都市伝説考察2-2




 なんかこういい感じに高そうな自動車から、初老の男性が降りていた――と思っていただきたい。

 男は国会議員であり、与党の時期首相候補とも目される大物政治家である。

 周囲を秘書とSPに囲まれていることからも、大物っぷりがよくわかる。よく見るとスーツも高級そうな感じである。

 大物間違いなしの大物っぷりだった。


「先生、次の予定は――」


 秘書が口を開いた瞬間、その首が高く高く宙を飛んだ。

 突然のことだった。

 SPたちが反応する暇もなく、首から上を失った秘書の体が血しぶきを噴き出しながら倒れ込む。


「しゅ、襲撃――」


 やはり黒服の護衛たちの首が飛んだ。一度に四つの首が宙を舞い、やはり真っ赤な雨を降らせながら地面に倒れ込む。

 一人残された議員の男は、動じることなく、秘書とSPたちの返り血で真っ赤に染まった顔で微笑んだ。


「おやおや、困りましたねえ」


 男の目は襲撃の正体を精確に捉えていた――大物政治家特有の鋭い眼力が可能としたのだろうか。

 自身の首を切断すべく飛来した凶器を見据えたまま、初老の男の首が飛んだ。

 しかしその肉体は力を失って倒れ込まない。

 切断された首の断面からは血の一滴も噴きこぼれない。

 それどころか首なし死体は、優雅に歩き始めているではないか。あまりの狂気に、自動車の運転手は泡を吹いて失神してしまった。


 名状しがたい恐怖を前にして、襲撃者が姿を現す。

 筋骨隆々の肉体を包み込む国旗をモチーフにしたコスチューム、顔を隠す覆面、手には血まみれのギロチン刃――誰がどう見ても正義のため戦う戦士である。

 神懸かった投擲技術で投げつけられたギロチン刃が、容赦なく議員の取り巻きどもの生首を切断したのは言うまでもない。



「私は貴様の正体を知っているぞ――アドルフ・ヒュドラー!」



 歩く首なし死体はその名を聞いた途端、めきめきと肉体を変形させる――スーツの背中を突き破って何本もの人間の頭と首が生え、蛇のような長い首に老若男女の頭を持った異形と化していくではないか。

 その中には、特徴的ちょび髭を生やした演説が上手そうな中年男性の顔もあった。

 そう、与党議員の大物政治家の正体は、大量の人間の生首をろくろ首よろしく生やした異形の怪人アドルフ・ヒュドラーだったのだ!


「ヌゥッハッハッハッハ! 何者だァ!」


 そして悪党からの誰何に、正義のギロチン男はこう答えるのだ。




「――キャプテン・ギロチン。悪をギロチンで処刑する正義を志すものだ」




 ファミレスの無料通信回線を利用して再生されているのは、数十年前の子供向け特撮番組のハイライトシーンだった。携帯端末スマホの画面では、現代の基準では明らかにやりすぎの猟奇的殺人シーンが繰り広げられている。

 まあ、それはいい。

 その悪趣味な動画を見てよろこんでいるのが、ついさっき名前を知った小学生女児ともうすぐ高校生の幼馴染みでなければ。


「ふわあ……ヒュドラー回は演出キレッキレですね……」

「規制かかる前の地上波はいいよね。怪奇演出が本気でさ」


 バレンタインデーも過ぎて久しい時期である。おおむね世の中学三年生は受験も一段落し、卒業式と春休みを控えた気だるいような時間を過ごしている。

 そしてイヌイ・リョーマはといえばファミレスに呼び出されており。


「やっぱりキャップ……キャプテン・ギロチンはあたしの心のヒーローなんですよね。地上波で飛ぶ生首が……とってもチャーミングなので」

「あの時代特有の残虐描写だよねー。アングラ感が癖になるし、怪人のデザインも味があって好きだなあ、わたし」

「アドルフ・ヒュドラーのデザイン最高ですよね! 当時品のソフビ……欲しかったです」

「あー、うちにあるよ。今度見にくる?」

「えええ、本当ですか是非是非よろしくお願いします!!」


 ほぼ初対面の女の子と幼馴染みがご長寿特撮番組キャプテン・ギロチンシリーズについて熱く語っている。

 なんだこいつら、とリョーマは思った。









「ベルカ!? なんでここに……」


 リョーマがベルカの登場にびっくりしたのは言うまでもない。

 黄金の少女はにやりと不敵に笑い、リョーマの横に座った。

 悪役の笑顔だった。


「リョーマ、わたしの情報網を舐めるなよ」

「説明になってねえ……」

「無償で説明して欲しいという性根がよくないぜ、それでもジャーナリストの卵?」

「いや知らん」


 いつから俺はジャーナリストの卵になったんだ、と憮然とした表情で受け流す――あまりにいつも通り過ぎて安心するほどにベルカはベルカらしかった。

 突然の乱入者に混乱しているミツキに気づき、とりあえず言うべきことを言った。


「こいつは俺の幼馴染みのベルカ。危険は少ない、安心してくれ」

「こ、個性的な方なんですね……?」


 さりげなく失礼な反応のミツキは、どうやら素でいい性格をしているらしかった。

 リョーマに非があるわけではないが、この二人が出会って大丈夫だったのかと不安が押し寄せてくる。

 だが、ベルカ・テンレンはこういうとき強いやつだった。

 仮にも大金持ちの家の娘、社交界の経験もあるということだろうか。


「ま、よく言われるよ。お話邪魔しちゃってごめんね、えーと」

「あ……えっと、ホシノ・ミツキ……です」

「うん、ホシノさん」


 そのときミツキが、何かに気づいたように目を見開いた。ちらりと覗く好奇心――うずうずしているのがほぼ初見のリョーマにもわかるぐらいに。


「ん? ホシノさん、わたしに何か?」

「いえ……ベルカって名前、昔好きだったおとぎ話に出てきたので、素敵だなーって」


 きょとんとした後、ベルカはひどく懐かしそうな顔になった。

 まるで遠い昔に置き去りにした宝物を見つけたような表情は、長い付き合いのリョーマも初めて見るかもしれない色。


「それって……くすんだ騎士が出てくるやつ?」

「それですそれです! 外国の絵本です!」

「それねー、わたしの名付け親がすっごい好きだったんだって。なのでホシノさん大当たりだね!」


 にっこり笑ってウィンクまでしてみせるベルカ。

 ものすごい外行きの愛想の良さだった。


――猫被ってやがる。


 イヌイ・リョーマはあまりにもわかりやすい幼馴染みのノリに呆れたが、とりあえず話について行こうとミツキに尋ねた。

 それがいけなかった。


「あー、そんな有名な本、なのか?」

「はい! 知る人ぞ知る創作童話です! ベルカって名前のお姫様が悪い魔法使いにさらわれちゃうんですけど、口先三寸で脱出しようとするんですよね。魔物たちを騙して魔法使いと喧嘩するように仕向けたり、ぐらぐら煮立てた油を階段の上からひっくり返して浴びせたり、とにかく狡猾で貪欲で生きようって意思にあふれてて囚われのお姫様なんて感じじゃないんですよ。最っ高にかっこいいんです。怪獣と出会う前のあたしのヒーローでした」


 ミツキはすごい早口でまくし立てるように喋り始めた。リョーマにはわかる。スイッチが入ってしまったオタクだこいつ、と。さりげなく怪獣大好きですというカミングアウトまでされてしまったが、そっち方面の愛好家オタクではないリョーマの手にはあまる。


「…………そ、そうか」


 おとぎ話のお姫様はバイタリティとバイオレンスにあふれていた。

 微妙にベルカっぽいキャラだったのでコメントに困る。なんとも言えない気持ちのまま、幼馴染みの顔を見た。


「なにさ」

「いや、そんな絵本があるなんて初耳だったし」

「なぁーにが悲しくって自分の名前の元ネタ、話さなきゃいけないのさ。わたしがそんなガラに見えるー?」


 お姫様なんてガラじゃない、という言に食いついたのは知り合ったばかりの少女だった。


「ベルカさん、言われてみるとベルカ姫っぽくて完璧ですよ!」

「え、あ、そう? そうなんだ?」

「はい! とっても素敵な名前にぴったりの、とっても素敵なお顔ですよ! あたし今ちょっと感動してます!」


 目をぱちくりさせてるベルカという世にも珍しいものが見られた。

 血管が透けそうなほど白い肌を紅潮させ、はぁはぁと荒い息をつくミツキ――さっきまでと印象が違いすぎて、リョーマも少し面食らった。

 意外だが、元気そうなのでいいと思う。

 そして興奮しすぎたことに気づいたのか、ミツキはうつむいて数秒黙った後、顔を上げてこう言った。


「……と、特撮はお好きですか!」


 話題の飛び方の勢いがよすぎて弾道ミサイル並みだった。

 完全に他人と喋る話題が思いつかないときの愛好家オタクの挙動である。

 これが平均的な女子中学生(もうすぐ女子高生)だったなら面くらい、やんわりと話題をずらしてお茶を濁し、微妙にいたたまれない空気だけが残っただろう。

 しかしベルカ・テンレンは変人奇人であり、ついでを言うなら趣味がよくわからない女だった。


「うん、好きだよー。今は【人造人間対地底怪獣】とかHDリマスターの初代【ゾギラ】とか見てるんだけどいいよねー、やっぱデカい怪獣が暴れるのはスカッとするし役者の顔がいいんだよね」


 ベルカは聞き上手であり、先ほどミツキが起こした発作的な会話の中の「怪獣」という単語を聞き逃していなかった。

 つまりは話を合わせたのだが、ちょっと興奮気味のミツキにそれを見抜ける機微はなかった。

 読心能力が通じない分、余計にわからなかったのだ。


「ゾギラいいですよね…! この前の【エンペラーオブモンスターズ】も傑作でした……あっ、ニチア……日曜朝のは」

「戦隊の方? それともキャプテンシリーズ?」


 かくして二人の会話はますますリョーマに理解できない深淵へ進んでいき、今に至る。









 長々と話し込むミツキは、明らかに当初の目的を見失っていた。

 食べ尽くしたパフェの器に残った溶けたアイスクリームの汁を見つめながら、リョーマは思う。

 年頃の女の子って難しいな、と。

 そのときミツキが立ち上がった。


「おトイレ行ってきます!」


 直球だった。

 せめてお手洗いと言った方がいいんじゃないか、とリョーマが思った直後、ミツキは立ち止まりこちらを振り返って。


「お手洗いに行ってきます!」

「お、おう」


 妹の友達はだいぶ勢いがよかった。

 嵐のように女子トイレに去っていたミツキを見送っていると、ぼそりとベルカが言った。


「さっきも言ったけど、名付け親がその絵本大好きだっただけなの。リョーマ、わたしにお姫様がどうこうとか言ったら蹴るからね」


 そういうベルカの頬は少し赤くて、たぶん照れていた。

 視線をさっきからこっちに合わせないようにしてるのも丸わかりだった。

 あざとい。


「ベルカのそういうところが可愛いと思う」

「うっさい」


 褒めたら脛を蹴られた。


「痛ぇ!」

「警告はした」


 雑談中に頼んでいたコーヒーフロートをストローですするベルカはやはり照れていた。

 それにしても、とリョーマは思う。

 もうお化け云々の話が頭からすっぽ抜けるぐらい疲れてしまった。


――店の外に何かいるって話、どうすりゃいいんだ?


 いわゆる見える人ではない彼の手に余るのは明白だった。

 生憎、こちらはただのオカルトマニアであって祈祷師でも幽霊退治の専門家でもないのである。

 頼られた以上はなんとかしてやりたいが、気持ちだけで解決策が出てくるはずもない。リョーマが一五年足らずの人生で学んだのは、大抵の物事の解決に必要なのは正しい知識とそれに必要な準備ということだ。

 そのどちらも今の自分は持ち合わせていないように思えた。

 参ったな、とため息一つ。


「どしたの?」


 幼馴染みはめざとかった。


「ん、いや――実はな」


 かくかくしかじかと事情を話すと、ベルカはこともなげに――悩む素振りも見せずにこう言ってのけた。


「じゃあシエランに車出してもらうから、店の前に停車したらすぐ乗り込むってことでいい? 自転車はあとで回収したらいいよ」

「マジか……そこまでしてもらっていいのか、いや、というかそれで解決は」

「わたしはお化けがいるいない論争に首突っ込む気はないけど、要は不審者への対応と一緒でしょ。まず目の前のトラブル回避が先決。根本的解決は余裕できてから考えようよ」

「正論だ……」


 ベルカ・テンレンは頭が切れるし頼りになる奴だった。

 そういうわけでベルカは携帯端末をポシェットから取り出し、電話をかけている間に――ミツキがトイレの方からひょこっと顔を出した。

 そのまま戻ってきたミツキはテーブルのすぐ側にやってきて。

 ぴたりと足を止めて、信じられないものを見たように顔を強ばらせた。


「……ホシノさん?」

「あ、あの……むこう、えっ、なんで」


 震える声で入り口の方を指さす少女――その視線の先にあるのは自動ドアだった。羽虫や小動物への対策で、ファミレスの出入り口は二重構造になっている。

 一番外側に手動のドアがあり、その次に自動ドアがあるという塩梅だ。

 リョーマが振り返ってドアの方を見やると、その一番最初の出入り口が開いている――店員に席を案内されている二人連れが見えたから、彼らが開けたのだろう。

 夜になると羽虫が入り込むので褒められたものではないが。

 問題は二つめの扉、自動ドアだった。


 リョーマが見た限り、透明なガラス製のドアの向こうに人影は見当たらない。

 なのに。

 それがひとりでに開いていく。


 赤外線や可視光線、超音波などを使った人感センサの誤作動はよくある話だ。

 けれどリョーマが思い出したのは、他愛のない雑談だった。

 いつだったか学校の男友達とした会話。


――その、中の人にOKされないと家の中に入ってこられない化け物って、自動ドアはどうなるんだよ?


 古来、この世ならぬものは家人に招かれない限り、境界をまたぐことができない存在だという。

 お化けであれ妖怪変化であれ西の果ての吸血鬼であれ、このルールは鉄則と言っていい。

 外と内は明確に別の空間なのである。


 手動の扉は外から入ってきた客が開けてしまった。二つめの扉はちょっとしたセンサーの誤作動で開いてしまう自動ドアだった。

 果たして勝手に開く自動ドアは「怪異を屋内に招き入れた」ことになるのかどうか。

 最悪の答え合わせが始まっているような気がして。



「リョーマ!」



 耳元で切羽詰まったようなベルカの声が聞こえた。

 伸ばされた少女の腕が、少年のそれを掴むことはなく――






――視界が塗り変わる。





 春のやわらかな真昼の日差しが消えて、ガラス窓から差し込むのは不気味な赤い光。

 アスファルトの道路もコンクリートのビルも視界に入るのに違和感だらけで、あれほど賑やかだったファミレスの店内にはリョーマとミツキ以外、誰もいなくなっていた。

 だが、そんなことすら些事に思える強烈な違和感。


「な、んで……」


 うめくように呟くミツキの手を握る。

 それしかできない程度に少年は動揺していて、恐怖を精神の奥深くから引きずり出されていた。


 そいつは白いワンピースを着ていた。

 身長三メートルはあろうかという長身の女が、前屈みになってこちらを見ている。

 今となっては陳腐になったホラー映画の幽霊のように、長い黒髪をだらりと垂らして顔が見えない誰か/何か。

 あの廃墟で見た蜘蛛女と同じ、言いようの不快感――胸くそ悪い空っぽの悪意を感じた。

 都市伝説が語るところの怪異、クジャク様。





 ふとリョーマは悟った。





 怪異とは――人にはどうしようもないから怪異なのだと。




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