第29話
真っ暗だ。一筋の光も無く、何も見えない。血なまぐさい臭いが辺りを覆っている。何もこんなに不快な臭いまで細かく再現しなくてもいいのに。
大きな口に飲み込まれてから、一度硬い何かに頭をぶつけ、意識が無くなっていた。
次に目覚めたのは、メガロドンの胃の中。噛み殺されることは無く、丸呑みされたのだ。生暖かい胃液に腰から下が浸かっていて、ピリピリする。
何も見えないため腕を振ってまわりを確認すると、ベタっとした何か――おそらく溶けた獲物の残骸がいくつか確認できたが、生命は見つからない。
目覚めてから、大きな振動が続いている。どんどん深くまで潜っているのだろうか。息が苦しくなることは無かったが、不安は募る一方。何せ五感のうち一つが失われているのだ。ひとつでも無くなるだけで恐怖は何倍にも膨れ上がる。
揺れはしばらく続いた。イベント時間はそう長くはない。このメガロドンによる捕食が、イベントの一環であることを願うしかない。
ザンっっ!!!
突然の斬撃音。サメの肉を断つ音。恐怖が最高潮に達したところで、初めて自分とサメ以外が発した音が聴こえた。
だがここはおそらく深海。サメの内部まで精密に作られているこの世界で、水圧が実装されていないはずはない。
――溺れるっ!!
水が流れ込む前に大きく息を吸い込んだ。大量の水に潰されることを覚悟して、目をギュっと閉じた。
水は勢いよく流れて――こない。いつまで経っても水の打撃は来なかった。それどころか優雅な音楽まで聴こえてくる。
恐る恐る目を開く。まず見えたのは、鮮やかに装飾された舞踏会会場。マーメイドを連想する大きな貝殻や、美しい海がモチーフであろうステンドグラス。海底のどこから差し込んでいるのか、電灯は見当たらないが明るい。
そして目の前に立っていた一人のプレイヤー。青い鎧を身に纏う、体格のよい男性。
「お前もサメに喰われてきたのか?」
何故こんなところにプレイヤーがいるのか。お前も、というくらいだから、このプレイヤーもたべられたのか?
「はい。泳いで目的の孤島まで向かってたんですが、海底から現れたサメに丸呑みにされたんですよ。それより、あなたは何故ここに?同じように呑まれたんですか?」
「ま、そうなるわな。俺は泳ぎじゃなくこの飛行ユニット、ヤキトリに乗ってきたんだけどな」
肩に乗る『ヤキトリ』と呼ばれた炎の鳥型の小型ドラゴンを指さす。ドラゴンはそれに応えるように大きく翼を羽ばたかせた。火の粉が舞う。
「こいつの卵がレアドロでゲット出来たんだ。ところで、君の名前は?俺はグレア」
グレア…グレア……。どこかで聞いたことあるような?ローズの悩む顔をみて、グレアが続ける。
「自慢じゃねぇが、ランキングトップ張ってるぜ」
そうだ!思い出した。アリサが2位で負けたランキング。アリサの名前の一つ上にあった名前だ。
「あの討伐数のやつですか!初回から一位だなんて、気合い入ってますね。私はローズ。呼びやすいように呼んでもらって大丈夫ですよ」
「わかった。早速だがローズ。これを見てくれ」
グレアが広げたのは一枚の紙。模造紙ほどのサイズで、色は黄ばんでしまっている。
紙に描かれているのは、二人の男女が手を取り、踊りを踊る姿。1,2,3…….と、ご丁寧に踊り方の順序が記してある。
「今回のクエストは、ここでワルツの踊りをマスターすることがクリア条件らしい。ここへ来たときに通知がきた」
グレアはそのまま片膝をつき、ローズに手を差し伸べた。そして、
「私と、踊っていただけますか?」
突然のことに困惑する。いくらなんでも展開が急だ。
現実での舞衣は男性と踊るどころか、彼氏すらいた事がない。そんなウブな少女が、そこそこイケメンな、しかも初対面の相手と踊れるだろうか?
ローズが何も答えずにいると、
「もう……。せっかく格好つけたんだから、乗ってくれよ。俺を振った女はお前が初めてだぜ」
「でも私、踊りなんて出来ないですよ」
「俺だってできないさ。けど踊らなきゃここから出られそうにねぇぜ。やるしかないだろ」
なぜここまで自信に溢れているのか。俺を振った女はいない、だったか?この男はちょーっとルックスがいいからって何か勘違いでもしてるのか?
「ま、まぁ出られないのは困ります。お誘い、お受けします。リード、お願いしますね」
差し出された手を取る。だが互いに、次にどうするかなど知らない。踊り方マニュアルをジーッと眺める。
「えーっと…。まずはこうか?」
グレアはローズを引き寄せた。ローズの鼓動は思わず早まる。聞こえてしまいそうだ。
そして二人は、紙の通りのステップを踏み、踊りの練習を始めた。
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