1/1の時間(1分の1の時間)
津田薪太郎
第1話
キイキイという、金属の擦れ合う音が、僕を現実に引き戻した。古い公園のブランコに座って、視線を左右に動かす。何年経っても変わらない、と独り言が漏れた。
もう何年前かさえ覚えていないが、情景だけははっきりと思い浮かべることができる。忘れもしない、あの夏の日だ。
あの夏の日。五輪が中止になり、人々がなんだかんだと騒いでいた。誰もが、空っぽになった夏を持て余して、ぼんやりと入道雲を見上げていた。
ところが、そんな事は僕達には全く関係なくて、残り少ない夏と、未だに片付かない宿題をどうするか、無い知恵を絞って考えていた。最初の日は、とても長いと感じていた夏休みが、いつの間にか過ぎてしまって、何もかもが一晩寝た後に思い浮かべる夢の断片のように感じられた。
その日、僕は弟と一緒に公園に来ていた。高校二年生だった僕は、五歳年下で遊びたい盛りの弟に付き合って、柄でも無い外遊びに出ていた。普段から冷房のきいた部屋でゲームをする事を喜びとしていた僕にとって、夏の酷暑の中外に出ることは苦痛でしかなかった。だけど、その日だけは、不思議と秋の香りがする快い涼日だった事を覚えている。
弟が縄跳びをしているのを見ながら、僕はブランコを漕いでいた。その時公園に居たのは僕達兄弟2人っきりだったから、大の高校生がブランコを独占していても、誰も文句を言う人は無かった。
目の前で縄跳びをする弟を見て、僕の口から不思議と感慨が漏れた。
「そうか、もう小六になるのか」
生まれた時から見ていた弟、その成長を喜びつつも、わずかな寂しさが滲んでいた。何を若者が、と笑ってくれても結構。きっとそれが、僕の精一杯のノスタルジアだったのだろう。10代の半ば迄しか無い、薄い追憶。それがその時の僕にとっての、全てだった。
「僕が高一で、お前は小六。月日が経つの早いもんだ。嬉しくもあり、また寂しくもあり、だな」
僕がそう漏らすと、弟は明るく笑って言った。
「何言ってるの、兄ちゃん。俺が小六なら、兄ちゃんは高二でしょ?何自分だけ、時の流れから逃げてるのさ」
確かにその通りだ。高校生にもなって、こんな間違いをするとは恥ずかしい。
「すまんね。あまりに時の流れるのが早くって、つい自分の歳が分からなくなっちゃったよ」
「そうかもね。人は歳を取るごとに、一年を短く感じるって言うから。そうすると、兄ちゃんは生まれた時と比べて1/16だね」
そう言うと、また弟は縄跳びを始めた。
確かにそうかもしれない。僕は弟の様子を見ながら考えた。何しろ、今年さえもう折り返しを過ぎている。いつの間にか時が経ってしまって、僕を此処まで押し出してしまった。喪失感こそないが、不思議な驚きが心の中にあった。
一年が早いと言うことは、それだけ記憶が残っていないということだ。それこそ、今日の様ななんでもないような一日の積み重ねが、やがて一年となりやがて僕の一生になるのだろう。
「1/1だな。今だけは」
弟に聞こえない様に、僕は呟いた。そう、今だけは。例えこれから、どれだけ時が加速していくとしても今この時の様に、この場所で思い出に浸る間だけは変わらない1/1の時が流れ続けるのだ。
キイキイというブランコの音で、僕はまた今に戻ってきた。もう終わりか、と息が漏れる。僕は立ち上がって、杖をついた。あの日から、どれだけ経っただろう。もう僕の時は、何十分の一まで加速しただろうか。
「まあ、いいか」
だけど、そんなことはどうだっていい。今だって此処にくれば、いつだって時は1/1になる。1/1の時はこの先で、僕を待っていてくれる。そう思えば、もう今の自分の時など、考える必要さえない。
夏の陽炎の揺らめきは、あの日の光景に向けて、絶えず僕を誘うのだ。
1/1の時間(1分の1の時間) 津田薪太郎 @str0717
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