第94話 銅銭なんてメンコにもなりゃしねえぜ
大友家が発行した紙幣を遣わなくても肥前は松浦氏以外、一時的に景気が良くなっていた。
何故か米が売れ、様々な生産物も売られていったからだ。
「今日も前年より2割り増しの値段で米が売れました」
と佐賀地方の神代(くましろ)氏は報告を受けていた。
龍造寺と境界を接する領主で当時の肥前佐賀の顔役である。
なお、くましろ という地名の読み方が特殊なので、軍記物では結構な頻度で「くま」「シロ」の領主たちと、二つの人格を持ってしまったり、
「銭も1万文も貯まりましたし、武具の調達をしましょう」
「そうじゃな。近頃は龍造寺の小せがれも変に動いておる。槍や種子島を増やしておくか」
そう言って市場に使いを出した。
博多から来た商人は南蛮や和冦経由で密輸された唐国の品々を運んで来ているが、それとは別に武具や鉄も扱っている。
米売の儲け半分も出せば結構な品が買えるだろう。
「おい、この槍を買おう」といえば、商人は「へえ、ありがとうごぜえます」と言いながら、お代を受け取ろうとして
「旦那。こりゃなんですか?」
と銅銭を怪訝そうに見て「こんなものメンコにもなりゃしねえぜ」と放り投げた。
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「貴様!銭をなんとする!」
あわてて落ちた銭を拾う侍。だが、
「旦那。大友様の領地ではこの大友札が銭ですぜ。そんな銅を削って薄くしたようなビタ銭なんて何の価値もありませんや」
と商人は困った顔で言った。
ビタ銭とは粗悪な銭貨。 表面が磨滅した粗悪な銭を指す言葉でもある。
戦国時代の銭とは中国から輸入した銅銭である。
ただ、当時の銭は紐で束ねて使うために、真ん中をくり貫いて、小さな銅銭として使ったり、表面を削って集めた銅に別の金属を混ぜて鋳造し直す、私鋳銭などの粗悪品も出回っていた。
なので、普段使う銭は質の悪いもの。手元に置いておくのは質の良いもの。というまさに「悪貨は良貨を駆逐する」現象が起こっていたのだ。
大量の銭を数えるなどの面倒はしたくないのが人情だが、買いたたかれる原因にもなる。
仮に2000枚の硬貨を出されて2枚ほど子供銀行硬貨が混ざっていてもわからないだろうし、500ウォン硬貨を出されても500円と誤認するような状態である。
本屋バイトの時はさすがに気づいたけど。
「というわけで、銭なんて紛らわしいものより大友札の方が便利だし信用できます。銅銭が使いたいなら山口までいって下さい」
と商人は銅銭の不便さを告げて、取り扱いが出来ない旨を伝える。
『物が欲しいなら、政府が定めた金を使え』というわけである。
考えてみれば中国の通貨しか戦国日本では通貨として流通してないというのは不思議な話だが、銭というのはみんなが価値があるという幻想を持って、それで社会を動かしているからである。
なので大友家が「これから、当国では大友札しか使わない。銭は溶かして銅にする」
と言えば、銅銭など こども銀行券と大してかわらなくなるのだ。
「株で言うなら、大して価値のない株を大資本が買い集めて値段を釣り上げたり、逆に空売りで価値を下げたりするような手法だな」
ふつうならこんな事が出来るわけもない。
それくらい民衆の銅銭信仰は強い。
だが3国と瀬戸内の通商路、それに化粧品での引換券などので構築した大資本があれば一地方の経済を牛耳るなど簡単な事である。
そう、車や流通が発達した時代でも某イ●ンが周辺の商店街を壊滅させたのに比べれば実に簡単である。
歩いて2日行かないと仕えもしないような重たい金属など、自分の家で使わない限り何の価値もない。
いくら銅銭がたくさんあっても、使えるのは大友家と無関係の地域だけとなれば価値は下がる。
これが無理に銅銭を奪い取ろうという策ならば、多くの民衆は暴動を起こしただろう。
だが商人たちは無料で配られた金なら受け取るというのだ。
銅に比べて軽いし、枚数も銅1000枚が紙切れ一枚で代用できるのだから、はるかに便利だ。
そう考えると大友家は民衆から銭を奪おうとしてるのではなく、食料から生活用品まですべて面倒をみる代わりに、大友家発行の独自通過を使ってくれと言っているだけなのだと民衆は好意的に解釈するようになった。
銭余り、物不足の状態でこれをすれば効果は見違えるほど現れた。
なにしろ、大友家はこの紙切れを毎月配るように守護代に命じているというのだ。
某戦略SLGで言うなら毎月施しを与えるようなものである。
民忠制度もウナギ登り。
米や農具の引換券と思えば十分価値ある紙切れなのだ。
「…これって、外界と隔絶して組織内の常識で洗脳しようとする宗教団体や、チェーン店だけで使えるT●イントの手法ですよね…」
とさねえもんは手口の悪辣さを そう評したが、もう手遅れである。
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「これはいったい、どう対抗すればよいのだ?」
龍造寺隆信は混乱していた。
親類を騙し討ちされ、家臣にも裏切られた彼は人間の真心などと言うのは信用していなかった。
上手い話には必ず裏が有る。
その警戒心が江戸時代に『肥前の熊』なる蔑称を与えられた原因となるのだが、そんな彼でも大友家の奇妙な政策の真意が読めなかった。
今まで単なる武力抗争以外の兵糧責めや品止めなどの戦いは経験したことがある。
戦いとは詰まるところ我慢比べだからだ。
だが、今回の相手は兵を出さない。物資は送る。金もどきまでくれて、交換もしてくれる。
気持ち悪い位の親切さだ。
不便な点があれば、銅銭がいっさい使えないと言う点だが、兵糧が欲しければ常識的な範囲で売ってくれる。
金が欲しければ生産物を売れば買い取ってくれる。
善意から来る行動だらけ。
だからこそ、隆信には豊後の屋形の心底が理解できなかった。
国を豊かにすれば下克上の機会をふやすだけ。
国力が満ちれば誇り高い筑紫の領主たちは独立を目指すだろう。
なのに、何故豊後の屋形は金を配るように自分に命じたのか?
何かがおかしい。
必死に隆信は裏の裏を読もうと相手の真意を、その悪意を読み取ろうとする。
だが悲しいかな、隆信は有能な大名ではあっても貨幣経済の発達した世界など見た事もない。
借金で土地を売り渡した鎌倉時代の領主の話は聞いた事があるが、それ以上の恐ろしさは聞いた事が無い。
自分の知らない大きな仕組みで、あの豊後大名は自分たちを飲み込もうとしてるのではないか?
何の根拠もないがそう思った。
その予感は近い将来 正解だった事を知る。
そして、そうなったときにはすべてが手遅れだと言うことも隆信は思い知らされるのだ。
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