第十三話 以前と違う日常

 放課後、茜の席に友人達が近寄ってきた。


「あかねっちー、今日どこ行く?」


 茶髪のギャルが今日の予定を聞くと、別の桃色髪のギャルが手を上げて答えた。


「カラオケとかどお?」


「いや、あんたそれ昨日も行ったじゃん」


「いいじゃんいいじゃん! みんな歌うの好きっしょ?」


「いやまあそうだけど、あかねっちは?」


 再び声を掛けられる茜はチラリと教室を出て行く豊を確認する。直ぐ居なくなるため、用事がある場合は同様に追いかけるしかない。

 鞄に必要な物だけを入れてチャックを閉める。


「あーごめん、ちょっとウチ用があるからパス」


「ちょっと、あかねっち最近付き合い悪くない?」


「はっはーん? もも分かっちゃった。カレシできたんでしょ?」


「は? 違うし」


 付き合いが悪くなった事に、茜は二人に申し訳ないと内心で手を合わせた。でもアナテマに関して、二人を巻き込むことができない。


「・・・・・・そういや、あかねっちって、あのぼっちの事見てたよね?」


 茶髪ギャルは最近の茜の様子に、ふとしたときに視線が豊に向けていることに気付いていた。一度、豊と茜の間に揉め事を起こしている。未だ豊に対して不快感を募らせているのかと、茶髪ギャルが思っていたが、どうもそういう感じではなく別の感情があると見えた。


「はっはーん? もも分かっちゃった。そのぼっちくんに恋、してるんでしょ?」


「ちょ!? 意味分かんないし! 別にそんなんじゃないし。変な事言わないでよね」


「ふーん? でもさ、あのぼっち、最近なんか変わったっていうか、元々どんな奴か知らんけど、雰囲気が変わったって言うの?」


「あれあれ~? ゆいってばぼっちくんに興味津々?」


「ちょっともも黙ってくんない?」


「うぅ~すみません」


 茶髪ギャルのゆいと桃色髪ギャルのももの戯れを余所に、茜は席を立ち上がった。


「・・・・・・まああいつも色々あるんじゃない。ということで、お先」


「あかねっちバイバイ~」


「・・・・・・」


 ももが元気よく手を振って、ゆいは何か怪しいと疑っていた。


「それじゃあそれじゃあ、ゆいはももと一緒にカラオケ行くことに決定! 二人っきりカラオケとか・・・・・・エロいよね?」


「ももの頭がアレだからカラオケパス」


「えぇ~? やだやだもうゆいでエロい妄想しないから一緒に行こうよ~」


「ももうるさいから黙ってくんない?」


 二人の会話を耳にして教室を出た茜。

 茜は二人に、今度埋め合わせすると心の中で呟いた。

 急いで豊の後を追って、昇降口まで降りると、直ぐに豊の背中が見えた。


「ちょっと、榎園。話いい?」


 声を掛けられた豊は振り返って、茜の姿を確認すると、下駄箱から靴を取り出した。

 それは暗に、茜の言葉に耳を貸さないという意思表示だった。さっさと履き替えて、そのまま去ろうとした。

 その態度に茜は苛立ちが募るも、直ぐにその溜飲が下がり、彼の腕を掴んで歩みを止まらせる。


「ちょ、無視すんなし。話があるんだって」


「・・・・・・俺には用がない」


 豊は取り付く島なく、離せと言外に訴えてくる。茜の中で少しだけ怯えを見せるが、心の中で彼なら大丈夫と呟いて、勇気を振り絞って言葉にした。


「あの、X《エックス》っていうワケわからないメッセージについて話がしたいの」


「俺の事を殺せとでも書かれていたのか? それじゃあお前は俺を殺すために呼び止めているのか?」


「え? なんで知ってーー、め、メッセージの事は確かに榎園の事を殺せと書かれてた。でもウチはそんなつもりはない。ただ・・・・・・どうしたらいいのか分かんなくって。事情知ってる榎園なら何か知ってるって思って」


「・・・・・・」


 茜もまた被害者。

 どうしたらいいのかも分からないのは以前の豊もそうだった。

 しかし、他人の事情を聞くほど豊はお人好しじゃない。このまま無視するのが一番だと、豊の腕を掴む手を振り解いて立ち去ろうと考えていると、茜はポツリと言葉を呟いた。


「榎園の両親ってーー」


 その言葉を聞いて大体予想できた豊は右目を雪色に発光し、暑かった周囲の気温が一気に下がって肌寒くなった。茜の肩はビクッと跳ねて、怯えた瞳で豊を見た。


「なぜそれを知っている?」


 豊の声は凍えるほど冷たく、殺意を込めた瞳が茜を射貫いた。声を上げそうになって、恐怖に縛られ、身体が硬直した。それでも茜は必死に耐えながら、言葉を紡いだ。


「あ、あの・・・・・・も、萌衣ちゃんに、聞いて・・・・・・」


「・・・・・・なぜお前が萌衣の事を知っている?」


 紗瑠が誘拐された日。

 昇降口まで入ってきた萌衣が、豊に助けを求めてきた事を思い出す。そこには会話の途中だった茜も一緒にいて、豊は直ぐに紗瑠がいる場所へ向かった。

 その時に残ったのが茜と萌衣、二人が邂逅した日である。

 茜はその時に萌衣と話をしたと答えると、豊は一度目を閉じて、再び開いた時には右目は元に戻った。


「あ、あのさ、話したいんだけど・・・・・・いい?」


 豊は溜息を吐いて、長い間が続くと承諾した。

 紗瑠に少し遅れることをメッセージで送り、二人は屋上へ向かった。

 屋上を出ると生ぬるい風が肌を撫で、日を避けるために二人は日陰に移動した。


「えっと、まずメッセージの事なんだけど、これは一体なんなの? いつの間にか消えてるし」


「X《エックス》は俺達アナテマ使い同士で殺し合いをさせて、それを鑑賞する異常者だ。

そのメッセージは殺し合いを煽動するための手段。今回は俺と殺し合いをさせようと目論んでいたようだが、これ以上は無駄だと判断し、お前にメッセージを送るのをやめたんだろ」


「それってホントに? だってそんな事してもーー」


「固定観念は捨てろ。X《エックス》は殺し合いをさせるためにあらゆる手段を使う」


「それって・・・・・・」


 茜は萌衣から少し話を聞いていた。

 なぜ豊が急に雰囲気が変わったのか。

 そして、豊が言うX《エックス》のあらゆる手段とは、一体何を指して言っているのか。それを連想するのは両親の死。

 豊が変わった原因といえる事件、それをX《エックス》は人々から記憶を改竄し、アナテマ使い以外から消え去った。そのためニュースや記事にも話題に上がらなかった。そのためその事件を茜は知ることができなかったが、周囲にそれとなく豊の両親について聞いた。答えは交通事故で亡くなったと皆一様に口にした。

 もちろん茜は豊の両親が交通事故で亡くなった事を知らない。

 知っているのは萌衣の口から語った、惨い死を遂げたこと。

 豊の境遇を知って、茜の目から涙が流れた。


「なぜお前が泣いてる?」


「ぐす、ーーっだって、そ、そんな事情があるとは、思って無くて、ぐす、そ、それを知らずに、っ、え、榎園、つ、っかかって、ぐすっ、ごめん・・・・・・っ」


 急に泣き出して茜は、豊の態度が気に食わないからといって、突っかかった事を謝罪した。あの時はアナテマを使って軽く脅そうとも考えていた。茜はあの時の事を深く反省していた。

 陽キャでスクールカースト上位の地位に居座り、クラスメイトの女子のリーダー務めて居ることもあり、茜は舐められないためにプライドが高い。しかし、茜は根は優しい女の子である。


「同情はやめろ鬱陶しい。もう帰るぞ?」


「だ、だめっ! ま、まだ、ぐすっ、ききたいことが、っある」


 溜息を吐いて豊は仕方なく、泣き止むまで待った。

 しばらくして、泣き止んだ茜の目は赤く腫らしている。

 気持ちを落ち着いた所で、茜はまさかクラスメイトの前で泣き顔を見られるとは思わず、居心地が悪い気分だった。

 恥ずかし気持ちを感じつつ、茜は極力気にしないようにして続きを話した。


「そ、それでさ、そのアナテマって、さっき榎園が使ってたヤツだよね?」


「ああ。だがあんまりアナテマについてはーー」


「ウチのはなんか、猫と同じ身体能力(?)にと言えばいいのかな、アナテマって人によって違うんだね」


 豊が口に注意しようとした言葉が遮られ、茜は自分のアナテマを口外する。そんな無用心さに豊は呆れた表情になる。


「自分のアナテマを他人に口外するな」


「え? どうして?」


「誰が聞いてるか分からない状況で、対策されて殺される。そういう事もあり得る。俺がお前のアナテマを知って、何か企むことも考慮に入れろ」


「あんさ・・・・・・そのお前って、ウチ的に気分悪いんだけど・・・・・・。もしかしてウチの名前知らない?」


 突然話題が変えられ、豊は本当に分かっているのかと思うものの、別に茜がどうなろうとどうでもいい事だと一蹴した。


「・・・・・・必要ないことだろ」


「アナテマとか、榎園と萌衣ちゃんくらいしか相談できんし、何かあったときに話したいの。それにクラスメイトなんだから覚えて貰わないと」


「・・・・・・」


 いつの間にか茜の中で、豊が相談相手として当てにされていた。

 豊としてはこれっきりにして、これ以上関わるつもりはなかった。

 軽く脅そうと考える。


「これ以上俺に関わるな。X《エックス》が何か企んでいた場合、最悪お前をいつか殺す事だってある。俺を信用しない方が良い」


 茜はパチクリと豊を凝視する。その瞳にはもう怯えはなかった。


「・・・・・・萌衣ちゃんの事もそうするの?」


「・・・・・・」


 眉がぴくりと跳ねた豊は沈黙した。それは答えているようなもので、その答えに茜は安堵した。


「別にさ、全て榎園に助けて貰いたいってワケじゃないし。自分の事は自分で何とかする。まだ呑み込めてないし、危機感が無いかもしれないけどさ。でも、やっぱりこうして相談相手がいると、安心するからさ・・・・・・だからさ・・・・・・お願いします」


 茜が頭を下げて、お願いをする姿を目にして豊は溜息を漏らした。


「・・・・・・はぁー、相談相手なら構わん」


「うん、ありがと。そだ、連絡先交換しよ?」


 豊は渋々スマホを取り出して茜と連絡を交換した。SNSの名前の欄は『茜』と表示されている。


「もう用はないだろ」


「名前、交換したんだから分かるでしょ?」


「名字は?」


「別に名前でいいよ。それとも恥ずかしいの? ちょっと性格が変わっても、中身は全然変わって無かったりーー」


「茜、それでいいんだろ」


「・・・・・・うん、まあ・・・・・・・・・・・・よろしく豊」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 豊は遅れて校門を出ると、紗瑠は塀に背を預け、つまらなそうな顔でスマホを弄っていた。そんな紗瑠にチラホラと数人の男子生徒が話しかけている。当然、それに無視、というよりは空気そのものとして扱っている。

 ふと顔を上げた紗瑠は視線に気付いて、豊と目が合うと、パッと花が咲いたように喜色満面となる。周囲の有象無象を避けながら豊に駆けよって、直ぐに不満顔に変わり、ジト目を向けた。

 周囲の有象無象はそんな紗瑠に相手が居ると知り、豊に対して舌打ちをして散っていった。


「遅い」


「遅くなると連絡したはずだ」


「いつも早く来ていたのに、今日になって遅いのはどうして?」


「別にそういう日もある」


「・・・・・・」


 今日に限って遅くなるという連絡が送られた事に、紗瑠の勘が働き、これは何か怪しいと疑いの眼差しを送る。当の本人ははぐらかし、口にすることはなかった。

 実際は説明を面倒と感じて、報告するほどでもないと自己完結していただけである。

 これ以上追求されないように、豊は先に歩き出した。それに慌てて紗瑠は横に並んだ。

 いつもの定位置に、腕が触れ合いそうな距離感。

 ふわりと舞った銀髪から甘い花の香りが漂い、鼻孔をくすぐる。

 思春期の男子高校生なら紗瑠のような美少女に、必然意識し、胸の鼓動が高鳴っていただろう。

 しかし、豊は平常心を維持している。

 せっかく、紗瑠はあざとい行動を起こしているのに、反応のなさに不満を覚え、ぴくりと眉が跳ね上げた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 紗瑠の鼻は、微かに別の女の臭いを嗅ぎ取った。瞬時に遅れた理由が女と会っていたと結論づけた。

 再び疑惑の眼差しを豊の横顔に向け、臭いを上書きするように腕に抱きついて密着する。ほどよい胸の間に豊の腕を挟み、それを堪能させようと押しつける。


「暑苦しい」


「ふふ、それなら豊のアナテマを使えば涼しくなるんじゃない?」


「そんな事で使わない」


 顔色一つ変えない豊に、どうにか欲情して欲しいと、色々と策謀しながら紗瑠はすんすんと鼻をひきつかせる。

 すると、肌の触れ合う密着度合いと豊から香ってくる汗の臭いに、シナジー効果が生まれた結果、紗瑠は頬を赤らめて欲情し始めた。


「・・・・・・さっきからなんだ?」


「ふぇ? ーーあ、今日は家に来るでしょ?」


 焦点が合ってない紗瑠は努めて冷静に会話をする。

 ただし、豊の汗の臭いにより、脳内ハッピーな紗瑠は軽く前戯を済ませていた。

 あとは家の玄関で本番を始めるだけと、それを含めて紗瑠は家に誘った。勝負下着は常に履いているし、玄関で直ぐにスカートを捲るだけ。

 妄想が現実になる日が近いと、紗瑠はほくそ笑む。

 連日30度以上を記録が続いている真夏日である。

 紗瑠は暑さでおかしくなっている。

 紗瑠の思惑も知らず、豊は紗瑠の家に寄ることを肯定した。

 そして道中、豊は周囲から時折視線を感じていた。もう豊はそれに慣れている。視線が向けられる原因は当然紗瑠にある。

 ハーフで銀髪の美少女というだけで必然、周囲の目を惹きつけるだろう。その美少女の横にいるのは、目付きが悪い冴えない少年である。

 最近は体力や筋力を付けるために、運動を欠かせず、筋トレも始めている。以前と比較し、体格に少し変化はあるが、それでも冴えない顔は変わらない。

 そのため、ごく稀に豊が居ても紗瑠にナンパする輩が現れる。

 ちょうど二人に近づく他校の陽キャ三人組が登場。豊の容姿を不躾に確認し、自分たちの方がステータスが上だと不敵に笑う三人。


「なぁなぁ君、霧女の生徒でしょ? 可愛いね」


「俺達とこれから遊ばない?」


「金は俺達が奢るよ」


 三人は豊をスルーして、紗瑠に話しかけた。

 しかし、二人はその陽キャ三人を無視して先へ進んだ。

 最初は理解できずにポカンとしていたが、無視された陽キャ三人はイラついた。二人を先回りして、今度は逃がさないように囲った。


「無視とか酷くない?」


「あ、お前はいらないからどっか行っていいよ」


「俺らはその女に用があるんだよ」


 懸命に実らない努力を続ける陽キャ三人は、執拗に話しかける。

 三人の存在すら認識しておらず、二人は囲まれて道を防がれても歩みを止めなかった。すると豊は目の前にいた男の肩がぶつかる。何事もなかったように去る豊に、肩をぶつけられた男は舌打ちし、豊の肩を掴もうとする。

 しかし、それは紗瑠が言葉を紡いで、男の手がぴたりと止まった。


「ねぇ邪魔。貴方達のような底脳なゴミに興味ないし、その汚い手を私の豊に触れないでくれる? これ以上邪魔するなら・・・・・・腕の一本切り落とすよ?」


 豊が何かする前に、紗瑠は陽キャ三人を路傍の石ころを見るような白眼視で、淡々と言葉を零す。

 陽キャ三人は言葉を失って、茫然自失した。

 そんな三人に目もくれずに、二人は何事もなかったように歩き出した。

 そんな出来事もあり、紗瑠の住むマンションに辿り着いた。

 紗瑠は内心ドキドキしながらエレベーターに入った。今は二人っきり、ここで始めるのも悪くないと思っているとエレベーターは紗瑠が住む階に止まった。少し残念に思いながらも、玄関前まで立ち止まる。

 二人は中に入る。

 紗瑠は直ぐに鍵を閉めて、早速始めようとスカートへ手が伸びてーー。


「あ! 紗瑠さん、豊さんお帰りです!」


 バタバタと小柄の少女ーー萌衣が玄関まで駆けてきて、二人を出迎える。

 紗瑠の手はスカートを掴んだままぴたりと止めて、にこりと笑い、萌衣に返事する。


「ふふ、ただいま萌衣ちゃん♪」


 内心では非常に残念に思っていた。せっかく今日、初めてを豊に捧げる予定で、記念日も考えていたのにと。

 でもまだ猶予はある。いくらでも機会があると自分に言い聞かせて、今日は諦めた。

 紗瑠は部屋着など諸々着替えるため自室に入り、豊と萌衣はリビングへ向かった。

 ソファーへ二人は一緒に向かい、豊は座ると横に萌衣も座る。心なしか萌衣は嬉しそうな顔を浮かべている。


「・・・・・・どうした?」


「え!? あ、あの、え、えへへ」


 萌衣は笑って誤魔化した。一体何を考えているのか分からず、豊はスマホを取り出した。

 X《エックス》からのメッセージは一ヶ月前の一件以来、届かなくなった。

 それは紗瑠や萌衣も同様で、ここずっと普通の日常を過ごしていた。それが妙に不気味に感じていたが、それより直近の問題は萌衣である。

 休日に出かけた際に、占い師の所で萌衣が殺される未来の話を聞いた。それが具体的にいつ起こるかは不明だが、未来は的中すると占い師は言った。

 何かヒントでもあればと思い、豊の未来を視て貰った。

 そして占い師は三つの未来を口述した。

 一つ目が豊と赤髪の青年が殺し合うシーン。

 二つ目が豊を仇だと言う少女との会話シーン。

 三つ目がX《エックス》との邂逅。

 未来が起こる時系列が一つ目から順に来るとなると、直近の問題で可能性があるのが、一つ目の未来になる。

 豊は赤髪の青年と殺し合うと言うが、豊はその青年には出会った事は今までにない。殺し合う理由も不明。

 もし理由があるなら、それは萌衣の未来にあるだろう。

 豊は横に座る萌衣へ視線を向けると、ずっと豊の顔を眺めていた萌衣と視線がぶつかった。以前の萌衣なら怯えた瞳をして、怖がっていただろう。


「あ、あの豊さん? どうしたんですか?」


 今の萌衣は人懐っこい笑みを浮かべていた。

 マスクは付けておらず、フードも被っていない。セミロングの髪は首を傾げた時に揺れ、小動物のような無邪気な顔がきょとんとしている。


「最近何か周囲に変化はないか?」


「変化ですか? えっと・・・・・・まだ豊さん以外の男の人が苦手ですけど、でも以前よりはちょっと大丈夫になりました」


「それは・・・・・・いいことだが、どうして俺だけがなんとも無いんだ?」


「豊さんはお兄ちゃんみたいで優しいからでしょうか?」


「ーーっ」


 不意に萌衣の口からお兄ちゃんと呼ばれて、豊は声を詰まらせた。その様子に萌衣は慌てて謝罪をした。


「ご、ごめんなさいです! そ、そんなつもりはなかったんですが、ごめんなさい・・・・・・」


 情けない姿を見せてしまい、萌衣に気を遣わせてしまった。豊は自分の事を叱咤した。

 それから豊の腕が伸びて、萌衣の頭を優しく撫でた。


「気にする必要はない。これは俺の問題だ。それに、萌衣にそう思って貰えて嬉しいよ」


「あ、あぅ・・・・・・えへへ」


 頭を撫でられた萌衣は頬を微かに赤く染めて、はにかんだ笑みを浮かべた。


「豊、萌衣ちゃん、おまたーー」


 タイミング悪く紗瑠がリビングに入ると、豊に頭を撫でられて、はにかむ萌衣の姿を目撃した。

 不意打ち気味でそれを見せられ、紗瑠は内心焦りを見せたーーが、冷静に考える。

 萌衣は豊の事を「お兄ちゃん」という枠でしか見ておらず、恋愛感情は芽生えないはずと、冷静に分析する。それを脳内で数秒にして結論にいたり、気持ちを落ち着かせた。

 そして、同時に紗瑠は思った。


(私も頭撫でられたい・・・・・・)


 そんな欲求が襲い、直ぐに行動に移した。

 すたすたと紗瑠は豊の目の前に正座し、頭を差し出しながら上目遣いで豊を見つめる。


「なぁ紗瑠、話ならそこのソファーに座ったらどうだ?」


 紗瑠の気持ちも知らず、目の前で正座する紗瑠を訝しんで、豊は対面のソファーへ目を向ける。

 当然不満なご様子で、彼女の視線が正面に座る二人へ注ぐ。

 二人掛けのソファーのため、紗瑠が座るスペースは当然無い。

 萌衣は紗瑠と違い、純粋に豊と一緒に座りたいがために隣にいる。決して紗瑠のような邪な考えはない。

 萌衣を妹として見ている部分もある紗瑠はグッと堪えて、対面のソファーに渋々座った。


「ねぇ豊」


 ふと紗瑠は名案が思い浮かんだ。

 今豊の対面には紗瑠が座っている。そして、紗瑠は今スカート。履き替えた下着は黒。

 それならスカートを捲って豊に見せつければ良いのではと思った。

 そしてもう一度言おう、暑さで紗瑠の頭はおかしくなっている。

 紗瑠は萌衣がいるにもかかわらず、それとなくスカートを捲って豊に見せつける。


「なんだ?」


「もう夏だし、もうすぐ夏休みだよね?」


「そうだな」


「みんなで海行きたいわね?」


「あ、海いいですね! 豊さん、一緒に海行きたいです!」


「・・・・・・息抜きも必要か。考えておくか」


「ふふ、海楽しみね♪」


「みんなで海行くことなかったので、嬉しいです!」


 萌衣も豊と同様にぼっち歴が長かったため、友達と海に行く経験はなかった。今回が初めてとなる。


「水着用意する必要があるわね。豊はどんな水着がいい?」


「別に何でもいい」


 水着と聞いて萌衣は自分の貧相な胸へ視線を落とした。それから紗瑠の胸へ目が行き、溜息を漏らした。それから豊を上目遣いで聞いた。


「あの豊さん・・・・・・わ、私でも女の子っぽいでしょうか?」


「? 萌衣は十分に女の子だろ」


「うぅ、ありがとうございます・・・・・・あ、いえ、豊さんは胸の小さい子はどうなのかなって・・・・・・」


 徐々に言葉を小さくして呟き、豊に問いかけた。さすがに隣にいるから声は聞こえていた。ただ返答に困った豊は当たり障りのない言葉を紡いだ。


「別に気にしなくていい。萌衣の魅力に気付く人がいつか現れる」


「そう、ですね・・・・・・えへへ」


 二人の会話に紗瑠は沈黙する。あくまで萌衣は豊を「お兄ちゃん」枠でしか見ていない。そう言い聞かせて、気持ちを落ち着かせる。それにさっきからスカートを捲ったままなのに、豊は一度も下着を見なかった。

 掴んでいたスカートを離して、紗瑠は思案する。


「豊は小さい子が好きなの?」


「なんだいきなり?」


 紗瑠は直球で核心を突く質問をする。もう豊の気持ちを知ろうと躍起になっていた。


「どうなの?」


「俺はロリコンの趣味はない」


「ふーん?」


 豊の言っていることは本当の事だと知り、プランを練っていく。


「あの紗瑠さん、そろそろ夕食の準備しませんか?」


 時計は17時を過ぎている。萌衣の言うとおり夕食の準備をする時間帯だ。一旦プランを練るのを中止した紗瑠は立ち上がる。

 萌衣も一緒に立ち上がり、キッチンへ向かった。最近は三人で食べることが多く、紗瑠と萌衣が料理をしていた。

 そんな二人の姿を目にして、一瞬だけ豊は哀しい気持ちになった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「おう、剛またな」


「ああ、また明日」


 部活を終えた柴田は友人と別れた。

 時刻は19時を過ぎて、街灯で道を照らし、柴田は鞄を肩に背負い、周囲に人は歩いておらず、一人帰路に着いていた。

 すると突然右目に激痛が襲った。


「ぃっつ!? な、なんだっ!?」


 徐々に痛みが増して、膝を着いた。右目を押さえた柴田は必死に痛みを堪えた。やがて徐々に痛みが引いていく。一体自分の身に何が起こったのか。

 サッカーの練習中に何かしたかと思い起こすも心当たりはない。それか病気を疑ったが、柴田はいたって健康状態であった。

 痛みが治まると、柴田は立ち上がる。


「一体何なんだこれ」


 最近イラついていた柴田は余計にストレスが溜まる。もしかするとストレスが原因で、突然右目に激痛が走ったのかと思った。これ以上、痛みも再発する事がなかったため、気にしないことにした。

 しかし、一つ妙な事があった。

 それは知らない記憶が刻まれていること。


「は? んだよこの記憶」


 それはアナテマの使い方についての記憶だった。

 柴田はワケが分からなかったが、取りあえず試しに使って見た。

 右目に幾何学模様が浮かび、滅紫めっしに発光すると、目の前の地面が見えない力で沈んだ。


「・・・・・・は?」


 本当にアナテマが使えて、柴田は愕然とした。目の前にはさっき柴田がやってみせた地面が沈んでいる。


「マジかよ」


 柴田は困惑し、直ぐにこの力は危ないと判断した。もしこれを人に使えば簡単に人が殺せてしまう。それに恐怖を覚えた。

 一旦、アナテマについてこれ以上使わずに、これからどうしようか考える事にして、沈んだ地面を横目にその場から離れた。

 すると今度はスマホが鳴った。

 確認した柴田は眉を顰めた。それは知らない人からのメッセージ。


『やぁ、柴田剛しばたつよし君。その力はどうだろうか? 早速だが君はある男に狙われている。その男も君と同じ力を持っている。その力でその男は君を殺そうと企んでいるんだ。男の名前は星崎竜斗ほしざきりゅうと。なぜ君が狙われているか、理由を知りたいかい? 確か君のクラスメイトに榎園豊という男がいたと思うが、その彼が星崎竜斗に命令をしているんだ。目障りな君を殺すように、ね。助かりたかったら君のその力で星崎竜斗を殺すんだ。そして、命令を下した榎園豊も同様に殺すんだ。出なければ君は殺される。では頑張ってくれ』


 そのメッセージを読み終わって、柴田は怒りを覚えた。

 最近豊が気に食わなくて、苛立って突っかかることが多かった。何か痛い目に合わせることができないか考えた事もある。もしその事に豊が目障りと思っていたら?

 メッセージには第三者に指示して、柴田を殺そうと企んでいる。

 ばかばかしいと思う反面、豊ならあり得そうと思ってしまう。何を考えているのか分からず、陰キャなら絶対に俺を排除しようと考えるはずだと。

 しかも自分は直接手を出さず、第三者が手を下す。その事に柴田は腹正しく思った。


「あいつ!? 自分では何もできないからって、他の人にーーっ!? 絶対に許さねぇ!」


 柴田は帰宅する前に、豊を探しに行くことにした。

 冷静に考えれば、あり得ないと一蹴できた内容のはずだが、それほど柴田には余裕がなかった。

 彼はX《エックス》の思惑通りに動いてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る