崩壊する学園でラブコメが成立するわけがない。
アキタ
崩壊する鳳来学園
「聞いてよ、朔子さん」
とある喫茶店。この喫茶店で僕は朔子と呼ばれている。ただ、本名は五十六。名前の由来は、お察しいただきたい。
しかし、これで何度目だろうか。
いつもの様に僕は常連である少女の話を聞いていた。
「やっぱり、学校の臭い男共を駆逐したいのよね」
「やっぱりも何も、生徒にそんな権限ないでしょう?」
「またそんなこと言って…。こんな事話せるのも朔子さんだけなのよぉ」
突拍子もなく男の迫害を望む少女の名は東條澪。僕はそんな事出来るわけ無いだろうと、そう思いながらも毎回、面白半分に話を聞いていた。
「アイツらと同じ空気吸ってるだけで気持ち悪くて仕方ないのよね…。おじいちゃんにお願いしても全然聞いてくれないし…」
そう言う彼女は僕の通う鳳来学園の生徒である。僕とクラスは違うのだが、かなりの美人で尚且つ理事長の孫にあたると言う。裏の顔はこんなであったことは意外だったのだが、浮いた話や悪い噂なんて聞いたことは無い。早くも学校中では彼女をアイドル視し、ファンクラブなるものまで存在している。
僕もきっと、こんなことをしていなければ印象だけで彼女の事を好いていた可能性だってあったかも知れない。
ーーーーでも。
僕には誰にも言えない後ろめたい秘密がある。
それが今の姿。
僕は僕でなくなってしまった。
何も変わらない世界で唯一劇的に変化したのは『僕』と今現在の『私』の姿。何となくうわずりそうな裏声とも言えない様な声を操り、男だとバレないか日々、ヒヤヒヤしている。
正直、このバイト、辞めたいっていうのが本音なのだが、時給が破格で他にない高待遇。
それでも、なんだかんだで一ヶ月が経とうとしている…。
こんなただの女装…我慢だ、我慢。
「ーーーねぇ、聞いてるの? 朔子さん? 私、そろそろ本気なのよ!」
「う、うん。聞いてたよ、でもそんな事、止めた方が…」
「ううん、もう止めても無駄!私、決めたの。私には私のやり方で…」
何やら、本日の彼女は意思が硬そうだった。僕は他の客のオーダーを取りに行く。そんな訳の分からないこと本気で言われたってなぁ。
「時間が…無いのよ…」
その間、東條はアイスコーヒーのグラスに刺さったストローをギチギチと噛んでいた。僕はオーダーを取り終えてから彼女の席に戻って一言、軽はずみに言ってしまった。少し可哀想に見えた彼女を、からかってみようと思って。
「でもさ、もしそれが本当になったらとても面白いと思うけどね。やらない後悔より、やった後悔の方が、後悔のし甲斐が有るんじゃないかな?」
「そ、そうかな!? それなら、応援してくれる!?」
「う、うん…? 応援は別に…っ?」
「私、きっと誰かに背中を押して貰おうとしていたんだと思うの! だから、ありがとうっ!」
僕はこの日、彼女を止める事を止めた。
それに反して東條はとても明るい顔をして僕の手を取った。その時の僕の表情は応援している様な顔はしていなかったはずだった。どうせ、そんな事、僕の代わりに誰かが止めるだろう位に思っていた。なんて柔らかい手なんだろう、その程度にしか思っていなかった。
ーーーそれなのに…翌日から、鳳来学園の姿は徐々に変わっていってしまった。
最初は気づかなかった。
どこからが生まれたか分からないモヤモヤとした男女の壁。男女の喧騒に日々トゲを感じるようになった。
どこからとも無く生まれる根拠の無い出鱈目な噂話。続出するカップルの崩壊。主に女生徒における遺失の増加。
新聞部の煽り。ムーブメントに乗じ様々なスキャンダルの放出に、先生生徒見境なく乱れ飛ぶ情報。
鳳来学園は正体の掴めない瘴気の波に歪まされた。
一瞬の出来事だったーーーー。
気づけばもう手遅れ。
この数日の間に東條は喫茶店に来ていない。
それから台頭する女子生徒だけで構成された新しい生徒会、ローゼスの存在。もちろんローゼスを統べるのは東條澪。
初めはただの部活として部屋を構えていたのだが、全生徒立ち会いの元、鳳来学園生徒総会にて新生徒会として持てる権限が今、決まろうとしている。
主な主張は女子生徒の措置の優遇。
それはもうめちゃくちゃなものだった(内容の殆どが男の隔絶について)。ローゼスは勢いそのままにほぼ半数を占める女生徒から賛同の声を受け、乱癡気騒ぎ好きな奴らの面白票を混ぜて可決されてしまった。
こうして既設されている生徒会と同等の権限を持つ上、生徒会の持てる仕事の決定権の半分まで奪い去ってしまった。
しかも、現生徒会副会長、副川が寝返る始末。
こうして火蓋は切られた。
それから…月日は過ぎ…。
一部生徒による苛烈な鳳来学園男女戦争は今でも続く。
学園内生徒達も、攻撃性は無くなったが冷戦状態は続いていた。
そして、非常に影響を受けやすい多感な高校生徒達はみるみると変わってしまった。
学校では真の男らしさを追求した肩パットに黒マスクのツンツンヘアーの男が数人現れたり、パンプアップし過ぎた端正な顔をした生徒が数人誕生してしまった。若干名女性的な方向に目覚めた者も居るが、僕とはまた同類とは思えない不出来な装い。その奇天烈な扮装は目を当てることが出来ない始末。結局の所、一部を除き男生徒に大した変化は無いのだが、僕を見る目まで些か気持ち悪いものになってきてしまった。
女生徒側も、真っ黒に日焼けした山姥が発生してしまったクラスもあるみたいだ。そんな女子側も宝塚風の存在が確認できている。夢見るシンデレラガールや普通の女の子達はそんな強い彼女らに支配され、自分を抑制して日々を過ごしている。
とにかく僕を取り巻く環境はガラリと色を変えた。
鳳来学園は完全に壊れた。
各教室は異様な雰囲気に包まれている。
あの時、僕が無責任に言わなければ…。
あの一言を非常に後悔している。言わない後悔の方が遥かにマシだった…。誰だよ後悔するならやって後悔しろとか言い始めた奴。
でも、今更後悔しても遅い。
何故ならば学園崩壊化によって引き起こされるであろう、事件が起きてしまったからだ。
そう。僕は今、好きでもなんでもない肩パットの男から呼び出され、告白を受けようとしていた。
「い、いきなり呼び出してごめんね。俺は二年の佐藤。あ、あの、俺、五十六君の事が…」
僕の目の前にはモゴモゴしながら頬を染める佐藤。ヒューヒューと指笛が何処からとも鳴る。どうしても、嫌悪感が酷い。逃げたくても包囲されているのは分かっている。
「ちょっ、お前ら!見るなよォ!」
佐藤が照れ、楽しそうに野次馬に吠える。そして、佐藤は勢いそのままに僕の肩を掴んでくる。
「ちょっと、邪魔されちまったけどよ。俺、五十六君の事が…す、すすす…すっ…」
早く言えよ馬鹿野郎。いつまでお前の青春に付き合ってやらなきゃいけないんだ。ほら、だらだらしてるから無駄に人が集まってきただろ。
「…ごめんなさいっ!」
「えっえっ、なんでっ!? ねぇねぇ!! 俺勇気出したんだよ!? なんでえええええ!!??」
「ひっ、僕、男は好きになれないかな?」
「俺とお前の愛に性別の壁なんて何の障害になるって言うんだあぁぁぁぁ!!! お前はっ! これからっ、俺と愛し合うんだよ!! お前はぁぁぁああ!!」
とりあえず謝っても聞く耳を持ってくれない佐藤。
解放されたい。助けて欲しい。そもそも何が目的何だよ。愛心なんてお前に芽生えるわけないだろ。
目を瞑って黙っていると激しく肩を揺さぶられた。
「…嫌がってるだろ、離してやれ佐藤」
佐藤の背後から山の様な男が現れ、佐藤の秘孔を突いた。
「ぴぎゃあっ!」
佐藤は一瞬の断末魔を上げ、地に伏せる。
ピクリとも動かない…死んだのか?
こいつ今、佐藤を殺したのか?
「全く…。大丈夫だったか? うぬの名はなんと言う」
「は、蓮田五十六です」
「そうか、我は…」
「ありがとうございます、そ、それではっ」
良かった!助かった!救世主様!
内心はもう、狂喜乱舞。
金髪ゴリラ世紀末風の彼に感謝を伝えその場を後にしようとした。
「…まて」
「いや、本当助かりましたって。僕、昼食まだなんで、それではっ」
本気で走った。
僕は元々帰宅部一の韋駄天として運動会では重宝されていた。なのに、今はもう周りの成長に置いていかれている。後ろから聞こえるのはドスドスとした大地を蹴る音。
ひいいいぃぃっ!!
ゴリラ男の分厚い指に肩を掴まれる。そして、身の危険を感じたのか気づけば構えていた。
「これ、落としたぞ」
「あ、あああ…。ありがとうございますっ!」
あわあわする僕。佐藤に揺さぶられた時に学生証が落ちてしまったみたいだ。もう、驚かせるのは存在力だけにしてくれよ…。
結局、昼は買い損ねた。
不貞腐れて机に突っ伏していると。
「ーーーどうしたよ、レンちゃん」
「なんだよ」
「おっ、怒ってんな?」
金髪の髪をピンで止めている、鳴尾が僕のムスッとした顔を見て笑う。僕の事をレンちゃんって呼ぶのは鳴尾位だ。どうやら由来は、蓮田から取ったらしい。
「そりゃぁ、おかげで昼も買いそびれたしね」
「だと思ってよ、これ要るか?」
僕は鳴尾の差し出すメロンパンに手を伸ばす。
袋を端からツーと切り、思い切りかぶりついた。
「…そういや、炎堂さんに助けて貰ったみたいじゃん」
「あの、デカい人?」
あの人炎堂さんって言うんだ。バトル漫画とかに出てくる、戦う為だけに生まれてきたような男の名前だな。
「レンちゃんが無事で良かったよ俺は。俺も別件でそっち行けなかったからさ」
「また女子に告白でもされてた訳?」
「ん、まあな。んで何? もしかして俺に妬いてんの」
「ちげーよ。誰が男に妬くんだよ。勘弁してくれよ」
「またまた〜。安心しろって、俺にはレンちゃんが居るから女なんて要らねって」
鳴尾はメロンパンを咀嚼する僕の頭を撫でる。そして、大きな手で髪の毛をバサバサ散らす。なんでこいつが女子に告白されてる間、僕は野郎共に囲まれて無けりゃならんのだ。そう考えると理不尽過ぎて単純に気に食わない。
それでもこの学園の状況を考えても尚、告白されてる鳴尾はよっぽど魅力的な男子に見えているのだろう。
「鳴尾はそうやって誤魔化してるけど、何か、理由があったりして断ってたりするんだろ?」
「別に…? 俺は今、レンちゃんと一緒にいるこの時間が、ずうっと続けば良いなって思ってるだけだよ」
「まじキモイから止めろよそういうの。今の僕は特段にナイーブなんだよ」
「その位、レンちゃんが可愛いのさ」
ヤンホモかよコイツ。この距離感がたまに気持ち悪くてむず痒い。
ごめんごめん、なんて適当な詫びを言って鳴尾は戻って行った。変なノリが無ければただの良い奴なんだが、少し面倒な所があるのが傷だ。中学から同じ学校に通っていて、まさか高校まで同じになるとは思わなかったけど。
その日、僕はバイト先でオーナーにお使いを頼まれた。
最近はバイトスタイル(女装姿)も板についてきてしまった。なぜ、こんな格好をしているかと言うと、面白いから。とオーナーは言う。ただ、対価はもちろんあって時給がプラス五百円なのだ。そりゃやるしかないだろ。だから僕はいつもこんな扮装をせざるを得ないのだ。
そして、そんなバイトスタイルでお使いに出てしまった。スーパーまで五分、一々着替えるのも面倒だから上に一枚羽織って外へ出た。
商店街を歩いていると昼間の佐藤と佐藤の連れが歩いていてすれ違う。
「ひゃっひゃ、それにしても炎堂さんが出てきちゃあお前にゃ酷な話だよな」
「俺はまだ、諦めてねぇ!!」
「さっすがー! さとちゃん漢だわー」
僕は思わず、諦めろと口に出した。
それから買い物を終え、店の外に出る。
嘘…だろ…??
そこには鳴尾が居た。
そして、こちらを見ている。
「ーーーレン…ちゃんっ?」
鳴尾の言葉を聞き、絶句した。
やばいって!! どうするよこの状況!!
僕は鳴尾から目を逸らし、気づかないふりをして歩き出す。こうなりゃシラを切るしかない。
こんな姿、認めてたまるか。今の僕は朔子。蓮田五十六なんかじゃない!!
そそくさと歩き出す。
歩き方も普段と変えて、いつもの僕とは程遠い存在を演じ切ってやる!!
「ちょ、すいません、君、兄弟とかいる?」
後ろから声がするが反応はしない。声はまだ、出せない。出そうと追えば声色は変えられるが、元々の自分が結構残っているから出来るだけ反応したくない。
「あの、ごめんなさい」
鳴尾が僕の前に回る。頭を掻きながら何か言いたげにしていた。偶然、耳に指していたイヤホンを取り、首を傾げてみる。
「?」
「ごめん、音楽聞いてたら聞こえないよね。もしかして、君、兄弟とか居たりする? って思ってさ…」
僕はフルフルと首を振る。僕は一人っ子だ。何なら親だってもうこの世には居ない。
鳴尾はまだ、話しかけてくる。僕は顔の前に手を出して、イヤイヤと首を振ったり、首を傾げたりして切り抜けようとしていた。
「ーーー何してるのよ、鳴尾柊斗」
「ん? 東條じゃねえか。お前には何も関係ねえだろ? ここはもう学区外だ。女子と話してたって特に問題は無いはずだが?」
そう、東條澪が現れた。僕的には最悪のシチュエーションだ。二人の知り合いに挟まれ、僕はもう頭が真っ白になった。
こんな事になるなら、横着しないで着替えて来るんだった…。
「関係しかないわよ。私の友達を困らせないでくれるかしら?」
「べ、別に困って無いよな? な?」
鳴尾は同意を求めて来るが、僕は首を縦にも横にも振らない。
「現在進行形で困ってるじゃない。もういいから、今日の所はお引き取り願えるかしら? 朔子さんもきっと買い出し中であなたに割く時間なんて無いだろうから」
「そ、そうか、ごめんな…」
柄にもなく本気の反省姿を見せる鳴尾。おいこら、お前そんなしっかり詫びれたんだな。普段、お前の謝罪の言葉には気持ちが入ってない事がよく分かったぞ。
「行きましょう」と東條。
助かった…。とは思うものの、今の状況もなかなか芳しくはない。そう思っていると、東條から切り出した。
「そういえばね、朔子さん、私…やったのよ」
知ってる。そう思って頷く。
「まだ、理想からは遠いんだけど、あと半分。頑張ろうと思っているのよ」
あ、やっぱり全部乗っ取るつもりなんだ。でも、それも難しいだろうと思う。生徒会だって黙っちゃいないし、副会長の穴だってすぐに埋まった。
前途多難の先にも困難しか待ち受けていないだろうに、彼女も大変な事を仕出かしてしまったな。
「それでね最近、そっちが忙しくて来れなかったんだけど、寂しかった?」
「そんなことないよ」
「え、即答? やっぱり無理にでも会いに行くべきだったわね…」
なんなら時折、学園内でも見かけていたし。
「それにしても、さっきの男、しつこかったわね。私もすぐに気付けなかったんだけど、朔子さん、何も言われなかった? あいつ、女の事、人としてなんて見てない最低野郎なのよ」
鳴尾は今までの女の子との付き合い方に問題があった。細かく思い出す暇は無いが、最低野郎と言われるのは仕方が無い。
「大丈夫だったよ。困っていたら直ぐに澪さんが来てくれたし」
「なら良かった。朔子さんにちょっかいでも出したらあんな毒男切り裂いてやるわ」
東條はキッと目付きを鋭くして怒りを露わにする。そこまで怒らなくても…と思うものの、東條の男嫌いは相当のものだ。
バイト先へ戻り、そのまま東條のオーダーを聞く。いつものアイスコーヒーだ。
オーナーがこだわってブレンドしているコーヒーを目当てに来る客は意外と多く、東條もまたそのファンなのだろう。単価もあまり安くないので、ガヤガヤとした人も少ない。お客様は味に集中し、静かな時を過ごして行く。
そして、お使いを済ませた僕は他に客が居ないので、食器を手入れを済ませる。
オーナーが淹れたアイスコーヒーを受け取り、配膳する。スマートフォンを見ている東條は、僕が近付いただけですぐに気付いた。そして、何か言いたげな顔をしてこちらを見る。
「どうかされましたか?」
「あのね、聞きたいことがあったのよ。朔子さんって、謎に包まれているじゃない?」
「はい…。そうでも無いと思いますけどね」
僕からすれば東條は東條で謎に包まれているとは思う。それに、僕は謎どころか秘密に包まれているんだ。だから謎めいてなんかない。ただの蓮田五十六だ。謎だからって暴かれようと、秘め事は暴かれるつもりは無い。そもそも、暴かれたら人生終了だ。
「何処の学校に通ってるとか、聞いてみたいし…。そもそも、私の事もあまり知らないでしょう? 私、ずっと朔子さんのこと聞いてみたいと思っていたのに、ここへ来ては自分の話ばかり聞いてもらっちゃってたし…」
「あはは、確かに、お互いの事全然知らないですよね」
「でしょう? だから、今度は私が朔子さんの話を聞く番だと思ったの! さぁ、どんと来なさい!」
「と、突然だなぁ…」
確かに、鳴尾の件もあったし僕が朔子だと印象付けるのは理にかなっている。そして、東條とそのまま話をした。
僕はこの喫茶店のオーナーの親族であり、田舎から出て来て隣町の学校に通うためにここで働いている事。年齢は東條と同じく高校一年。
「そんな、普通の事ばかりじゃつまらない〜。もっと他にないの〜?」
思ったよりフレンドリーな東條。何か、良いことでもあるのだろうか。まあいい機会だ、直近の悩みでもある声について誰かに聞いてみたいと思っていた。
「えー…。なら…その、私、自分の声があまり好きじゃないんですよね。女の子らしくない…気がして」
「そうかしら? 見た目と反して、少し低くて、ハスキーな声だとは思うけど私はそこ含め朔子さんが好きよ」
「そ、そうかな? でも、そのハスキーが…気になるというか…」
「あははは、ちっぽけな悩みね!」
まあ、ちっぽけではあるさ。君の成し遂げようとしている事と比べたらね。声に関してはもう、救いようがないとは思っているものの、これから先が思いやられる…。
「じゃあさぁ、どの位低く声出せるの!? 聞かせてみてよ」
好奇心満々に東條が聞く。僕は面白いかな、と思ってついつい男の中でも特段に低い声を出す。
「えー…恥ずかしいなぁ。…ぼえぇ」
キャッキャと笑う東條。目を擦ってまで喜んでいる。
「どこからその声が出てるの!? ほんど朔子さん面白いね!」
東條ってこんな可愛い顔、出来たんだ。そう思うと、僕も思わず笑いが込み上げてきた。
「もう、だから嫌だって言ったのに…」
「嫌だって言いながらもサービスしてくれたじゃない 」
東條はヘラヘラと言い、そして提案してきた。
「なら、私と練習する?」
「そこまではしなくていいよ。コツとか有れば、知りたいだけだから」
「可愛い声を練習したってきっといい事ないわよ? 最悪、勘違いした男共に寄り付かれるんだから」
僕にとっては死活問題なんだ。それに、僕なんかが声色ひとつでどうこうなる訳が無い。なぜならこの姿で過ごす気は無いからだ。それでも、あと残りの長い期間、安全に過ごすためには必須スキルだと思える。
「でも、澪さんみたいな綺麗な声憧れるし」
「そんな、大したことないわよ? …良ければ今度、一緒にボイストレーニング受けてみない?」
「い、いや、だから…そこまでしなくていいよ…」
外へ出て、お金を払ってまでトレーニングを受けるとなると色々なリスクが伴う。今日のような短時間であんな事になったんだ。流石にそこまでは出来ない。
「大丈夫大丈夫! うちに先生来る時、朔子さんも来れば良いだけなんだから! あと、同い年なのにさん付けなのもアレよね。せっかくだし、朔子なんだから朔ちゃん! 朔ちゃんって呼ぶことにするわ。私の事は澪でも澪ちゃんでも良いわよ」
「え、ええ、ええうん」
え、家に先生来るの? 何その金持ちぶり。理事長の孫ってそんな金持ちなの? 僕はそこへ行けば…? 僕は朔ちゃん…で東條が澪ちゃんで…。
お嬢様の怒涛の勢いに押された僕は肯定も否定もせずに曖昧な相槌を打ちながら、飲み込まれていった。
「それじゃあ、決まりね!」
僕は事態を理解出来ずにポカーンとしていると、東條は立ち上がり言った。
「じゃあ、朔ちゃん今日は帰るわね」
「あ、ありがとうございましたー」
オーナーがニヤニヤしながら寄ってきた。オーナーはまだ、若く三十歳らしい。脱サラして潤沢な資金で好きな事をして生きているらしい。そんな金持ちの道楽の様な事の巻き添えで、僕は今こんな格好をさせられている。
そんなオーナーは僕と東條との話の終始を盗み聞きしていたらしい。
「何ニヤニヤしてるんですか」
「時間作るなら、任せろ」
「ふざけんな」
僕は初めてオーナーに暴言を吐いた。
それから数日、僕なりに危機感を感じ声の問題と向き合ってはいた。そして、時が来た。
「朔ちゃん、待った?」
「全然待ってないよ」
黒のセダンに乗って東條が喫茶店へ来た。運転席の若そうで、仕事が出来そうな執事が降りて、会釈をする。そして、なぜかオーナーまで出て来て手土産を渡し出す始末。顔を見てみれば、これ以上にない愉快な顔をしていて素直に腹が立った。
思っていた通りの豪邸、思っていた通りの煌びやかな照明。どうやら、東條は思っていた通りのお金持ちのお嬢様だったらしい。
実際のところ、あの喫茶店に来れる客層である時点でお金に余裕がある事は理解出来ていた。オーナーはふざけているものの決して妥協をしない。それ故に道楽でやっている喫茶店では拘り抜いたメニューばかりで安価なメニューが全然存在しない。
それでもまさか、ここまでのお嬢様とは…と僕はまたもや言葉を失ってしまった。まるで、アニメや漫画の様な世界観だ。
「少し早いから先にウォーミングアップしちゃいましょ」
「う、うん」
僕は東條と共に防音されたレコーディングスタジオの様な場所に居る。
ほんと、金持ちって凄いなぁ。楽器とか色々置いてあるけど、これみんな東條の物なのだろうか?
僕はどうしても気になってキョロキョロとしてしまう。
「ん、朔ちゃん楽器で遊びたい?」
「だ、大丈夫だよ。沢山あるから凄いと思って」
「殆どお姉ちゃんとお兄ちゃんの物だよ。私は、そこまで器用じゃないから…」
東條はトライアングルを取りだし、チーンと鳴らす。
上に二人も居たんだ。てっきり一人っ子だとばかり思っていた。
それから間もなく、声楽を教える先生が来て、僕らをレッスンした。
「ほら、もっとお腹から声を出して!」
「違う、それじゃダメ! こうよ! こう!!」
「自分のなりたいイメージをしっかりともって!! 自分をそこへ合わせて!!」
「あああああああああああぁぁぁ!!!」
燃え尽きたよ。真っ白に。
そんな僕の傍らで美声を響かせるのは東條。時折少しだけ笑いながら僕を見る。
でも、レッスンを終わってみると僕の声は劇的に変わっていた。
「ほら、朔子さん、いつもの様に声を出して話してご覧」
「あ、ああ…。あ〜。コホン。ええっ!? これ、本当に私の声!?」
これが…レッスン…。僕は僕の声に、違和感を覚える。僕の喉に他の人でも居るんではなかろうか。
「これが、レッスンの力よ」
先生が三角眼鏡をクイッと上げる。まるで心を見透かされているような気がするが、たまたまだろう。
「朔ちゃん凄いわ! とても可愛い!! まるでダイヤの原石よ!!」
東條までもがテンションを上げ、僕を賞賛してくれた。
その日、喫茶店へ帰ってオーナーに聞かせたら「お前、誰だよ?」と言われた。
後日学校にて、僕は鳴尾と共に昼食を買いに行っている所を東條に見つかった。
「ちょっといいかしら鳴尾君」
「何だよ東條、めんどくせから、答えはごめんなさいだ」
「勝手にフラないでもらえるかしら。私、鳴尾君みたいな男に興味ないから」
「んああ、はいはい、で、何?」
学校では相変わらず冷静な態度に徹する東條。完全にモードを使い分けてるな。僕もここまできっちり出来れば良いんだけど。
「最近、色々な女の子達が私の所へ来るのよ。鳴尾君に傷付けられたって」
「はぁ? 何それ」
「お前と付き合うなら男のがマシだとか、女の尊厳そのものを否定する様な事言ってるみたいじゃない。面白おかしくふざけていても私、そういうの許せないんだけど」
「あーはいはい。ごめんなさい。ありゃ、結局ごめんなさいで合ってるじゃん?」
屁理屈を捏ねる鳴尾。東條は鳴尾を凄い迫力で見つめ続ける。
「…以後、気をつけまーす」
「ふん、絶対、タダじゃ置かないから。覚えておきなさいよ」
「無理無理、興味無いことすぐ忘れちまうから。代わりに覚えておいてくれ」
鳴尾はなぜか僕の肩を叩く。
「えっ、嫌だよ。鳴尾が変な事言ってるからこうなったんじゃないか」
「連れないぜぇ。それでも親友かよぉ」
「親友なら面倒ごとに巻き込まないでくれ」
厳しぃなぁ、と項垂れる鳴尾。気がつけば東條はなぜか僕を見ている。自然と目が合う。そんなに見られると危ない様な気がする。顔を少し、下に傾けた。
「あなた…」
東條が、口を開きかけた時、僕は本能的に逃げた。
「ごめんね、購買売り切れちゃうから!」
ほら行くぞ、と鳴尾のケツを叩き走り出した。
僕はこんな調子で、無事に学校生活を送る事は出来るのだろうか。
これからきっと僕の身の回りはめちゃくちゃな事になると予想される。
何処まで騙し続けられるのか。
何処まで通用するのか。
先を考えれば考えるほど、どうしようもない。
そして、僕に出来ることは、学園内の鎮静化だろう。
東條や鳴尾だけでなく、この短い間で変わってしまった人が多い。このままでは先日の佐藤のような奴が男女問わず生まれてしまう。
何よりも、このままでは僕の思わぬ二面性が暴かれかねない。きっと、時間の問題だと思う。上手く東條を妨害しながら、元の鳳来に戻すんだ。
そう、普通でいいのに…そう思っていた僕の日常は壊れてしまった。
購買に着くと商品はまた売り切れていた。
「入荷の絶対数が少ないんだよなぁ」
鳴尾がボヤく。
「全くだよ」
「またコンビニ行ってくるかな」
「僕の分も適当に頼むよ」
「レンちゃんって意外と人使い荒いよな」
頬をふくらませて、鳴尾は怒っているつもりなんだろうか。可愛くも何ともないし、変な顔だ。
「さっさと行けよ。お前のせいだろ!」
僕はそんな鳴尾を叱責する。五百円だけ渡すと、鳴尾はダラダラと歩いて行った。教室へ戻る。
その道中、同性カップルを沢山見かけた。
あの炎堂さんまでもが自分と同じくらいの体格を誇る男子と手を繋いで歩いていた。
炎堂さんは伸ばしっぱなしの髪を綺麗に纏め、隣にいる男子を華やかな笑みで見つめている。それはもう女子の姿を彷彿とさせた。うっぷ。
もしかしたら、鳳来学園は手遅れかもしれないな。
僕は自席に着き、頭を抱えた。
「ーーーレンちゃん、レンちゃん」
「何だよ」
「見ろよ、ガチャでSSR引いたぜ」
寝起きにガチャ報告をしてきたのは鳴尾。
僕はいつの間にか寝てしまっていたらしい。
「おい、飯はどうしたんだよ」
「は? 購買で焼きそばパン買ってただろ、それどうしたんだよ」
あれ、そうだっけ。僕は思考し、口元から垂れる唾液を裾で拭う。
ワイシャツの裾には青のりが付着している。
そして思いだした。
ーーーーーあぁ、全て夢だったのか…。
それにしても、くだらない夢だったな…。
崩壊する学園でラブコメが成立するわけがない。 アキタ @akitawa
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