第十話 誘拐

「ねぇ紗瑠、最近良いことでもあったの?」


 帰り支度をしていた紗瑠の席に友人の藤牧聖沙ふじまきみさが疑問を口にした。

 最近の紗瑠は妙に機嫌がよく、ふとした時に視線を向けると幸せな笑みを浮かべている場面が多かった。ここ最近ずっとそれが気になって、聖沙は聞いた次第である。


「え? 良いこと?」


 紗瑠は顎に人差し指を当て、考える仕草をする。その紗瑠の仕草一つ一つは、誰もが目を惹かれ、見惚れるほど。紗瑠の美少女っぷりは周囲の男を虜にする魅力的な女性である。それは同性でも羨ましく、見惚れてしまうことしばしば。

 そんな周囲の評価など関心が薄い紗瑠は、聖沙に問われた最近の出来事を思い浮かべる。いつも通り、当たり前な日々を過ごしていたため、特に思い至る節が見つからなかった。

 それは豊との日々も一緒。既にそれが紗瑠の中で当たり前な日々。

 だから、最近良いことがあったかと問われても、咄嗟に出てこなかった。


「特に無いと思うけど・・・・・・?」


「ほんとーに? スマホ見てニヤニヤしてたし、きっと何か良いことでもあったんじゃないのかなって思ったんだけど・・・・・・、あ! もしかして、彼氏ができたとか?」


 聖沙は何となく思った事を口にした。それは自分も欲しいと切望していた事だから直ぐに出た。

 だけど、紗瑠が男を毛嫌いするほど、遠ざけている事も知っている。自分で口にして、それは無いだろうと否定する。


「彼氏・・・・・・ふふ」


 しかし、聖沙はぎょっとした。あの紗瑠が否定も肯定もせず、聖沙が見た幸せな笑みを浮かべたから。


「本当に彼氏・・・・・・なの?」


 信じられずもう一度質問する。


「ふふ・・・・・・」


 言葉にせずとも幸せな笑みを見せられたら、それは暗に彼氏ができたと言っているようなものだった。聖沙は、まさかあの男嫌いな紗瑠に彼氏ができるとは思ってなかった。


「え? 本当に? だって紗瑠って男嫌いでしょ? 嫌悪するレベルだって遠ざかってたじゃん」


「確かに男は品が無く、嫌いだけれど・・・・・・私だって別に興味が無かったワケじゃないわ」


「ふーん? たまにイケメンとかに声を掛けられても素っ気なかったし、てっきり興味なかったと思ってた。というより、あっちの趣味だと」


「同性愛者じゃないわよ。それと私って中身重視だから、外見は気にしないの」


「まあ紗瑠に彼氏ができるのは喜ばしい事だけど・・・・・・まさか先を越されるとは思わなかったよ。しかし、紗瑠をそこまで虜にした彼氏が気になるわね」


 実際紗瑠は彼氏ができたワケじゃない。彼氏というワードに悦に入って、脳内はハッピーとなり、事実を口にできずに妄想の世界に浸っていた。その結果、聖沙が勝手に話を進めただけの話。

 ならこのまま勘違いして豊の彼女気分を味わうのもいいだろうと、訂正しなかった。


「聖沙、友達だからって彼は渡さないわよ?」


「いやいや、さすがに紗瑠の彼氏を狙ったりしないよ。私の身に何が起こるかわからないし・・・・・・」


 聖沙は知っていた。紗瑠の恐ろしい本性を。

 それは以前、お互いの恋愛観について話題になったことである。

 もし好きな人ができたらという話に、紗瑠は答えた。徹底的に自分の事を好きになって貰うためにあれこれアプローチをし、好きな人に好意を向ける女を追い込むと。それは恐怖を植え付けたり、脅迫まがいな事も許容し、自分の物にすると語っていた。

 最初は聖沙も冗談だと思っていたが、紗瑠の目は本気で少し恐怖を覚えたほど。その日以来、絶対に紗瑠に好きな人や恋人ができたら、相手に近づかないと誓ったのだ。


「聖沙なら彼氏できそうだと思うけど?」


「う~ん、これといって出会いが無くてね・・・・・・。そういえば、紗瑠に彼氏ができたのって私が紹介した占い師のおかげだったりするの?」


「そうね。占い師のおかげで彼と出会えたのかも。運命の人が現れると言われても、最初は信用してなかったけど・・・・・・。あの占い師の力は本物のようね」


「運命の人か。私はそんな事言われなかったから羨ましいよ」


「聖沙はなんて言われたの?」


「私は・・・・・・偶然出会った異性と仲良くなれるけど、後々トラブルが起こるって言われたかな・・・・・・。なぜ私はトラブルが起こるのよって感じ。今のところ何も無いけど」


「それはご愁傷様ね。あの占い師、当たるから気をつけた方がいいわよ」


「うぅ・・・・・・これほど当たって欲しくないって思った事ないよ」


 二人はしばらく雑談してから、先に聖沙は帰った。

 それから紗瑠も教室を出て昇降口でローファーに履き替えた。友人との会話で少し時間を浪費したけど、問題はない。

 校門を出て総府高等学校の方へ歩き出して、紗瑠は妙な気配を感じていた。周囲に人気は無いが、誰かに見られている視線。

 そして視界に人影を見かけた瞬間に行動に移した。

 竹刀袋から刀を取り出し、右目を紅藤色に発光し、視線の先にいるチンピラ風の男へ斬り掛かる。


「ひっ!?」


 チンピラ風の男は突然襲いかかる刀に驚き、眼前に迫る刃に死を覚悟した。しかし、殺す寸前で後頭部に何か固い物を押しつけられた。


「悪いが動くなよお嬢ちゃん。それとアナテマの発動は解け」


 念動力で操っていた刀を解いて、チンピラ風の男の前へ落ちた。


「・・・・・・貴方誰?」


 背後の男の他にも周囲に仲間らしき人物も確認できた。


「悪いが俺と一緒に来て貰うぞ? ボスがお待ちだ」


「何が目的なの?」


「さぁな、俺からは何も話せない。ボスと直接会話しろ」


 アナテマの事を知っている。同じアナテマ使いであり、他にも何人かいる。一人で複数のアナテマを相手にできない。それに銃を突きつけられては従うしかなかった。

 紗瑠は大人しく男の言うとおりにした。

 近くに止まっている黒いワゴンカーまで歩かされ、中へ入るように促される。紗瑠は一度立ち止まり、視線を上に向けた。視線の先には鳥が立ち止まっている。


「ほら、早く乗れ」


「・・・・・・」


 紗瑠は男の言うとおり、中に入った。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 一方、豊は直ぐに教室へ出て行こうとしたところで、柴田に声を掛けられた。

 また面倒事が起こる予感に辟易した。


「お前さぁ、確か霧女の子と一緒にいたよな?」


「・・・・・・」


 否定せず豊は視線だけで話の続きを促した。その態度に柴田は眉をぴくりとし、苛立ちが募るが続きを話した。


「あの子の弱みでも握ってんの? それマジで最低だからな?」


 さも事実のような口振りで、軽蔑の眼差しを豊に向ける。

 二人の話に耳を傾けていたクラスメイトも同様で、ヒソヒソと豊の罵詈雑言が飛び交う。


「身に覚えが無いだが。それは誰かが根も葉もない噂を流したからか?」


「噂されるようなことお前やってんだろ? 普通そんな話が出てこねぇからな」


 昨日の茜との一件が原因で、学校中で豊に関する噂が流布されていた。

 曰く、霧葉女学園の生徒の弱みを握って服従させている。

 曰く、他にも女子を服従させ、性の捌け口にしている。

 曰く、中には小さい女の子まで毒牙に掛け、やりたい放題。

 そんな根も葉もない内容が豊の知らない間に広まって有名になっていた。

 噂の発祥は謎、豊としては迷惑極まりない。


「昨日の仕返しに、根も葉もない噂を流したのはお前か?」


「は? 知らねぇよ。つーか、なんだお前? 調子に乗るなよ」


 これじゃあ時間が無駄に浪費する一方、この事態の収拾が付かない状況を打破するには、柴田が納得する形にならなければならない。それはクラスメイトも同様。

 金輪際、紗瑠に近づかないと言葉にすればいいのか、土下座して詫びれば良いのか、どんな形でも豊の惨めな姿を晒したいのだろう。

 はっきり言えば、柴田の事、噂の事、クラスメイトの評価など豊にとって興味がない。勝手に噂を流布すればいいし、勝手に評価を下げればいいと思っていた。

 ただ無駄に呼び止められ、突っかかってくる事だけは止めて欲しかった。こうして言い合いをしている間にも時間は浪費し、紗瑠を待たせてしまう。

 豊は溜息を漏らし、そもそもの起因となった人物へ視線を向けた。

 二人の会話を聞いていた茜と視線がぶつかる。無言の圧で、さっさと止めろと訴える。

 睨まれた茜は悲鳴を上げそうになったが、グッと呑み込んで必死に恐怖心を抑える。友人達に何か言われても、何でも無いように苦笑を浮かべ、茜は立ち上がって豊達の方へ近づく。


「し、柴田君? もし昨日の事が原因ならホントにウチは気にしてないから?」


「別に昨日が原因でも無いよ。最近のこいつがムカつくだけだよ」


「で、でも、そ、そんな陰キャの事、気にするだけ無駄というか・・・・・・」


「こいつは他校の生徒の弱みを握ってる最低な野郎だぞ?」


「そ、それもホントの事かわからないし・・・・・・。え、榎園も知らないって言ってるしさ」


「なんだよ。こいつの味方すんのか?」


「え? いや、だからそんなよく分からない噂に振り回されるのもどうかと思ってるし。そういうのウチ、嫌いだし」


「・・・・・・、わかったよ」


 茜の言葉に、未だに納得しない柴田だが一度引いた。

 クラスメイトの女子のリーダーの発言により、クラスメイトも渋々豊に対する罵詈雑言を止め、そそくさと教室を出て行った。

 ようやく事態が収まり、豊は溜息を漏らして、鞄を手にした。さっさと教室を出る豊に柴田は舌打ちをしていた。

 豊は昇降口まで来ると、背後から声を掛けられた。


「ちょっと、え、榎園。話がしたいんだけど・・・・・・」


 茜の瞳はまだ怯えの色を見せていたが、それでも豊に聞きたい事があった。声を掛けられた豊はさすがに苛立ちが募る。


「人が待ってる」


「それって・・・・・・霧女の子?」


「・・・・・・」


「だ、だったら噂がホントかどうか確かめるためにも合わせてくんない? それにその子ももしかしたら・・・・・・」


 茜の行動に豊は疑問符を浮かべた。

 昨日から突っかかってきて、これ以上関わってこないように脅しもした。

 それなのに、豊に恐怖を感じているにも関わらず、また声を掛けてくる。

 同じアナテマ使いだから、何か聞きたいのか。それともエックスのメッセージについて聞きたいのか。

 元々接点がなく、対極に位置する立ち場。例えクラスメイトでも信用できない相手。不用意に紗瑠に合わせたくない気持ちはある。

 もし茜が何かを企んでいて、殺しに掛かってくる可能性もある。

 いっその事、脅威になり得るなら殺そうかと思った。

 沈思黙考する豊に、茜は不気味さを感じ、内心その場から早く離れたい気持ちが強くなる。でも何も知らないままなのも気持ち悪く、茜なりに知ろうとしていた。

 二人の間に沈黙が流れてしばらくしていると、第三者から慌てた様子で声を掛けてきた。


「ゆ、豊さん!」


「萌衣? どうしてここに?」


 マスクにフードで顔を隠した萌衣である。昇降口まで入ってきて訝しんだが、その慌てた様子に何か嫌な予感を覚えた。


「そ、それが紗瑠さんが誘拐されました!?」


 それを聞いた途端、豊の脳裏に両親の死がフラッシュバックした。自然と拳を強く握りしめ、怒りが沸き起こった。


「萌衣、紗瑠の居場所は?」


「特定してます!」


 萌衣に案内役を頼み、急いで紗瑠の元へ向かおうと思った矢先にスマホが振動した。舌打ちした豊は画面を確認すると、紗瑠からの着信だった。誘拐されている紗瑠が電話を掛けてくるのはおかしい。となると紗瑠を誘拐した相手になる。

 通話ボタンをタップした豊はスマホを耳に当てると、男の声が聞こえてきた。


『よぉ、榎園豊。洋輔を殺ったのはテメェなんだろ? 別に仇じゃねぇが、こっちにもメンツってのがあるんだよ。仲間を殺されて、黙っていられねぇんだよ』


 電話の相手は洋輔達のボスと呼ばれる岩倉。紗瑠を誘拐するよう命令を下し、豊を狙う人物である。

 岩倉が存在する限り、エックスの用意した舞台はまだ終わらない。


「・・・・・・あのクソ野郎は殺されて当たり前だ」


『そんな事知らねぇよ。洋輔が勝手にやったことだ』


「紗瑠は無事なんだろうな?」


『さぁな? 確認したけりゃあ、来いよ。俺はテメェにも用があるんだよ』


 岩倉はとあるビルのテナント募集されている場所の住所を告げてきた。これから捜しに行くところだったため、手間が省けた。


「紗瑠に何かあったらお前を殺す」


『ずいぶんイキがるじゃねぇか。テメェが来るまで手を出さねぇでやるよ。楽しみはそれからだ』


 電話が切れると、豊は乱暴にスマホをポケットに入れた。

 そんな姿に萌衣は不安そうな顔を浮かべて、豊は萌衣の頭部に手を置いて優しい手つきで撫でた。


「悪いが萌衣は紗瑠の家で待っててくれ」


「は、はい。豊さん、紗瑠さんの事お願いします!」


 本当は一緒に行きたい気持ちはあるが、萌衣は自分が一緒に行っても足手まといになるだけと自覚していた。

 萌衣の事を一瞥してから豊は駆け出して、紗瑠が誘拐されている場所へ向かった。

 そして、残ったのは萌衣と茜である。

 豊は完全に茜を意識から外されて、さっきまで会話していた事さえ忘れ去られていた。茜は声を掛ける暇さえなく、その事に多少不満を覚えていた。ただ先ほどのやり取りを黙然と聞いて、学校中で流布されている噂の真相も必然知ることもできた。


「・・・・・・」


 それと豊に聞きたい事もあり、それを聞きそびれた茜はどうしようかと、視線が自然と萌衣へ向けた。

 萌衣は紗瑠の無事を願い、豊の言われたとおり紗瑠の家へ戻ろうとした。


「ねぇ、あんたって榎園の妹?」


「え? えと、あの」


 突然声を掛けられ、振り向いた萌衣は茜の姿にビクッと肩を振るわせた。

 紗瑠の誘拐を豊に伝えないといけないと、必死だったため、総府高等学校の敷地に勝手に入っていたことに今頃気がついた。


「ご、ごめんなさいです!? あの、直ぐに出て行きます!?」


「別にそれはいいんだけどさ」


 萌衣は疑問符を浮かべるも、茜は明らかに萌衣と真逆の存在、その事にビクビクしていた。警戒されていると感じた茜はどうしようかと、明後日の方向へ視線を向けて口を開く。


「あー・・・・・・ウチは榎園のクラスメイトなんだけどさ。話盗み聞くような事して悪いけど、大丈夫なの?」


 豊と電話していた相手は半グレのボス。そんな相手のいる場所に一人で行って大丈夫なのかと茜は思った。普通なら一人で向かった所で、最悪死ぬこともあり得る。

 警察に連絡しなくていいのか、という問いかけだった。


「ゆ、豊さんならだ、大丈夫です」


 何を根拠に大丈夫なのか、おそらく普通の人なら疑念を抱くだろう。しかし、茜は違った。

 豊はアナテマ使いである。そして、茜は萌衣も同様にアナテマ使いだと確信していた。同じ世界の住人。

 未だに茜は異能力アナテマとはなんなのか、エックスは何を企んでいるのか、知らない。本当ならそれを豊に聞くつもりだった。

 それならーー。


「・・・・・・ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどーー」

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