第63話 島津弱体化計画
6万PVありがとうございます。また、歴史カテゴリーのランキングで10位に入れたことも併せて御礼申し上げます。
…と書こうと思ったのですが『友松版九州治乱記の超訳と検証』という10月以上かかった軍記物の現代語訳の電子出版と並行して執筆していたのでだいぶ遅くなりました。
あと40分しかのこっていませんが、本年は有難うございました。来年もまたよろしくお願いいたします。
筆者は夏休みの宿題が間に合わなくて、結局1ヵ月以上放置してうやむやにする派でしたが、本年中に投稿できたようで人間って成長できるんだなと歳の暮れに思いました。(まるで成長してない)
それでは、2020年最後の投稿、お楽しみ頂けたら幸いです。
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鬼島津と恐れらた島津義久・義弘兄弟の家はもともと伊作家島津氏と呼ばれる分家だった。
第12代当主・島津忠治、第13代当主・島津忠隆が早世し、第14代当主・島津勝久は若年のため、宗家は弱体化。
勝久は義久の祖父である忠良を頼り、大永6年(1526年)11月、義久の父・貴久が勝久の養子となって翌年には勝久は隠居。貴久が正式に家督を継承した
ところが加世田や出水を治める薩州家の島津実久がこれに不満を持ち、伊集院重貞・島津昌久らを誘って叛旗を翻し、島津勝久の守護職復帰を説いた。
貴久は鹿児島で攻撃され、亀ヶ城に撤退。
大永7年(1527年)5月に貴久は島津勝久との養子縁組を解消され、勝久は守護職の悔返(譲渡の無効)を宣言した。
これから天文8年(1539年)まで戦いが続き、勝久は母方の大友氏を頼り豊後国へ亡命していった。らしい。
「一応1560年代に島津から大友『これから日向と戦争します』ってい通告は出してますが、これは九州探題の大友家へのケジメ案件なので、仲が良かったとは言い難いんですよね」
「それのどこがまずいの?」
「現代社会でいえば『会社から追放した創業者一族を名誉顧問として雇ってて、隙あらば大株主として役員会議に送り込める状態にある会社の社長が『仲良くしましょう』って言ってきた』位にはまずいですね」
なるほど、それは(気)まずい。
まるで大●屋とコロ●イドの内部紛争起こせるような状態なんだ。最悪だ。
「ちなみに大友も内部抗争に敗れた大内高弘の息子、輝弘を養ってますし、大内家も大友の一族をかくまってます」
わぁ、戦争で占領した後も『正当な党首を据えるために戦争したんであって、自分は侵略者じゃない』って言い訳が十分たつね。
「使える汚い手は、いくらでも用意するのが戦国ですからね」
汚い手しかないのかよ。
「…話は脱線したけど、なるほど、今の大友家は隙あらば傀儡というか紛争の種をいつでも送り込める立場にあったわけなのだな」
これでは警戒されるのも無理ないだろう。
「だとすれば、相手を納得させる手みやげが必要だな」
「だったら、あれとかいいんじゃないですか?」
「元当主の首とか言わないよな」
「それは武士の道に反します」
戦国の世の『やってOK』な部分と『それは流石にダメだろう』のラインってわかりにくいな。
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「それでは、行ってくる」
「はい!兄上!」
今日も今日とて当主の仕事がしたくない兄は外交のために外に行く。当主になりたい弟に当主の仕事丸投げして。
史実では陶晴賢の傀儡となり、陶が勝手に敗北したため亡国の王となって某ゲームでは『政治;32統率;18知略;10教養;63(MAX値;100)』というひどい点数を付けられた八郎君だが、きちんと周りがサポートすれば本人にやる気がある分きちんと国家運営ができているようだ。
まあ、ベッキーを補佐に付けてるのと、いざと成れば『(国内では)働かない兄よりはマシだ』という比較対照がいるのもあるのだろうけど。
とういか直属の部下はビル建設でいっしょに作業してるから八郎君との息がピッタリらしい。反乱を計画している奴がいたら八郎君か大内義隆さんに話を持ちかけるだろう。
立派なお家騒動の下地の完成である。まあ、俺にとって家督なんてブン投げたいくらいだからまともな統治者が育てば早く辞めたいんだけど。
その前に裏で反乱を後押ししながら首謀者には戦死してもらえば、スムーズに代替わりができるだろう。というかしたい。
早く1553年の反乱がこないだろうかなぁ。
「で、現実逃避をしながら、今度はどこに遊びに行かれるのですか?」
後ろで長増がトゲのある言葉を言う。
国内の不満分子を押さえてくれてるのは、この爺様だから仕方がない。
なので俺は、
「ちょっと島津家を弱体化させに」
と言い訳気味に告げた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
島津の本拠地、内城は桜島の対岸、西の方にある。
町は中国産の珍しい品が流通はしているが、一般人の生活は貧しく大河ドラマ、西郷どんで描かれた極貧武士の生活そのままのような光景だ。
「ようこられました。お帰りはあちらです」
とまでは言われなかったが『何をしに来た。さっさと帰れ』と言われるような感じの塩対応だったのは仕方がないだろう。
そんな空気を読まずに我々の団体から
「お初にお目にかかります。京都で修行をした無月と申します」と言った人間が顔を出す。
なんでも島津は神仏を崇拝し重要な決断は神慮をあおぐべく籤をひいてた位らしい。
まあ桜島という、いつ爆発しても不思議でない大自然の驚異を抱えた地域なら為政者は神にすがるしかなかったのだろう。
大分も鶴見山が1593年あたりに噴火して住民が多く死んでるけど。
「おお、それはそれは、遠い所からよくこられました」
と島津の取次は急に態度を正した。
ちなみに一向一揆が起こってから薩摩は一向衆を禁止状態にしたそうだが、それと無月さんとの対応の差はなんなのだろう?
とさねえもんに聞いたら「顧客の格が全然違うんです」という
京都の大徳寺は臨済宗なのだが、これは相当な格式があり信仰するのも家柄の良い家が多く『ただ南無阿弥陀仏と唱えれば極楽に行ける』という非論理的な新興宗教などとは同じ仏教でも全然違うものだと言うのだ。
「同じ戦国大名でも織田信長と里見家を同列に語るような感じですね」
おい、千葉の方に失礼だろう。わかりやすいけど。
それだけに金が大量にかかるのだが。その分、こうして外交など色々と寄進分は働いてくれるので仕方ない。
「島津殿は行基様をご存じか?」
と無月さんは各地で橋を造ったり、大仏を作り民衆人気の高かった僧侶の名を挙げた。
「ええ、よく存じておりますが、それと貴方様がこられたのとどのような関係が?」
「その行基様を導いた御使いが薩摩の民を救えとのお告げを夢でくだされました」
「なんと」うさんくさそうに言う取次。
まあ、こういう場合、その次には『つきましては少しばかりの御寄進を…』と来るのだから仕方がない。
だが、今回は違う。
「そこで豊後守護の大友五郎様の協力を得て、南蛮より救荒作物の種を取り寄せました」
大友、という言葉に目をとがらせる島津の侍たち。
「ほほう。たしかに豊後は風土記で豊なる国と呼ばれるほど実り豊かな地と聞きます。ですが、それならば大友殿に頼まれれば良いのではないですかな?」
大友に降れ、などと荒唐無稽な事は言わないよな?と警戒しながら言う。
何度も値切ったり無茶な要求をするクレーマー元請工事会社の要求を断る中小工務店の社長を見ているかのようだ。
薩摩は寺社の力が強いらしいし、色々金をせびられてるんだろうなぁ…。と余計な共感をしてしまう。
だったらこの策は想定外だろう。
僧のふりをした俺が合図すると、ひとつの袋が出された。
「これは?」
「豊後で採れた金です」
「金!」
「お告げに従って山を掘ると金山が見つかりました。そして我らが御使、科学様は『これを資金にして、島津に命じよ』と仰られました」
さらさらと流れる金を食い入るように見つめる取り次ぎたち。
その黄金の輝きは偽物とは思えなかったのだろう。
「今すぐ、当主へお取り次ぎいたします!」
と慌てて駆けだした。
神様のお告げで財宝が見つかるというのはよくある昔話のパターンである。
豊後の金山が見つかるのは江戸時代になってからなのだが、逆に言えば金山もない豊後でここまで金を用意できるというのは仏のお告げによるものという信憑性が生まれたのだろう。
まあ、嘘でもこれだけの大金出せば目の色が変わると言うものだ。
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急いで呼び出された島津4兄弟の父、貴久さんが目の前にたつ。
引き締まった体に威厳あふれる顔。これが鬼島津とか釣り師と呼ばれた子供たちを育て上げた人間か。
急な面会にも関わらず気さくに挨拶をし会ってくれるフットワークの軽さは好感が持てる。
「して、無月どの。貴方の申される尊きお方は我らに何をせよと申されるのか?」
「種を植えていただきたい」
そこで、無月さんはいくつかの作物を見せる。
「これは?」
「南蛮の芋、瓜、それにカボチャと呼ばれる作物です」
そういうと、現代からすればみすぼらしいが、当時の日本視点だと立派な作物が並べられていく。先日大内さんを誘拐する前に運びこまれた南蛮の作物だ。
「我らが崇拝する科学様は、この種を薩摩の地で植えるようお頼みせよと申されておるのです」
これが俺の考えた手みやげであり島津を弱体化させる手段である。
『強い軍隊とは、貧しい国の兵士たちで編成された軍』だといえる。
職業化され民間装備と専門装備の差が大きくなった現代では当てはまらないが、竹槍と数の暴力で押し込めるような戦いの場合
『別に戦わなくても食べていけるほど裕福で平和な土地の人間』と
『毎日の食料に事欠くありさまで、略奪でもしないと来年には家族が飢え死ぬ人間』で編成された軍隊の場合どちらが暴力的で命を粗末に扱う強い軍隊かは一目瞭然だろう。
越後の上杉家などは財政がひっ迫して冬季は他国に略奪するのが恒例行事だったので越後の強兵、尾張の弱兵という言葉まで生まれている。
今回、貿易の通訳としてヘッドハンティングしたいアンジロウさんは史実だと薩摩に帰ったあと、和冦のような海賊行為を行い、そこで死亡したという。
国にまともな産業があって、家族を養えるならそんな事はする必要がない
つまり、火山灰で覆われた薩摩の地は収穫が乏しく、それゆえに強くなったと言えるだろう。その証拠に1587年に九州の大半を制覇して戦利品を手に入れた薩摩兵は命が惜しくなり真面目に戦おうとしないことを嘆く文書が残っている。
なので薩摩でも育つ作物が広まれば住民は飢えずに戦意を無くす。
そうすれば自然と奇跡の逆転勝利や鬼のような薩摩兵が生まれない。
「それどころか、有望な生産地として多くの大名から土地をねらわれて島津滅亡だって狙えるかも知れませんしね」
「そこまでヒドい発想が何で思いつくかなぁ…」
そこは、作物を買い上げて他国に売る半植民地状態にする程度にしとこうよ…。
いわば日本の食料生産地として土地と人力をレンタルしようと言う訳である。人手なら外国に略奪に行くくらいだから十分余っているだろう。
以上、オフレコな島津弱体化計画である。
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そんな裏事情はおくびにも出さず、交渉をする。
「作物を作っている間の生活費と食料は豊後が出してくれます。上手く行けば日本で飢える人はいなくなる。貧しい民が飢えずに救われる。万民救済の仏の教えに乗っ取った神慮です。どうですか?」畳みかけるように無月さんが提案する。
神様と仏様をごっちゃにしているが、言われている方も厳密な区別はついてないだろうし勢いで押し切れるだろう。
何故ならこれは、今で言うなら外国で工場を作って現地の人間を雇用するような政策だ。まともな経営者なら諸手を挙げて賛同してくれるだろう。
だが…
「アッハッハッハ!!!!」
その言葉に、島津さんの後ろで嘲笑が起こる。
あれ?
「それならば、豊後で植えればよろしかろう!そちらの坊様はここがどのような土地か分かっておられぬようだ!」
…忘れてた。講談や物語に登場する薩摩武士ってまともじゃなかったと言う事を……
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