第107話 九州の土は殆どが阿蘇山の溶岩か噴火堆積物
「せっかくのお申し出で御座いますが当家は十分に潤っておりまして、これ以上の拡大は考えておりませぬ」
大分の府内からはるばる180kmほどかけて移動した宮崎の伊東氏の返答は、常識的なものだった。
放蕩者と悪評を付けられた伊東氏だが結局は家が一度滅んだので、その理由づけとして当主が悪かったので滅んだとしたかったのだろう。
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伊東氏の歴史は謎が多い。
鎌倉時代に源頼朝の宿所近くで争乱を起こされた事で有名になった一族なのだが、子孫は日本の各地に分かれ、尾張伊東氏や奥州にも子孫がいたという。
その中で日向伊東氏は大名として残った。元々は日向宮崎の一領主だったのだが
島津家の内紛に乗じて日向の殆どを手に入れ、南方の飫肥と千町を廻って争うようになったという。
宮崎は江戸時代に商人が活躍し、埋蔵金の伝説が生まれる位には貿易で儲けていたという。そう本に書いていた。
だから、変に貿易組合のようなものに入るより自前でやった方が儲けが多いらしい。
それが1577年には
『うちの孫は宗麟殿の事を父のように頼りにしている』という手紙を出すのだから人生というのは分からないモノだ。
まあ、その次の年には大友家も滅亡の危機に立つくらい再生不可能なダメージを喰らうんだけど…
あと、係争中の島津と仲良くしてるのも気に食わないのだろう。
敵の味方は敵。
敵対まではいかないけど警戒されているようだ。
仕方が無いので、奥方たちへ化粧品や菓子をばらまく程度で止めておくことにした。
せっかくなので、大隅の肝付氏や北原氏などとも話しておこうと思ったが
「彼らと交渉すると島津との関係が厄介な事になるので止めて置きましょう」
とさねえもんから止められた。
人類みな兄弟という考え方は戦国時代にはないらしい。
仕方がないので、島津さんに各地の特産品を積みこんで外国に売ったら儲かるぞという話をして、昔の遣明船みたいに船団を出そうと誘ったのだが
「敵を豊かにするのは家臣が承知しないでしょう」
と渋い顔をされた。
皆で豊かにという考えと戦国時代は相性が悪い。
「まあ一度は誘ったという事で、不参加の言質はとったと言う事にしましょう」
と、さねえもんが言う。
なぐさめてくれて有難う。
そういえば1番目の会社で『飲み会に参加はしないけど『部長もいっしょにいきませんか?』と誘わないと機嫌が悪くなるめんどくさい上司を思いだしたよ。
ついでに、飲みに誘ったら『コップが空になったら、すぐ注ぐくらいの気遣いができないと社会人として失格』とかいう俺ルールを押し付ける専務とか、男にもセクハラをかます常務とかも、思いだしたくなかったけど思いだしたよ。
日本人社会は本当にめんどくさいなぁ…。
「それ、外国でも似たような状況らしいですよ」
この世には夢も希望も無いらしい。
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「しかたないから、手持ちの領地で貿易をするしかないか」
本当なら、九州全土を挙げて一村一品を造り、南蛮や堺に運送したかったがみなさん大変仲が良いようで無理だと分かった。(皮肉)
なので、取り敢えず貿易用のカードを切ろう。
「行き先変更。天草に行った後に肥前の有田に行こう」
「天草に有田ですか?」
「ああ、隈本や佐賀でもそろそろチートアイテムの生産拠点をつくるぞ」
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天草は隈本から東にある島である。
島原の乱で有名な天草四郎は、この熊本の天草から、島を伝って長崎東部の島原半島に渡り反乱の代表になったという。
陸運ではなく海運が盛んな離島住人らしい活動範囲の広さである。
ちなみに、加藤清正は天草よりも大分の鶴崎を望んだという天草の方に失礼な作り話があるが、外海に面した天草は海外貿易の拠点として有望だったが、幕府が独占貿易を進めたのでその利点が無くなり、近畿へ移動しやすい鶴崎を欲しがったという説もあるらしい。
「で、ここに何が有ると言うのですか?」
と、一緒に来た臼杵鑑続が言う。
史実なら既に死亡しているのだが、オーバーワークから解放させ十分に休養を取らせたのでまだ生存している人材の一人だ。
「臼杵よ。お主は父上が作らせた土師器を知っておるな」
かわらけ とも呼ばれる土の器だ。
京都文化を取り入れた大友義鑑は京都から陶工を招いて大分でも同じ物を作れるようにしたらしい。
「土師器は祝い事の必需品ですから、当然です」
と臼杵が言う。土師器は弥生土器みたいに水分を吸い取るざらざらした感触の器で、土も一緒にすすっているようであんまり好きではなかったりする。
「では、明国の器と豊後のでは決定的に違う点が有る。何か分かるか?」
「堅さですな」
土器と違い、中国の陶磁器は現代の茶碗のようにつるつるした触感で、水分を弾くし堅い。
この器は欧州でも珍重されザクセン選帝侯 兼 ポーランド王のアウグスト2世も錬金術師のヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを幽閉し、白磁を作るように命じた。
1709年に製造に成功した白磁は後にマイセンの名で流通し金と同じ重さの価値があるとまで言われる貴重品となった。
「そう。あの堅さを出すには九州の土では不可能である」
大昔に阿蘇山が大噴火を起こした時に、九州の大部分は溶岩流に覆われた。
そのため、臼杵や府内でも江戸時代に御当地陶器を作ろうと幾つかの窯場ができたがことごとく失敗し、日田の小鹿田焼を残して消えてしまった。
「で、その話とここが何の関係があるのですか?」
「先日、夢でお教え頂いたのだがな。その白磁の材料がここにあるらしい」
「は?」
臼杵は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、問うてきた。
ここに金脈がある。と言ったのと同じくらい金儲けの商材をあっさり言ったのだから当然ではある。
なので復唱する。
「だから、ここに明国の白磁と同じ物が作れる材料があると教えてもらったのじゃ」
しいたけ以来のチート産物の御倉出しだ。
溶岩から奇跡的に免れた陶器の材料、天草陶石の産地を指さして
「有田にも同じ土が有るらしい。それらを運んで対馬に行くぞ」
あっけに取られた臼杵を尻目に目ぼしい土を船に積むよう指示を出す。
「朝鮮の陶工なら、土の品質が分かるだろう。必要であれば金はいくらでも出す。技術者を引き抜いて和製陶磁器を造り、南蛮に売りつけるぞ」
薩摩・大隅・日向が参加しなかったのは残念だが、九州の特産品として大々的に売り出して外貨を稼ぐ計画はこれから進めて行こう。
言質はとってしまったからなー。
これで島津と伊東の頭の固い連中たちの肩身は狭くなるだろうなぁー。
何ヶ月後に、2人の大名がごめんなさいするのか考えながら、対馬を目指すのだった。
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