第132話 農業ガチャは年1~2回。

 特産品が育たない土地と育つ土地の不公平を如何に解消するか?

 その方法は思いつかなかったので、力技で乗り越える事にした。


「品種改良した米を大分全土で造れるようにするか…」


 品種改良とは違う品種の花粉を組み合わせたり接ぎ木をして全く別の品種を作る事である。

 よくお菓子などに書かれている(遺伝子組み換えでない)とは違い、人工授粉による方法なので、人体にも安心である。

「まあ、出来るのなら他の生物の細胞から抽出した遺伝子を組み換え、新たな性質を持たせる効率の良い手法らしいしやりたいんだけど、出来ないんだよなぁ…」

 抽出した遺伝子が持つ、害虫に強い性質や栄養素を上げる効果、除草剤に強い性質などを作物の新たな特性として加える方法が使えたら農業チートもスピードアップするのだが、やり方が分からないので昔ながらの人力遺伝子ガチャを引くしかないのである。

 ただ、どの品種とどの品種を組み合わせれば成功するかなどは、素人にはわからい。

「そこで、この2年間、総当たりで寒さや病気に強そうな品種ができないか試してみたよ」

 寒冷地で発育する種籾を取り寄せて千町無田と呼ばれた米が育たなかった九重町と、それよりも少し暖かい湯平、さらに海に近い庄内と豊後の8カ所で試しに育ててみたのである。

 その中で育った稲に1~14の番号を振り、人工受粉させて、もう一度同じ場所で育ててみた。

 15、16番が存在しないのは1年目に最難関の千町無田で育てた稲は全滅したためだ。

 また、寒さには弱くても病気や害虫に強い品種の可能性もあるので、一部はわざと病気の田に移植してみたりもした。

 そうして育てた米で寒冷地でも育った品種や病気に強い種もみを貸与するのである。


 今では米所と呼ばれる新潟のコシヒカリは昭和17年から14年かけて交配を重ね、やっと出来た品種というので、この時代だと寒冷地で育つ米が出来るのはもっと先かもしれない。

 新潟県の公式HP  

 https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/nosanengei/1341867635261.html#:~:text=%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%92%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%81%AF%E3%80%81%E6%98%AD%E5%92%8C19%E5%B9%B4,%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%92%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%80%8D%E3%81%8C%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

 によると


『コシヒカリの来歴』


 コシヒカリは、昭和19年新潟県で「農林22号」と「農林1号」とを掛け合わせ、福井県で系統育成(※1)されました。

 昭和31年に新潟県と千葉県が県の奨励品種(※2)に選定し、農林100号として登録され、晴れて新品種「コシヒカリ」が誕生しました。


 農林22号:当時、いもち病(※3)に強かった品種

 農林1号:収量が多く、品質・食味に優れた品種。いもち病に弱い


 ※1 品種となる候補(系統)を育成すること

 ※2 全県での作付を奨励する品種

 ※3 稲に感染する主な病気の1つで、収量や品質に大きく影響する』


 と前置きした上で


『昭和19年に農林22号を母親、農林1号を父親として人工交配してから、4年後に栽培した3,000個体の中から65株を選び出し、このうち20株を福井農事改良実験所に引き継ぎ、系統の選抜を開始

 昭和28年に「越南17号」の系統名を付与。新潟県を含め22県に配付され、全国各地で試作開始。

 昭和29年 新潟県農業試験場は、28年の良好な試作結果を踏まえて、本場及び試験地8カ所で栽培試験を実施し、現地27カ所で現地栽培の適否を試作

 昭和31年 新潟県と千葉県が「越南17号」を奨励品種に採用。農林省新品種候補審査会を経て、農林100号「コシヒカリ」として登録される』

という12年越しの品種改良結果を掲載している。


「そこまでして米にこだわる必要はあるんですか?」


 戦国時代人らしからぬ感想をもつ研究僧の無月さんが言う。

「そりゃ、訳の分からない作物を作るより、抵抗は少ないだろうし収穫の増加が分かりやすいだろうからなぁ」

 と言うと

「台風で簡単に収穫不能になる植物だからあんまり好きではないのですが…」

 と返って来た。

 無月さんの実家は台風の被害に遭いまくったらしい。

 なので、地中で育つ『芋』の方が安全だし食糧事情改善に向いている作物としてかなり気に入ってくれたようだ。だが、

「芋は病気で全滅する可能性があるからなぁ」

 アイルランド危機と呼ばれる惨状を歴史で聞いた身としては一品種に頼るのは避けたいところだ。

「それに米は一粒でとれる種の量が多いらしいんですよ。品種改良をするには向いてるし、収穫量も多いから主食になれたわけです」

 と、銃、病原菌、鉄に書かれてた記述をさねえもんが述べた。

 米は一粒につき300~400粒収穫できる。

 稲作に向かない土地にまで米を作る必要はないが、作れる場所には作っておきたい作物である。

 そこまで言って一つ思いだした。


「ああ、あと直入の奥 すごう台地にはこれを植えてみてくれ」


 と、彼岸花と七つ森古墳で有名な竹田市西部を指定し、種の固まりを渡す。

「なんですか?これは」


「現地の言葉でchoclo。和名をとうもろこしと名付けたものだ」


 3年目にして大友家の商圏はアメリカ大陸に届いた。

 ついにトウモロコシを数個持ち帰るのに成功したのである。


 この時期に収穫した作物を保管しながら運ぶのは至難の業なので船で栽培しながら持って帰ったのだが、いくつかの失敗の中で、唯一成功した種から収穫したものである。

「それもこれも、過酷な船旅を乗り越えてメキシコまで行ってくれた入田親真(息子の方)のおかげだ」

 そう言って2年ぶりに日本に帰って来た入田の肩を叩く。

「Hice lo mejor que pude y fui en bote.(スペイン語)」

「おいおい、ここは日本だぞー」

 海外旅行は風土病の危険もあるため父親はタイの貿易に従事してもらったが、息子は二回目の航海でスペイン人通訳を連れて、東周り航路からアメリカ大陸や南米北部まで行ってもらった。

 そこで半年ほど植物や鉱物などを探索してもらったのだ。

 その間に、船で反乱が起こったりネズミが発生して飢え死にしそうになったそうなのだが、あまり楽しい話では無いので聴かなかった事にした。

 残念なことにゴムの木は見つからなかったそうだが、ほかにも色んな植物を連れてきてくれた。

 旅行ガイドなどがある現代の旅だって一回目で目当ての場所を全て回れるわけがない。ましてや、当時価値があるとは知られていない植物を言葉の通じない外国で見つけることなどできるはずがないのだ。

「ワタシ、フネ、ガンバタ」

 片言の日本語を操りながら、日本初の新大陸探検者たちが過酷な旅の様子を語る。

「ショケイ ラク。フネタヴィ キツイ。シヌ ナンドモオモタ」

「…………ナチュラルに外道な命令してませんでしたか?これ」

「…………うむ。かなり悪かったとは思ってる」

 とりあえず、罪は許して家族と久しぶりに暮すよう計ろう。

 そうでないと、こちらの良心が痛い。

 ありがとう。入田。ゆっくり休め。


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 実際、船でトウモロコシ栽培ができるか分かりませんが、穴あけたゴム板に土を敷いて栄養与えればワンチャンあるやろ。的な観測で書いてます。真似をする際には小型ボートあたりで一度試してからの実行をおすすめします。

 あとスペイン語は『私は頑張って船で行きました』をグーグル翻訳にかけただけなので、調べなくても大丈夫です。

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