第137話 宗教…いや、正義という名の劇薬

3/14 浄土宗と浄土真宗を誤記しておりました。

ご指摘くださいましたsinH様。ありがとうございます。


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 みなさんご想像の通り、ザビエルさんを迎えに中国大陸に行った探索者たちは、現地で彼の言葉を聞いた。


「何であの方たちは神を信じようとしない…」


 詳しいことは分からないが、布教は上手くいってないようだった。

 まあキリスト教が初めて中国大陸に伝来してから1200年経過したが、なぜか主の教えというものは中国大陸には受け入れられにくいものらしい。

 広まったとしても太平天国みたいな現地版にアレンジされたもののため、根本的な部分で合い入れないものがあるのかもしれない。

 キリスト教の信者が多い韓国のような例もあるが、長崎で続いた隠れキリシタンの教義は本国のモノとは別物に変わっていたという。


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「地域性というものがあるんでしょうね」


 さねえもんがいった。


 記録がないだけかもしれないが、近畿では一国を支配できるほどフィーバーしている浄土真宗、一向一揆が、大友時代の豊後ではおこったという記録が見えないのだという。

 1587年の秀吉の九州動座で薩摩の一向宗が秀吉に従軍した偉い坊さんに秘密の通り道を教えたので、それ以降薩摩では浄土真宗は迫害され寺を造れなくなった。

 という話を聞いたことがある程度だ。

「大殿(宗麟)の曾祖父様が浄土寺とか来迎寺を建立しているので寺自体はあるんですが、彼らの活動って目立たないんですよね」

 と、さねえもんが言う。


 まあ教祖が来ないと活動というのはまったりしたものになるのか、反乱を起こすほど困窮しているわけではないのかどちらかだろう。

 あれ?もしかして大友家って結構よい殿様なの?

「単に豊後人の気質が面倒くさがりで、反乱起こすような実行力が農民にはないだけだと思います」

 …………確かにそうだな。(個人の感想です)


 そんな人間でもキリシタンは邪教の寺は焼け、と婉曲に説明しテロリストにしてしまうのだから宗教というのは恐ろしい。


 逆に言えば、それをよい方向に使えることができれば心強いだろう。


 …そう、誰もが思うじゃん。


「でも、実際はそうはいかないんですよね」

 『争いは悪いことだ』という意識を誰もが持ち、皆が同じ平和主義を説く宗教を信じれば世界は平和になる。

 こうした考えは万民が持つ考えだろう。

 だが、その後で『なので、間違った宗教を信じている奴を正しい宗教を教えてやろう』と思考が変化するのが人間という生き物のバグである。

 この上から目線の押しつけにより反発が1000%の確率でまず生まれる。

 さねえもんから聞いた、カブラル司祭とかアメリカ大陸の話はそうだった。


 仮に身内内の洗脳が完了しても、余所への洗脳が始まるだけだし、身内同士でも解釈違いとか身分闘争で争いが始まる。

 戦争の場合、自分たちが悪いことをしているという負い目も多少はあるので、少しは加減もあるだろうけど、宗教の場合『我こそは正義』という使命感があるだけに白黒つくまで徹底的にやるだろう。


 あれ?一向一揆起こすような人間が豊後だとキリスト教になっただけのような気もしてきたぞ。…深く考えるのはやめとこう。


「ええとつまり、邪教徒を始末…もとい教化したとしても、理想郷なんて訪れないんだよな」

 聖人の前で、神を全否定するのもどうかと思ったけど、キリスト教国どうしの戦争っていつも起っているからね。

 むしろ、豊富な飯に便利な生活。しっかりした治安維持の警察がいて宗教は適当な無宗教人の多い日本の方が戦争になってないの、あまりにもたくさんの宗教が牽制しあってて纏まり切れないからなのでは?と邪推する。

 言葉を分けて混乱させると人間は争ったけど、正義を分割して小集団にすると戦争が起こらなくなるらしい。


 まあ、イエズス会が行った弱者救済や捨て子の保護は非常にすばらしい考え方だし信者同士で争わないよう調停できるのは便利である。

 これで『異教徒は焼け』という考えさえなければ宗教というのは平和のたすけとなる。

「この考えが広まれば、日本は平和になるのではないかと思うのだよ」

「そういって貰えると助かりまーす」

 自信を失いかけていたザビエルさんは言った。

 嘘ではない。

 西洋式文化を紹介するために、府内では教会を立てて衛生的な生活のモデルケースにしているし、刀の試し切りで人を殺してはいけないとか、失業者の駆け込み寺みたいな事業もここで行っている。

「豊後での布教は安定している。そこで、ザビエル師よ。あなたには遠い備後、さらには越後とか出羽のあたりにも神の教えを広めて頂きたい」

 あそこらへん、食い物がないから冬に出稼ぎの出兵して口減らしするとか、身内同士でプロレスのような争いするけど決着をつけないからいつまでも争いが終わらないみたいなグダグダ感があるので、紛争の種を送り込んでもう少し内政に力を注いでもらいたい。

 自分の所でこうした道徳感が広まるのは困るが、他国で広まるのは大歓迎だからな。

「囚人ゲームで相手が必ず協力を選ぶように地固めをしておきたいんだ」

 豊後だけ武装放棄したり平和主義を主張しても、良いカモにされるだけだ。

 こういう意識改革は全国でしないと意味が無い。

 それ故に、ザビエルさんを呼んだのである。

「日本で活版印刷をしたいので力を貸して欲しい」

 と依頼するために。


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「ほとんど出来ているではないですか」


 銅による印鑑みたいな文字、「凸版」を見てザビエル師は言った。

「ああ、だが、これでは一枚一枚押しつけなければ、効率が悪い」

 新聞を刷るように、とまではいかないものの効率的な印刷を行いたいのである。

「というわけで、欧州の印刷技術を教えて頂きたい」

 と、お願いした。報酬は日本語版聖書の出版。

 活版印刷が始まったのはアジアが最初だという。

 朝鮮の銅板とか中国が発祥など色々意見がある。

 だが、実際に一般に使われ普及したのは西欧である。


 理由は簡単。


 アルファベットは27~38文字程度ですべての文字を網羅できるのに対し、漢字は万を超える文字が存在してしまうからだ。

 なので、今回の本は51文字で完成するカナ文字を使用することにした。

 よく使う『候』とか『今』などは作っているが、まだまだ生産が追い付いていない。

 さらに言えば、平仮名ではなくカタカナのカナ文字にしたのは単純に彫るのが楽だし、インクの節約になるからだ。


 なぜ、そこまでわかるかって?


 さんざん失敗したからである。


 ザビエルさんを呼んだのも、50回ほど失敗して、根本的な原理から考え直さないとこれ無理ちゃうんか?となったためだ。


 まず、活版の高さを一定に揃える方法。

 これは0.5mmずれるときれいに印刷できないっぽい。

 次に、インク。

 墨汁だとさらさらすぎるので、活版用のインクを使いたいのだが、成分がよくわからない。

 そして、紙に圧力をかけて転写する機能。

 ぐるぐる回転させるのが紙、銅板はどこかに固定させると思うのだが、それが上手く行かない。

 おそらく銅板は下に固定して動かないようにしているのではないかと思うのだが、よくわからない。

 いっその事、版画みたいにしても良いのだが、そうするとインクというか墨汁がこぼれ落ちて失敗する時もある。

 実は印刷機というのはかなりの精度を要する技術である。

 そこまで説明して、さねえもんが納得したように言った。


「それ、活版印刷じゃなくて輪転印刷じゃないんですか?」

 

 え?俺なんか間違ってました?


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 検索しても出てこないのですが、本作では、だいぶ初期に凸版印刷は使ってたのを思いだしました。

 活版印刷って面倒な作業を短縮した大量印刷できる機構と勘違いして覚えていたので、本作も宗麟さんが勘違いしていた事にします。

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