紫陽花の花言葉⑦




休憩所



優紫が休憩所まで辿り着くと、白の少女は既に静かに座っていた。 眺める紫陽花には、煌めく虹がかかっている。


「優くんには、本当にお世話になっちゃったね」

「僕も、色々と教えてもらった気がするから」

「ふふ。 そうなの?」

「うん。 そう言えば、お姉さんの事情も聞いたよ。 ・・・さっき、アザも見ちゃったけど」


それを聞き、白の少女は袖を捲り上げた。 相変わらず、酷いアザがそこには刻まれている。


「お父さんね、本当は優しいのよ。 仕事が上手くいかない時、お酒を飲んで暴れちゃうんだけどさ」

「そう、なんだ・・・」

「確かに痛いし、傷も残る。 だから『貴女の家って酷いのね!』っていう印象を周りに与えちゃうんだけど、これが意外とそうでもなかったりするの。 

 本当に痛いのって、多分身体の傷じゃなくて心の傷なんだと思う」


優紫は白の少女の言葉の意味が、分かるようになっていた。 両親が喧嘩をしても自分は傷を負わない。 だが、息が苦しくなり涙が出る程に辛い。 それは自分の心が、悲鳴を上げていたのだということを。


「だから・・・子供の前で喧嘩をするのは、よくないわよね・・・」


白の少女は、遠い目をしながらそう言った。 優紫は自分のことを言われているのかと一瞬思ったが、どうやらそうではない様子だ。


「・・・僕、帰ったら二人と話してみようと思う。 お姉さんたちを見ていて、分かり合えるって思ったから」


「美白」


「え?」

「私の名前は“美白”っていうの。 白っていうのは、ただのあだ名なのよ。 青は青依で、桃は桃佳」

「へぇ! 美白、青依、桃佳お姉さんか。 美白って、僕のお母さんと同じ名前だ! 偶然だね!」


「優ー! 優、そんなところにいたのね!」


優紫が驚いて立ち上がった途端、聞き慣れた声が届いてきた。 見れば、慌てた様子で両親が走り寄ってきている。 家にいなかったことに気付き、二人で探しに来たのだろう。


『ありがとう、優紫』


そんな言葉がふと聞こえたような気がしたが、父親の声にかき消され優紫の意識からは消えていった。


「捜したんだぞ、優。 どうしてこんなところまで来ていたんだ?」


今までの優紫なら、ここで謝っていたことだろう。 だが、今はもう違う。 二人が本気で心配していると分かったが、ここは気合を入れると強く言い放った。


「二人のことが、見えない場所まで来たかった。 ずっと喧嘩をしている家になんて、居たくなかったんだ」

「「・・・ッ」」


二人は同時に言葉を失い、そして顔を見合わせた。 恥ずかし気に、気まず気に。 今までの優紫であれば絶対に言わなかった言葉に、心底驚いていた。


「喧嘩して楽しいの?」

「楽しくないわ」「楽しいわけないさ」


二人の言葉が重なったのを見て、優紫は思わず吹き出した。 喧嘩なんて、本当はしたくないというのが分かったからだ。 白の少女も言っていたが、仲がよくても喧嘩や暴力に発展することはある。 

自分のところも同じなのではないかと。 そこで、隣にいる少女のことを思い出す。


「ねぇ、みし・・・」


隣には、誰もいなかった。 湿り気を含んだ風が流れるだけで、そこには影すら残っていない。 ベンチには絹布で作られたかのような、紫陽花が置かれているだけだ。


―――もしかして、美白お姉さんが置いて行ってくれたのかな?


両親の仲直りに、あと一押しがほしかった。 その時『駄目』という言葉が聞こえたような気もしたが、優紫は“紫陽花を両親に渡せば喜んでくれるはずだ”という欲求を、優先してしまったのだ。


「お母さん、お父さん、これ・・・」

 

立ち上がり両親に駆け寄ると、二人に向かって紫陽花を差し出した。 紫陽花は小さな花が集まっていて、まるで仲のいい家族のように思える。


「お父さんとお母さん、そして僕。 この紫陽花のように、ずっと仲よしでいたいんだ」


「白い、紫陽花・・・」


一緑は、受け取りながらポツリと漏らした。


「懐かしいなぁ。 あの時のこと、美白は憶えているか?」

「ちょ、ちょっと・・・。 ・・・もちろん、憶えているに決まっているじゃない」

「何の話?」


優紫は、顔を赤らめる美白に尋ねかける。 だが、答えたのは一緑だった。


「昔、お母さんがお父さんに白い紫陽花をくれたことがあるんだ。 多分、優にも話したことがあると思うけど」

「流石に、まだ小さかったから憶えていないわよ」

「なぁ、美白。 俺、大切なことを忘れていた気がする」

「・・・私も。 自分から言ったあの言葉を、忘れてしまっていた」

「ごめん、今日朝帰りをしたのは本当に他の女性と会っていたとかではないんだ。 ちょっと昔の仲間と麻雀していたら、負けちゃって・・・。

 カッコ悪いし、お金も使っちゃって言いにくくてさ。 お前の美顔器がって、責める資格もなかった。 それに、いつまでも若くいてくれるのは本当は嬉しいんだ」

「そうだったの・・・。 私も、勝手に疑って勘違いして、ごめんなさい。 知っていると思うけど、秘密って苦手で」


きっかけは些細なことだった。 それも優紫のおかげかは分からないが、解消され仲直りすることができれば、二人が喧嘩する理由はない。 ただそれは一時のもの、何かあればまた喧嘩をしてしまうだろう。


「あの言葉って、何?」


優紫は小さい頃に聞いたという話を憶えてはいなかったが、自分の前で二人の仲を誓ってほしかった。


「あのね・・・」

「いや、今度は俺に言わせてくれ」


一緑は手に持った紫陽花を、美白に差し出しながら言う。 真剣な顔付きだ。 優紫に聞かれたから、ではなく自身がそうしたいと思ったのだろう。


「お前の全てを受け入れるから、これからもずっと一緒にいてほしい」


“優紫が見ている” そんな意識は、今の二人にはない。 プロポーズをした時の言葉が、今自分に向けられていた。 美白はそれに、真剣な顔で応える。


「私も、貴方の全てを受け入れます」


そう言いながら、紫陽花を受け取るのを見た――――瞬間だった。


―――あれ・・・。


視界が揺れ、二人の顔がぼやけて見えた。 “雨に当たり過ぎたせいで、風邪でも引いたかな”と考え足に力を入れようと思ったが、上手く入らず崩れ落ちてしまう。


―――どうしてそんな顔を、しているの・・・?


一緑が身体を抱き、美白が何かを叫んでいるようだったが、優紫の耳には何も届くことはなかった。



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