第五話 暁烏紗瑠の想い
目が覚めた豊はまず最初に視界に入ったのは見慣れない天井。目覚めたばかりで、自分の状況を把握出来ていなかった。キョロキョロと周囲を確認すると、白やピンクといった配色が目に入り、女子の部屋の中にいるよな感じだと思った。実際、陰キャぼっちの豊は女子の部屋に入った事がないため、想像でしかない。
それにさっきから甘い香りの花が鼻孔をくすぐってくる。まるで紗瑠から感じる香りと一緒だ。
上体を起こそうと、ベッドに手を着いた瞬間、激痛が走って再び横になった豊は腕の痛みに苦悶した。そこでようやく自分が怪我を負った事を思いだした。怪我した腕は打撲しており、少し動かしただけでまだ痛みが襲ってくる。
もう片方の腕で布団を除けると、打撲した腕には包帯が巻かれていた。洋輔に殺されそうになった記憶も想起し、慌てて上体を起こし、紗瑠の無事を心配した豊だが、打撲した腕を動かした瞬間に再び苦悶した。
「いつつ・・・・・・紗瑠さんは? ここはどこだ?」
打撲してない方の腕で上体を起こして、周囲を見渡した。
テレビやパソコン、クローゼット、本棚と一般的な家具などが置かれて、チラホラとぬいぐるみも置かれている。整理された綺麗な部屋は可愛らしく、直ぐに女子の部屋だと確信した。
「もしかして紗瑠さんの部屋とか・・・・・・?」
洋輔との一件の後、紗瑠は気絶した豊をタクシーで家まで運び、医者を呼んで怪我の具合を診て貰ったのがこれまでの経緯である。
紗瑠の部屋だということを予想できた豊は徐々に意識し始めた。心臓はドキドキとうるさく鳴っている。
「・・・・・・なんか肌寒くない?」
豊は肌寒さを感じ、自分の身体へ視線を落とした。なぜか上半身裸となっていた。下半身はというと、パンツだけになっている。
「うぉ!? 裸!?」
ガチャというドアが開く音がした。
「あ! 豊起きた?」
「ひゃい!?」
部屋に入ってきた紗瑠に声を掛けられ、驚いた豊は咄嗟に布団を被って、変な声が漏れた。しかし、布団からは女子特有の香りが鼻孔をくすぐってくる。紗瑠の匂い。
嬉しいやら恥ずかしいやら豊は対処に困っていた。
そんな彼の姿に、紗瑠は優しい笑みを浮かべた。
「腕打撲してるみたいだから、安静にしないとダメだよ?」
平静を装いながら紗瑠は内心ドキドキしていた。自分のベッドに横になっていた豊へ視線を注ぎ、今すぐにでも一緒に布団の中に入りたい欲望が訴えてくる。
偶然とはいえ、せっかく家に連れてきたのだから、既成事実を作ってしまいたいという迸る想いに身を焦がしていた。
そんな紗瑠の心情を知らず、豊はお礼を述べる。
「あ、ありがと・・・・・・。そ、それより、紗瑠さんがここまで?」
「うん。タクシーでここまで。医者を呼んで診て貰ったけど、包帯は私がして・・・・・・ふふ」
何かを思い出した紗瑠は顔を手で覆った。豊からその表情を知ることができなかっただろうが、今の紗瑠はニヤついて、頬を赤らめていた。
その様子に豊は疑問符を浮かべていた。しばらくして、覆っていた手を除けて、いつも通りの優しい笑みと微かに赤い頬。
なぜ頬が赤いのか。その理由に行き着いた豊は、自分が裸ということを思い出す。
「豊の胸板って結構大きくて・・・・・・男の子なんだね?」
紗瑠のその一言に、気恥ずかしさと甘酸っぱい雰囲気が出来上がる。
普通ならここでラブコメが起こってもおかしくない状況だが、陰キャの豊は女子と会話した事もなければ、恋愛に臆病な少年である。
頭の中はテンパって、視線があちこちと定まらず、必死に話題を探し、ふと豊は気になったことを口にした。
「紗瑠さんの両親とか、大丈夫・・・・・・?」
今の状況を紗瑠の両親に見られたら一発でアウトである。腕の打撲で言い訳ができるだろうかと、色々と考えていると紗瑠は物哀しげな表情をした。
「お父さんとお母さんは・・・・・・交通事故で亡くなったわ。今私はここで一人で暮らしてるの」
「そ、そうだったのか・・・・・・」
地雷を踏んでしまい、どう声を掛けたらいいのか分からず、黙ってしまう。そんな豊の心情を察して「もう気持ちの整理はついてるから気にしないで」と紗瑠は答えた。
先ほどの雰囲気もどこかへ霧散し、豊はどうしようか考えていると、紗瑠は気遣って話しかけてきた。
「いい機会だし、豊には色々と私の事を知って欲しいな。だから何でも聞いて?」
豊は何を聞こうか迷い、最初に聞いてみたかったことを質問する。
「アナテマに目覚めてから紗瑠さんはどうしてたんだ?」
「そうだね・・・・・・」
紗瑠がベッドに腰掛けて、人差し指を顎に当てて当時のことを思い出す。
「私がアナテマに目覚めたのは半年前になるかな。最初はワケが分からなくて、あまりアナテマを使うことはしなかったけど、ある日、
最初はそのメッセージが気味悪くて、無視して気にしないようにしていた。ただ記憶の中に、アナテマの基本的な使い方が刻まれていた事が気懸かりだった。
事件が起こったのは翌日の放課後。一人帰宅していた紗瑠を突然、ツタで手足を拘束された。地面に倒れ、事態に呑み込めなかった紗瑠だが、まずツタを何とかしようとした。
しかし、いきなり現れた知らない男に馬乗りにされ、身動きできない状態となった。
汚らわしく下卑た笑みと欲望にまみれた表情に、恐怖と怒りを覚えた。すぐに声を上げて誰か助けを呼んでも周囲には人気が無い。それは
抵抗ができず、青ざめた紗瑠は本気で犯されると思った。
「あの時は犯される程度なら舌噛んで死のうかと思ってたわ」
「・・・・・・じゃあ、助かったのって」
「豊の想像通りよ」
唯一紗瑠が助かる方法が一つだけあった。
前日に開花したアナテマ。
使い方はもう知っている。
紗瑠はその時初めてアナテマを使った。
男の脳内は目の前の女の子を犯す事しか考えておらず、紗瑠の右目が紅藤色に発光していることに気付いてなかった。
念動の力で近くにあった鉄パイプを操って、男の身体を貫通させた。殺すつもりはなかった。ただ怒りが無意識に殺意へと変わったのだろう。
鉄パイプで身体を貫通した男は、自分の身に何が起きたのか分からずに死んだ。
血が紗瑠の顔に落ちて、血の気が引いた。そんなつもりはない。この男が襲ってくるから悪い。
人を殺したのはそれが最初だった。
その後、
その結果、紗瑠は他のアナテマ使いから冷血な女王と呼ばれるようになった。
話し終えた紗瑠は自虐的な笑みで、「自分は既に壊れているのよ」と呟く。
紗瑠の話を聞いていた豊はその壮絶さに絶句し、やがて怒りが沸いてきた。
「それが
こんな事がなければ、紗瑠は普通の女の子として過ごしていた。それを
同じ異常な世界に招かれた豊は、紗瑠の話を聞いて決心が付いた。
「俺じゃあ頼りないかもしれないが、俺は紗瑠さんの味方だし、いつでも助けになるよ。協力関係というか・・・・・・仲間だからさ、これからもよろしく」
「あ、ありがと、豊」
豊の男らしい言葉に、紗瑠は珍しく照れて、顔を真っ赤にした。そんな顔を見られたくなくて、手で顔を覆って隠した。
「そういえば、朝・・・・・・紗瑠さんに人を殺して欲しくないって言ったけど・・・・・・最初俺、紗瑠さんの事が怖いと思ってたんだ・・・・・・事情も知らずにごめん」
「豊がそう思っていた事は分かってた・・・・・・謝らなくていいよ。それに約束は守るから。だけど豊に何かあったときは・・・・・・その時は守れる自信はないからね」
「本当なら話し合いで解決できればいいが・・・・・・紗瑠さんの話を聞いたら、自己防衛は必要になるよな。俺も最悪死んでいたかもしれないし・・・・・・」
紗瑠と対話して、殺し合いを回避していたから危機意識が薄れていた。人殺しはしたくないとか、させなくないとか、そんな綺麗事は言ってられないと思った。それでも豊はまだ一歩踏み出せないでいる。普通なら殺し合いなんて物騒な世界には住んでいない。怖いと思うのは当たり前だろう。でも最悪な選択肢を選ばざるを得ない状況になるかもしれない。
「豊はやっぱり優しいね。・・・・・・もし殺し合いを回避できるのなら私もその選択肢を選ぶようにする。豊がそう考えるなら、私はそれに従うからね」
「・・・・・・ありがとう」
「ふふ、それじゃあ他に私に聞きたいことは?」
「え? そうだな・・・・・・そういえば紗瑠さんって霧葉女学園だよね?」
「うん、そうだよ?」
「・・・・・・」
今まで真面に女子と会話した事は無い。クラスメイトの女子とも会話した事は業務連絡くらいだろう。陰キャでぼっちと学校では認識されて、話しかけられる女子はいない。なら他校の生徒と会話するのはどうだろうか?
既に紗瑠とは、普通に会話できる程度にはなっていると自負があった。
それなら紗瑠に頼み込んで霧葉女学園の生徒と会話し、あわよくば友達になれないかと思った。別に異性に飢えているとかではなく、紗瑠と話すだけでも嬉しいくらいだ。
ただ青春を謳歌するために、他校の生徒とも仲良くなりたい。
豊は紗瑠に霧葉女学園の生徒を紹介して欲しいと口にする前に、紗瑠は言った。
「ダメ」
「・・・・・・え? まだ何も言ってないけど?」
「ふふ、豊が考えてることは何でも分かるの。私がいるのに、私以外の女に手を出すの?」
「い、いや、別にそうじゃないけど・・・・・・えっと、ほら、あんまり女子と喋った事ないし、友達が欲しいなって思って?」
「そういえば、豊のお母さんのお腹には赤ちゃんがいるんだよね? いつ生まれてくるの?」
露骨に話題を変えられた豊はこれ以上、霧葉女学園の生徒を紹介して欲しいと言えず諦めた。
「ど、どうだろ。反応はしてるみたいで、たまにお腹を蹴ったりするって言ってたかな」
「元気な赤ちゃんだね♪ ふふ、豊はお兄ちゃんになるんだよね? 豊のようなお兄ちゃんがいて羨ましいなー。ね? お兄ちゃん♪」
「うぅ、紗瑠さんにそう呼ばれると、くすぐったいというか・・・・・・」
紗瑠にお兄ちゃんと呼ばれて、にやけてしまう。口元をヒクヒクさせ、その呼び方は悪くないと思っていた。紗瑠なら年下だし、お兄ちゃんと呼ばれても不自然じゃないだろう。
「でも・・・・・・豊がお兄ちゃんだと・・・・・・特別な関係になれないよね。ふふ」
「え? それはどういうーー」
「ねぇ豊。私も赤ちゃんが欲しいかも・・・・・・」
紗瑠の濡れた瞳と交わり、必死に意識しないようにしていたが、紗瑠の部屋で二人っきり。意味深な台詞。自然と意識してしまう。
紗瑠の腕が伸びて、布団の中に手を入れると、豊の胸板に触れる。冷たい指がツーとなぞり、身体がゾワゾワッとして変な声が出そうになった。
「あ、のーーっ、しゃ、紗瑠さんーーっ!?」
「なあに?」
甘えた声と妖艶な笑み、それとは別に不機嫌な感情も見えた。
二人っきりなのにあまり意識されず、あまつさえ、女子を紹介して欲しいと頼まれそうになった事を根に持っている。
この際、このまま既成事実を作ってしまおうかと紗瑠は考え、豊にその気にさせようと胸板を何度も撫でて誘惑する。このままだと豊の理性が保てない。
「お、俺、そ、そろそろ帰らないと!?」
女子に免疫が無い豊の顔は真っ赤に、せめてもの抵抗と声を上げた。
「・・・・・・・・・・・・」
紗瑠は目をパチクリさせて、豊の胸板から手を離した。
豊も男である。誘惑に抗わず、雰囲気に流されていけば、ここで脱童貞となることもできただろう。
「ご、ごめん・・・・・・」
しばらく紗瑠は思索に耽って、ベッドから立ち上がる。そして豊に聞こえない声で呟く。
「焦らなくても、ゆっくり豊と愛を育んでいけばいいよね? まだ時間もあるし・・・・・・。でも・・・・・・豊が欲しかったなあ・・・・・・」
急に離れて無言となった紗瑠に、豊は怒らせてしまったかと焦り始めた。
果たしてこんな時、どう声を掛けたら正解なのか。雰囲気に呑まれて、そのまま前へ進めばよかったのか。
いくら考えても答えは見つからず、豊は居たたまれない気持ちになった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
紗瑠は豊を玄関まで見送りして、去って行く豊の背中を見つめる。本当なら家まで送るつもりだったが、夜道に紗瑠を一人にするのが申し訳ないと断った。それも理由の一つ、実際の所、豊は二人でいるのが気まずかったからである。
玄関が閉まると、紗瑠はしばらくその場に佇んでいた。途端に寂しさが襲ってくる。
「豊・・・・・・」
恋しく感じた紗瑠は彼の名前を口にした。
もっと近くにいたい、もっと彼を感じたい、そう思える人に出会えるとは思ってなかった。
アナテマを与えられてから、紗瑠が出会った男は碌な輩ばかりで、いつしか男は気持ち悪い、欲望にまみれた性欲の塊、男という生き物に嫌悪感を抱いた。ハーフ、銀髪、外国風の顔、それらが人目に付く原因となり、周囲の男はお近づきになりたいと躍起になって寄ってくる。紗瑠が女子校を選んだのは男を視界に入れたくなくて、近づく男が煩わしかったからだ。
男という醜い人が存在しない女子校は紗瑠にとって憩いの場であった。
ある日、友人から有名な占い師を紹介され、興味はなかったけど、何となく占い師がいる場所へ行った。
フードを被って顔は見えなかったけど、声は若い女性の占い師。
来てしまった手前、やっぱやめたとは言えず、取りあえず占って貰った。
すると、占い師は言った。
『貴女は近々、運命の人と出会うだろう。その人は貴女を良い方へ導き、決して裏切らない。もし選択肢を誤れば、二度と運命の人は現れない。貴女の直感に従いなさい』
運命の人。
はっきり言えば、紗瑠は占い師の言葉に半信半疑だった。男を嫌悪している紗瑠に、運命の人と出会うなんて言われても想像できなかった。
豊と出会う前日まではそう思っていた。
いつも通り
豊も最初は碌な男じゃないと思っていた。
しかし、豊の必死な表情、真摯な言葉、彼に迫られてもなぜか嫌悪感を抱かなかった。そして紗瑠は思った。
この男は他の男とは違う。
豊の言葉に胸の鼓動が高鳴り、惹かれて、この人が運命の人と知った瞬間、恋に落ちた。
そんな些細な事で恋に落ちるなんて、単純な女だなと自分で思った。
こうして運命の人と出会えたのも占い師のおかげだと思い、心の中で感謝した。
「はぁー・・・・・・。薄々気付いてたけど、豊の中では私は彼女じゃないのよね」
最初に出会った時の告白に近い言葉。あれは単純に対話で解決しようと、必死に思いついたまま言葉にし、軽くテンパった結果に出た言葉であった。本人はその事を全く覚えていない。
でも意識されている。このままアプローチを続けていけば、豊から告白してくると計算していた。自分から告白しないのは単純に女心の問題。
本当は今日、既成事実を作って、豊に責任を感じさせようと思っていたが失敗に終わった。これは紗瑠が少し暴走した故の行動である。
「いつか豊から告白させて見せるからね」
今はゆっくりと豊を攻略するプランを立てて、自分の部屋に戻った。
そこでふと小さな少女の事を思い浮かんだ。
「萌衣ちゃんも仲間だし、豊と会わせて大丈夫よね。うん、きっと豊なら萌衣ちゃんも信用できると思うし」
一瞬だけ豊が萌衣に惹かれないか想像したが、大丈夫だと判断した。
そして、紗瑠の視線がベッドへ注いだ。先ほど豊が横になっていたベッド。今もその温もりや匂いが残っている。
一歩一歩近づく度に紗瑠の息が荒くなる。
紗瑠はすぐ行動に移した。
枕に顔を埋めて、布団を被る。くんくんと犬のように匂いを嗅ぎ、豊の残り香を堪能する。すると頬が上気させて、太股をぎゅっと閉じるともじもじと擦り合わせた。
「ふふ、・・・・・・・・・・・・ふふふふ」
枕から顔を離した紗瑠の目がトロンとし、女の子がしてはいけない気持ち悪い笑みを浮かべていた。
もう我慢できないと再び枕に顔を埋めて、豊の名前を口にし、しばらく布団の中に居続けた。
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