第139話 武士(暴力団)にとっての反社 一向一揆
【】で囲んだ部分はWIKIの加賀一向一揆と伴天連追放令の記事を参考にした部分です。
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反社会的存在という言葉がある。
社会秩序に反する存在だ。
現在ならテロ組織とか半グレ、そして暴力団が該当するだろう。
そして、戦国時代での反社会的存在と言えばキリスト教よりも、彼ら一向一揆がダントツでトップにあがる。
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戦国武士とは、現代で言えば暴力団。
この認識に異論がある人間は少ないと思う。
欧州だって中国だって、統一された政権がなければ各地で暴力を有する存在が権力を握り、自治を行う必要があるからだ。
だが単純に強い者が勝つというのならば下克上はエスカレートし自滅する。
かといって『自分は弱いから強い人の下に付く』というのを認めるのは自尊心を損なう作業でもある。
そこで必要になるのが『大義名分』とか『建前』の存在である。
当初は流人で何の力も持たなかった鎌倉幕府の将軍 源頼朝が武家の頭領になれたのも「天皇の子孫で偉い人」という看板に「その中でもかなり高貴な人」というおまけが付いていたので
「自分は、そんな偉い人を助けるために戦う。これは私欲ではない。武士のための戦いだ」
という
その源家の血筋が絶えた後、その嫁の実家だった北条家(平氏)が権力を握ったのは「頼朝の作った幕府を存続させるため、都から将軍を招き、それを補佐する」という明文を形式上は語っていたからである。
まあ、そんな名目も家臣たちの生活が困窮すると吹っ飛び、天皇や「正当な」源家である足利家たちに滅ぼされるのだが…。
こうした見え透いた大義名分でも人をまとめるには役に立つ。
戦国時代に成り上がった佐賀の鍋島家などは江戸時代になって元々の領主、少弐氏の系図に自分の祖先を付け足し、支配の正当性に使ったという逸話もある。
だが、そんな大義名分を掲げず、暴力団…もとい武家社会に真っ向から刃向かった勢力がいる。
それが加賀の一向一揆衆である。
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「わしらは元々、殿様の頼みで戦を手伝ったんですワ。そしたら、わしらが怖うなったんでしょうな。わしらを追い出して迫害した。だから、反撃したら何故か勝てましてな。それで加賀国を治めるようになったんですワ」
と
加賀一向一揆というのは80年近い歴史を持つ。由緒正しい叛徒どもの集団である。(武家社会的目線)
【浄土真宗の蓮如は、北陸の浄土系諸門を次々と統合し1473年には富樫政親の要請を受けて守護家の内紛に介入し、翌年には加賀国22代守護 富樫幸千代を倒した。
この功績で守護の保護を受ける事を期待していた蓮如だが、政親は逆に本願寺門徒の勢いを恐れて弾圧を開始。蓮如たちは越中に逃れた。
ところが、今度は越中砺波郡の石黒光義が政親と結んで門徒弾圧に出たところ、文明13年(1481年)に越中で一揆が発生し、光義が討ち取られる(越中一向一揆)。
また政親は反発した国人層と越中から帰還した門徒とともに決起され。長享2年(1488年)には、守護に擁立された富樫泰高により、高尾城で滅ぼされた。
この武家を倒して農民が国を支配すると言う
だが、細川政元の反対と義尚の死により中止となる。
以後、加賀は宗主代理の一門衆が在住し、次第に国人層から本願寺による加賀支配に移行していったという。】
「仏様のために、国を作った時点でワシ等の極楽行きは決まったようなもんなんですが、何故か坊さまは喜んでくれんのですワ」
ともう一人の反社が嘆く。だが、それを聞いて宗麟は
『そりゃそうだろう。本願寺自体は適当な所で武士と交渉したいのに、下部組織がテロ起こしてるせいで、あいらヤベェ。って思われてるんだから』
と思った。
本願寺は他宗教との差別化として『王法為本』現世の法律や秩序を根本とすることを本願寺8代の蓮如が説いている。
つまり「お上に逆らわず、現代秩序を尊重しよう」という教えである。
織田信長と対立していた11代の顕如(1543~1592)も「自身の血脈が絶えれば仏法も絶える」という論理で和睦を結んだ後、抗戦を続ける信徒の説得に出向くようになり、体勢に与したという。朝鮮出兵や被差別集落の政策にも関わったと書いてる本もあるが、明らかにヤバそうな話題なのでそこは触れないでおく。
そんな『都会で権力者と仲良くやっていきたいのに、下部組織が仲良くやりたい相手の同類と抗争を続けている』というのが本願寺の状態である。
加賀一向一揆いわば制御不能の狂犬。忠犬だけど空気が読めない厄介者という面を持っていた。
だが、本人たちは武士に勝って自治を行えている事を誇りに思っていた。
結局、武士も農民も強い奴が勝つし強い奴が国を治めるのである。
己たちが特別だと思うのも無理はない。
しかし権力者はずるいので、血縁とか地縁という自分だけは権力者側にいられるような仕組みを作った。
国を治めるのは武士の仕事。農民は武士より下と言う枠組みである。
この枠組みはこの時代の常識であり、権力者の既得権を保証する考えだった。
農民に近い生まれの秀吉が、わざわざ伴天連禁止令の中で
【キリスト教徒については、一向宗以上に示し合わせることがあると、そう聞いているのだが、一向宗はその国郡を寺領(寺内町)を置いて大名への年貢を納めないだけでなく、加賀国を全てを一向宗にしてしまい、大名の富樫氏を追放し、一向宗の僧侶に治めることを命じ、そればかりか越前国までも取ろうとし、治天下の障害になっていることは、もう隠しようがない事実だ】
と危険視したのも、農民が国を支配するというのは己が折角手に入れた武士という既得権を脅かす事になるからだ。
『さっさと帰らないかな。こいつら』
そう思いながらも、下手に追い払って豊後一向一揆など起こされてはたまったものではないため、宗麟は製本作業の一スタッフとしてスマイルで話を聞く。
「それでですナ。ワシ等は村ごとに『講』とか『惣』という集団を作り、そこの代表で国を動かそうとしたんですワ」
「ところが、本寺からは坊様を送り込んできて、坊様に従うようにと言って来たんですナ」
【本願寺中央が一門衆を抑圧しようとした事から、享禄4年(1531年)には大小一揆と呼ばれる内紛に発展して多くの一門衆やこれに従った国人衆が粛清されたという。】
仲間が血を流して手に入れた国なのに、自分たちの主張はあまり反映されず、本社からのスタッフが決まりや方策を押しつけてくる。
「これでは武士が坊主にかわっただけで何の違いもないですワ」
と信者は嘆く。
監督者として一揆を制御したい本部と、支配を嫌がる末端。
実はこの問題は尾を引き、越前の一揆内一揆へと発展する。
権力を手に入れた一揆は「
『気持ちは分かるけど、全国の支配体制を敵に回して戦うのは犠牲が大きいからなぁ』
と自分がその立場だったらと思いながら宗麟は胃をさすった。
自立と自治に目覚めた信者を再び武家社会の型に入れるのは容易ではない。
彼らと真っ向から戦うことになった織田信長は伊勢長島一揆を代表に、彼らを徹底的に弾圧し根絶やしにした。
信長の野望天翔記武将FILE(光栄)と言う本のP37では『一揆勢の強さの秘密が各人の自主性にある以上、絶対的な忠臣同様、殺すしかないのである』と断じている。
生かせばどこかで再び反旗を上げるし、身分が違うため武士として登用するのも難しい。
そんな、武士として生まれれば一角の人物になっていたであろう農民たちの集団が自治のツールとして選挙とかの「武士という特権階級をつぶすための制度」を聞きに来たのである。
いわば「われわれのテロを持続可能にするため、そのための組織作りを教えてください」
と警視庁にテロリストが聞きに来たような感じである。
断れば一向一揆とは対立。国内の宗徒が敵となる。
受け入れたら、自分たちの組織どころか民の生活も危うくなる。
『武家社会』というのは豊後では統治のために上手く機能しているツールであり支配構造だからだ。
『こんな事なら、他国へ嫌がらせで選挙制度を教えるんじゃなかった』
人を呪わば穴二つ。
そんな言葉があったが、ここまでひどい穴に落とさなくてもよいではないかと宗麟は後悔したのであった。
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選挙制度を調べたら民主化のためには、秀吉が刀狩りで農民から武器を取り上げたり、明治時代に政府が武士から廃刀令で刀を取り上げたような社会構造の変化が必要なんだろうなぁと思いました。
この問題、どうやって解決するんでしょうね?(他人事
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