第353話 望郷の魔窟

「魔窟の主? あなたが……?」

 自らを魔窟の主と語る宝石の騎士を前にして、レリィは戸惑っていた。確かにこの騎士は尋常ならざる気配を放っている。霊剣二本を抜き放つ姿は戦いの化身とも見て取れた。禍々しい闘気は人間のものではありえず、魔獣あるいは超越種かと思わせるほどだ。

 しかし一方で、あまりにも冷静かつ理性的な振る舞いが獣や怪物といった存在の印象から遠くかけ離れていた。矛盾した感覚だが、人であるはずもないのに、どこまでも人間的であるとレリィは感じていたのである。


「納得がいかないままでは、戦いの意思も鈍るだろう。貴女には少し、説明が必要なようだ」

 当の宝石の騎士は御親切にも、レリィの迷いを断ち切るために己の存在について説明してくれるらしい。レリィの違和感はますます強まった。この人は本当に、自分達を散々苦しめてきた悪辣なる『底なしの洞窟』における魔窟主ダンジョンマスターなのだろうか?


「――この魔窟はあの人を導くために創った異界。そして、ビーチェの記憶を元に再現された地獄でもある」


 宝石の騎士による独白が始まった。


「ここまでの道のりで亡者達の怨嗟を、無念の声を、聞いてきたはずだ」


 ある者は慈しみをもって、ある者は憎しみを湛え、魔窟を進むクレストフ一行に相対した。そこにいかなる意味があったのか。


「亡者の記憶を辿ることが、異界でさまようビーチェへと繋がる唯一の道程どうてい――」


 ただ一つの道程。その言葉にムンディ教授が目を剥いた。宝石の騎士が語る魔窟の秘密。その真理に思い至ったのだ。


「驚いた……これは『連環儀式呪法』というやつだよ。目標と関わりのある事柄を呪術的に関連付けしていくことで、存在座標のわからない事物に辿り着くための探索術式。しかも、魔窟を丸々一つ利用した大規模な呪術になっている。魔窟主ダンジョンマスターがクレストフ君一人のためにそこまで手助けするというのかい?」


 ムンディの言葉に宝石の騎士は答えない。代わりに独白の続きを口にした。


「――『望郷』。それこそがこの魔窟を成す根幹。ただ、帰りたいという想いが現出した世界」


 異界現出『望郷』。


 底なしの洞窟こそが、ビーチェにとっての帰るべき場所だった。

 遥か秘境の地からでは、到底辿り着けるはずもない故郷。そこに至る道が、新たに生まれた魔窟によって繋がった。


「終わりのない苦しみから、あの娘の心を救ってやれるのは唯一人――あの人をおいて他にはいない」


 そこに、あの人もいるはずだから。きっといるはずだから。


「そこに、戻りたい。その一心を汲んで、私が道を作り上げた」


 霊剣・霧雨の切っ先を、先ほどクレストフが進んでいった道に向けて指し示す。


「この道を行けるのはあの人だけ。あの人以外は必要ない。それでも追おうとするのなら……全てが終わるまでの間、あなたたちにはここで足を止めていてもらう」


 この場を一歩も譲る気はないと宝石の騎士は態度で示した。純粋にクレストフとビーチェの二人を想っての行動だと理解できる。

 だが、何か不穏な気配がする。

 直感でしかないがレリィは宝石の騎士が語る言葉の裏に、取り返しのつかない何かを感じ取っていた。

「ごめん、やっぱり通らせてもらうね。クレスが困ったとき、せめて手助けできる場所にいたいから」

 それ以上の会話は必要なかった。お互いに語るべきことは語った。後は力づくで己の主張を押し通すのみ。


 輝く翠の闘気を身に纏いレリィが駆けた。八つ結いの髪が白く見えるほど強い翡翠色の光。最初から全力でぶち当たっていく。

 空中で体を捻り、闘気を集中させた真鉄杖に全身の力を込めて叩きつける。宝石の騎士は純白の鎧から一切音を立てることもなく最小限の動きで霊剣・寒風を頭上に掲げた。黒い靄と群青色に光る闘気が混じり合い、霊剣・寒風から噴き出した。

 レリィによる渾身の一撃は、斜めに角度を付けた霊剣・寒風の上を滑るように受け流された。そして、体の泳いだところを狙って横薙ぎに霊剣・霧雨の斬撃が襲いかかる。


 素早く真鉄杖を片手に持ち替えて霊剣・霧雨による横薙ぎを迎撃するが、霧雨の刀身から群青色の闘気が刃となって飛翔し、宙に浮いたレリィを押し流す。

「……うぅっ!! 闘気を飛ばせるの!?」

 洞窟の壁際まで押し飛ばされたレリィだったが、空中で態勢を立て直すと壁に足を着いて衝撃を吸収し、すぐさま宝石の騎士へと飛びかかっていく。今度は一息の暇も与えぬうちに一直線で神速の突きを放った。間合いの外から一点集中した翠の闘気が槍の如く宝石の騎士を貫かんとするが、これを黒い靄が入り混じる群青色の闘気が盾を形成して防ぎきる。真鉄杖本体による追撃の打突も、途中から更に密度を増した闘気の盾に阻まれてしまった。


 会心の突きを正面から防がれて足の止まったレリィに、間髪入れず霊剣・霧雨が振り下ろされた。真鉄杖を横にして両手で支え、辛うじて宝石の騎士の一撃を受け止める。そこから、宝石の騎士は真鉄杖の上で霊剣の刃を滑らせてレリィの指を切り落としにかかる。わずかの隙も見せられない。

 レリィは、ぱっと真鉄杖を握っていた指を開いて離すと、狙われた方の手は拳を握り直して下から殴りつけるように真鉄杖をかち上げた。霊剣・霧雨が跳ね上げられるが宝石の騎士の体勢は崩れない。

 冷たく輝く霊剣・寒風の刃が、レリィがほんの少し隙を見せた脇に向けて吸い込まれるように迫る。小さな隙間に吹き込む冬の風のように、致命的な一撃を狙った寒風の刃はレリィの脇に届く前に、横合いから叩きつけられた炎を灯す戦棍によって防がれた。


「メグのことも忘れてもらっちゃ困るのです!!」

 聖火を灯した戦棍は禍々しい闘気を宿す霊剣とせめぎ合い、互いの気焔を削ぎ合っていた。しかし、宝石の騎士は力比べをするつもりはないらしく、片手の霧雨でレリィの真鉄杖を受け流しながら、霊剣・寒風に纏わせた闘気を瞬間的に爆発させてメグを吹き飛ばした。

 爆発の力で戦棍を遠くへ弾き飛ばされてしまったメグは、戦棍には目もくれず宝石の騎士を警戒しながら距離を取った。すぐに次の手へと切り替えるべく、召喚術で新しい武器を手元に呼び寄せる。

「お姉さま……力を貸してほしいのです……」

 銀の十字架ロザリオを握りしめ、メグが召喚術の意識制御に入る。術式発動の気配を感じ取った宝石の騎士がすかさず闘気の刃を飛ばしてくるが、これはレリィが間に入って真鉄杖で弾き散らした。


(――世界座標、『聖者の蔵』より我が手元へ――)

『神罰の鉄鎚よ!』

 武骨で巨大な鉄槌が、黄色い光の粒と共にメグの手元へ出現した。


『……罪深く愚かな咎人に、天の神罰を与えたまえ……』

 メグが咎人を裁く文言を吐き出すと、戦鎚が青白い燐光に包まれて小さな火花をぱちぱちと散らす。

 ぼんやりとした青白い光がメグの体を包み込み、雷気が鉄槌とメグの全身を駆け巡る。今は亡き悪魔祓いエクソシストマーガレットが得意とした聖霊教会の秘技である。

 生半可な威力の攻撃では宝石の騎士に通用しないとメグもわかっているのだろう。小さな体には不釣り合いなほど重い鉄槌を、必死の形相で肩に担いでいる。


「メグ……それ、扱えるの?」

「心配ご無用なのですよー! 雷気で身体能力を無理やり全力まで引き出して運用するのが、神罰の鉄槌の標準運用なのです! ふんっ、ふんっ!」

 ぶぅん、と片手で鉄槌を振り回して見せるメグだが、おそらく体への反動は凄まじいはずだ。それでも泣き言一つ言わずに強敵に立ち向かおうとするメグの態度に、レリィもそれ以上の心配はやめた。

「頼りにしてるからね、メグ」

「任せてもらうのです。たぶん、この敵さんは悪魔祓いエクソシストのメグにとって見過ごせない敵なのです。全力をもって浄化してやるのです!!」


 重たい鉄槌を抱えているとは思えないほどの俊敏さでメグが走り出す。

 鉄槌を振り回せばその重量にメグの体も一緒に持っていかれる。だが、メグは鉄槌の重量に振り回されるままに体を捻り、まるで鉄槌が本体であるかのように一つの武器と化して宝石の騎士へと打ちかかる。


 初めて、宝石の騎士がその場から一歩動いた。メグによる大上段からの神罰の鉄槌は宝石の騎士の足元で炸裂し、周囲に雷撃を放つ。雷気を纏ったメグ自身には影響がなく、それ以外の生物には電撃によって麻痺を引き起こす強烈な一撃であった。

 ただ、宝石の騎士には電撃の効果がほとんどなかったようで、群青色の闘気を脚に込めメグを鉄槌ごと蹴り飛ばした。メグは鉄槌を盾代わりになんとか受けきったが、黒い靄と群青色の闘気が衝撃波となってメグの体を打ち据えていた。

「ぶはぅっ……!? ……くぅううっ! 負けられないのです! 神敵滅殺!!」

 神罰の鉄槌を上から横から、捻転しながら連続で宝石の騎士に叩きつけるメグ。これに合わせてレリィも闘気全開で宝石の騎士の逃げ道を塞ぐような位置から、挟み撃ちで攻撃を仕掛けていく。

 戦いが始まってから一歩も動かず余裕で攻撃を受け流していた宝石の騎士が、二人の怒涛の攻勢に足を動かし立ち回りを細かく気にするようになった。魔窟の主とて闘気全力のレリィの一撃や、悪魔祓いエクソシストによる連撃をまともに受けるつもりはないようだ。


 それはすなわち、二人の攻撃が宝石の騎士に対して有効であることを示唆していると思われた。しかし、そんな希望的観測を踏みにじるかのように、既に圧倒的な闘気を放っていた宝石の騎士が、その禍々しい群青色の闘気を更に濃密にして立ち昇らせる。

「嘘でしょ!? なんなのこれ!?」

「……こんな馬鹿げた闘気と魔力の波動、身一つで生み出せるのは悪魔としか考えられないのですぅ……」

 悪魔。

 そうだ。

 宝石の騎士の正体について、もはや疑う余地はない。

「あー、まずいわね。こいつ、完全な魔人よ……。これ以上はないってくらい、見事な魔人」

 ここに来て確信を得たらしいミラが宝石の騎士を魔人と断定する。レリィもまたその判断に同意だった。


 魔人。それも限りなく超越種に近い、高位幻想種が定着した魔人である。

「確かに困るわぁ。生粋の魔人ともなれば、かったぁい体に、呪術への耐性も半端じゃないから、長期戦まちがいなしよ、これぇ。まー、もっともぉ……私達の方が生き残れるかって話だけどぉ。レリィお姉さん、全力で戦ってどれくらいの時間、体力もつ?」

 いつだってふざけた様子のメルヴィでさえ、この場においては口調が重い。

「わからない……でも、やらなきゃ。クレスを一人にはしておけない!」


 強大な魔人を前にしても揺るぎ無いレリィの決意に呼応して、仲間達も気合を入れなおす。

「そうなのですぅ! 魔人なんて世の理を乱す存在に怖気づいてはいられないのです! クレストフお兄様を助けに行かなくては! まだ、お賃金ちゃんともらってませんし!」

「うん、よし! 術士の僕らが前へ出ても足手まといにしかならないからね。各自、邪魔にならない程度にレリィ君の補助へ回ろう」

「ちょっと、なんであんたが指揮ってるのよ、爺! 言われなくても一級術士の私が足を引っ張るわけないでしょ!」

「おやおや、自分の年齢を棚に上げて僕を爺呼ばわりとは、いくら歳を重ねても変わらないクソ婆だね君は」

「なんですってぇ!?」

「やーもう~。困ったお爺ちゃま、お婆ちゃまね~。状況見て、喧嘩はしてねぇ~」

 些か緊張感に欠けるやり取りだが、恐怖で竦み上がるよりは随分とましだ。ともすれば宝石の騎士が放つ強烈な闘気に呑まれてしまいそうなところ、皆が心を奮い立たせてなんとか踏みとどまっていた。

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