第127話 小寺さんが来た(ただし黒田要素を含まない)

第三者視点の書き方は、この作品だと水が合わないので宗麟さん視点の書き方にもどします。御迷惑をおかけしました。


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 水道事業のさらなる発展の為に、大分でワカサギ釣りが盛んになっている芹沢ダムとか、道の駅が出来た野津原ダム、そして福岡の奥にもダムを作ろうと画策した。

 現代のダムは規模が途方もなくでかいのだが、人力では限界があるので、川魚の養殖が出来るささやかな規模のため池を200個ほど作ることから始めようと思う。今でも大分ではエノハの養殖してる所あるからね。

 これが上手くいけば豊前とか他国にもダムが作れる。

 そうなれば、豊後に逆らった瞬間にダムを決壊させてみたり、水流を変えてみたりと言う最悪な嫌がらせだって出来てしまうのである。

 黄河を制す者は中華を制すとは良く言ったものである。

 まあ、同志豊前国人たちがそのような愚かな選択をするなど考えられないので、そのような不幸は起こらないのだが…。

「善よく国を治める者は、必ずまず水を治める。ってそういう意味じゃないと思いますよ…」とさねえもんからツッコミが入る。

 元ネタは中国の春秋時代(紀元前770年~前476年)、斉国の宰相 管中が主君である桓公と国を治める方策を論じていた時の言葉らしいのだが、管中だってダムの技術を知ってたら悪用してたと思うぞ。


 そんな便利さという武器でインフラを整備をしながらゆっくりと侵略を行っていると中国地方から使者が来たと報告があった。


「中国…あー、あったね。そんな国も」


 すえナントカが大内義隆さんを追い出してからあの地方の物価は定期的に米の値段を上げたり下げたり、代わりに芋とかの代替食料を渡したりと、飢え死にはしないけど政情不安定で領主への不満がマックスになるように設定し、職人や技術者の流出を誘っていた所だ。

 そろそろ、陶器さんは滅んだ頃だろうか?

「器の字を削除するのが面倒だからって陶晴賢を陶器さんって呼ぶのやめません?」

 だって陶で【すえ】って読めないじゃん。

「大友義鎮(よししげ)って名前も初見じゃ読めないですけどね」

 大分市の文化財課では読み間違いを防ぐため「ギチン(呼び捨て)」と呼んでいるらしい。徳川慶喜を「ケイキさん」と呼ぶ感じらしい。

 

 ちなみに陶 晴賢は大友晴英くんを主君に迎えたあとの名前らしく、この世界では陶隆房と名乗っているらしい。

 裏切り者のくせに元主君の名を使うとはぜいたくな奴である。

 そんな陶隆房だが、実質2国しか支配出来てないのだが、6国守護気どりで各地の小領主に理不尽な要求を出しては反感を買い。このたびめでたく毛利元就から絶縁状を叩きつけられたらしい。

 やったぜ、厳島ルート確定だ。

「史実より1年早く離別するって余程ひどかったんでしょうね」

 まあ、転売ヤーみたいな民度の人間を大量に送り込んだり、物価を常に不安定にしたりしたからなぁ…。

 ついでに上手くやれるなら毛利家も潰すように物資を調整していたのだが、中国地方の領主たちは毛利家を中心にまとまろうとしているらしい。

 一応、有望そうな領主には引き抜き工作を行っていたのだが、武士にとって先祖伝来の土地というのは離れがたいようで、軽い調略には乗ってこない人間がほとんどだった。

 そのため「つぶしあえー」とばかりに、食糧以外の経済制裁を継続していたのだが、ついにそこから使者が来たと言う訳だ。

「ちなみに、使者はどこの家だ?」

「小寺家と名乗っております」

「小寺家ですって!」

 と、さねえもんが興奮した声で報告に来た。

「こでら?聞いたことのない家だな。凄い家なのか?」

「なに言ってるんですか!小寺といえば黒田官兵衛のゆかりの家ですよ!」


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 黒田官兵衛 NHK大河ドラマで軍師官兵衛として取り上げられた豊臣秀吉の家臣である。

 官兵衛は1546年の生まれで今は7歳。

 父親は備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市)の生まれで元々黒田と名乗っていたが、播磨御着城主の小寺政職から天文14年(1545年)、養女を妻に与えられ家老となり、小寺の姓氏と偏諱(「職」の1字)を与えられて小寺職隆と名乗ったという。

「家臣に迎えるのは無理でも、仲良くしていればいずれ助けになるはずです。ああ、やっと有名武将と縁が出来た!」

 と大歓喜している。すごいはしゃぎようだ。

 まあ、歴史に疎い義鎮でも黒田官兵衛の名は知っている。

「知力のパラメーターが100超えてて、助言の予想は100%当たるんだよな」

「それは三国志の孔明の特殊能力ですよね」

 真顔のツッコミがはいる。


「まあ、他の小寺家もいるので違うかもしれませんが、とりあえず会ってみましょう。失礼の内容に、あくまでスマイルで」

 興奮した口調で急かされる。

 まあ、例え別の家でも親戚の可能性もある。もしも別の家でも親しくしておくのに悪い事はないだろう。


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「使者の方、差出人のお名前は甚四郎殿か?いや、美濃守どのかな?」

 通された使者にさねえもんは開口一番そう尋ねた。

 まるで某RPGのはぐれ系モンスターに遭遇したかのようなニコニコ顔でさねえもんが問う。

 官兵衛の父親の名前らしい。

 すると使者は

「いえ、当家の党首は十郎左衛門尉様です」 

 と答えた。

「なるほど」

 名前を聞いてさねえもんは笑顔で何度もうなずき。

「使者殿」

 と言った後に


「おかえりはあちらですよ」


 まるでクレーマーでも追い返すような極寒の口調で言った。

 失礼しかないような扱いじゃねーか。

「おい、温度差がひどすぎないか。さねえもん。いったいなにがあったんだ?」

「あれは、小寺は小寺でも毛利家家臣の小寺です」

 吐き捨てるように言う。

 戦国には二つの小寺家があった。

 元々黒田さんは大名に仕える領主だったが、そこから抜擢された家で1546年頃に小寺の姓を与えられたという。

 そしてもう一つは中国地方の小領主。

「そっちの家は江戸時代に、『大友興廃記』という創作物の書状を代々伝わる家伝書として藩に提出した家なんですよ(先哲史料大友宗麟449号書状)」

 それがどうした?


「説明は次回に譲りますが、あの小寺家が時系列無視の創作小説を家伝書と提出したせいで、『大友宗麟は弟を見捨てた』という誤解を生みだした一族なんですよ」 


 なんだってー!!!!


 それは一体どういう事なんだってばよ。とさねえもんに説明を求めると、細かい事情を語り出した。

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