第62話 とある死亡フラグをヘッドハンティングでへし折ってみる

「所でザビエルさん」

「何ですか?」

 由布院付近の布教を終えてきたザビエルさんに声をかける。

 別府の奥座敷として有名な観光地、由布院はキリシタン墓があるのでキリスト教が受け入れられる下地があると思い、勧めてみたのだ。

 なお4回ほどナビに従って近くを通り過ぎたのだが、車を止める場所もないし案内板もないため一度も見た事がないのは内緒だ。

 由布市観光課はもう少し分かり易くしといて欲しい。(理不尽クレーマー)

 話がそれた。俺はザビエルさんをねぎらいながら

「あなたが、日本に来る際に一人の日本人がいたと思われるが、今どこにいるかご存じだろうか?」

「ああ、ですか」


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 ザビエルを日本へ案内した日本人。それがアンジロウと書簡に書かれた名前である。洗礼名はパウロ。

 アンジロウは薩摩国か大隅国(鹿児島)の出身で、若い頃に人を殺し、ポルトガル船に乗ってマラッカに逃れた人間だと言う。

 天文15年(1546年)に薩摩にやって来たポルトガル船船長のジョルジュ・アルヴァレスがマラッカへ帰る際アンジロウを乗船させ、ザビエルを紹介したという。

「彼の教えに感激したのか、殺人の罪を許して欲しかったのか、彼はキリシタンとなり、1549年4月19日にザビエルに従いゴアを離れ同年8月15日に鹿児島に上陸。

日本キリスト教布教の第一歩となったそうですよ」とさねえもんが言う。

 ……どうして彼はそんな細かいデーターまで憶えているんだろう?

 その後のヤジロウの生涯については不詳である。

 上記のフロイスの記述によればザビエルの離日後、ヤジロウは布教活動から離れて海賊の生業に戻り最後は中国近辺で殺害されたという。

 またフェルナン・メンデス・ピントの『東洋遍歴記』、ジョアン・ロドリゲスの『日本教会史』によれば仏僧らの迫害を受けて出国を余儀なくされ、中国付近で海賊に殺されたというが、のでフロイス日本史に書かれたように海賊行為をしていて死亡したのだろう。

「薩摩は火山灰で米が取れず、略奪に身を染める人間も多いと聞きますからな。戻っても生業が成り立たなかったのでしょう」

 と吉弘が納得したように言う。

「つまり、 という事だ」

「それは…勿体ないですな」

 吉岡が言う。

 人間を適材適所に配置して効率よく動かすのが管理職の仕事だとすれば、海外の貿易が自由にできる今、かなり重要な人材だろう。

 そんな人材が不遇をかこうとは、戦国時代の薩摩の人材登用制度はどうなっているのだろうか?

 ……と思ったが、現代大分の企業面接でも

『ふーん英語が出来るの?で、それが何の金儲けになるの?』

 とか言いそうなので、閉鎖的な社会ではぶっ飛んだ才能は活かせないのだろう。


「というわけで、今のアンジロウ株は急落中だ。固定給出して正社員に登用すれば喜んで来るだろう」

 話を聞いていると、どう考えても薩摩での彼の生活は成功しているとは思えない。

 だったらその才能を買わせてもらおう。

 こちらは外国語教師という『金を積んでも得られない』戦国日本唯一の才能を得られるわけである。だが…

「地元に帰りたい一心でインドから戻って来た人がそう簡単に首を縦に振りますかねぇ」

とさねえもんが首をひねる。

なるほど。

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 というわけで、ザビエルさんに仲介をお願いしてもらおうと思った次第である。

 とはいえ「薩摩での布教は失敗するから豊後に呼んで欲しい」といえば角がたちまくるので、やんわりと思い出話をしながらスカウトへ話を持っていこうと思ったわけだ。

「彼なら薩摩の地で布教活動をしていたはずです。主の忠実なしもべとして多くの魂を救っていることでしょう」

 とザビエルさんは懐かしむように言う。

 …この二人『史実だともう二度と会う事がなかったのだろうな』と思うと何とも言えない。

「実は、彼の事業が上手く進んでいたら、豊後に講師としてお招きしたりインドへの水先案内を頼みたいと思うんだ」

 そういうとザビエルさんもこちらの意図を読み取ったのだろう。

「…その方が彼にとっては良いかもしれませんね」

 薩摩では寺院が強い力を持っていて、当主の島津貴久さんへの強い影響力を持っていたという。

 先日、現代語訳が発売された薩摩の家老、上井覚兼の日記(ヒムカ出版)によると貴久さんの次の当主ぎせいしゃ、島津義久さんは家臣が言う事を聞かないときには日新斎という中興の祖の言葉を引用して「日新斎様の言葉なら」と理屈抜きで納得させたり、大事な事を決める時はくじを引いて『神様の言う事ならば』と理屈抜きで納得させたりしていたそうだ。(意訳)

 そのせいか義久さんは虫気(痛みを伴う腹の病気。腹の中にすむ三尸 (さんし) の虫によって起こると考えられ)が酷かったそうで『どうみてもストレスによる胃痛です。本当にありがとうございました』状態だったそうだ。

 …………ものすごく他人のような気がしない。彼とだったら仲良くなれそうな気がする。

「ちなみに日記のおかげで上井さんは痔で5日程出仕が遅れたり、当主を無視して阿蘇神社の領地に出撃して義久に怒られた事とかがわかってます」

 うん、その情報いらない。

 というか、当主無視して戦争か―。向こうにも言う事聞かない50歳児がいるんだー。(遠い目

 そんな既得権益と上司の命令が届かない土地にいるより豊後の方が実りは多いと思わせるためにキリシタン墓がある野津町とか臼杵に活かせたのが功を奏したのか(竹田は除く)ザビエルさんもアンジロウの転勤には乗り気だった。

 家族ごとヘッドハンティングして、宗麟の私有地である津久見にキリシタン村みたいな異国情緒あふれる集落作って近代化のモデルケースにしてみるか?とか、キリスト教の布教の延長でラテン語を孤児に教え、通訳者としての職を紹介するなど色々プランは浮かんできた。


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「というわけでアンジロウさんワープアの人材を登用しに行くぞ」

 気分は三国志の軍師とか太守である。だが

「あのー」と後ろから声が聞こえる。

 見れば、さねえもんが首を傾げている。何だい?

「今の豊後と、薩摩の嶋津って国交ありましたっけ?」


 ………………あれ?


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ヒムカ出版から出ている現代語訳 上井覚兼日記は良書なので、薩摩に興味のある人は勝っといて損は無いと思います。島津四兄弟、定価の倍してますし。

1500部しか刷ってないそうですし。


というか、他人が現代語訳した本を読むのって凄く楽と言うか読みやすいですね。

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