第十七話 邂逅と激闘

 萌衣はいつも通り紗瑠の家へ向かっていた。

 暑い日でもマスクとフードで顔を隠している。そのせいか、周囲からは奇異の視線を注がれる。

 萌衣は豊とどんな話をするか考えているため、周囲の視線には気付いていない。ただ男が近づいてきたら、さすがに身体が硬直し反応はしてしまうが、豊と接しているうちに少しずつ男性恐怖症は改善しつつあった。

 ふと萌衣は仲間となった竜斗の事が脳裏に過ぎった。まだ彼の事は怖いと感じていたが、どこか豊と同じ雰囲気に似ていた。もしかすると過去に何かあったのかもしれない。それでもやっぱり怖いと思ってしまうが。

 でも豊が大丈夫と言うのなら信用してみても良いと思った。


「えへへ♪」


 自然と笑みが零れる。

 ここ最近楽しい日々を過ごしている。豊がいて、紗瑠がいて、新しく竜斗を仲間にして、こんな日々をずっと過ごしていきたいと思った。

 自然と萌衣の足取りは軽くなり、早く豊に会いたい気持ちが浮き立つ。

 そんな萌衣の中で豊に対して恋愛感情はないが、兄妹愛に近い感情はあった。一人っ子でお兄ちゃんはいないが、もしお兄ちゃんがいたら豊のような兄が欲しいと思っていた。

 そういう次第で、萌衣は既に豊を『お兄ちゃん』という認知しつつあった。できれば豊をお兄ちゃんと呼びたい気持ちが強いが、豊にそう呼んでしまうと悲痛な表情させてしまう。そういう理由もあり、萌衣は『お兄ちゃん』呼びを控えていた。せめて心の中だけでも豊をお兄ちゃんと呼ぶだけに留めて。

 しばらくして周囲に人気が無いことに気付いた萌衣。


「ーーえ? こ、これって」


「こんな所に一人か? 一人は危ないぞ? 何が起こるか分からんから、俺も一緒に付いていこうか?」


 突然声を掛けられ、ビクッと肩が震えた。萌衣は恐る恐る声の方へ向けると、赤髪の男がニタニタと嗤っていた。


「ーーっ、ーー!?」


 恐怖心に縛られて萌衣は声が出なくなった。

 その悪意に満ちて、嗜虐心に笑うその赤髪の男と萌衣の父親が重なる。

 怖い。助けて。

 萌衣は心の中で紗瑠や豊に助けを呼んだ。


「どうした? なぜそんなに怖がってる? 俺がそんなに怖い人間に見えるか? あぁ、残念だよ。親切心から声を掛けて、危ないから一緒に付いていこうと言っても、怖がられるなんて。俺は悲しいよ。あぁ。それじゃあ誰か助けを呼べばいいさ。声出るか? ほら助けてくださいって言ってごらん?」


「ーーっ、ぁ・・・・・・」


「声も出なくなったか。助けも呼べずに残念だな。くくく、くくくく、じゃあ助けが呼べなかった。君はどうなると思う?」


「や、やめーー」


「お? 声が出るじゃないか。その調子助けを呼ぼうか? まあ助けを呼んだところで、無意味だけどね。俺のアナテマで瞬殺さ。君もアナテマ使いなんだろ? なら助けを呼べないなら、アナテマを使って俺を殺せばいいさ。ほら、待ってやるよ」


「や、めてーーっ」


 萌衣は身体が硬直し、足も震えて立っていられず、地べたに座り込んでしまった。必死に声を振り絞って、懇願する。その姿に青年は興醒めした。


「あーこれはダメだ。終わったな。つまらんな。恐怖に支配されたら何もできねぇよな。必死に頭を垂れて助けて助けて、やめてくださいって懇願するしかできない。君さ、それで相手は殺すのを止めると思ってるの? それとも自分はか弱い女の子だから助けてくれると思ってるの? あー、何でもしますので助けてくださいって言えば、男なら助けてくれるヤツもいるかもね。性欲のはけ口にされて壊されるかもしれないけど。君はそれでもいいの?」


「い、いや、だーーっ、や、めてーー」


「アレも嫌これも嫌、はぁー・・・・・・」


 萌衣の脳裏には豊の姿が過ぎる。嫌だ、死にたくない。もし自分が死んでしまったら豊はまた絶望する。

 そんな風に萌衣は思ったが、果たして二人はそこまで深く付き合いがあるだろうか。疑問を覚えるが、豊は萌衣が殺される未来を知って、赤髪の男を探している。それは萌衣を大事に思っているからこその行動。

 少なからず豊は萌衣を大事な仲間として見ている。

 だから死ねない。死にたくない。

 萌衣の右目が萌木色に発光し、近くにいた猫を操る。本当はこんなことはしたくないと思った萌衣は、猫に謝罪する。


(ご、ごめんなさい猫さん)


 路地裏から飛び出た猫は爪を伸ばして、赤髪の男へ襲いかかる。


「はぁ? 猫?」


 突然飛び出した猫に赤髪の男は疑問の声を上げて、爪が赤髪の男の顔を引っ掻けに襲う。その寸前で男の右目が銀鼠に発光する。

 刹那、猫の身体が真っ二つにされて地面に落ちた。


「ーーっ!?」


 萌衣は凄惨な猫の死体を目にして声にならない悲鳴を上げた。猫を死なせるつもりはなく、相手が怯んだ隙に猫を安全な場所へ逃げし、萌衣もこの場を逃げようと考えていた。 予想外の事に萌衣は恐怖に縛られる。


「ちっ、なんなんだその猫。まあいい、数秒でも君は生き残ったんだから、その猫に感謝する事だな。さて、さすがに君が助かる運なんて残されてないだろうな。もう用済みだから死ね」


「ぁーー」


 萌衣は腕を振るう赤髪の男を目に映す。数秒後に萌衣は確実に死ぬ。せっかく楽しい日々が終わってしまう。嫌だ。死にたくない。

 ゆっくり迫り来る死の間際、萌衣は走馬燈を見た。紗瑠と出会い、豊と出会い、二人と楽しい日々を過ごした記憶。萌衣にとってそれが大事な日常だった。

 もうその日常が訪れず、萌衣はこの後直ぐに死に絶える。

 やがて訪れる死。

 その寸秒ーー。


「萌衣ちゃん!」


 誰かに名前を呼ばれ、誰かにお姫様だっこされた。風が襲い、被っていたフードが外され、萌衣の髪が風で揺れる。

 赤髪の男から離れて着地すると、萌衣の安否を確認する。


「大丈夫萌衣ちゃん? どこか痛いところとかある?」


 萌衣の瞳に映ったのは猫耳が生えた茜の姿だった。彼女とは一度会っていて面識がある。連絡も交換してやり取りも少ししていた。


「あ、かね、さん・・・・・・?」


「だ、大丈夫だよね?」


「あ・・・・・・はい」


「よかった・・・・・・」


 茜は胸をなで下ろし、猫耳もふにゃっと折れる。

 萌衣はどうして茜がいるのかとか気になっていた。でも助けられた。死ぬことはなかった。自分が生きている事に萌衣は安堵から涙が流れた。


「え!? 萌衣ちゃんやっぱりどこか痛みが?」


「えぐっ、い、いえ、ーーっだ、だいじょう、ぶです」


「おい、茜、安心してる場合じゃねぇぞ?」


 そしてもう一人の存在に気付いた萌衣。相手が男だと知ってビクッと肩を跳ねた。

 怯えた瞳を向けられた柴田は「え? 俺なんかした?」と戸惑っていた。


「とりま、柴田君、さっさとやっちゃいなさいよ」


「いや、だからさ、そんな簡単にはーー」


 柴田の言葉を遮って赤髪の男は驚きから三人に声を掛けた。


「マジで運が良いな君。まさかまたちょっと生き残ることができるとは思わなかったよ。ただ二人増えただけで何ができんの? てか、また俺一人かよ。三対一とかずるいだろ? そうやってまた俺をイジメるのか? ちょっとそれはねぇわ」


「な、ならさっさと逃げればいいじゃねぇか」


「逃げる? 俺が? いやいや、逃げるとかかっこ悪いでしょ。別に俺一人でもいいよ。三人で来れば?」


 赤髪の男の異常な雰囲気に圧倒された柴田は顔を歪ませた。さっきから直感が囁いている。こいつは危険だ、逃げなければ殺されると。チラリと茜を見る。茜と萌衣を逃がすことはできると思う。ただ、本当にこの男から逃げられるか、疑問だった。

 例え柴田が時間稼ぎをして殺された場合、次に茜と萌衣を追って、必ず殺しに追いかけるのではと。なぜかそう思ってしまう。しかし、逃げるしか選択肢はない。


「茜、もしもの時は逃げろ」


「は? ウチも一応いけるし。どうせ逃げても追ってきて殺されるだけだし。ならここは二人でいった方がいいでしょ?」


 一人よりは二人。数で言えば有利に見える。しかし、柴田はそれでも不安が拭いきれなかった。


「あいつのアナテマには気をつけろよ」


「ウチでもやればできるんだからね」


 二人が会話しているのを黙って見ていた赤髪の男は、会話が終わって口を開いた。


「もう相談は終わり? というか二人でいいの? 後ろの子も一緒の方がいいんじゃない?」


「いちいち、あんたうるさいわよ!」


 茜が地面を蹴って、人間以上の身体能力で赤髪の男に肉薄する。一瞬にして眼前に迫られ、赤髪の男は驚愕した。茜は伸ばしていた爪で男の身体をひっかく。

 三つの線が服を破き皮膚を引き裂く。

 赤髪の男は直ぐに腕を振るった。


「ーーっ!」


 危険を察知した茜は直ぐに間合いを取った。


「あーいてー。それも服も破いてよー。これ弁償してくんないかな?」


 赤髪の男の身体には三本の傷ができ、そこから血が流れ、服を赤く染める。痛みを感じるはずだが、赤髪の男の顔はピクリとも動かず、男にとっては蚊に刺されたような様子。異常だ。


「し、柴田君、あいつのアナテマ分かった?」


「いや、悪いがわからない。茜に何をしようとしたのかも見えなかった」


「私も・・・・・・分からなかったけど、大丈夫よね?」


 咄嗟に回避したものの、何されたのか分からず、本当に何もされてないのか不安に思っていた。


「くそ、よく分からねぇが俺のアナテマなら!」


 柴田の右目が滅紫に発光すると、赤髪の男を巻き込んだ重力を発生させる。男は直ぐにそれがどんな力か察して、アナテマを発動させた。

 赤髪の男が重力で押しつぶされる場面を想像した柴田だが、重力は男が立つ場所だけを避けてアスファルトを抉った。


「はぁ?」


 柴田の眉を顰めて、理解が追いつかなかった。


「へぇ重力か。ただ全然使い熟せてねぇな。なに君、もしかしてアナテマに目覚めたばかり? そりゃー全然ダメだな。君ら雑魚だ。弱いよ。もう少しマシなヤツが出てきたと思ってたけど、あー弱い弱い。さっさと殺すか」


 二人が助けに来ても赤髪の男を止めることができない。

 柴田と茜はどうすればいいのか必死に考える。戦況をひっくり返す何かを。

 しかし、圧倒的な力量差に、妙案は何も思い浮かばず、このままでは殺される。


「し、柴田君何かないの!?」


「そ、そんなこと言われても、俺のアナテマじゃ・・・・・・クソ、こんな時どうすれば」


 そんな二人を目にして、萌衣はスマホを手にしていた。柴田や茜に助けられたけど、戦況は芳しくなく、まだ危険を伴っている。ならこの戦況を覆す人が必要だ。それができるのは、萌衣に心当たりがある人物は一人しかない。


「・・・・・・お願い、お兄ちゃん助けて」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 普段通り豊は紗瑠と一緒に帰路に着いていた。


「ねぇ豊?」


「・・・・・・なんだ?」


 紗瑠のいつもの口調の出だしに、豊はまた何かくだらないことを考えているのかと目付きが鋭くなる。

 現に紗瑠はスカートを摘まんで、豊に下着を見せつけようとしていた。こんな道で何やってんだと呆れる。


「最近豊、私に冷たいと思うの」


「別に普通だ」


「そうかしら? 萌衣ちゃんには甘いくせに」


「甘くしてるつもりはない」


「甘い。私と全然態度違うもん。やっぱり小さな子が好きなんでしょ?」


「そうなつもりはない。それにそれは以前言っただろ」


「確かに聞いたけど・・・・・・やっぱり怪しい」


「・・・・・・さっさと行くぞ」


 豊は平等に接しているつもりでいたが、無意識にだが萌衣に甘いのは本当の事だ。それを本人は気付いていない。


「豊、私って魅力あるのかな?」


「藪から棒になんだ?」


「最近、私自分に自信がなくなってきて・・・・・・豊から見て私って魅力的?」


 今までの紗瑠のアプローチはどれも失敗し、豊をその気にさせる事ができていない。これでも紗瑠は自分の容姿に自信はあり、その証拠に今も周囲の男からの視線は彼女へ向けられている。自分が魅力的な女性と自負しているが、周囲の男の評価など紗瑠にとって関心がなく、豊がどう思っているかの方が重要視している。

 けれど、豊は紗瑠に全く意識を向けられていない。それは実は自分に魅力がないからではと思い始めていた。


「周りを見てれば分かるだろ。紗瑠の容姿に惹きつけられ、ナンパもしてくるって事はそれだけ魅力だからだろ」


「周りの男とかどうでもいいもん。豊がどうなのか聞いてるの?」


 自信を無くしている紗瑠の口調は弱々しく、豊に恋情を抱く彼女は彼本人から直接聞いてしまうほど精神的に摩耗していた。

 その姿に豊は溜息を漏らし口にする。


「紗瑠は十分ーー」


 言葉の途中でスマホが振動した。ぴくんと眉を跳ねた豊はスマホを取り出して、メッセージを確認する。

 すると相手は萌衣からだった。

 直ぐにメッセージの内容を確認して、豊は駆け出した。


「え? 豊?」


 突然様子がおかしくなった豊に疑問の声を上げ、あとを追いかけた。

 しばらくして周囲に人気が無いことに二人は気付いて、一体何が起こっているのか直ぐに理解する。

 萌衣からの助けを求めるメッセージに、豊は焦燥感に駆られ、両親の死と萌衣の死が重なる。必死に周囲へ視線を走らせて萌衣を探す。


「・・・・・・っ!」


 豊は目を見開いた。

 視線の先に赤髪の男と対峙する柴田と茜の姿を捉え、二人の後ろに萌衣の姿を視認する。なぜ柴田と茜が萌衣と一緒にいるのか疑問を覚えたが、今はそれどころでは無い。

 赤髪の男の右目が銀鼠に発光すると、膝を着く柴田に止めを刺す所だった。

 はっきり柴田が死のうが豊には関係なかった。しかし、茜の言葉を思い出して、舌打ちした。

 豊の右目に幾何学模様が浮かび、柴田の近くに円柱の氷を彼に向けて放つ。横っ腹に衝撃を食らった柴田は予想しなかった攻撃に吹っ飛んだ。その数秒後に柴田がいた場所、先ほど彼を吹き飛ばした円柱の氷が真っ二つになる。

 柴田が死ぬ想像をして青ざめてた茜は、氷を目にして振り返った。


「豊!?」


 驚愕から声を上げた茜。なぜ豊がこの場にいるのか疑問符が浮かぶが、同時に安心感も胸いっぱいに広がった。

 豊と紗瑠が茜の元に辿り着いて、目の前の赤髪の男を睨む。


「お前が赤津か」


「あぁ? 誰だお前? ・・・・・・あーお前が榎園豊か? おいおい、君から来るなんて全く、順番がバラバラになっちまったじゃねぇか。しかも冷血の女王までいるしよ。ってこれって五対一? おいおいマジかよ俺これからリンチされんの? さすがに可哀想じゃね?」


 豊が赤津を睨み付けたまま、後方にいる萌衣に声を掛けた。


「大丈夫か萌衣?」


「お兄ちゃん・・・・・・ぐすっ、だ、だいじょうぶ、っーーお兄ちゃんが、来て、っくれたからっ」


 なぜか萌衣にお兄ちゃん呼びされて何か言おうとした豊だが、言葉を呑み込んだ。そして、チラリと茜を一瞥する。彼の視線を受けた茜は胸が高鳴るのを感じた。


「何でお前がいるんだ?」


「ちょっと、ウチらが萌衣ちゃんを助けたんだから感謝くらいしてよね?」


「助けたどころか一緒に死ぬところだったろ」


「それはーーっ」


 豊の言うとおり、柴田と茜は赤津に殺される所だった。

 特に柴田は死ぬ寸前で豊が助けた。一歩遅かったら死んでいただろう。


「だが萌衣を助けてくれたことには感謝する」


「・・・・・・う、ウチも助けてくれてありがと」


 紗瑠は豊と茜の会話を耳にして、ずっと茜の事を睨み付けていた。これが豊を誑かす泥棒猫だと。まさに姿も猫耳に尻尾、泥棒猫そのもの。


「あーー」


 紗瑠は茜に問い止めようと声を掛ける寸前で別の所で声が上がった。


「感動の再会で悪いが、君らこれからお別れになるんだよ? そこんとこ分かってる? 五人揃った所で何か変わるとか思ってるの? 何かできるんならやってほしいね。ほら、何するの? やってみてくれよ」


「萌衣を殺すつもりだったのか?」


「はぁ? そうだけど? それとも殺すなって? 俺を説得でもーー」


 豊はアナテマを発動させると、赤津の図上には巨大な氷の塊が生成される。それに赤津もアナテマを発動し、巨大な氷の塊を真っ二つにし、赤津を避けて巨大な氷が自由落下し、砕け散っていく。

 突然攻撃された赤津は溜息を漏らす。


「俺さぁ話の途中なんだけど? 先生に話は最後まで聞くって習わなかった? ちゃんと人の話聞こうな? つーか、いきなり人を殺すとか君さ、ヤバくない?」


「悪いがお前は危険だから殺す」


 一瞬にして生成された氷柱が赤津へ襲うが、それらを謎の力によって真っ二つにする。注意が目の前の氷柱に引きつけられた赤津、足下に円柱の氷が伸びてきて、それが視界に入り赤津は舌打ちする。

 直ぐに赤津は円柱の氷から後方へ跳躍し、回避すると円柱の氷を真っ二つにする。


「うわーやっぱお前サイコパスじゃん。マジで人を殺す気だな」


「・・・・・・」


 減らず口を叩く赤津はまだ余裕が見られる。

 悠長に赤津のアナテマを観察していたが、その不気味さに豊は目を鋭くする。即効で決着を付けようと豊の右目の発光が強くなる。

 豊を中心に周囲を一瞬にして凍り付けにして氷の世界が広がる。茹だるような暑さが瞬時に気温が下がり、肌寒くなる。


「おいおい、なんだそれはーー」


 赤津が何か言う前に足が動かせず、視線を落とすといつの間にか足が凍り付いていた。それが徐々に下半身まで伸びていき数秒で下半身が凍結し、腹部辺りまで氷が進行してくる。その様子を視認しても赤津は焦った様子もなく、溜息を漏らして言葉を紡いだ。


「随分アナテマを使い熟せてるんだね。なに? 君は何人殺してるの? くくく、ああ、やっぱお前はサイコパスだよ。その目、もう殺すのに慣れてんだろ? 君最高だよ。ああ、もっと君と殺り合いたいよ。ああ、でも今俺ってピンチなのか」


「べらべらとよく口が回る」


「君、ご丁寧に俺の話聞いてんの? さっさと殺せば? こんなまどろっこしいことせずに君なら俺を直ぐにでも殺せるんだろ? ああ、でも俺も殺されるワケにはいかないけどね。ほら、また俺の話聞いてる」


 赤津の右目に発光する銀鼠が強くなる、

 その瞬間、腹部まで凍結していた氷が消失。すると今度は赤津を中心とした氷も消失していく。そして赤津の口元はニタリと嗤うと、豊の眼前に空間の裂け目を捉え、咄嗟にそれを回避する。

 刹那、回避した先で豊の腕が刃物に斬られたような痛みが襲った。血が噴き出して豊は痛みで眇める。


「豊!?」


 紗瑠の心配する声が上がる。それから紗瑠の瞳に怒りの火が灯り、赤津を殺意の視線で射貫く。


「・・・・・・っ」


 幸い豊の腕は切り落とされることはなかったが、さっきの攻撃で豊は赤津のアナテマを理解した。取りあえず止血のために患部を凍結させる。

 その間、紗瑠が二本の刀を念動力で操り、一本を赤津へ射出させる。

 すると、切っ先が赤津に到達する寸前で何かに弾かれて、赤津の横を通り過ぎた。


「それが冷血の女王のアナテマーー」


 赤津は言葉を呑み込んで、もう一本の刀がない事に気付いた。周囲に視線を走らせるが赤津は直感で、頭上へアナテマを発動させると、落下する刀を弾いた。


「はぁ・・・・・・君も人の話聞かないんだね。君らサイコパスなの?」


 赤津がぺらぺら喋っている間に、紗瑠は最初に弾かれた刀を赤津の背中に向けて、そのまま心臓を穿とうと狙う。しかし、これも到達する寸前で何かに弾かれる。


「なんなのそのアナテマ」


「マジで殺す気かよ。ああ、だから冷血の女王って呼ばれてんだっけ。君ら二人揃ってお似合いだな。人を殺す事に躊躇しないとか、君ら化け物じゃない? 人の命をナンダと思ってるんだよ」


 一瞬紗瑠は『お似合い』と言われて頬がにやけかけた。


「貴方、さっきからご託並べて人のこと言えないでしょ」


「え? 何? 俺を化け物とか、サイコパスとか言ってんの? それは俺ーー」


 紗瑠の右目が紅藤色に発光すると、二本の刀が赤津へ襲いかかる。またもや喋っている途中で赤津は溜息を漏らして言い放つ。


「さっきからそれ通用しないって、分からない?」


 呆れた赤津は刀が到達する寸前、空間に切れ目を作り、同じような手口で防ぐはずだった。

 刹那、空間の切れ目が凍り付いた。刀が氷を貫き、勢いが止まる様子がない。

 赤津は初めて焦りを見せた。

 迫り来る刀を防ごうにも間に合わない。身を捻って攻撃を免れようとしたが、間に合わず袈裟斬りを受ける。そして、もう一本は間一髪で躱して距離を離す。茜の怪我に加えて斜めに斬られた傷跡をつけられ、血が噴き出す。ポタポタと地面を血で濡らす。一歩遅かったら今頃上半身と下半身が別れていた。

 豊達からさらに距離を取って、数メートル離れた。


「いってーな、マジで今のはヤバかった。ふざけた真似しやがって、くそっ。なんで俺がこんな目に合わなきゃならねぇ。ちっ、やっぱ二人はきつい。二対一とか卑怯だと思わないの? これ、完全にイジメだよ?」


 赤津の瞳は苛立ちを見せて、豊と紗瑠を睨み付けていた。


「お前のアナテマは空間を切るとかそんな力だろ。それさえ封じ込めれば楽に殺せる」


「あぁ? 俺のアナテマ知ったからってもう勝った気でいるの? 何その余裕。あームカつくな君。くそ、そっか。エックスが言ってたこと理解したよ。君が一番ヤバいんだね。さすがにこの状況はきついね。逃げるのは癪だが、ここは一度引くよ」


「逃がすと思ってるのか?」


「悪いが逃げるのは簡単だよ」


 豊は先に行動を移し、氷柱を赤津に向けて射出するが、空間に切れ目ができ、防ぐわけでもなく切れ目が閉じると赤津の姿が忽然と消える。標的を失った氷柱が壁に激突する。

 脅威は去ったが、まだ赤津が生きている以上まだ終わっていない。

 一旦、危機はなくなり、茜は二人の死闘を見ているだけしかできず、呆けていた。

 萌衣は豊の方へ駆け出して、抱きつくと安堵から泣き始めた。


「ぐすっ、お、おにい、ちゃん、ぐすっーーこ、こわか、たよっ!?」


「・・・・・・・・・・・・」


 まだお兄ちゃん呼びだが、豊は腰にしがみついて泣いている萌衣に何も言えず、何も口にせず頭を撫でた。


「萌衣ちゃんが無事で良かったわ」


「そうだな。茜も改めてありがとな」


「・・・・・・え? ああ、うん・・・・・・てか、やっぱり豊って凄いんだね」


 茜の猫耳がしゅんっとして、尻尾も垂れて落ち込んでいる様子だった。

 今まで殺し合う場面を目にした事がない茜。今回初めて殺意を向けられて、茜は恐怖し、何もできなかった。それが豊と紗瑠は殺意を向けられても立ち向かい、そして躊躇無く人を殺そうとした。豊が柴田を殺そうとした時もそうだった。二人には戸惑いも無く、罪悪感もない。

 改めて茜がいるのは異常な世界だと自覚させられた。


「豊、怪我は大丈夫?」


 紗瑠の心配する声に、茜は豊の腕に怪我をしている事を思い出した。


「あ、そ、そうよ豊怪我してんだよね? ちょっと待ってて」


 茜は鞄から救急箱を取り出した。豊はなぜそんなものがと疑問を口にする前に、茜に手当を受けた。消毒し、包帯を巻いて、慣れない手つきだがなんとか処置を終えて、救急箱を仕舞う。その様子を凝視するのは紗瑠である。


「貴方が茜さんね?」


「え? えっと、そうだけど? あんたは・・・・・・霧葉女学園の?」


「ええ、暁烏紗瑠あけがらすしゃるよ」


「う、うん。改めて言うけど、ウチは北條茜ほうじょうあかね


「ふーん? 確か、私の豊のクラスメイトよね?」


「・・・・・・? そうだけど? あの、さっきからなに?」


 紗瑠のねっとりとした視線に舐め回され、茜は居心地の悪さを感じた。


「豊とは本当にクラスメイトなの?」


「それ以上に何があんの? ・・・・・・まあ、たまに相談受けてもらってるけどさ。てか、さっきからウチに何か言いたいことあんの?」


「随分豊と仲が良いねと思っただけよ」


「は? 別に豊とは、そうでもないけど」


 茜がチラリと豊を一瞥するが、特に豊は何も反応はなく普通。茜の方も何も無い。

 紗瑠は二人の関係について考えていた。

 陰キャと陽キャ、決して惹かれることはなく、むしろ茜のような人は陰キャを嫌っていてもおかしくない。ただ紗瑠の勘は鋭く、茜の豊に接する態度が柔らかい。既に芽が出てもおかしくないと思っていた。それに余計危機感を増した。


「・・・・・・」


「あんたは豊のカノジョのワケ?」


「ええーー」


「違う。適当な事言うな」


 肯定して紗瑠は不敵に笑って見せようと思ったが、当然会話を聞いていた豊は否定した。

 それに対して茜は素っ気ない素振りをしながらも、ポツリと「カノジョいないんだ」と呟いた。それを耳聡く聞いていた紗瑠は内心焦る。やはりこれは非常事態だと。

 そんな二人の心情も知らず豊は立ち上がる。萌衣は隣に並んで、怪我をしていない腕をぎゅっと抱いた。


「・・・・・・」


 今まで以上に甘えてくる萌衣。殺されそうになって、怖かったのだろうと思い、特に何も言わなかった。


「えへへ、お兄ちゃん♪」


 ただその呼び名だけはどうしてもむず痒く、同時に切ない気持ちになる。

 もし妹ができたら、こうして萌衣のように甘えてきただろうか。そんな無意味なもしもな話を空想した。


 ちなみに豊に吹き飛ばされた柴田は壁に激突したあと、しばらく気絶していた。その事について誰も触れず、一緒にいた茜さえも忘れ去られていた。

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