都市伝説考察2-1




 地方都市ソラハラは再開発によって繁栄を謳歌する都市であり、オムニダイン・グループの企業城下町であり、数多くの都市伝説を孕んだ土地である。

 小学生の間でも、妙に怪談めいた噂話には事欠かない。

 あまり社交的ではないミツキですら、いくつかの都市伝説を知っている。


 曰く、人食いの怪物。

 曰く、幽霊の軍隊。

 曰く、髑髏の死神。


 人食いの怪物と髑髏の死神は本当にいたのでびっくりしたが、それはそうとしてミツキはオカルトを信じ込むような人種ではない。自分自身が超能力のようなものを持っているにもかかわらず、彼女はそういうものに対して否定的だった。むしろなまじ実感を持っているからこそ、そこから外れる事象にリアリティを感じられない。

 友人いもうと曰く「やたらオカルト話にだけは詳しい」というイヌイ先輩は、案の定、すんなりと話について来てくれた。


「インターネット発祥の怪談話の定番、だよな」

「はい、先輩やっぱりご存じでしたか」


 クジャク様は今から十数年前、インターネット上の匿名掲示板――今となっては旧世代の閉鎖的で廃れたコミュニティ――から生まれた怪談話である。

 投稿者が高校生のころに出会った、異様に背が高い女の姿をした怪異にまつわる物語であり、この話に出てくる女は二メートル半を超える長身からクジャク様と呼ばれている。とある田舎の農村に封じられているというそれは、背が高く黒い長髪が特徴で、気に入った若者につきまとい取り殺してしまうという。

 この怪談は、投稿者の一晩の恐怖体験とその後日談――怪異がどこかに解き放たれてしまったという結びで終わる。


 以上、すべて先輩の受け売りだ。

 携帯端末を開いて検索したりメモ帳を読んだりなんてこともせず、素でぺらぺら説明してくれた。ひょっとしてイヌイ先輩、重度のオタクなのかもしれない。ミツキもちょっとしたその手の趣味があるので、インドア系の趣味があるのは親しみが持てる。


「……まず前提として、クジャク様は創作だ。実話系怪談愛好家が書き込んだ話より前には、影も形もなかった作り話。これは間違いない、と思う」

「断言ですか」

「こういうの調べるのが趣味だからな。似たような怪談なんかも含めて、最初の投稿者より前にそれらしい話はなかったよ」


 先輩曰く、大抵の怪談のネタというのはインターネット普及以前、前世紀後半のオカルトブームや怪談ブームのときに書籍やTV番組を通じて世に出ているのだという。大抵の場合、市井の人々の噂話とメディアが取り上げて拡散する循環サイクルができあがっているのだとか。

 庶民の間にネット環境が行き渡り、独自の創作怪談が出回るようになった時期――それこそがクジャク様の生まれた時代なのだ、と。


「……となると、やっぱり実在するわけないですよね、そういうの」

「普通に考えればそうなる。でもホシノさんがしたい話はそういうことじゃないんだろ?」


 ウェイトレスが運んできたチョコレートパフェを嬉しそうに受け取りながら、イヌイ先輩は話を促した。

 甘ったるいチョコレートのにおい。味覚が機能していないミツキには、チョコレートも生クリームもその甘さがわからないので、それを嗜好品とする人の気持ちも共感はしがたい。たぶん自分にとっての目の前の少年の精神構造ぐらい美味しいのだろう、とは思うが。

 ともあれミツキがこれから話すことは、イヌイ先輩の言うところの常識に反していた。


「三日連続で、学校の帰り道に見たんです――その、すごく背が大きい女の人を」


 今週の平日、小学校の通学路で目撃した怪異である。


「背の高さはどのぐらいだった?」

「通学路の横に高さ制限が三メートルのトンネルがあって、天井ギリギリの背丈でした」

「ざっと三メートル弱か。たしかにクジャク様の特徴は満たしてるし……流石にそうそういない身長だな」


 巨人症(標準的身長よりはるかに身長が高い症状の人のことらしい)の人間でも二メートル半ぐらいに収まるもので、三メートル近いとなるとほとんどありえないらしい。それにそれだけ身長が大きいと、如何にソラハラ市が人口増加と都市化が進んでいると言っても目立つのは避けられない。都市は他人に対して無関心になりやすいが、同時に人目も多いのだ。

 都市の外からやってきたよそ者と仮定しても、同じ場所に三日連続で出没していれば、間違いなく噂になる。SNSに写真を投稿する通行人だって現れるだろう。

 そうなっていないのは異様だった。


「一回きりなら見間違いかもしれないが、三回となると穏やかじゃないな……家族には話した?」

「いえ……おばさまとおじさまに心配はかけたくありませんし、お化けの話なんて信じてくれません」


 自分でも少し寂しげな表情になってしまったと思う。ミツキは唯一の肉親である実母が事故死して以降、叔父夫婦の元に身を寄せている。子宝に恵まれなかった彼らはずいぶんとよくしてくれているものの、人見知りが激しい――ミツキは偏食家なのだ――少女とは一定の距離がある。

 変にずかずかと踏み込んでこられるより全然いいのだけれど、こういうときの相談相手にはならない。

 そうか、と頷いた後、少年は口を開いた。


「この場合、可能性は大きく分けて二つになると思う」


 チョコレートパフェをスプーンで口に運びつつ、イヌイ先輩は指は二本立てる。


「一つめはクジャク様に見えるような仮装か小道具を誰かが設置してるパターン。竹馬かすごい厚底の靴を使って仮装すれば、特定の時間帯だけ背が高い女になりすますことはできるし、それっぽい特注のマネキン使ったイタズラの線もあるか。二つめはお化けかそれに類する普通じゃないものが、本当にそこにいるパターン……これも信憑性はある、困ったことに」


 イヌイ・リョーマとホシノ・ミツキはつい先日、市街地の廃墟にて異様な怪物と遭遇した。それを前提にすると、怪異の実在を前提にした仮説も信憑性がある。口ぶりから察するに、彼自身はオカルトに詳しいといっても頭から信じ込んでいるタイプではなさそうだ。今どきオカルトなんて胡散臭い趣味をしていて、しかも実在を疑っているなんてどういうことなのかよくわからないけれど。やはり変わり者なのだろう。


「……ホシノさん、失礼なこと考えてないか?」

「い、いいえ!? ちょっと考え事してただけです……!」


 ミツキはめちゃくちゃ焦った。そんなにわかりやすい表情をしていただろうか。まさかイヌイ先輩にも読心能力があるなんてことはないだろうし、彼は観察力か勘に優れているのかもしれない。

 うわずった声で見るからに動揺している少女は、誰がどう見ても図星だと自白しているようなものだったが、少年はそれ以上追求するようなねちっこい性格をしていなかった。


「話を戻すけど。この場合、相手が実在の人間なら警察の仕事だ。ホシノさんを狙っている変質者かもしれない」


 それは如何にもありそうな話だったが、ミツキはそうではないと知っていた。通学路で見かけた時点で【味見】をしていたからだ。人間ならば美味しい、不味い、よくわからないと何かしらの味がするものだが、アレから何の味もなかった。つまり読み取れる心がない。廃墟で二人を襲った蜘蛛女と同じだった。


「上手く言えませんけど……あれはたぶん、人間じゃないと思うんです」

「……あの蜘蛛みたいなお化けと似たような雰囲気だった、ってことかな」


 はい、と頷く。

 流石に共通の体験をしているだけあって、イヌイ先輩は理解が早かった。変に勘ぐられたり説明を求められずに済むので、ミツキとしても気が楽で助かる。黙々とパフェを食べ終えると、イヌイ先輩はお冷やの水を飲みながら考え事をし始めた。

 一分ほどの沈黙の後、彼は慎重に口を開いた。


「ならお化けが実在してる線で考えよう。この場合、問題はそいつが、ネット上の怪談に出てくるクジャク様と同じ存在かってことになる」

「……別のお化けかもしれないんですか?」

「うん。身長三メートル近い女のお化けがいたとしても、そいつが本当に、怪談のクジャク様と同じかはわからない。たとえばあの怪談の場合、クジャク様から逃げるために一晩、部屋にこもった次の日に車で逃げただろ?」


 そこまで言われて、ようやくミツキにも察しがついてきた。


「えっと、正しい対処法が怪談通りかわからないってことですか?」

「そういうこと。第一、あの話の前提だとクジャク様は田舎から出られないから、車で別の街へ行っちゃえば大丈夫だった。後日談で封印が解けたってことにされてたから、どのみち今は参考にできそうにないけど」


 それに、イヌイ先輩は続ける。


「そもそもあの怪談が本物かどうかもわからない。クジャク様っぽいお化けがいたとしても、クジャク様が出てくる怪談が実話だって保障はないんだ……つまりお化けの実在を前提にしていても、怪談の中での対処法はあんまり参考にできない、と俺は思う」


 頭がこんがらがる話だが、要点をまとめると「お化けがいたとしても、インターネットの匿名掲示板でどこかの誰かが投稿した体験談風の怪談に命を預けられるわけがない」という話になる。恐ろしく懐疑的で論理的だった。どうしてこんな思考をする人間が、オカルト趣味なんかしているのかわからない。

 目の前の後輩が、種も仕掛けもない正真正銘の超能力者だと知らないまま、イヌイ・リョーマは持論を話す。


「ただ……一〇〇年ぐらい昔から、ソラハラ地方でそれっぽい事件が起きてはいるんだよ」

「この土地で、ですか?」


 意外な話である。どことも知れない田舎を舞台にした怪談のはずが、もしかしたら地元が舞台かもしれないと言われると嫌な現実感があった。ソラハラ地方と一口にいっても、都市再開発でぐっと近代化が進んだのはソラハラ市の一部である。古くからの田園地帯や山々の方には豊かな自然が残されているし、旧市街の方は近世の城下町の名残を強く残していた。怪談の舞台になる「田舎の農村」という設定を満たせる土地は存外多い。

 続けて少年が語ったのは、口にはばかられる類の猟奇的内容であった。


「……子供が対象になった行方不明事件と猟奇殺人事件、って言えばいいのかな。内臓を抜き取られた遺体が見つかったけど、結局、犯人は分からずじまいの未解決事件コールドケース。この手の事件が、三〇年おきにちょこちょこ起きてるんだ。オカルト趣味の人間の中には、これをクジャク様と結びつける向きもある」


 口ぶりからしてイヌイ先輩はかなり懐疑的らしい。しかし割と踏み込んだところまで地道に調べ上げていたらしいのが、彼の思考を読むと伝わってくる。

 本当かどうか訝しみながら、徹底的に調べ上げる。如何にも嘘くさいと思っていても「かもしれない」を排除し、事実であるか否かだけに絞っていく――情熱的とすら言える過去の調査の痕跡。

 しかしミツキの感想は好意的ではなかった。


「先輩、そういうグロい話題に詳しい人なんですか? なんかすごく早口で……キモ……女の子に嫌われますよ?」

「流石に口が悪いぞ今のは……」


 こいつめちゃくちゃ失礼だな、と顔に書いてあるイヌイ先輩。しかしオタクの悪いところ丸出しと指摘されるとぐうの音も出ない――そんな感じの思考が読めた。ここで怒らないあたり筋金入りのお人好しと言えよう。


(いいなあ。こういう心に育つことができる環境ってどんな感じなんだろう)


 ミツキは生来、人生をくっきりと楽しんだ記憶がない。ぼんやりと楽しかった時期、ぼんやりと苦しかった時期はあっても、はっきりと胸に刻まれるような鮮烈な生の実感を得たことがないのだ。

 ホシノ・ミツキの人生は強く感情が揺れ動いたことがなく、薄もやがかかったように曖昧だった。

 そんな彼女にとって、こうも澱みがなく理路整然としていながら、鮮やかな情動を持つイヌイ・リョーマは――美味しそうなのだ。


「ごめんなさい」

「あーうん、まあ他の人にはそういうこと言わないようにしような」


 どちらかと言えばミツキの今後を気遣っての注意――いい人過ぎてこの人、世渡りとか大丈夫なのかなと心配になってきた。我ながらどうしようもない性格だと思いつつ、何気なく窓の外を見て。

 目を見開いた。


「……あのっ、先輩……」

「どうした?」


 わけがわからなかった。

 何度も瞬きして、それが幻覚ではないと認識。

 震える声で状況を説明しようとする。


「えっと、その」


 どうしよう、想定外だ。



「…………今、窓の外に見えてるんです」



 白いワンピースを着た長身の女が、ファミレスの向かいの歩道に立っているなんて。

 異様に背が高い――小柄な人の二倍ぐらいはあるだろう――女がぼーっと突っ立っているのに、通行人は誰もそれを認識していない。いくら何でも普通はもっと注目するだろう。

 お化けは苦手だ。


 彼らはどういうわけか、心というものがないみたいで魂の味がしない。

 まるでミツキの味覚が普通の食べ物に対してそうであるように、無味乾燥で美味しくない。その上、こちらに危害を加えてくるのだ。

 人間に襲いかかってくる料理なんて最低だと思う。


「マジか、怪談に巻き込まれてるのか俺」


 目を丸くした少年はそっと窓の外に目を向けて「何も見えないな」とやや残念そうに呟く。

 その反応はミツキの予期していたものとだいぶズレていた。


「ちょっと楽しくなってきたな」


 イヌイ先輩は何故かワクワクしていた。感性が独特だと自認しているミツキでさえ、怪異の出現にはびっくりして心拍数が上がってしまうというのに。


「こういうのって普通怖がるところじゃ……?」

「もちろん可能な限り回避したい状況だけどな、巻き込まれたなら楽しむ遊び心も必要だと俺は思う」


 澄んだ瞳だった。

 イヌイ先輩はわりと変人奇人の部類のようだった。


「あたしが嘘ついてるって考えたりはしないんですか?」

「ん? そりゃ……お化けはいないって前提なら一番楽な説明はそうなるかもな。でも俺は例のお化けを一緒に見てる」


 それにさ、と少年は微笑む。



「ホシノさん、嘘はつかない人だろ?」



 ああ、本当にまぶしい。

 真っ直ぐできらきらした精神の輝き、人を信じる善良さの結晶みたいなまなざし。自分は決してこうはなれないけど、だからこそ綺麗で美味しそうな心。

 どうにかこの危機を切り抜けて、イヌイ先輩を観賞用にテイクアウトしたいなと本気で思い始めたミツキだったが――

 からん、とファミレスの入り口から音がした。

 店員と話した後、こちらに歩いてくる人影――隣の席、二人用のテーブルに座ったのは、見知らぬ少女だった。

 小学生ぐらいの背丈だけれど、なんというかこう、ものすごい異物感がある。お化けのように空っぽではないのに心を読み取らせない、人間離れした強靱な精神の外殻の持ち主。

 つまるところホシノ・ミツキが生まれて初めて出会った生態としての天敵だ。




「おっす、リョーマ」




 あ、この人あんまり美味しくなさそう。

 ミツキは美食家なので眉をひそめた。

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