第358話 禁忌を冒す

「君が抱えている『ソレ』は魔人だ。クレストフ、君はソレをどうするつもりだい?」

「連れて帰る」

 風来の才媛の問いかけに俺は迷いなく答えた。俺の返答に風来は深く溜め息を吐き出した。

「魔人がなぜ禁忌とされるのか、その理由は君ならわかっているはずだね?」

 物分かりの悪い生徒に言い含めるような口調で風来は魔人の危険性について語り始める。

「魔人は後天的に超越種へ変化する危険性が高い。優れた知性を持つ魔人は、世界における自らの生存率を少しでも上げるために更なる力を求める。その到達点が、超越種という存在への昇華だ」

 ――そんなことは知っている。


「魔導技術連盟に帰還後、私はソレについて魔人指定を行い、ソレを連れて人間社会に戻ってくるであろう君に対しても、外法術士として連盟から登録抹消しなければならない」

 ――そうなることもわかっている。ここで言う登録抹消が、存在の抹消……すなわち抹殺であるということも。

「君はたった今、人類の敵になったんだよ」

 風来の才媛による容赦ない糾弾に、その場の誰も口を挟むことができなかった。アカデメイアで魔人と直接戦闘した経験があるレリィも、魔人の危険性は身をもって知っている。それゆえに、俺が魔人化したビーチェを抱えて連れ帰ろうとする行為に対して、咎める風来の言が正しいことだとわかってしまった。目を見開いて、今にも泣きだしそうな顔をしながら俺と風来の間に挟まり立ち竦んでいる。


 沈黙が流れるなか、ビーチェが弱々しい声で呟いた。

「私は……そんなこと望まない。超越種になんか、ならない」

「望むと望まざるとに関わらず、長く生きた魔人は超越種へと変貌していく。そういう化け物なんだよ」

 風来はビーチェとは目を合わせようとせず、淡々と魔人の危険性を繰り返し言葉にする。そこにビーチェと風来の対話は成立していなかった。風来は魔人とまともに会話するつもりはないようである。


「ビーチェを化け物にはしない。俺がさせない。一級術士『結晶』の名に懸けて」

「確かに君になら可能かもしれない。だが、不可能かもしれない。そんな賭けに、人類の存亡を委ねられるものかね。しかも、魔人を二匹ともなれば、人の手に余ると考えるのが普通だ」

 もう一人の魔人、セイリスに対しても風来の才媛は視線を送ることはない。だが、セイリスに対しては騎士ゴルディアが剣を向けて牽制しており、風来自身も探知術式で警戒を緩めていない。

「俺は既に事の良し悪しで話をしていない。俺がどうするか、立場は示した」

「やれやれ、困ったね。私だけじゃ説得は無理か」

 この女にしては珍しく、本当に困ったような表情で頭の後ろを掻きながら、長く艶やかな髪をぐしゃぐしゃと乱している。そうして、ちらりと横に視線を向けて――。


「メグ、君は聖霊教会の悪魔祓いだろう。まさか魔人を擁護するつもりはないだろうね? ……だから、君はこちらだよ、メグ」

「ふへえっ!? め、メグですかぁ!?」

 風来から唐突に話を振られて手招きされたメグは、俺と風来を交互に見ながら「うぅぅ~っ!」と唸りながら返答に窮している。

「うぅっ、うぅ~ん……。えぇー……でも……、でもでもですー! それでもせっかくここまで来て、探し人を見つけたのですよー? それなのに……」

「君は聖霊教会から破門されても構わないのかい? ちなみにクレストフの後ろ盾は期待できないよ」

「ひぃ!? は、破門!! そ、それだけは勘弁なのですー……。破門なんてされたら、とてもまともには生きていけないのですー! うぅぅ……犬畜生のように裸で寒空の下に放り出されるのは勘弁なのです……」

 俺の心情を考えてか、ビーチェを見逃す方向でどうにかこの場を収められないかと反論を試みたメグだったが、思いのほか冷徹な風来の才媛の言葉に小さな体を震わせて縮み上がってしまった。教会関係者にとって破門とはそれほどに重い罰なのである。


「君もだ、クレストフ。今ならまだ間に合う。その二匹の魔人は異界に置いて、人の世に戻るんだ。君は、これまでに築き上げてきた地位も名誉も財産も、全てを捨てるというのかい? 人類の敵として魔導技術連盟から登録抹消されれば、嬉々として王国の貴族や古参の魔女どもが君の私財を没収にかかるだろう」

 無論、財産だけでなく命まで奪いに来ることだろう。これまで俺にやり込められてきた連中が、こぞって大義を得たとばかりに襲い掛かってくるのが目に見えている。それでも、俺は引くつもりがなかった。

「好きにやればいい。今更、連盟の地位や肩書きに未練もない。だが、俺は手にした財を易々と手放すつもりはないぞ。俺の工房には数多の迎撃術式が施されている。攻め落とすつもりなら、一国の軍隊総出でかかってこい。争った後に残るのは得られる財より大きな被害だろうがな。お前らがそうやって遊んでいるうちに、俺はこいつらと一緒にどこか遠くの地方にでも雲隠れするさ」

 国を追われることにはなるだろう。だが、それがどれほどのことだと言うのか。ようやく取り戻した幸福を今ここで手放すくらいなら、替えの利く私財を捨て去ることに迷いはない。


 そこまで俺が言い切ったところで、レリィが明確に風来の才媛に対して向かい合った。真鉄杖を構えて、戦う姿勢を示している。

「あたしはクレスの判断を信じるよ」

「君も魔人を庇うようなら騎士協会から騎士の資格を剥奪されるよ?」

「騎士協会なんてどうでもいい。誰が何と言おうと、あたしがクレスの専属騎士だってことは変わらないから」

「意思は固いか……。それで、他はどうなのかな? 一時の感情に流されてほしくはないのだけど」

 メグを味方に引き込んだ風来が残りの者達にも立場の明確化を迫る。それで敵に回ったとして構わない、という凄みを風来の才媛は放っていた。


「私としては個人的に関わりたくない話だわね。クレストフの坊やの願いを叶えるまでが今回の旅の目的で、それは達成されているのだから。これ以上、魔人との戦闘だの何だのというのは御免かしら」

「んん~。メルヴィはねぇ~。心情的にはクレスお兄さん寄りだけどぉ……。正直、手に負える範囲を超えちゃったから棄権しまーす。中立、中立~」

「いやいや、僕としては困ったね、これ。僕も心情的にはクレストフ君の味方なんだけど、魔人の恐ろしさは嫌というほど理解しているんだ。だから、魔人の排除には賛成。でもクレストフ君と戦うつもりはないかな。むしろ彼には無事でいてもらいたい。それだけが望みだよ」

 ミラ、メルヴィ、ムンディと、三者三様の意見だが詰まるところ全員中立の立場を取るようだ。

 俺としては彼らが敵に回らないだけでも助かる。そして、それは風来の才媛にしてみても同じようだった。


「いいとも、それで。私がクレストフを『説得』する邪魔さえしなければね」

「お前の言う説得とやらが力ずくだとしても俺の考えは変わらないぞ」

「……そうかい、そこまでの覚悟を決めているんだね。なら、進むといいよ、君が思う道を。誰も君らの幸福を否定する権利はない。でも、私にも立場というものがあるからね。建前上は君と敵対することになる。君ならばわかってくれるね、賢いクレストフ……」


 悲しそうに風来の才媛が呟くと、途端に彼女の全身から濃密な魔力の気配が漂ってくる。

 建前上? いったい何が建前で、本音はどこにあるというのか。こいつは、本気で魔人のビーチェとセイリスを殺しにきている!


(――世界座標『風吠かざぼえの洞穴』より、我が魂に応えよ――嵐神ルドラ、汝が力を我に宿し――原初の宿命に従い降臨せよ――)

『目覚めし嵐神、その力をここに顕現せよ! ――神威しんい召喚――!!』

 

 吹き荒れる風が、風来の才媛を中心に渦を成し、黄金色の光の粒が全方位に向けて放散される。

 暴風が獣の咆哮の如き風吠えとなって威圧してくる。

 『嵐神ルドラ』『神威召喚』と風来の才媛は術式の楔の名キーネームを発した。その意味合いが言葉通りのものなら、これは嵐神ルドラの力を自身に憑依させる術式に違いない。


 明確な自我を持ち、現代にまで生きる古代神の一柱、嵐神ルドラ。その力を身に宿す術式など初めて見た。

(――俺のことは棚に上げて、こいつも相当に禁忌を冒してやがるだろ――!?)

 嵐神ルドラは超越種に分類される強力な存在だが、他の超越種と比較して理性的であり、現代においても神として崇められている数少ない例である。社会的にも認められている存在から力を借り受ける分には、禁呪とまで忌避されることはないのだろう。それでも、暴走したら危険極まりない術式には違いないが。


「なるほどな。こんな切り札があるなら、あの双子の貴き石の精霊ジュエルスピリッツも制圧できるわけだ……」

 実際に貴き石の精霊ジュエルスピリッツとの戦闘がどんなものだったかはわからないが、古代神の力を自在に引き出せるなら高位精霊相手でも難なく勝てる。そして今から俺は、超越種に等しい力を振るう風来の才媛、アウラを相手にしなければならない。

 吹き荒ぶ風に乗せて、あの女の声が聞こえてくる。

『……いくよ、クレストフ。手加減はできない。全力で身を守りたまえ。そうすれば、魔人は死ぬが君だけは生き残れる……』

おごるなよ、アウラ!! 神々の領域に手をかけているのは、俺も同じだ!!」


 『金剛黒化』の術式は依然として効果が継続中だ。この呪詛の力は高位精霊を超えて、超越種の次元に近い能力を俺に与えている。

「レリィ! セイリス! ビーチェを守りながら、騎士ゴルディアを牽制しろ! アウラの相手は俺がやる」

「それはそれで大変だけど……」

「任されました」

 文句を言うレリィと二つ返事で頷くセイリス。つい先ほどまで死闘を演じていた二人の共闘に不安は見えなかった。お互いの癖を把握しきっているのか。ゴルディアに対して身構える二人の様子は、長年に渡り組んできた相棒のようである。

(……俺よりもよほど連係が取れそうな雰囲気だな……)

 ひとまずこの二人に任せれば、ゴルディアの足止めはできるはずだ。

 むしろ能力が未知数のアウラがやばい。果たして俺一人の力で神威召喚したアウラを打ち破れるのか確信がない。


 それでも、もう後に引くことはできなかった。

 ようやく手に取り戻した幸福を守るために。

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