幕間 仲直りの背中流し
「ただいま」
夜も更けた時間、俺は住宅街にある自宅のドアを開ける。父親がまだ生きていた頃、ここに家を建てたがすぐに死んでしまい今は、唯一の肉親である妹と二人きりで生活している。玄関に入ると、二階へ続く階段やリビングへと繋がる廊下があり、奥がリビングだ。廊下の奥からエプロンを着けた愛らしい少女が声を上げながら出迎えをしてくれた。
「お兄ちゃんお帰り!珍しく遅かったね」
茶色のショートヘアの女の子永宮美香は、お玉杓子を持ちながらそう言うと、目線が俺から隣に居るリアの方へと離れていく。こんな時間に人を連れて来た事が不思議なのか、美香はただ黙ってリアを見つめる。
「あの……美香?」
永宮美香は、瞬きを数度繰り返しながら誰もが見返る様な整った顔立ちの美女を見つめる。俺は、その様子に少し不安になり妹に声をかける、しかし俺の声には反応せずに美香は、どう反応すれば良いか悩んでいる様にも感じ取れた。
「お兄ちゃん……」
「ま、待て!美香。俺は、決してやましいことは……。」
美香に話しかけられた途端、言い訳をペラペラと話し始める。しかし、彼女はそんな俺の事など放っておいて、リアの目の前へと向かう。これが世に聞く修羅場……。だが、美香の反応は俺の考えとは真逆だった。
「もう、お兄ちゃん。電話かけてくれれば、夕飯だって急いで作ったのに……、良い?ホウレンソウはしっかりしてください。」
「は、はい……。」
美香の口から言われた言葉に俺は背を丸め肯定するしか出来なかった。美香は、リアの手を握り家へと上げ風呂へと案内する。滅多に人を招かない俺からしたら珍しいのか、美香は少し興奮気味に話を進める。完全に蚊帳の外となってしまった俺は、静かに靴を脱ぎ自室へと行く。
「え、リアさん寝るところもないの?家なら大歓迎だよ!」
そんな美香の声が聞こえてくるのを背に無言で部屋のベッドに飛び込む。彼女が良いと言うならこのまま居候が増えた新たな生活が始まると自負した俺は、少し横になって時間が過ぎるのを待っていた。
◇◇◇
脱衣場に案内されたリアは、ゆっくりと着ている服を脱ぎ始める。イスカリアを出る前は綺麗たった服には、少し汚れが付着しており、先の怪人に襲われたときのことを思い出す。イスカリアに居たときは、そんな化け物は居なかったせいか、腰を抜かしたのを今でも思い出すと、一国のお姫様としてあまりにも恥ずかしくなり、リンゴの様に顔を赤く反応した。
「明日、服を取りに行かなきゃ……。」
このままでは、身が持たないと思ったリアは、少し他の事を考え、気を紛らわすも赤面となった顔は、未だに熱を帯びていた。脱衣した服を綺麗にたたみ、彼女は誰も居ない風呂へと入る。シャワーから流れてくるお湯で身に着いた汚れを落としてから湯船に浸かるとリアは、静かな空間の中でふと真一の姿を思い出してしまった。
――大事な物……か
凜々しくもどこか傷だらけの戦士が言い放った言葉をリアは、誰も居ない風呂場で復唱する。チャポンと水滴が落下してはねる音が響くだけで他は、リアの声だけが響いていた。
「真一は、私の事どう思っているんだろう……。」
そう呟きながら更に深くまで湯船に浸かり、口元をお湯につける。これ以上、彼を好きになってはいけない。折角、今恋人が出来て幸せなのに……。
頭では分かっているはずのリアもどこかは納得がいっていなかった。結局、公園の事での仲直りは出来ずに真一の家に上がってこうしてお風呂まで頂いている。こうした日常がずっと続けばいいのにとリアはふと考えてしまう。
「嫌だよ……、真一を取られたくない。真一を想う気持ちだけは、私の方が勝っているんだから……。」
こんな日常が、彼と居る生活が恋しい。この気持ちだけは、恐らくどんな女の子にも負けないと言い切れる私だけの物。リアは、そう言うと、立ち上がり風呂から出ようとして扉に手を掛けた途端、先に扉が動く音がした。
「――え!?」
「はぁ?」
お互いの顔がはっきり見えるくらいまで扉が開くと、目線がはっきりと合う。扉の向こうには服を脱いだ真一の姿がリアの瞳に映り込む。その状況は、真一も同じで突然飛び込んだリアの姿に目を奪われる。
「し、真一?」
「り、リアか。えっとその……、何て言うか……。」
先に反応したのは、リアだ。予想もしなかった状況に戸惑いながらも目の前に居る彼の名を呼ぶ。それに反応した真一が何か言おうと戸惑うも真っ白な頭では出てくる言葉もそんな弁解出来る物ではなかった。
「――綺麗だ、うん。ごめん」
真一はそう言うとそれ以上は黙って何も言わずに彼女の手にタオルを渡して、背を向く。
「どんな処罰も受ける。だから、先に着替えてくれ」
彼は、そう言うだけで目を瞑りながら正座で着替えを待つ。その場から逃げる事をせずにただ、罰を受ける為だけに彼は律儀に待っているのだ。リアは、そんな彼を見てクスクスと笑い出した。笑い声に反応して真一は質問する。
「どうした?」
「だって、真一昔から何も変わってないんだもん。おかげであんなに考え込んだ自分が馬鹿みたい」
「そうか?リアも昔のままだよな、悩み事があるとすぐ風呂で考え込む。おかげで変なタイミングにここへ来ちまった。」
「本当だよ、普通なら終身刑です」
ボソッと怖い事を口にしたリアだが公園の時以来にゆっくり彼と話せた。それだけで、リアはにっとした笑みで彼の背中を見つめると手にした着替えではなく体を拭いていたバスタオルを身に巻き、真一の腕を掴むと、そのまま立ち上がらせて再び風呂場へと入り込む。
終わった……。そう思った真一は、少し抵抗しながら彼女の名を呼ぶ。
「ちょ、リア!?」
「真一、ほら仲直りの背中洗い。ね?」
ドクン、ドクン。お互いの心臓が激しく鼓動する。目のやり場に困る真一は、先から目を開ける事も出来ず、暗い瞼の裏を眺めながらリアの手が背中に伝わるのを感じるだけだった。
「動かないでね?」
「分かってる」
リアは、言われ躍起になったのか真一は、そう言って何も言わずに地蔵の様にジッとして動かなかった。そんな彼の大きな背中をリアは優しくゴシゴシと洗っていく。黙ってはいたが、真一も昔の幼き記憶を思い出す。
――こういうのも悪くないな
彼女が出来たり、異国に住んでいる幼馴染みの姫様が来日したりと色々あった今日の生活を真一は、そう振り返った。
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