第178話 専属騎士の日常

 首都で仕事が見つからなかったレリィは、巷で悪名高い一級術士クレストフ・フォン・ベルヌウェレの元へ、自分から用心棒の売り込みに行った。

 だが、レリィの思惑を大きく超えて、クレスはとんでもない提案をしてきた。


 ――専属騎士にならないか? 


 そんな口車に乗せられ、彼の提示した契約書に無条件でサインをしてしまった。


(……勢いで契約しちゃったけど、路頭に迷うよりはいいよね……たぶん……)

 正直なところ、契約書の内容は半分くらいしか理解していない。


 幾つか重要な点を挙げると、基本的に仕事を選択する権利はクレスにあり、専属騎士のレリィはそれを補助すること。

 それから、クレスの許可なく他者からの依頼や任務を受けてはいけないこと。

 報酬は必要経費を引いた残額を五分五分で分配すること。

 他にも細かい取り決めは色々とあったが、とりあえずレリィの食事と住居はクレスが保証してくれるらしい。


 契約書を何度も見直したところで、それが自分にとって有利なのか不利なのかもわからなかったレリィは、ひとまず生きる糧と寝る場所が確保できただけで安心してしまった。

 何より、正式な騎士になる援助までしてくれるというのだから、これ以上の条件は他にないだろうと自分を納得させる。


 ただ唯一の不安は、契約書を交わした直後にクレスが見せた不気味なほどに晴れ晴れしい笑顔だ。あの笑顔には裏があるようにしか思えなかった。




 クレスの邸宅で住み込みの騎士修行が始まった初日のこと、レリィはきょときょとと辺りを見回しながら、ふと気になったことをクレスに尋ねた。


「ねえ、この家はメイドさんっていないの?」

「メイド? 馬鹿を言え、そんなもの雇うわけないだろう」

「そうなの? お金持ちの家ってどこもメイドを雇っているって聞くけど」


 これだけ大きな家なら、使用人が何人かいるのが普通だと思ったのだが、この広い邸宅で、二人以外に人の気配はない。


「凡百の小金持ちならそうかもな。だが、この家には高価な物が多すぎる。メイドなんて募集したら盗人が押し寄せるに決まっている」

「……だから、雇ってないんだ……。でも、それだと家の掃除とかどうしているの?」

「問題ない。空気を清浄化する術式が働いているから、この邸内には塵一つ積もらない」

 建物の構造を詳しく観察すれば、壁際の天井と床に通風孔が開いている。そこから空気の流れが生じていた。


「さ、さすが一級術士……付け入る隙がない……。そうすると、食事なんかも術で作ったりするんだ?」

「基本的に食事は外食だ。自分で作ることもあるが……細かい調理まで術には頼らん」

「嘘……自分でも作るの? ……趣味とか?」

 前掛けをしたクレスが厨房に立って、楽しそうに料理している姿……など想像してしまった。だが、そんな妄想を打ち消すようにクレスは首を横に振る。


「違う。他人に作らせると毒を盛られるかもしれないだろ。外食も予約は入れないで店に入る。そんな当たり前のことにも気がつかないのか……? 警戒が緩いな」

「毒を盛られるのが当たり前の人生って、君、色々と反省した方がいいと思う」

 この時ばかりは、レリィの切り返しも早かった。




 最近になって知ったことだが、邸宅の地下には巨大な工房が存在する。クレスはそこで人工宝石の合成や虹色水晶の製造をしているらしかった。


 工房の中は秘密にされていて見たことはないが、他にも浄水場や食糧生産工場といった施設が地下には存在し、生活に必要なものは殆どすべて邸宅内で賄うことができた。これだけの設備が全て術式によって自動化されているのだ。


(……つくづく常識外れというか……)


 それでも術の発動には魔導因子なるものが大量に必要らしく、数多の術士から集めた魔導因子を結晶に貯蔵しては、地下施設を動かす巨大な魔導回路へと定期的に補給しているという話だ。


 クレスがこのシステムを構築したことで、魔導因子を売買する市場まで出来上がったらしい。そこでは専ら、仕事のない術士が内職として自分の魔導因子を売っているとか、妙に悲哀を感じさせる話まで聞いてしまった。


(……でも、この魔導技術が街を支えているんだよね……)

 魔導による術式は汎用性があり、薪や油を燃やして熱や光、動力などを得るのに比べ、遥かに大きな力を効率的に得ることができる。

 クレスの説明では異界から力を引っ張り出しているらしいが、その辺りの詳しい原理は、レリィには難しすぎて理解できなかった。


 何にしても、薄暗い道を照らす街灯、露店で売られている食糧、屋内の暖房まで含めて、魔導技術が使われていない部分を探す方が難しいくらいだ。道を黄色く照らしているガス灯も、近いうちに全て魔導ランプへ取り換えられることが決まっている。

 夜の闇を恐れることもなく、飢えや寒さに困ることもない。山奥の村では考えられないくらい便利で豊かな社会。だというのに――。


「これ以上、何を求めているんだろ、クレスは……」

 そこそこの定職に就いた者なら、誰もが享受できる安定した生活。

 レリィからすればそれだけでも魅力的なのに、この街で最も富める人間のクレスは、さながら飢えた獣のようにそれ以上の何かを求め、仕事に没頭していた。


(……仕事が好きなのかな? それとも冒険や浪漫ロマンを求めているとか?)

 そういえば山奥の村へ来た時には、趣味と称して面白くもない遺跡の調査を熱心にやっていた。

(……それならそれで考古学士にでもなればいいのに……)


「本当、わかんないな……」

 誰に聞かせるでもなく、独り言をつぶやきながらレリィは広すぎるクレスの邸宅をうろついていた。




 いい加減、広すぎる邸宅にも慣れてきた頃、レリィは邸宅の隅にある目立たない階段を見つけた。

「あれ? こんな所に下りる階段がある……。地下の食糧工場への入り口と違うのかな?」


 遠目に見ていると、地下からスーツ姿の猫人が一人、階段を上がって出てきた。

「あ、えーと、こんにちは」

「にゃ、どうもどうも、毎度お世話になっております。黒猫商会のチキータでございます」


 艶のある黒い毛皮と、上品に伸ばされた鼻髭が魅力的な猫人の女性だった。黒猫商会と言えば首都でも最大の商業組織である。とすれば、当然チキータはそこに属する商人ということなのだろう。


「にゃは、クレストフ様の専属騎士見習い、レリィ様でございますね。もし、何か必要な物などありましたら、ぜひとも黒猫商会をごひいきに……」

「はぁ……どうも」

 チキータは商会の住所が記載された名刺をレリィに渡すと足早に去って行った。

 商人と言うともっとがっついた印象があったのだが、チキータは控えめというかなんというか、商売人としての熱が感じられなかった。首都の露天商などはぐいぐいと物を売りつけようとする意思が感じられたものだ。

 あるいはクレスのような高級顧客を抱える商会は、押し売りをする必要もないのかもしれない。それ故に上品な振る舞いを見せるものなのか。


 そんな猫人の商人がクレスの邸宅の地下で何をしていたのか、興味を持ったレリィは特に深く考えることもなく階段を下りてみる。


 階段を下りた先は殺風景な地下室になっていて、部屋の中央には水や食糧、資材が山のように積み上げられていた。

 食品はどれもこれも日保ちするものばかりで、パンや干し肉、乾燥芋に乾燥野菜、密封瓶にたっぷり詰まったジャムなど、地下の食糧工場で得られる新鮮な食材とはまた違った物品が保管されていた。


「食糧工場もあるのに、何でこんなにたくさんの食糧を備蓄しているんだろ?」

 しかも消費期限の札をよく見てみると、食糧品の半分くらいは期限が間近に迫っていた。残り半分はさきほど仕入れたのだろうか、消費期限はずいぶん先になっていた。


「非常用の備蓄食糧かな。でもこのまま期限切れになったら捨てるのもったいないし、今日のお昼ご飯はこれを使わせてもらおうかな」

 クレスには邸宅にあるものは適当に使って良いと言われている。消費期限の迫った食材ならば、特に断らずとも使って構わないだろう。


 パンと干し肉をごっそり腕に抱え、乾燥野菜とジャムを幾らか持ち出した。これらの食材に調理場で火を通すなど手を加えてやれば、それなりに食べられるものができそうだ。

 改めて部屋の中に積み上げられた物品を振り返ったとき、目の錯覚か、今までそこにあった干し肉の木箱が一つ、光の粒となって消えた。


「あれ?」

 目を擦ってもういちど見るが、今までそこにあったはずの木箱が一つなくなっている。

「なんだろう。気のせいじゃないと思うんだけど。確かに木箱がなくなったような?」


 見間違いではないという確信がありながら、目の前の現象が理解できずに首を傾げる。薄気味悪いことではあったが、それもこれも錬金術士クレストフ・フォン・ベルヌウェレの邸宅で起きたことだ。

 門前からして怪しげな仕掛けが施してあったし、何が起こっても不思議はない。そう考えを切り替えたら、もう消えた木箱のことなど興味が失せてしまった。



「ふんふ~ん、ふふふ~ん♪」

 鼻歌を歌いながら干し肉に軽く酒を振った後、塩と胡椒をよく擦り込んで溶岩板の加熱台で表面を焦げ目がつくまで焼く。

 乾燥野菜は、卵を溶いた熱々のコンソメスープに浮かべる。見る見るうちに水を吸って、卵と野菜のスープができあがった。

 固くなったパンはスープにでも浸して食べれば、柔らかくなって気にならない。薄切りにしたパンを何枚か焼いて、そこにマーマレードのジャムを塗ったものも悪くない。


「はぁ~……。働かないで食べられるご飯って幸せ……」


 騎士になるための教養を身に付ける勉強はクレスの指示でやらされていたが、村に居たときのように危険で稼ぎの少ない用心棒の仕事をしているわけでもない。

 『一流騎士の教養』なる分厚い本を手渡されたときはどうしたものかと思ったが、中身を読み始めてみれば物語風に説明されたテーブルマナーとか、騎士風の言葉使いなど、娯楽小説を読みながら勉強できるようなもので、これまで本に馴染みのなかったレリィでも楽しく学ぶことができていた。


「おい、レリィ」

「はむはむ……むぐむぐ……」

「おい!」

「むぐっ!? ご、ごほっ! あ、クレス?」


 食事に夢中になっていてクレスが声をかけてきたことに気がつくのが遅れた。別に一緒に食事する約束を交わしていたわけでもないのだが、正午より少し早い時間に一人で食事をしていたこともあって、つまみ食いが見つかった時のような気まずさがあった。

 急いで口の中のものを飲み下し、不機嫌そうな顔で立っているクレスに向き直る。何かわからないが不穏な感じだ。


「や、や~、ちょっとお腹すいちゃって、少し早いけどお昼ご飯を……」

「その食材はどこから持ってきた」

 有無を言わせぬ迫力のクレスが詰問口調で食卓の料理を指差す。


「どこって、工房の隅の階段下りた地下にあった……食糧倉庫?」

「あそこは食糧倉庫じゃない」

「え? 違うの?」

「違う、あそこは……いや、そんなことはどうでもいい。そもそも何故、あそこから食糧を持ち出した? 食糧工場の方に新鮮な食材はいくらでもあったろう」


 苛立った様子で話すクレスだったが、その口調にはいつもの歯切れのよさがなかった。何かを言いよどむクレスの態度に、レリィもまた不愉快な苛立ちを覚えた。


「でも消費期限切れそうな食材がたくさんあったから、使った方がいいと思ったんだけど」

「良くはない。あそこにある物は必要があって、置いてあるものだ」

「……でも、工房の中のものは適当に使っていいって……」

 唇を尖らせて不服の声を上げるレリィに、クレスはひどく冷めた眼差しと低い声音で答えた。

「あんな隅っこの場所にある食糧に手をつけるとは思わなかっただけだ。とにかく――」

 去り際に一言、絶対的な命令口調で言い放つ。


「二度とあの部屋には立ち入るな」


 言うだけ言って去っていくクレスの背中を無言で見送り、レリィは手近にあったパンを一つ口に放り込んだ。


「なんだって言うのよ。むぐむぐ……大事な場所なら鍵でもかけておけばいいのに!」

 説明のできない怒りを拳に込めて、大理石の食卓を叩く。


 どん、と大きな音はしたが、どっしりと重量感のある食卓はびくともせず、ただ打ちつけた拳にだけ痛みが残った。

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