵庫を閉める。近くの無駄紙にサインペンで「買い物行ってくるね」と書いて、ヘッドセットをした薊に示した。薊は退屈そうな顔で手をひらひらと振って返す。

「では、本日の物資調達といこう、諸君。他に不足してるものは?」

「お菓子」

「却下。太るよ」

「漫画」

「積読があるでしょう……はぁ、無いね? 無い。以上」

 牡丹の提案を退けて、アタシは寝巻きにパーカーを羽織る。これだけでだいぶ「寝巻き感」は抜けると思う、たぶん。

 雛芥子は彼らしくちゃんと服を着替えて、牡丹は彼らしく寝巻きのまま。今日の外出先はコンビニだ。いくら技術が進んでも、秒で酒を届けてくれるサービスは無いので、仕方無い。

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