第103話 クソイベント『八朔太刀馬の儀式』の改善
明は倭寇の撲滅に豊後が協力すると言う条件で、沿岸部での紙幣の流通を認めた。
これにより倭寇は大幅な資金源を断たれ衰退していく。
民が紙幣を使う事で九州にも恩恵が有った。
『明国では紙幣という便利なお金を使いだしたよ。あれ?君たちはまだ銅貨なんて時代遅れなものを使っているのかい?』
という、紙幣仕掛け人によるひどいマッチポンプを肥前に仕掛けたところ、効果がてきめんに現れたのだ。
まあ『明国の紙幣は、貿易認可印のあるものに限り大友札の代用品として認める』
という一文を加えたのが大きかった。
これにより大友札は流通しなかった地方でも明との貿易札は使われるようになったのである。
ちなみに、その明国との貿易紙幣は大友家でも作られているのだが、知らぬが仏である。
「うむ。さすがは大明国。豊後の稚拙な紙幣とは違う」
などと訳知り顔で言う腐れ領主に「それ豊後産ですよ」と指摘してやりたいが我慢である。
プライド潰されたから反乱起こすとか言われたら、しゃれにならないからな。
「和冦はまだまだ活動中ですが、資金源さえ押さえてしまえば活動は縮小していくでしょうね」
とさねえもんがいう。当然である。
和冦などといっても、しょせんは私設の暴力団だ。国家ぐるみの暴力団に勝てるはずがないのである。
最初は面倒だと思った倭寇の取り締まりだが、犯罪組織の問題を解決していくと国交も改善されたし、紙幣も流通するようになった。犯罪者も減って労働力が増えた。
よいことづくめである。
どこか他に犯罪組織はないかな?
「豊後に凄いのがあるんじゃないですか?」
おい、それはどういう意味だ。
とりあえず九州北部と薩摩の一部で紙幣の流通は成功した。
水道も道路も生活家電もある程度普及できた。
「こうして、裏でじわじわとインフラを握られているのをそろそろ理解してもらうことにしようか」
「どんな悪事を思いついたんですか?」
「いや、もうそろそろ8月1日、八朔の日になるだろ?」
・・・・・・回想(一年前)・・・・・・・・・
豊後には8月1日、八朔の日に各地の領主が馬を奉納しに挨拶に来させるという「八朔太刀馬の儀式」という風習があったらしい。
八朔というのは、この時期に早稲の穂が実るので農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあった。
このことから武家や公家の間でも、日頃お世話になっている人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになった。というものだ。
「要はお中元だよなぁ」
この儀式を初めて聞いた時、そう思った。
ただ、豊後の八朔太刀馬の儀式が八朔と違うのは『これに参加しないと反乱の疑いありと見なされる』という前例があると言う事だ。
忘年会とか無意味な飲み会に参加しないと社内からハブられる、現代日本にも伝わる超絶クソイベントな点である。
このイベントのクソな点は強制参加な上に府内からさらに10km離れた檮原神社の500段はある階段を上った上にある神社で行われる点である。
「よし!面倒だし、今年で中止にしよう!」
「無理です」
頭の柔らかい吉岡からも無理と言われた。
「じゃあ、大友家が参加しないと言えば良いのではないか?」
「そうすると謀反の恐れありと他の領主から討伐されるんじゃないですか?」
「大友家が大友家のイベントに不参加だから謀反の疑いありと部下から討伐されるっておかしいだろ」
こんな、ゴミみたいなイベント止めようよ。
・・・・・・・・
と、言うのが去年の話。大内さん誘拐イベントで忙しかったので晴英くんを代理に立てたので、一部領主は晴英くんを大友当主と認識してくれている人もいるみたいだ。
よい傾向である。
ただ、今年はそうも行かないようなので色々趣向を凝らすことにした。
まず、馬はかさばるので各地の特産品を何でもよいから持ってくるように告げた。
かさばらないものを推奨し、種や作物に変更させた。
これを聞いた他国の領主は
「これは、本当の事と思うか?」
「いくらんなんでも額面通りに受け取るわけにはいかんだろう」
と、思っただろうが
『たいていのものは等しく豊後のものに劣るので、そこまで頑張らなくてよい。という嫌味なのではないか?』
という本心を忍びに流通させたので、「そこまでいうなら我が国の名物を見せてやろうではないか!」と競争心に火がついた。
太閤立志伝にも登場しないようなマイナーな特産品が豊後に運ばれてきた。
これで作物を探す手間が省ける。
また、会場も遠い檮原でなく平地の府内に変更した。
これには神社関係者からクレームが来たが「だったら、お前たちも肥前に徒歩で行って山の一つにでも登ってみよ」と言うと黙った。
この提案は豊後国内からも大絶賛で迎えられた。
「クソみたいな風習だけど前例だから従わないといけない」
と思ってたやつが多かったんだろう。これだけで各地の領主の好感度が10は上がった気がする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「どうですか。五郎様(宗麟の事)。これが当地の名産品でございます」
8月1日。各地の領主が鼻息荒く村自慢を始める。
蜜柑や葡萄などの果物に、古代米などの変わった穀物。
「おお、これは珍しい。これは神代の時代より伝わる黒米とよばれるものじゃな。古来 祝い用の米として重宝されてたと聞く。滋養があり、良く噛むとほんのり甘さが生まれると聞く」
とか
「ほほう。これは魏の文帝が『その甘さはしつこくなく、やわらかくて酸っぱくない。冷たいが歯にしみない。味が残っていて汁気が多く、蒸し暑さを除き、渇きをいやす』と勅書で称賛した葡萄という果実じゃな。日の元では平安京の頃までは流通しておったそうじゃが、良く手に入った」
など、グルメ漫画の審査員のような感じで褒める。
間違っても『知ってます』という空気の読まない返答などはしない。
各地の領主の自尊心を満たし、単なるプレゼント交換会であるお中元とは違う品評会の場とした八朔の儀。これで互いに対抗心を燃やし、良い作物が出来るようになれば九州はさらに発展するだろう。
なお作物の序列は付けなかった。
大河ドラマ『青天を突け』では「よぉーし。次は負けない様にもっと良い作物を作るぞー」という清々しい展開だったが、この時代だと「よぉーし。次は負けない様にそいつの土地を略奪するぞー」になりかねないからだ。マジで。
これに対する返礼として関アジ関サバにを使った料理に醤油を添えて出す。
陸の作物は品種改良されていないので味がイマイチな物が多いが、大海を泳ぐ魚は品種改良のやりようがない。醤油と切れ味のよい包丁さえあれば現代も今もそこまで味に違いはないはずだからだ。
「さすが大友家。このような旨い魚は食べた事がございません」
と、あからさまに媚を売る者。
「ふむ。これは中々ですな」
と、対抗心を燃やしつつ完食する者。色々いたが清酒を出すと
「これは どこで買えますか?」
と素直に白旗を挙げた。
酒好きは素直だ。
『これは科学様の加護で豊後が平安な時だけ造れるお酒である』
という嘘をついて、のん兵衛の領主に土産として渡してやると『反乱を起こしたらこれが飲めなくなるのか』と言いたげな複雑な顔でじっと見ていた。
「では折角 豊後まで来てくれたのだから、生まれ変わった別府を見ていただこう」
と告げる。
次の趣向は別府の大改造である。
今では世界の観光都市として栄えている別府だが、当時は砂湯以外の名物はない漁村だった。
そこで各地の地面に穴を掘らせ、温泉を貯める浴槽を作らせた。
温泉と言うと、地下深くを掘ってポンプでくみ上げるイメージが有るが、別府の場合2mも地面を掘れば地下を流れる温泉川にぶち当たる。
江戸~明治時代に流行した床下温泉である。
「この温泉に付随して、日本のスパランドみたいな施設を作る。巨大な大浴場に冷水浴。サウナ。砂湯。上がった先には売店を出して楽しんでもらおう」
温泉は疲労回復や腰痛、リューマチにも効果が有るので好評になるだろう(確信)
当時は直接湯につかるという習慣が薄いのでとまどう領主も多かったが、一部の温泉がある地域の人間が入り出すと一人、また一人と入り出した。
「まさか湯あみにこのような方法があったとは」
「へちまに泡を付けてこすると、ここまで心地よいとは知りませんでした」
「これは…極楽ですな」
テルマエロマエなどの漫画のリアクションを一通り取った領主たちを見る。
誰もが、クソ遠い豊後に来て面倒くさいとか退屈だと言うネガティブな顔はしていない。
「うまくいったようですね」
と、さねえもんが言う。
「ああ、退屈なイベントを中止できないなら退屈でないイベントにすれば良いという逆転の発想の勝利だな」
とりあえず、次回の八朔で豊後に来たくないと思う領主はいないだろう。
「本当に良かったですよ。一説では、このイベントが嫌で反乱を起こした領主もいたとか言われてましたからね」
「そう言う事は、もっと早く言ってくれ」
他にも変更するべきクソイベントありそうだな……頭が痛い。
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