幕間:テンレン邸にて





 用事があるというリョーマを送り届けた後、ベルカは自宅に戻って準備を進めていた。

 広々とした邸宅の地下、核シェルターを思わせる広大な施設――その一室で、少女は簡素なデスクに陣取って使用人のシエランから報告を受けていた。

 黒髪を短く整えた男装の麗人は、同性で異性愛者のベルカから見ても格好いい美女である。

 おおよそ世俗の雑事に関心の薄い義理の父が「好きにしなさい」と言った手前、ベルカの自警活動を止める意思はテンレン家には存在しない。

 そもそも彼女の正体を知るもの自体、義父とその腹心、そしてシエランぐらいのものである。


 遠い昔、砂漠の地下施設諸共に粛清され、機能停止したがらくたとして埋もれるはずだった自分を見つけ出し、偽りの戸籍と経歴を与えた資産家の男は、物好きを通り越して異常な人物だった。

 莫大な権力と財力の継承者として血のつながりのない養女を指名することが、どんな混乱を一族に生んだのかは想像に難くない。

 その混乱を収めて、今では名実ともに自身の後継者として関係者に認めさせたあたり、ベルカの義理の父は無能ではなかった。

 ただ、得体がしれない。


 おおよそ象牙の塔の住人らしい学者肌でありながら政治的手腕に優れる――それがベルカ・テンレンの義理の父親だった。

 今こうしてベルカが自警活動者ヴィジランテ紛いの活動をしているのも、義父にとっては戯れか、あるいは実験の一つぐらいの感覚なのだろう。

 少年の携帯端末の位置情報から、彼がホシノ・ミツキの元へ出かけたのを確認すると、言ったそばからこれかとため息。




 実際のところ、少年の足をへし折ってやりたいのは本音だった。




 そうすれば一時的にでも、自分の足で危地へ飛び込むことは出来なくなるからだ。

 この妄執が褒められたものではないとわかっていても、ベルカはリョーマを守りたかった。

 彼の生命を守るだけなら簡単だ。

 足の一、二本を骨折させてテンレンの息がかかった病院に放り込んでおくだけでいい。

 これなら合法的に監禁できる。


「――監禁するだけなら強化合宿とか言って無人島にでも放り込んでおくのがいいかな。金持ちの友達に悪ふざけで住む範疇で」


 これは検討する価値があるな、とベルカは思う。

 然るべき土地を確保し、居住地と生活用水や食料を確保した上で通信インフラだけ限られた場所に設置しておけば外部から手出しできない監獄の完成である。

 今回のように、すでにリョーマが巻き込まれているケース以外なら有用だろう。

 常日頃からノリで強化合宿するアホっぽい言動を心がけておけば、不審に思われる理由もない。


「シエラン、この件が片付いたら候補地探してもらえる?」

「はい、お嬢様」


 サクッと新たな監禁プロセスを完成させ、満足げにうなずき一つ。

 とはいえ、ホシノ・ミツキのケースは簡単に終わる気配がなかった。


 あのお人好しの愚かな少年の精神を守るとなると骨が折れる。

 まあ要するに、最悪でもイヌイ・リョーマが死ななければいいのだが――ここでホシノ・ミツキが死ねば、彼の心には消えない傷が残るだろう。

 それに人並みの良心が残っていたのか、ベルカにもこの哀れな少女への同情はあった。


「ホシノ・ミツキにつけた監視からの報告は異常なし。在宅中の保護者から所在を聞いた後、イヌイ・リョーマが彼女に接触しようとしています」


 ここまで予想通りだと笑えてくるほどにお人好しである。

 ホラー映画に出てくる馬鹿学生よろしく、適当なところで尻尾を巻いて逃げてくれればいいのに。


「どうせカインが本気で動けば拉致そのものは阻止できないし。大事なのは追跡できるかどうかだよ」


 幼馴染みにはああいったが、実際のところテンレンの手勢をもってしても完全な警護など不可能だった。

 本人と保護者の同意があるならまだしも、密かに身辺警護する程度の対策で、あの怪物――カインの暗躍を阻止するなど無理な話である。


「お嬢様、カインとは何者なのですか?」


 問われて思い出すのは、実験体ネフィリムがベルカ・テンレンの名前と人格を獲得するよりずっと昔、昼間は暑く夜は底冷えする砂漠のど真ん中。

 〈シャンバラ〉と呼ばれたその地底の地獄に君臨していた怪物の一匹だ。



「人類最古の超能力者、突然変異体ミュータントの先導者、精神寄生体パラサイト、主に呪われしカイン――紀元前から生きてる怪物だよ。少なくとも前世紀の百年間、連邦政府の協力者だった男で超能力者研究の第一人者――あの地下研究所シャンバラで一番博士ってガラじゃなかったから、皮肉を込めてドクター・カインって呼ばれてた」



 “偉大なる実業家”アレックス・ゴールドスタインの協力者の一人であり、旧大陸から新大陸に渡ってきたとも言われる放浪者。

 新大陸に建国された連邦にかなり早期から食い込んでいた彼は、あらゆる意味でその闇を担ってきた存在だ。

 連邦政府の中央情報局が行っていた秘事――自国民を用いた、いかがわしい人体実験の数々にも関わっており、その存在そのものが都市伝説めいている。


「あの怪物が自ら赴いてるとなると、いよいよソラハラ市は危険地帯かもね」

「少々、私には信じがたい話ですが……それほどの難敵、なのですね」

「信じられなくて当然だよ。連邦政府むこうの役人だっておとぎ話だと思ってるんじゃないかな」


 納得したようにうなずいた後、シエランは報告を続けた。


「それとホシノ・ミツキの母親、ホシノ・アマネについてですが……生前、彼女には行方をくらましていた時期があります。業界関係者の前に再び姿を現したときには、赤子を手に抱いていたと。ホシノ・ミツキは非嫡出子であり、彼女を認知している父親はいません。また出産届が提出されるより前に、産婦人科を受診した痕跡もありませんでした」

「そっか。シングルマザーなんて今どき珍しくないけど……その子供にカインがご執心となると怪しいね」

「はい。これでは、ホシノ・ミツキがアマネの実子である保証がありません」


 こうして疑うと、まるっきり誇大妄想か怪談だった。

 笑えないのは、ベルカたちが生きている世界では、そういう偽装された親子関係は珍しくないことだ。

 何せベルカ・テンレン自体が該当者なのである。

 いくらでも陰謀を疑えてしまう。


「DNA鑑定できたらいいんだけどね。ホシノ・アマネの死体は火葬済み、か……あーやだやだ、いたいけな女の子の出自を疑う汚い大人そのものじゃない、わたしたち?」

「非合法活動を行っている以上、汚いダーティは避けられない評価では?」

「まあね。ただでさえ恨まれてるのに、お前は母親がさらってきたか拾ってきた子供だー、とか突きつけるような真似してるのが最低ってだけ」


 ベルカには、ホシノ親子と浅からぬ因縁があった。

 ホシノ・アマネが不慮の死を遂げた夜、スカルマスクは現場に居合わせて――何もできなかったのだから。

 だから少女から敵視される理由もわかる。

 憎悪も軽蔑も甘んじて受けよう。


――でも陰鬱な気分になるのは許してほしい。


 そんな主の心情を察してか、シエランは話題を逸らした。


「お嬢様。仮にホシノ・ミツキがアマネの実子だったとしても、彼女の抱える潜在的リスクは変わりません」


 超能力者は“赤い空の世界”――結社はこれを恐怖領域と名付けた――との接触によって発現すると思われる特異体質者の総称だ。

 中世から継続されてきたオカルト混じりの各種研究を、アレックス・ゴールドスタインが体系化し発展させた異端科学により、その存在を定義づけられた。

 古くは魔女や巫女、現代では霊感などと呼ばれてきた存在モノに、新たなラベルを貼り付け、その身体を切り刻んで得られた知見に基づく知識体系である。

 ベルカの正体であるネフィリム体も、この倫理的にも道徳的にも最悪の研究成果がフィードバックされたものだった。



「そうだね――十中八九、ホシノ・ミツキは超能力者。それも恐怖領域の洗礼を受けてなお、精神を破綻させない希有な存在――カインにとっては喉から手が出るほど欲しかった同胞だ」



 それはつまり、紀元前から生きている怪物の同類である可能性だった。

 どういう意図で彼女が狙われているのであれ、カインの意図通りにしては不味い。

 自分がどうすべきかを考えると、ベルカは暗い諦念を覚えるのだった。








「――殺したくはないなあ」








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