滅びの巨神



 つまるところ、イヌイ・リョーマは貧乏くじを引いたらしい。




 見ていた。

 うぞうぞと無数の手がうごめいているのを。

 頭がおかしくなりそうな恐怖で感情はいっぱいなのに、この期に及んで妙に冷静な自分を不思議に思いつつ、少年は自分の足首を掴むそれを見た。

 縮尺の狂っているような、大きすぎる掌だった。

 一見するとやわらかな女人の手でありながら、それは少年の頭蓋骨を片手で握りつぶせそうなほどに大きい。

 まるでパースの歪んだ絵画を見ているような不快感。

 人間によく似た別の存在、怪異なるものへの生理的嫌悪――不気味の谷というやつなのか、絶妙に人間からズレた造形に吐き気がした。

 まずそれは、人型ではなかった。

 身長三メートルほどもある長い黒髪の巨女、という見た目だったのは最初だけ。

 ファミレスの従業員用のドアから身を乗り出しているそいつは、とっくの昔に人型をやめてしまっている。

 

 今、リョーマの脚を掴んでいる腕は、現実感なく蛇の胴体のように伸ばされた両手であり。

 ボロボロのワンピースを身にまとった女――黒い髪がすだれのように生えている頭頂部が、ぱっくりと縦に裂けていったのだ。

 血は出なかった。

 まるで手で裂けるチーズのようにほろほろと身が崩れ、女の顔が、首が、胴体が、ワンピースごと背骨のあたりで二つに分かれていく。

 剥き出しになった断面は肉の色をしていた。

 骨も内臓もなく、血の赤もなく。

 スーパーで売っている鶏肉の塊のような綺麗なピンク色の肉が、もぞもぞと蠕動して、植物のように発芽した。

 無数の小さな芽は早回ししている映画のようにあっという間に大きくなって、五本の指を備えた人間の手となった。

 植物のつたのようにうごめく無数の手は、赤ん坊の肌のようにつやつやしている――そのやわらかな皮膚に亀裂が走り、ぎょろぎょろと動き回る人の眼球が発生。

 小さいころ水族館で目にした、クリオネの捕食風景を思い出す――触手の形状が人間の腕であることを除けば、だが。


 今まさに喰われるのが自分だと理解すると、奇妙にも恐怖より困惑が勝った。

 ワンピース姿の巨女を象っていた皮が脱ぎ捨てられ、たくさんの人間の腕がわさわさとうごめき、そこに張り付いた目玉がこちらを見てくる。、

 ふと思い出したのは、ド派手な羽根で周囲を威嚇する鳥類の名前だ。

 てっきり身長が三メートル近いからクジャク様なのだとばかり思っていたが――



「――九尺じゃなくて孔雀くじゃくの方かよ」



 意味がわかったら怖い話どころかダジャレじゃねえか、と苦笑いする。

 リョーマも安直なPNでいくつかオカルト関係の記事を書いたことはあるが――ここまでしょうもない都市伝説の真実もそうあるまい。

 並外れた恐怖で逆に冷静になってしまったのかもしれないが、我ながらズレた感性だった。

 逃げられないとわかっていて、たぶん助からないこともわかっていた。



――ベルカと見たホラー映画にこんなやついたなあ。



 果たしてその思考は、防衛本能から来る現実逃避だったのか。

 何はともあれ、彼の最期はその程度のものだった。

 特筆すべき要素は何もない。


 腕が千切られ、足がもぎ取られ、はらわたを引きずり出され、頬が裂かれ、歯を引き抜かれ、目玉をくりぬかれ、頭蓋骨をたたき割られ脳漿を啜り取られて。


 もがいただろう。

 苦しんだだろう。

 痛みに狂っただろう。


 あとは、ほら。

 それはそれは無惨な死骸のできあがりである。

















「――催眠暗示も万能とはいかないか。まったく〈マインドイーター〉には手を焼かされる」




 やれやれだ、と醒めた声が聞こえた。

 若い男か。

 若い女か。

 少年のようにも少女のようにも聞こえる不思議な声音。


(……夢か? 今の、俺が死んだのは)


 リョーマが目を開けると――どうやら自分は横になっているようだと夢見心地に認識――見知らぬ景色が広がっていた。

 空は顕世うつしよの青にあらず、異界の赤にあらず。


 すべてが、黄金に燃えていた。


 大地の上にあるものも、空の彼方に瞬く星々も、等しく炎に包まれている。

 絢爛豪華な炎の祭礼。

 その煌めきにもかかわらず、眩しく感じることはなかった。

 その光は蛍火のように淡く、不思議と安らぎすら感じるほどに優しかったから。

 目が慣れてくると周囲の景色がわかってくる。


 そこは炎に包まれた玉座だった。


 継ぎ目の見当たらない鉱物でできた柱と床、そして明らかに人間が座るには大きすぎる椅子があつえられた場所。

 壁や天井はなく、周囲の景色をはるか彼方まで見渡すことができた。

 よほど高い場所にあるのか、地平線の彼方まで視界に映る――景色だけでもこの世のものとは思えない光景であり、極めつけは玉座についている存在だった。

 恐ろしく大きな人影。

 そいつは人型をしていたが、クジャク様とも違う異形だった。

 座高でも軽く二メートル半を超す体躯、筋肉質でありながら甲冑を思わせる無機物のような質感、ガラス細工のようにきらめく複眼。

 その肉体は鳥のようにも蜥蜴のようにも魚のようにも人にようにも見えたし、あるいは竜と呼ぶべきかもしれない意匠だった――地球上の如何なる生命体も工業製品も、これに似てはいないと思える造形。

 強いて言うなら――



――



 比較対象としては人間よりもヒグマやホッキョクグマの方が相応しい気がする。

 今どきの特殊撮影技術ってすごいなホログラムってやつか、と現実逃避の一つもしたくなる存在感だった。

 そして困ったことに。

 リョーマは今、この得体のしれない巨人の足下に倒れていた。

 隠れようがない。


(不味い……ここがどこかはともかく、ファーストコンタクトしていい相手かわからねえ……)


 先ほどクジャク様に襲われて殺されたような気もするが、イマイチ実感が湧かないので思考を切り替えていく。

 まず相手が知的生命体かわからないのが痛い。

 このまま動かず死んだふりをすべきだろうか。

 いや、熊に死んだふりは迷信らしいので悪手か。

 かといって相手がとりあえず動くものを攻撃してみるタイプの存在――古代の人類も異民族とのファーストコンタクトではとりあえず攻撃をやっているので知的生命体でも普通によくある――だった場合、下手に動くのも不味い。

 冷静に混乱しているリョーマは、身じろぎできずにいた。



「え、キミィ――なんで死んでるかな? 困る、そういうの困るんだよね」



 びっくりするぐらい軽薄な声が聞こえた。

 声のした方に目を向ける。

 黒い巨人がこちらを見下ろしていた。



「君ィ、ダメだよ本当。若人が簡単に死んじゃうとさ、私にも予定ってもんがあるからね」



 真っ黒い巨人は少年のようにも少女のようにも聞こえる声で、めちゃくちゃ馴れ馴れしく話しかけていた。

 がばっと身を起こして、そいつを見上げた。

 子供と大人より体格差があるのに、場違いにもほどがある口調。


「あれ、言葉通じてない? 時代と地域的にこれで合ってるはずだけど」


 きょとんとしている少年を見てどう思ったのか、巨人は身を乗り出してくる。

 そして。


「へっへっっへっへっへ……心配することはない」


 うさんくさい声だった。


「…………えっと、どちら様でしょうか?」


 混乱の極みにあるリョーマの誰何すいかに、黒い巨人は親指を立てサムズアップしてこう答えた。


「私はそう、神様さ! もしくは正体不明の宇宙人X……エックス星人とかそういう感じでよろしく頼む」

「う、うん……?」


 昔の特撮みたいなネーミングセンスだ。

 ベルカが好む数十年前の特撮映画のなんとも言えないチープな宇宙人並みである。

 いかにも超越者でござい、という感じの雰囲気満点の空間で言われると反応に困るぐらいに。


「……まず一つ確認したいんですが、ここ、どこですか?」


 とりあえず敬語になっているリョーマに、巨人はあからさまに面倒くさそうな気配で肩を落とした。

 一々、しぐさが人間くさすぎる。

 外宇宙的造形に対して不釣り合いなほどに親しみを感じさせてくる。


「死後の空間……ってことにしておかない? いや、厳密に言うと違うんだけどほら、説明が面倒だし……」

「え、いや、そこは詳しく説明を……」

「ではまず多元宇宙の根源である時空間資源を巡る高次元結晶生命体と高次元全能機械の長きにわたる戦いについて理解を深めてもらおう。このエーテル宇宙の誕生以前に起こった事象なんだけど、ここ抑えておかないとこの空間の特性について把握できないからね」

「……通しでどのぐらい時間が?」

「君の心が折れるまで?」


 間違いなくまともに説明する気がないとわかる返答だった。


「……えーっと、俺は死んだ、んですか?」

「敬語やめろ気持ち悪い」


 いきなり罵倒された。

 リョーマは勢いよく立ち上がると、ヤケクソ気味に叫んだ。


「馴れ馴れしいな! 神だか宇宙人だか知らないけど!」


 いろいろと精神的に限界のリョーマの反発に、巨人は上機嫌でうなずいた、


「ナイスリアクション!」

「わかった、ため口で話す。許してくれ」

「許そう」


 まともに相手すると疲れるタイプだと、この短時間でわからされたリョーマ。

 巨人は少年の疲弊などおかまいなしに話を振ってきた。


「ところで君さ、転生する? 異世界転生する?」

「マジか」


 アニメでよくやってる感じのやつだろうか、と思っていると黒い巨人は指を折りながら例を挙げ始めた。


「オススメはエイリアンの侵略で数十億人が虐殺されたあとの新世界とか、環境改造型微小機械マイクロマシンが暴走して人類の過半数がゾンビ化したポストアポカリプス世界とか、ジェットカジキマグロによって空を奪われた世界とか、銀河系全域で戦闘機械群が生命体を抹殺してる世界とか、宇宙淫魔スペース・サキュバスによって腹上死が多発する世界とか、菌糸類が進化したきのこ人が現行人類を苗床に繁殖してる世界とか、ジャガイモが地上の支配者になった世界とかだね」

「全部滅んでないか!? しかも全部こう、SFだな!?」

「はぁー? 剣と魔法のファンタジーなんてあるわけないじゃないか馬鹿馬鹿しいマス掻いて寝ろ。美男美女をトロフィーにしていいのはゲームの中だけ! 現地人の美少女より未知の生態系の方がわくわくするだろロマンス!」

「自分の趣味だよなそれ!?」


 自称・神はいきなりファンタジーを全否定し始めた。

 最初に神様だの異世界転生だのと言い出したのは向こうなので、かなり理不尽だった。


「まあ可能性世界は無限のバリエーションがある。この宇宙は寛大でいい加減でとびきり残酷だから、どんな風にめちゃくちゃになってもいいようにできているのさ――転生するなら今だ!」

「いや、別に転生とかしたくないし……そもそも死にたくない」

「ちっ……正直すぎて話が進まないな、もっと軽薄になれよ若人」


 舌打ちされた。

 どうみても舌がある発声器官は見当たらない――むしろロボットのような見た目だ――が、わざわざ舌打ちされた。

 得体のしれない超自然的存在のはずなのに、うっとうしさがすごい。


「いやまあ、君の知りたいことはわかるよ少年。目が覚めたらいきなり神々しい上位存在の座す空間にいた、なんて現代っ子には信じられないもんな! カワイイね! 愚かな唯物論者どもがよ」

「情緒不安定だな!?」


 巨人は人型をしていること以外、人間的な要素が皆無の見た目をしている。のっぺりとした無機物の質感の体表と、有機的な印象を受ける体組織が複雑に絡み合っているのだ。

 そのわりに喋り出すとおそろしく俗で安っぽいことしか言わないせいで、話していると頭がどうにかなりそうだった。


「まあ、教えてあげよう。君はまだ死んでいない。九割方あーこりゃ死ぬってところで介入され、結果は上書きされる予定だからね」

「……根拠は?」

「神通力だよ神通力。アイアム千里眼!」

「そっか……」


 この巨人の言うことを信じていいのか本気で悩むリョーマだった。

 これならまだ、発狂した自分が見ているおかしな幻覚の方が納得できる。

 自分の正気を疑う少年を見下ろしつつ、玉座の巨人はブツブツと独り言。


「しかし参ったなあ、〈銀の鍵の騎士〉か。何を見せてあげようかな」

「銀の鍵の……騎士?」

「ハハハ、こういうとき意味深なこと言うのやってみたかったんだよね! なんでもいいけど意味深なこと言って解説しないやつってムカつくよね!」

「そうか……」


 問い返してもまともに答えが返ってくることはないらしい。



「よし、決めた――君に未来を見せてあげよう、少年」



 ぱちん、と器用に鳴らされる指――瞬間、周囲の景色が塗り変わる。

 まるでグリーンバック合成のように、高高度から大地を見下ろすような風景がまったく別のものに変わった。

 そこは大地の上。

 まるで自分の足で立っているかのように生々しく、それでいて非現実的な絵。

 荒れ果てた街並みと焼け焦げた地面、黒い影が舞う夕暮れの空。

 ぎゃあぎゃあと鳥の鳴き声が聞こえる。




――それは終末だった。




 山が動いていた。

 地形が動いている。

 そのように錯覚するほど、それは大きすぎた。それらが山やビルでないことを認識した少年の脳は、これまでの既知から似たものを探し出す。

 そう、たとえば恐竜。

 かつて地球上に存在した大型竜脚類ともなれば、全長三〇メートルを超える体躯を誇ったという。

 最新のCGを駆使した映画で見た恐竜たちの姿を、辛うじて似ていると判断。

 しかし、巨影は分厚すぎた。

 重力下において到底成立するとは思えない大質量、自重で潰れてしまいそうな細すぎるシルエット。

 それは大きすぎたし、細すぎたし、また分厚すぎた。

 矛盾する印象のすべてが、こんなものがありえないと存在を否定している。

 雑居ビルほどはあろうかという獣とも人とも魚ともつかない異形が、ずしん、ずしんと地響きとともに大地を闊歩かっぽする。

 それは二本の脚で歩いていた。

 けれど人型ではない。

 かといって大型哺乳類がそうするように、後ろ脚で立っている獣でもない。

 見上げるほど大きいのに、実際の距離は一〇メートル以上離れているはずだった。

 あまりにも大きすぎて距離感が狂っている。

 山のような体躯の




――それは




 そいつはリョーマの方を見向きもせず、一歩、前に歩き出す。

 足下が揺れるような衝撃。

 ボロボロの廃屋が踏み潰され、土煙を立てて瓦礫の山に変わる。

 尻餅をついた。

 それがハリボテではなく、たっぷりと質量を蓄えた肉の塊だと実感。

 遠くを見れば、夕焼け空を背景に無数の巨影がうごめいている。

 五〇メートル、いいや、一〇〇メートルはあるだろうか。

 うごめく巨影たちに気を取られていると――ぼとり、と目の前に何かが落ちた。

 腕だった。

 肘のあたりで千切れた人間の腕が、空から降ってきた。

 思わず頭上に視線を移して。

 悲鳴をあげることすら忘れた。



――人間がむさぼり食われている。



 空を舞う黒い翼が、人間らしき肉塊をズタズタに切り裂き、弄んでいる。

 ぎゃあぎゃあと鳥の鳴き声が聞こえる。

 それに混じって――生きたまま体を食い荒らされ、断末魔をあげる人たちがいる。

 それも一人や二人ではない。

 空を覆うように舞う黒い翼のすべてが、人間を空中で引き裂き、食い散らかしているのだから。

 肉片が、臓物が、雨のように大地に降り注ぐ。

 赤い雨。

 肉のみぞれ。

 それは救いようがなく陰惨な光景のはずなのに、どうしようもなく現実感が欠落した悪夢そのものだ。

 ぱちん、と指を鳴らす音。

 気づくと風景は元通りになっていた――黄金の炎に彩られた玉座で、黒い巨人は笑う。


「断言しよう。この世界は近い将来、必ず滅びる。今のはその予測されうる未来の姿だ」


 しかしながら、尤もらしい説明を言われてはいそうですか、と信じるほどリョーマは素直ではなかった。

 そんな性格ならオカルト懐疑論者――わざわざオカルトを掘り起こして虚構を暴き立てていく人種――になってなどいない。


「……ずいぶんと凝った映像だったけど定額動画配信サブスクリプションの新作か?」

「君はああいうホラーが好みなのかい? なら何もせず終末を迎えれば体験できるだろう、よろこべ少年」

「アレが本当に未来の出来事だとして。どうして俺に見せた」

「ああ、それはね」


 それはそれは楽しそうに、巨人は複眼を点滅させた。








「滅びの原因は――、イヌイ・リョーマくん」








「……………はぁ?」



 リョーマは困惑した。

 まったく意味がわからない世迷い言を自称・神だか宇宙人から聞かされたとき、普通人に出来る反応である。


「君の恋愛はすごいぜ? 管理社会の悪夢ディストピアをもたらす女とか、この世の終わりアポカリプスをもたらす女とか、こう……よりどりみどりの可愛い女の子たちに囲まれた楽しい十代がやってくるんだ、やったね少年!」


 学校から帰ってきたら自宅に隕石が直撃していたとでも言わんばかりの表情で、イヌイ・リョーマは絶望的なうめき声をあげた。


「人の青春をなんだと思ってるんだ……?」

「いや、少年の地獄みたいな恋愛に私は関与してないし……天然自然の運命だよ? もう下手に手を加えるよりも面白いじゃん……ずっと傍観者として面白おかしく見守るつもりだったんだけど雑に死にかけてるからさぁ! このままだとやだなーって思いました!」


 死にかけていた、という言葉が引っかかった。

 すると得体のしれない化け物に捕まって意識が途切れた記憶は、リョーマの気のせいではないのだろうか。

 もちろんこの巨人がリョーマのこれまで見た映画やアニメ、ゲームの類を切り貼りして作られた夢の中の存在なら何の意味もない推測だが。

 ひとまず尋ねてみてもいいだろう、と判断。


「あー……俺って助けてもらったのか、ひょっとして」

「いや知らん。なんか知らないうちにパーソナルスペースに入り込んでて気持ち悪いんだよね……隙間から入り込んだの君? 卵とか生んでないよね?」

「人のことをハエみたいに言うな」

「でも人間ってほら、すぐ子作りするし……」

「一人じゃ増えないからな?」

「二人だと増えるのか……こわー……」


 急に有性生殖にケチをつけ始める巨人――こいつ情緒不安定すぎないか、とリョーマが怪訝な表情になるのも無理はない。

 人様の恋愛事情を面白おかしく玩具にされていい気分になるわけもないのだから、釘を刺しておくべきだろう。


「……というか、これから付き合うかもしれない女の子が危険人物って言われたら、俺だって気をつけるぞ。傍観者になってなくないか」


 黒い巨人はチッとあからさまに舌打ちした。人間と同じ発声器官があるようには見えないのだが、舌打ちはできるらしい。


「映画もアニメもネタバレ踏んでから見たって面白さは変わらないだろ! キミの行動だって同じだ、同じ! 私はこれからもネタバレしていく! ミステリーとか真面目に推理するやついないだろマジで! 推理小説は超かっこいい探偵を楽しむジャンル! ホームズは薬物キメながら人殴ってればいいんだよ!」

「俺の人生をエンタメあつかいするのをやめろ」


 ついでに推理ジャンルを盛大に否定する自称・神。

 少なくとも推理の神とかではないと思われるし、世界中の私立探偵崇拝者シャーロキアンに私刑にかけられそうな勢いで雑な物言いだった。


「第一、世界中に怪獣があふれて世界は滅びます、って言われてもなあ……怪獣がいるならヒーローはいないのか?」

「チビッ子向けヒーロー番組じゃあるまいし――この世界に正義の味方なんているわけないだろう? 少年ってヒーローに変身できるベルトとか善良な外宇宙の異星人とか信じちゃうタイプ?」

「そのたとえが出てくる時点で見てるのお前の方だろ」

「黙れ」


 威圧された。

 理不尽だった。

 リョーマは深々とため息をついた。


「で、なんだ。俺はこの世に正義はあると鼻息荒く主張して論破されないといけないのか? 初対面の相手とそんな話題で喧嘩したくねえよ」

「めちゃくちゃ性格悪い問答を想定してないか少年?」


 おおむねベルカのせいだった。

 リョーマの幼馴染みは生粋の悲観主義者ペシミストで露悪趣味の持ち主であり、そのくせ社交性は高いので普段はそれを他人に見せない。

 その数少ない例外であるリョーマは、この手の趣味の悪い問答にも多少慣れ親しんでいる。

 甘え方が下手すぎる幼馴染みを思い出し、彼はなんとも言えない表情になった。

 このやりとりに既視感がある理由がわかった。

 こいつは妙だ。

 言動が、彼の知る彼女に似ていて――どこかが致命的に異なる。


「……ところで、初対面、だよな?」

「急にナンパ男みたいなこと言い始めたな少年。それで? 君の考えは?」

「……正義の味方がいたらいいな、と思ってはいる」


 その答えに、巨人は満足げにうなずいてみせた。

 我が意を得たり、とでも言いたげに。


「この世界にはヒーローなんていないから、人は誰もが不幸を嘆き悲しみ、理不尽に震え続け、人生は出会いと別れの物語だとか耳障りのいい言葉にすがるのさ」


 そこが君たちの可愛げだからね、と笑う巨人。

 嘲笑するような言葉にこもっているのは、底知れない親愛の情だった。

 それも間違いなく無償の愛だと確信できる、優しすぎる声音。

 理由もわからない大きすぎる好意が純粋に恐ろしくなって。


「……おまえは、誰だ?」


 少年は問うた。




種族の極点オーバーロード監視者エグリゴリなんて呼ばれたりもしているが、これは肩書きだからね――いいだろう、教えてあげよう」




 巨人が立ち上がる。

 全高四メートルに達しようかという巨体が、玉座から直立――そのまま足下のリョーマに視線を合わせるように膝立ちに。

 びっくりして目を見開く少年に、頭部の複眼を近づけて。

 そいつはうやうやしくこうべを垂れて名乗ってみせた。






「――私の名前はザドナシュカ。君たち人類の健やかな生のまっとうを願うもの、平たく言えば生命の庇護者だよ」






 名乗りを聞いて、ぽつりとリョーマは呟いた。


「……お前、自分のことはネタバレしない人種タイプだろ」

「ははははははははは」


 図星らしい。

 結局のところ、この巨人――ザドナシュカは真偽不明の未来予知と、うさんくさい意味深なキーワードを口に出す以外のことをしていない。

 煙に巻かれているだけで、実のある会話はまったく成立していない。

 こんなもの、自分が見ている悪い夢なのだと解釈する方が納得できる。


「まあいいじゃないか、君は助かるんだから。少年は半信半疑どころか九割信じてないだろうけど、優しい私からの忠告だ。これだけは忘れないでおくといい」


 ザドナシュカはそのつるりとした頭部の複眼を明滅させ、リョーマを見下ろして。

 親愛の籠もった声音で笑った。





「きっと見なかったことになんてできない少年よ――君だけが殺せる、君だけが生かせる、君だけが救える」





 ぱちん、と指が鳴る音。









 まるっきり悪夢だった。

 目が覚めるとまず、両足を何かに掴まれていることがわかった。

 ぼやけた視界が鮮明になっていく。




 大量の腕と目玉の化け物が、目の前にいた。




 ぱちぱちと瞬き。

 悪夢から覚めたのに悪夢が終わっていない。

 わかったのは、自分の心臓をえぐり出そうと迫り来る怪異の腕――思わず叫んだ。






「助かってねえ!!!!」






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