第二十七話 化け物襲来2
豊とルシールは食料を確保した後、ルシールに剣術を教わっていた。
かれこれ1時間以上稽古し、スポンジのように呑み込みの早い豊は、ルシールの動きに付いていけるレベルまで成長を遂げていた。
元々帰宅部で運動は体育の授業くらい、あまり自分で動くことはせず特出して運動の才能はないと言ってもいい。ただ自分から動かないだけで、教えられた事は直ぐに自分のモノにする能力は最初っからあった。
それに最近の豊は筋力や体力作りのために、ランニングや筋トレを続けていたおかげで奏功していたのも大きい。
それでも豊はルシールの剣術に翻弄され、アナテマで生成した氷の刀を何度も砕け散ることになった。
一度ルシールとオーバンの戦闘で知見していたが、彼女は王女とは思えない身のこなし方、鋭い観察眼に改めて豊を驚かせていた。
隙が生まれても豊の攻撃を華麗に躱し、逆に反撃が来たり。激しい剣戟が何度も起こっても、必ずルシールの観察眼により、予期せぬ攻撃を仕掛けたりと、豊は何度も苦戦を強いられていた。
いくら呑み込みが早くても、剣ではルシールを一日で超える事は難しいだろう。
けれど、彼女に翻弄されていることが癪に障る豊は、せめて一度だけ一泡吹かせたいという思いが強くなる。
「はぁ、はぁ・・・・・・」
身体中、汗でびっしょりして服が肌に吸い付いて気持ち悪い。対してルシールは額に一筋の汗を流すのみで、息も乱れておらず余裕な表情。それに気に食わない豊は氷の刀を生成し、刀を構え直す。
豊は直ぐに動き、地を蹴ってルシールに肉薄する。スッと刀の切っ先が上向きに、袈裟斬りを放つ。行動を読んでいたルシールは剣で受け流す。間断なく、隙を見せる豊へ斬り込む。それを眼前に迫る刃を身を捻って躱す豊。しかし、一手、二手も先の行動をルシールに読まれているため、追撃が背中へ剣が迫る。
軽く舌打ちをする豊。右目が雪色に発光すると、氷の壁で追撃を防ぐ。
「魔法を使うなんて聞いてませんわよ!?」
「お前、俺を斬るつもりだっただろ?」
お互い距離を取り向き合う。
「そ、そんなワケないですわよ・・・・・・。途中で止める予定でしたわ」
目を逸らすルシール。その態度は豊を斬る気満々だったようだ。
「それより、ユタカって呑み込みが早いですわね」
豊は一歩踏み出して剣の間合いまで近づくと、下段から刀を斬り上げ、それをルシールは受け止めて互いの視線がぶつかる。
「お前は王女とは思えないほど、剣の扱いに長けてるんだな。男三人に犯されそうになってたとは思えない」
その言葉に自分の失態と羞恥でルシールの頬は赤く染まり、キッと豊を睨み付ける。その怒りで柄を握る力が強くなり、刀を押し返す。そして、豊の体勢が一瞬崩れた隙にルシールが地面を蹴り、疾風の如く一閃する。
寸前で豊は刀で防ぐと、衝撃で氷の刀が砕け散った。
「あ、アレは相手がどんな魔法を使われるかわからない状況で、下手に動けなかったんですのよ!? ーーっ、今思い出しただけで鳥肌が立って不愉快ですわ」
武器を失った豊の首筋に剣がピタリと止まる。ルシールの行動に予測できたものの、反応が一歩遅れて何もできなかった。もしこれが本当の殺し合いなら豊は首を撥ねられて死んでいただろう。
結局豊はルシールに一泡吹かせることができなかった。
「ちっ、無駄に大きいくせになぜそんなに俊敏に動ける」
豊の視線がルシールの大きな胸へ注ぐ。水浴びしているときも見てしまったその胸は紗瑠よりも大きく、動く度に揺れていた。そんな重りをつけて身軽に動ける事に豊は納得がいかなかった。
「なっ!? わ、わたくしの胸をそんな邪な目で見ないでくださいます!? はっ!? もしかしてあなた、わたくしの胸を好き勝手に触ろうと考えてますね!? 絶対に嫌ですわ!! 助けて頂いた恩はありますが、お礼に触らすとか絶対にありえないですわよ!!」
「別に興味ない」
「どうしてなのよ!? 殿方ならそれくらい要求しなさいよ!?」
「・・・・・・お前やっぱり犯されたかったんじゃないのか?」
「それは絶対にあり得ませんわ。ただ・・・・・・ユターーな、何でもありませんわよ!!」
何か言いかけたルシールだが、瞬時に顔が真っ赤になり、一人勝手に憤慨した。その相手が面倒に思った豊はペットボトルを手に、水分補給する。半分くらい飲み干して、また食料と水を探す必要があると思った。
キャップを閉めようとした時、横から手が伸びて、ルシールに一瞥し、手元のペットボトルを渡した。
それを受け取ったルシールはごくごくと喉を鳴らし、水を飲む。三分の一くらいまで水が残ると、今度は豊に返した。ペットボトルの中身を見た豊は言う。
「ルシール・・・・・・お前飲み過ぎだろ」
「ユタカだってわたくし以上に飲んでいましたわよね? わたくしはそれを我慢して少ししか飲んでいませんわよ」
「なら飲まなくてもよかっただろ」
「それはユタカが飲んでいましたので、わたくしも・・・・・・飲み、たかった・・・・・・」
ルシールは先ほど自分の行為を思い出して、頬が徐々に紅潮していく。
一体誰がペットボトルの飲み口に口を付け、誰が飲んでいたのか。それは一人しかいない。豊かである。それをルシールはペットボトルを受け取り、口を付けた。それは即ち間接キス。
今更自分の行為に意識しだしたルシールは理不尽に豊を睨み付ける。
「なぜ急に顔を赤くしてる?」
「そ、それは・・・・・・。ユ、ユタカこそどうして何も思わないのですの!?」
「・・・・・・間接キス程度で気にしてたのかよ。てっきり気にしてないかと思ってた」
「どうして平気ですの!? って、被害受けたのはわたくしですよね!?」
「どうでもいいから続きをするぞ」
「・・・・・・少しは気にしなさいよ」
自分だけ気にしているルシールは釈然とせず、ポツリと言葉を零した。その後、間接キス云々の話を忘却し、意識を切り替え、言葉を紡いだ。
「それよりユタカの剣の腕に関してですけど、わたくしが教えた通り呑み込みも早く、はっきり言いますと基礎は十分だと思いますの。こんな短時間で基礎を習得するのは驚く事ですけど、元々素質はあったんでしょうね」
「ルシールに敗北したままなら全然ダメだ」
「ふふーん、ユタカがわたくしに勝とうなんて百年早いわよ! ですがユタカのレベルでしたら実践も問題なく大丈夫だと思いますわ。わたくしの師匠に当たるラウルもきっとあなたの事を認めていたはずだわ」
「なら早くルシールを超えて、その師匠とやらも超えるのが目標だな」
「ユタカがラウルに剣で敵うはずがないわよ。一生を掛けても無理ですわ。さてユタカには剣術の他に魔法・・・・・・そちらの世界では
「そうだな」
「何度か、ユタカは魔法をーーアナテマを使いましたわね?」
「ああ」
「わたくし達は当たり前のように魔法を使っていますので、力の制御は簡単に行えることができますわ。豊が実際に使用したアナテマを目にして思いましたのは、わたくしの魔法と同じ原理ということ。ただアナテマは非常に強力な力を感じましたわ。わたくし達が使う魔法以上の力が秘めているわね。今はその力を意図的に保護が掛けられているようだけど」
ルシールがジッと豊を観察し、彼の胸板に掌を置く。そして瞳の奥を覗いてアナテマを解明していく。
「ただ見てるだけでそこまで分かるものなのか?」
「普通は見ただけでそこまで知ることはできませんわよ。こうしてゆっくりと観察し、豊の中から感じる力に触れることで知ることはできますわ。これは魔法に理解できている人ではないとできないと思いますわね。・・・・・・まだ力は不完全。それが片目だけが発光するという形で現れていますわ。その状態であれば力は安定するようね。だけど豊・・・・・・あなたはわたくしと同じように力を使えるけど、力を制御できていないから不必要に力を放出させてしまうわ。力を使ったときの倦怠感に心当たりはありますわよね?」
もちろん豊に心当たりはあった。
その証拠として赤津との戦いで完全なアナテマを何度も使い、力を使い果たし、その後意識を失い丸2日寝込んでいたのだ。
何度も使える力ではないし、無理をすれば最悪死に至る可能性もあると確信もしていた。
「どうすれば力を制御できる?」
「それを今から説明致しますわ。今のユタカは魔力を制御できていませんわよね? 今の状態で力を行使してしまうと、魔力は最大値の状態で消費しますわ。この使い方では直ぐに魔力が空っぽになる。もし空っぽの状態で無理矢理力を使おうとすれば、最悪死に至りますわ。ユタカは無茶をしそうに見えますから、忠告致しますわ」
「余計なお世話だ」
ルシールは豊を想って忠告したのに一蹴され、何か言いたげに顔をするがグッと堪えて出かかっていた言葉を呑み込む。その代わり、力の制御について続きを話す。
「魔力の消費を調節する方法ですけど、力を使うときにユタカは魔力が消費される感覚を感じたりしますの?」
豊は今までにアナテマを使用していた時の事を思い出していく。最初の頃は魔力が消費されるような感覚は無かった。ただ最近は微かに内から魔力を感じる事も、アナテマを使った時に消費される感覚がする時があった。
「時々あるな」
「あら? それなら話は早いですわね。もしその感覚が無ければ、魔力の制御は困難だったでしょうからね。ユタカには素質があるのかしらね。それなら発動する際に魔力を調節を行いますわ。発動時に、
「・・・・・・」
豊は静かに瞑目し、まずは内にある自分自身の魔力を感じ取る。それから目を見開き、両目を雪色に発光した瞬間。感じていた魔力が穴隙へ流れる感覚を掴む。それをルシールの言うとおり最小限に狭めていくと魔力は少量だけ消費する事に成功する。
目の前の地面が凍って、そこから氷柱が真上へ伸びていく。
一発で成功を果たした豊に驚きの表情を浮かべるルシール。一度の説明だけで魔力の調節を成功するとは予想外だったようだ。
「本当に呑み込みが早いですわね・・・・・・」
「いや、これは俺一人だと時間が掛かったはずだ。短時間で済んだのはルシールのアドバイスのおかげだ」
「そ、そうですの・・・・・・。わたくしも教え甲斐がありましたし、そ、それにユタカの力になれるのでしたら・・・・・・。わ、わたくしの事を守ってくださる約束もありますし!」
「剣の腕だけは俺より上なら守る必要はないだろ?」
「約束を反故にする気ですの!? 確かに剣の腕はわたくしが上ですわよ。だけどユタカのアナテマは非常に強力ですわ。悔しいですけど、わたくしでは敵いませんわ。だ、だからちゃんとわたくしの事をい、一生守る約束は果たして貰いますわよ!」
「一生なんて言ってないだろ。取りあえず、魔力の制御に関しては一度成功したとはいえ、まだ不安定だ。練習を積み重ねる必要があるだろう。それと剣の方はまだ未熟な部分が多々ある。ルシールから教わることはまだあるだろうし、この島にいる間は付き合って貰うぞ」
「そうですわね。剣であればわたくしがいつでもお付き合い致しますわ。と言いたいですけど、基礎はできていましたし、十分実践レベルまでユタカは足を踏み込んでいますわ。はっきり言うと、あまり教える事は無いわよ?」
「まだルシールに負けたままだ」
「ふふ、そうですわね。それならユタカが納得いくまでお相手致しますわ」
剣の鍛錬の続きを始めようと、豊は氷の刀を生成し、構える。ルシールも剣を抜いて構えてお互い視線がぶつかる。
すると、二人の意識が周囲へ向けた。
小動物は慌ただしく、その場から逃げるように去って行き、鳥が騒がしく鳴いて飛び去っていく。周囲の森の騒がしさに二人は胸騒ぎを覚えていた。警戒態勢となる。
そして、遠くから咆哮が二人の所まで伝播してきた。
「さっきの鳴き声はなんですの?」
「知らんが、何かこっちに近づいてくるな」
しばらくして、木が倒れる音と大きな足音が地響きと共に、徐々に音が迫ってくる。何か巨大な生物が近づいてくると二人は嫌な予感を覚える。
「グギャァアアアアア!!!」
直ぐ近くから聞こえてくる咆哮。
豊は巨大な生物以外にも人の気配を感じて、顔を上に向けた。メイド服を着た女性が小柄な少女を脇に抱え、木と木の枝へ移動する姿を視界に映った。
ルシールも同様にメイド服の女性を目にして、目を見開いてーー。
「セシル!?」
ルシールの声に反応したメイドーーセシルは、切羽詰まった様子で声の方へ目を向ける。
「ルシール様! お逃げください! 化け物が来ます!」
「え、榎園!!!」
セシルの警告を伝える声と青ざめている蓮魅の歓喜の声。
そしてーー直ぐ近くで木が倒れる音が聞こえ、豊達の目の前に倒れ、顔を横に移すとそれは現れた。
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!」
森全体を揺るがす程の咆哮が劈き、腹の底から響いてくる。豊とルシールは耳を塞ぎ、目の前に全長5、6メートルはある巨大な生物ーーティラノザウルス擬きが姿を見せた。
その予想外の生物にルシールは顔を真っ青にし、豊は目を見開いていた。
一つ目がギロリと見下ろして、新たな人物へと映した。認識された二人に、剥き出しの牙をちらつかせ、口から威嚇の声を漏らす。
それが意味する事に気付いた豊は直ぐに行動を起こした。
両目を雪色に発光し、魔力消費を抑えると目の前に巨大な氷の壁が出現する。それと同時にティラノザウルス擬きが突進してきた。氷の壁に衝突し、氷は砕けずに押さえ込むことに成功する。その隙に豊は足が震えているルシールをお姫様だっこし、その場から離れる。
その僅かな間に、ティラノザウルス擬きが身体を半回転し、尻尾が勢いよく振るい、氷の砕ける音がして壁をぶち破った。一つ目が逃げる豊達を映し、一、二歩踏み出しただけで距離が詰まり、口を開き二人を噛みちぎろうと牙が迫る。
しかし、ティラノザウルス擬きの頭上には、行動を予測して先に巨大な氷の塊を生成していた。豊達を噛みちぎる前に、落下する氷の塊に衝突し、動きを止めた。
「グギャアア!!??」
怯むティラノザウルス擬きからできるだけ離れようと、ルシールをお姫様だっこしながら駆ける。
刹那、眼前に尻尾が襲い掛かる。
「ーーっ、くそ」
攻撃を食らって怯んでいるはずのティラノザウルス擬きからの予期しない攻撃。咄嗟に分厚い氷の壁を生成し、尻尾からの攻撃を防ぐ。氷は直ぐに砕け散る音が聞こえたが、豊は尻尾から逃れていた。
「おい、ルシール、さっさとお前も自分の足で逃げろ。重い」
「なっ!? じょ、女性に重いって、あなた失礼ですわよ!? わたくしは重くないですわよ!? た、ただむ、胸が大きいだけで、そこまで重くーー」
「そんなんどうでもいいから早くしろ。あの化け物をお前を抱えながら俺一人で対応しろってのかよ」
「わ、わかりましたわ」
ルシールを下ろして、できるだけ距離を取る。
ティラノザウルス擬きは怒りで一つ目に血管が浮き出て、豊達を探して暴れ回っていた。あの化け物相手に、どう倒すか豊は必死に頭を回転し、対処法を考える。
「い、一体何なのよあの化け物。この島にはあんなのが潜んでいますの?」
「アレは俺の世界の生物じゃ無い。明らかにお前の世界の化け物だろ」
「わたくしもあんなの見たことありませんわよ」
「なら弱点とか対処法がない今のところ不明なワケか」
豊は立ち止まり、ティラノザウルス擬きを睨み付け、頭上に幾本の氷槍が生成。
刹那、一斉に撃ち放つ。風を切り迫る氷槍が身体を穿つ勢いでティラノザウルス擬きに襲い、尖鋭が鱗に覆われた身体に衝突。するとーー鱗は穿つ事無く、氷が砕ける音が次々と聞こえてくる。
ティラノザウルス擬きの一つ目が豊を捕らえる。身体は無傷で放たれた氷槍は全て粉々に地面へ散乱していた。
異常なほど硬い鱗に豊は舌打ちした。
「硬すぎる・・・・・・」
「クギャアアアアアアア!!」
豊の呟きに反応し、ティラノザウルス擬きは嘲笑うような咆哮を上げる。
大口を開けたまま、剥き出しの牙が一瞬にして距離が縮まり、豊の眼前に鋭利な牙が襲う。豊は咄嗟に氷の刀を手にし、受け止めるが圧倒的な力に地面を削り押される。このまま呑まれると危惧した豊は、受け流して軌道をずらす。横を通り抜けるティラノザウルス擬きだが、尻尾が頭上から猛追してくる。
「ーーっ」
一般的な人より反射神経が優れている豊は即刻その場から飛び、地面の上を前転。直ぐ近くで地面が凹む衝撃音が耳に届き、冷や汗を流した。一歩遅ければ押しつぶされていた。
まだ豊は体力やアナテマを使える回数も余裕である。日々のランニングが功を奏している。それにルシールに魔力の制御のアドバイスのおかげでもある。
問題があるとすれば、力をセーブしたままではティラノザウルス擬きを倒せないことである。ちまちま力を使っても、ジリ貧となり、いずれ全滅する未来を辿ってしまう。
「ユタカ! 何か策はありませんの!?」
ルシールが剣を構え、豊の隣に並ぶ。
「ハッキリ言ってないんだが・・・・・・なぜ来た?」
「わたくしだって力になれるのよ? 足手纏いなんて言わないでくださる?」
相手が化け物じゃなければ、豊としては助かった。しかし、ルシールお得意の剣術では、硬い鱗に刃は通らない。
それはルシールも十分に承知しており、早速両目を承和色に発光する。
ティラノザウルス擬きの頭上に魔方陣が現れると、次の瞬間に光の柱が降り注ぎ、ティラノザウルス擬きの身体全体を覆った。
もろに光を浴びたティラノザウルス擬きの鱗が焼ける音が聞こえ、白い煙があちこちから上がる。
「グ、ギャアアアアアア!!??」
今までの鳴き声とは異なり、苦しげな声。このまま倒してくれれば終わるのだが、そう簡単に終わらない。光が収まると、ティラノザウルス擬きの身体はあちこちに焦げた色へと変色するが、大ダメージを与える程ではなかった。
一つ目に血管が稲妻が走るように浮かび上がり、徐々に赤く染まる。そして、全身が禍々しい黒いオーラを発して、先ほどよりも獰猛さが増し、姿を変えた。
「なっ!? ほぼ全力の魔法ですのよ!? それが効いていませんし、今まで以上に恐ろしい姿に変わってしまいましたわよ!?」
「・・・・・・」
今まで以上にヤバい姿へと変貌したティラノザウルス擬きに、今すぐ逃げろと脳内が警鐘を鳴らす。とはいえ、逃げる事はできないだろうと思った。
選択肢はティラノザウルス擬きを倒す事一択しか残されていない。
「ルシール、他にあの化け物を怯ませる魔法はないか?」
「悔しいですけどありませんわ」
ルシールが苦々しく答えると、ティラノザウルス擬きの一つ目が彼女を射貫くと。
刹那、ルシールの直ぐ横に尻尾が迫る。目に留まらぬ速さに、誰もが尻尾の挙動に気付いていない。
ルシールの目はティラノザウルス擬きに注意を向けたまま、あと数センチに迫り来る脅威にーー氷が砕ける音が響いた《・・・・・・・・・・》。
「えーーっ!?」
耳元に届いたルシールは驚きで肩が揺れると同時に、押し倒されて小さな悲鳴を上げた。一度に多くの情報が襲って来て、ルシールは自分の身に何が起こったのか、理解するのに時間を要した。
まず最初に彼女の目の前には豊の顔が直ぐ近くにあった。苦悶の表情を浮かべて眇めている。
いち早く尻尾の脅威に気付いて、ルシールを脅威から守ったのだろう。そして、腕には赤い血が流れていた。
「・・・・・・ぇ、ユ、タカ・・・・・・?」
未だに呆けるルシールを余所に、豊は負傷しながら次の行動に移す。
その前に別の方向から水の刃がティラノザウルス擬きへ襲うが、硬い鱗に水を浴びせただけだった。
「ーー、ルシール様! 今のうちにお逃げください!」
ティラノザウルス擬きの注意がセシルへ向け、一歩足を踏み出そうとした瞬間に氷槍が鱗を僅かに突き刺さる。
「グウウァァアアアアアアアアアアア!!!」
「そこのメイド、死にたくなければ離れてろ」
「ーー怪我を負っている貴方に何ができるのですか?」
腕から流れる血を地面を濡らす豊を訝しむセシル。当然の疑問だ。ルシールを助けた事で豊の片腕は既に思うように動けない。無理に動けば激痛が襲ってくる。
「ユタカ!? 怪我ーー!? い、今わたくしがーー」
「悪いがそんな時間もない。あと先に言っとくが、今日一日お前を守れなくなる」
「ユタカ? 一体何を?」
豊の両目の発光が強くなり、周囲に冷気が纏わり付く。負傷した腕は一部だけ凍り付く。真夏の暑さは急激に気温が下がり、吐く息は白くなる。
その異変にルシールとセシルは目を見張る。
遠く離れた蓮魅は一度豊の本気を目にしているから、これから何をしようとするのか知っており、期待と心配をしていた。
豊とティラノザウルス擬きの視線が衝突すると、既に姿を消すティラノザウルス擬き。コンマ秒の世界で、豊との距離を詰めて鋭い爪が眼前へ迫っていた。
しかし、いつまで経っても爪は豊の眼前に迫ったまま。
いやーーティラノザウルス擬きはいつの間にか氷の中に閉じ込められていた。身動きできず、自分が氷の中にいることさえ理解するのに時間を要した。
自分を閉じ込める氷から直ぐに出てくると、身体が外気に触れる。すると、冷気でまた凍っていく。動きが鈍くなり、元凶である豊を探し、目に映すと。
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!????」
巨大な氷槍が一つ目に突き刺さり、激痛に藻掻き苦しむ咆哮を上げて暴れ回る。
動きをまた止めるように凍結するも、氷はまたも砕け散り中から出てくる。
暴れ狂うティラノザウルス擬きは視界を奪われても、豊に対する殺意が強く殺す事に躍起なる。苦痛と憤怒で豊がいるであろう場所を必死に尻尾を振り回す。周囲の木を薙ぎ倒し、地面を抉り取り、近づくのも困難な状況。
豊は少し離れた場所で暴れるティラノザウルス擬きを凝視していた。
背後には巨大な氷槍が二本。そのうち一本を直ぐに放つと風を切って徐々に迫ると、尖鋭がティラノザウルス擬きの身体へ到達し、硬い鱗が食い込む。次の瞬間、鱗を穿ち身体を貫いた。そして二本目も射出されると、二本目も腹を貫いて動きが止まる。貫通した身体から血が流れ、氷槍が血で濡れていく。
「止めだ」
豊がそう口にした瞬間、ティラノザウルス擬きが凍結し、亀裂があちこちと走る。
そしてーー凍結したティラノザウルス擬きごとバラバラに砕け散って、呆気なく化け物は死に絶えた。
あの獰猛な化け物を倒した豊に、その場にいた三人が唖然としていた。
脅威は去り、張り詰めていた空気が弛緩していく。豊は気を緩めると、膝から崩れ落ちて倒れた。
「ーーユタカ!?」
真っ先にルシールは豊に駆けよって抱き寄せた。まだ意識ははっきりするが、荒い息を吐いて苦しげな顔に歪む豊に、もう動ける体力は残っていない。いつ気を失うか分からない状態である。
「あんな無茶に力を使えば当然動け無くなるに決まってますわよ! 下手をするとユタカは死んでいましたのよ!?」
「ーー、・・・・・・はぁ、ーーあ、れくらい無理っ、しなきゃ、俺・・・・・・達が、死んで、いただろ?」
「それは・・・・・・」
豊が全力で力を使い果たせなければ、ティラノザウルス擬きを倒すことは難しかっただろう。直ぐに気絶しないのも、ルシールに魔力の制御を教えて貰った事に起因している。
「ルシール様・・・・・・その方はーー」
「榎園!? だ、大丈夫・・・・・・ではないよな?」
セシルが何か言葉にする前に、安全地帯で様子を見ていた蓮魅が駆けよって豊の心配をする。
「あ、・・・・・・ああ。これくらい、大したことは・・・・・・」
何でも無いように口にするが、今の豊は腕を負傷し、額は汗がびっしょりと浮き出て、苦しげな表情をしている。大丈夫とは言えない状態だ。そんな豊を目にして蓮魅は一度、言葉を呑み込んだが、でも言わずにはいられなかった。
「榎園・・・・・・ボク達、萌衣ちゃんと一緒にいたんだ。だけど、さっきの化け物に襲われて、萌衣ちゃんとは離れてしまったんだ。だから・・・・・・」
豊に対して助けて欲しいと口にしたいが、今の豊にそれを口にするのは酷である。これ以上負担を掛けるワケにはいかない。蓮魅一人だけでも萌衣ちゃんを迎えに行こうと決意する。蓮魅は一人で行くことを告げようと口にする前に、豊が先に言葉にした。
「な、らーーっ、萌衣の所へ、行くぞ」
無理矢理、立ち上がろうと足に力を込める。しかし、足の力が抜けて身体が傾くと、ルシールに支えられる。
「そんな身体では無茶ですわ!? 今わたくしが魔法で治療致しますわ」
ルシールの両目が発光し、豊の全身が温かい淡い光に包まれる。腕の負傷は直ぐに回復するが、近い果たした魔力までは戻らない。あくまで傷を回復しただけで、動けるワケではない。安静にする必要はある。
「ユタカ、お願いだから安静にしてくださる?」
「悪いが、そんな悠長な事はできない。萌衣を一人にするワケにはいかないんだ」
「それなら私達が行きます」
セシルに一瞥する豊。
「俺なら大丈夫だ。最悪支えがあれば動ける」
「・・・・・・分かりましたわ。ユタカはわたくしが支えますので、セシルとえっと・・・・・・貴女、そのモエという方へ案内してくださいます?」
セシルが何か言葉にする前に、ルシールはユタカの腕を自分の首の後ろへ回して、支えて歩き出す。
「・・・・・・ルシール様がそんな事をせずとも私がーー」
「わたくしなら大丈夫ですわ。それより時間を無駄にできませんわ。急いで向かった方がいいですわよね?」
ルシールの視線が焦る蓮魅へ向けられ、豊の事を気にしながら肯定した。
お互い色々と聞きたい事は多々あるが、今はそれよりも先に一人となった萌衣の元へ向かうことが先決である。
蓮魅が急かすように先導し、萌衣の元まで迎えに一同は森の奥へ歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます