第111話 現在のビットコイン。名物茶器。

「まあ、綺麗な青」

 いくつかの試作品ができたので、取りあえず奥さんたちに渡してみた。

 この数十日家を空けていた侘びというかご機嫌取りである。

「これ、唐国の磁器みたいだけど、御高かったのでしょ?」

 と一色さんが言う。

「ふふふ。実はこれ、日本の土を使い、日本の土で作ってみたんだ」

 そういうと、二人とも目を丸くした。 

「今は青だけだが、これに、薬を塗って赤の色を付けたり、金箔をつけたいと思うんだよ」

 有田焼や西欧のティーカップの丸パクりだが、白だけというのも寂しい気がする。

「それは華やかで良いですね」

 と奈多さんが花がほころぶように笑う。喜んでくれたようでなによりだ。

「唐渡りに比べると質は落ちるけど、まあ100貫くらいは取れそうね」

 と、都で茶器をみたことがある一色さんが目利きしている。あれ?

「……もっと、感激して欲しがると思ったけど」

「茶器でお腹はふくれませんわ。珠に献上された事がありましたが、大体は食費に変わりましたものね…」

 ……せ…せちがれぇ…。

 史実の大友宗麟も晩年に戦費調達として茶器を売ったそうだが、換金アイテムなんだなぁ。茶器は。

「ロレックスとか金のブレスレットみたいなものですね」

 分かりやすい解説ありがとう。さねえもん。

 一色さんが茶器にあまり興味が無いのは、茶器に大金を出す御大尽が商人とか裕福な大名というだけではないのだろう。

「そういえばニャンと時間旅行って本で、茶道は元々男のものだったって言ってましたっけ」

 と、さねえもんが言う。

 戦国時代、茶道で有名な人間はみんな男だった。

 江戸時代でも茶道は男性のものだったが明治時代に旧来のものが廃れて、茶道は古臭い物として見向きもされなかった。

 そこで長年培った礼儀作法の御手前を『女性の教養』と言い出して女性に営業をかけてから女性主体になったんだっけか。

 この和風文化の蔑視により檮原神社の御輿の担ぎ手も減ってトラックで御輿を運ぶ事態になるくらい日本文化下げの時代が昭和後期まで続いたとか…


 女性は茶道に興味は無いし、この時代の貧乏貴族は茶器を買う金があれば米を買う。そんな生活だったのかもしれない。

 逆に言えば、奈多さんなら変な先入観に捕らわれず良いものは良いと言ってくれそうだし、一色さんは大体の相場を教えてくれそうだ。


「となると、あと問題は」

「これらをいくら売るか?だよなぁ」


 ・・・・・・・・・・・・・・・・


 というわけで商業の中心地、堺にやってきた。

 18日かかる距離も1日なので蒸気船とは便利なものである。


 この時代の堺商人はあんまり詳しくないので、仲屋さんと博多商人を連れて、名字だけは聞いたことがある納屋とか天王寺屋という店を探す。

「納屋、天王寺屋とか、名前は聞いたことありますが実際に行った事はないですからねぇ」

 さねえもんがもの珍しげに辺りを見る。

 堺と言えば与謝野晶子さんの石碑があったり鮎の最中、包丁などを見学したことがあったが商家の跡地というと千利休の屋敷跡地くらいだ。

 茶人として有名な納屋こと今井 宗久は30歳。千利休も津田宗及も1550年ではどれだけのシェアを持っていたのか分からないので、仲屋たちがお勧めする商家に入る。

 そこそこ大きな店だが、聞いた事もない名前の商家。

 そこで、茶器の売り込みをすることにした。

 やって来たのは、ふくよかな体格のいかにも商人という体格の人だった。

 現代の中小企業の社長とか、支店長クラスの風格が漂っている。

 こちらの身分は伏せて置き、仲屋の知人と言う事で会釈する。

「いやあ、豊後からようお越しいただきました」

 材木と硫黄以外名物のない豊後の僻地から何しにきた?と言わんばかりの顔である。

 くそう。その僻地に金が払えずに督促状を出されたくせに偉そうだな。(70年前の1480年頃の話です)

 まあ、いい。これは想定内だ。


「実は、仲屋殿の取り次ぎで茶器を商いたいと思いまして、ご挨拶に伺いました」

 社畜時代の営業スマイルを思いだしながら、対馬と臼杵で造った茶器を取り出す。

「ほほう。これはこれは」

 軽く茶器を眺めると箱を見て

「はて?これには銘が入っておりませぬが」

「はい。これは朝鮮の方から取り寄せたものでして、銘などは入っておりません」

 そういうと商人さんは『ふん』と鼻をならし


「でしたらまあ…


 と冷たく言い放った。


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 こういうと多くの陶芸家や陶磁器メーカーから怒られるが、らしい。

 芸術品として作られたものはまだしも、薬や軟膏を入れるのに使う日用品でも「中国から来た品」といって日本に持ってけば舶来品として超高級品になったのである。

 ここで、ものを言ったのが茶道家の目利きと鑑定である。

 たとえば青磁への転換期に生まれた『珠光青磁』と呼ばれる、くすんだ色の茶碗がある。

『珠光青磁は当時の南中国の日常雑器でしたが、そこに(村田珠光が)「ひえ枯れた」趣を見出し、それはやがて高麗茶碗愛好の道へとつながっていくのです』

 ttps://turuta.jp/story/archives/8212

 と解説される位の日用品なのだが、当時 随一と言われた茶人の村田珠光が『良い』とお墨付きを与えた事で価値が生まれたのである。


「宣教師とか、『日本人は、たんなる土くれに高価な金を出している』って言ってましたしね」

 国より茶器を欲しがった滝川一益が聞いたら発狂しそうなセリフだな。

 まあ、日本側も「宝石なんて単なる石じゃん」的な事を言っていたというし、そのくせ両者とも白磁の価値は認めているんだから美的感覚・価値観とは分からないものである。


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 なので、物そのものよりも『誰がその価値を認定したか?』が重要だったりする。

 ビットコインだって最初は100円にもならないお遊びコインだったが、金持ちが『100万円出しても欲しい』などと言いだしてから価値が与えられ、気が付いたら500万円以上の価値が付いたり『やっぱりいらない』となって300万円まで暴落したりするのである。

 それも中国政府がビットコイン禁止したり、ビット以外のガク●コインは200万から0.01円になったりと物の価値は目まぐるしく変わる。

 つまり、こうした高級品の価値と言うのは金持ち次第。

 ゴミもおだてれば国宝になるし逆もあるのである。

 その暴落を防ぐのが有名茶人の御墨付き。銘である。


 瓢箪。九十九茄子。新田肩付。


 これらの名前が有名になればなるほど、茶器自体よりも『有名人が称賛し名前を付けた』という物語に高値が付くのだ。

 なので、商売人としては余所者が持ち込んだ茶器などに価値をつけない。

 小馬鹿にして安値で買い叩いて、適当な茶人の銘付きで1万倍の値段で売るのだろう。

 そこまで読めていた。


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「高級品というものは高値を出しても買いたい。と金持ちが思うから価値があるんだよな」

 欧州でも東洋でも価値を認められている『金』は工業的な価値はそこまで高くない。実際 アメリカ大陸では金の価値は工芸品程度のものだったという。だが


「007だったかな。まだドルが金との交換券だった時代にアメリカの保有する金を襲う話があったんだ」

 ここで普通の映画なら金を持ち出すだけなのだが、こちらの犯罪組織は、使のである。

「え?それに何の意味があるんですか?」

 さねえもんは映画は余り見てないらしく。不思議そうに尋ねる。

 俺も最初はそう思った。

 しかし、金が使い物にならなくなるということは、という事である。

 当時の米ドルは金と交換できる兌換紙幣だったので、発行したドルを金に変えてくれと言われたら交換に応じないとならない。

「できません」などと言えばドルの信用が下がり、価値が暴落するからだ。

 そうなると、交換するための金が使えないのだから、どこかから集めないとならない。それこそ今までの3倍の金を払ってでも買い集める必要がある。

「つまり使用不可とする事で金の価値が相対的に数倍に跳ね上がるってわけだ」

「なるほど。そういう儲け方もあるんですね」


 さて、ここで問題だ。


「では、その逆。どこかで金鉱が見つかって大量に金が出たらどうなる?」

「価値が暴落しますね」


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「なるほど。ではこの茶器には500文の価値しかない。そう貴方は目利きをするのですな?」

 そう言うと、商人は鼻で笑って

「このような由緒も謂われもないような器に何の価値がございましょう?」

 美術品の価値は自分たちが決めているのだ。

 そう言わんばかりの不遜さで言った。

「さようか。堺商人や大名に配慮して相談に来たのだが、それでは何の遠慮もいらぬな」

 

 茶器と言うものは『良い物』が、高価で少ない数が流通しているので価値があるのだ。

「では、この500文しか価値のない茶器。


「はい?」


 その言葉に商人は目を丸くする。

 500文?いま500文と言ったのか?この男は?と言いたげな目だ。

「まあ、とりあえず今日は100個ほど持って来た。見るか?」

 そういうと、箱に無造作に重ねて入れられた茶碗が100個。乱雑に入れられているのを見せた。

「おまえは阿呆か!この陶器を!たった500文で、1万個もバラまく?豊後は朝鮮に近いとはいえ冗談もたいがいにせぇよ!!!」

 ハッタリとは思えない何かを感じ取ったのだろう。

 今までの不遜な態度を崩して怒鳴る。


 悪いな。100円均一で陶器が売られているのを見た未来人には、この時代の茶器にそこまでの価値を感じられない。お歳暮で配るタオルみたいな感覚なんだ。(※大分の貧乏庶民的感覚です)

「嘘と思うのは自由だが、この茶器にそこまでの価値を感じないと言うのなら、その値段で定期的に売ろうじゃないか」

 大名家。公家。武士。農民。身分関わらず、そこらの鍋と変わらない日用品として、ゆくゆくは1文(=約100円)で売ろう。と死刑宣告を出した。


 仮にそれだけの茶器が安値で出回れば、茶器の価値は暴落するだろう。

 100貫出して買い、有難がっていたものが2000分の1以下の値段でたたき売られるのだ。


 仮に2000億円分の茶器を持っていたのなら1億にまで価値が減るのである。 

 それだけの価値しか無い物が日用品として出回っているのだから。

 現代のアルメニアで灰吹き法が発見され銀の生産量が増加すると、銀価格は低下したという。金もアメリカから大量に輸入されて価値が暴落した。

 茶器ならもっと落ちるだろう。


「物を知らないにも程がある!!!!アンタ わしらを殺す気か!!!」


 そこまで言って商人は はっと口に手を当てた。

 予想通りの反応に満面の笑みで。

「堺だけでなく、日本国を揺るがす無銘の唐物茶碗。いかがでしょう?今なら月に限定20個。1個たったの500貫で買えますよ?」


 これが、未来のダンピング脅迫である。

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